表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第三章 子爵令嬢、アリエタ・ハルシュカ
18/61

第四話/ ロットレング黎明期



 ラウラがロットレング領にやって来て、一年が経った。昨年、横領を暴いたことで赤字はようやく解消したものの、目ぼしい産業のない土地である。手をこまねいているだけでは、ハルシュカ家の財政は潤わない。



 そこで、ラウラは長期的な計画を描き、抜本的な領地改革に乗り出した。もちろん表向きは「子爵が経営に目覚めた」という体になっている。もはや彼はラウラの傀儡であり、金の話はラウラに逆らわない。何しろ、あっという間に借金も赤字も消えたのだ。その上、将来的な発展が見込めるなら言うことなしである。




 そんなラウラにとって最も慎重に事を進めたのが、ダルーシャの後釜に据える家令の採用である。今後、ハルシュカ家の家令を務める者は、領地経営において重要な任務を背負う。頭が切れて、口が堅く、裏切る心配がない人間。ヤンが手伝ってくれるなら鬼に金棒だったが、残念ながら彼は表舞台には出られない。



 そんな時、思わぬところから救いの手が差し伸べられた。なんと、銀行が支援を申し出てくれたのだ。




「我社の期待の若手、アーチ・セグルマンです。5年間ロットレング領へ派遣しますので、存分に鍛えてやってください」



 そう言って快活に笑うのは、ロトス銀行の頭取マク・ロトス。シャオ大老の弔問に来ていた一人である。バクリアニ王国では3本の指に入る大手銀行で、経済界では知らぬ者はいない傑物らしい。子爵家の応接間で、ハルシュカ夫妻が恐縮して縮こまっている。その経済界の大物が、なぜラウラの支援についたのか。



 実はロトスは、シャオ大老の秘蔵っ子である。薬屋の丁稚をやっていた少年時代、数字に関する才覚を見いだされ、大老から両替商を任せられた。そこから金融や為替に着手し、一代で銀行の頭取となったのだ。大老には恩返しできないままだったので、せめてラウラの役に立ちたいと言ってくれた。



「実は、生前に子爵家との縁組の事情はお聞きしておりました。きっと子爵領でラウラ様が何か事業を始めるだろうから、その時はよろしく頼むと。ですから、ロトス銀行が全面的に支援させていただきます。もちろん、秘密保持もお約束します。銀行家は口が固くないと商売になりませんからね。もちろん、このアーチも同様です。ご安心ください」



 さらにロトスは、無担保かつ破格の低金利での融資を提案してくれた。優秀な秘書、大手銀行の後ろ盾、有利な資金調達。三つ巴の幸運がラウラに舞い込んできたのだ。それだけに絶対に失敗は許されないが、ラウラには勝算があった。領地視察の際、ある「宝の鉱脈」を見つけていたからだ。






「正直、驚いています。13歳の娘さんが、ここまで緻密な事業計画書をご用意されているとは。私の考えを改めなければいけませんね」



 アーチが、額の汗を押さえつつ言う。彼は21歳。ロトスから能力を見込まれ、若くして大規模融資を任されている。地味だが上質な服をきちんと着こなし、一見すれば控えめな印象ながら、いざという時の交渉はロトスいわく「蛇のように粘り強い」らしい。実に頼もしい家令である。


 ロトス銀行からの申し出があった翌週、早速アーチはロットレング領へ派遣されて来た。そしてハルシュカ卿の執務室で、事業計画のすり合わせを行ったのだが、当初アーチは素人のやることなので穴だらけだろうと考えていた。しかし蓋を開けてみれば、収益の裏付けなどが既に数字として割り出されており、法務的にわずかな助言を行うだけでよかった。



「しかし、よく地下に熱泉があることがわかりましたね。ご自分で調査されたんでしょう?」


「おかしな井戸があったので、村の人に聞いてみたの」



 ラウラはある日、村はずれで奇妙な井戸を発見した。林を開墾した平地で、農業には好適と思われる立地でありながら、その井戸は石や木の板で塞がれていた。なぜ使用しないのかと農夫に聞いてみれば、



「せっかく掘ったんですが、変な水が湧いてくるんです。熱いし臭いし、撒くと葉が枯れるので、畑には使い物にならんのです」



 という返事だった。ラウラの頭の中に、あることが閃いた。以前、ユマ国の湯治についての本を読んだことがある。その中に書いてあった事象がこれに該当する。ラウラはさらに質問した。



「ねえ、この近くにも、同じような井戸がないかしら」


「井戸じゃないけど、お山の上の方だと、川底から同じような臭い湯が沸いているところはありますよ」



 ロットレング領のある東部は、未開な地域が多い。その理由のひとつが火山脈である。子爵領の北側にも活火山があり、20年に一度ほど噴火を起こしては灰を撒き散らしている。その堆積した灰のせいで麦の生育が悪いことも、長年の業績不振の一因であった。


 ラウラは文献で得た知恵を総動員し、この土地に温泉の脈があることを確信した。火山上流には確かに川底の源泉がいくつかあり、湧出量も豊かなことから、ユマ国式の湯治が可能であると判断したのだ。ラウラは地図を広げた。



「井戸のある一帯は、畑のために開墾された平地だから、建設にはおあつらえ向きよ。領の中心地からは少し距離があるけど、森の中に街道から直通する道を繋げば、そうね、ざっと計算して王都から馬車で1日半から二日ってとこかしら。保養地というのは、あまり近すぎても有難みがないし、これくらいがちょうどいいわ」


「湯治宿の料金はいくら位をお考えですか? 安ければ客が増えるでしょうが、利益が薄くなる。かと言って、あまり高くすると庶民は逗留しづらくなります」



 ユマの文献で勉強したアーチは、すっかり計画の虜になっていた。地下から湧く湯、いわゆる温泉には特別な効能があり、腰痛や持病の治癒に用いられる。そしてその湯は燃料もいらず、無尽蔵に供給されるのだ。商売としては非常にうまみがある。



 しかし、ラウラは首を振った。彼女の頭の中には、もっと壮大な図が描かれていた。



「確かにユマ国では、そういうやり方ね。でも、ロットレングではそれに付加価値をつけるわ。ただの湯治客じゃお金は取れないもの。私たちが相手にするのは、貴族よ」



 ラウラは温泉の効能に加えて、さらなるサービスを盛り込むことで、贅沢に慣れた貴族階級が飛びつく、新たな娯楽を生み出そうとしていた。そのために、すでに根回しは始まっている。ラウラは地図に描かれた予定地を、細い指先でそっとなぞった。



「開業は一年後。見てなさい、あなたの派遣期間が終わるころには、融資額を完済してみせるわよ」






 こうしてラウラの領地改革は始まった。ユーリもアーチも、翌年の開業に向けて全力でラウラの飛ばす指示に従い、領内外を駆け回った。建設業者や職人も、ロトス銀行が全面支援しているというだけで、きつい日程でも快く融通をきかせてくれた。そのあたりは交渉の専門家、アーチの面目躍如である。



 ただ一名、状況がよく分かっていないのが、子爵夫人のエルカである。彼女は経済の観念が皆無だったので、なぜ銀行から融資を受けるのか理解できなかった。



「利子がもったいないわ。ラウラはお金をいっぱい持っているのに、借りるなんて変じゃないかしら?」


「それはラウラ個人のお金だろう? ロットレング領の資産を使って事業をしないと、儲けが私たちの財布には入らないんだよ」


「まあ! それはいけませんわ、ドレスを新調できなくなります」


「そう、お前の好きな甘藷も食べられなくなる」



 温泉事業と同時進行で、ラウラは甘藷(さつまいも)の栽培にも着手していた。火山灰の土壌で良く育つ品種で、バクリアニ王国ではほとんど生産されていないが、日持ちがする上に主食にも菓子にもなる。そのうえ栄養価も高いため、高値での取引が見込まれた。



「お義母さま、スイートポテトのタルトですわ。いかがでしょう」


「まあ、これは美味しいわ。プディングもよかったけど、これも程よい甘味で。本当にこの甘藷は美味しいわね」



 ラウラは甘藷を使ったデザートを、温泉施設の名物として供する予定であった。土産として焼き菓子を持ち帰れるように、王都から職人も引き抜いてある。



「ラウラ様の賢いところは、これらを段階的に発展させていく算段でしょうね。無理をして計画倒れになる事業はたくさん見てきましたが、これなら間違いなく採算が取れるに違いありません」



 アーチが次々と書類をさばきながら、ラウラに太鼓判を押した。彼にとっても、現場で直に事業を取り仕切る初の大舞台である。張り切りすぎて開業までに倒れられても困るが、彼がそこまで肩入れしてくれているのが嬉しかった。



 ラウラは、シャオ大老から教えられた「商売を大きくするための方法」を反芻していた。



 ――その日だけ儲かっても、だめだ。お客さんに喜んでもらって、それが明日も明後日も続かねば、よい商いと言えんよ。5年後、10年後にどうなりたいかを考えて、そこへ行きつく方法を考えるのが商売じゃ。



 ラウラは5年後に、この貧乏な田舎の子爵領を、王都の貴族がこぞって訪れる高級保養地に改革するつもりだ。10年後はそこへたどり着く道の途中で、また新しい山の頂上が見えるだろう。そうしたら再び、上を目指して登るまでだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
↓「勝手にランキング」に参加しています。押していただくと励みになります!
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
[良い点] 18部分からは、ある意味で英才教育を受けた主人公がようやく才を詳らかにしていくその道行が書かれていくのだろうなぁと、章題を見て嬉しくなりました。 領内の可能性をどんな風に拡げていくのか、人…
[良い点] おおーー! なんと温泉! 会員制高級スパリゾート! 表から裏まで色々と楽しめそうな匂いがプンプンしますね! 楽しみです!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ