第四話/ ロットレング黎明期
ラウラがロットレング領にやって来て、一年が経った。昨年、横領を暴いたことで赤字はようやく解消したものの、目ぼしい産業のない土地である。手をこまねいているだけでは、ハルシュカ家の財政は潤わない。
そこで、ラウラは長期的な計画を描き、抜本的な領地改革に乗り出した。もちろん表向きは「子爵が経営に目覚めた」という体になっている。もはや彼はラウラの傀儡であり、金の話はラウラに逆らわない。何しろ、あっという間に借金も赤字も消えたのだ。その上、将来的な発展が見込めるなら言うことなしである。
そんなラウラにとって最も慎重に事を進めたのが、ダルーシャの後釜に据える家令の採用である。今後、ハルシュカ家の家令を務める者は、領地経営において重要な任務を背負う。頭が切れて、口が堅く、裏切る心配がない人間。ヤンが手伝ってくれるなら鬼に金棒だったが、残念ながら彼は表舞台には出られない。
そんな時、思わぬところから救いの手が差し伸べられた。なんと、銀行が支援を申し出てくれたのだ。
「我社の期待の若手、アーチ・セグルマンです。5年間ロットレング領へ派遣しますので、存分に鍛えてやってください」
そう言って快活に笑うのは、ロトス銀行の頭取マク・ロトス。シャオ大老の弔問に来ていた一人である。バクリアニ王国では3本の指に入る大手銀行で、経済界では知らぬ者はいない傑物らしい。子爵家の応接間で、ハルシュカ夫妻が恐縮して縮こまっている。その経済界の大物が、なぜラウラの支援についたのか。
実はロトスは、シャオ大老の秘蔵っ子である。薬屋の丁稚をやっていた少年時代、数字に関する才覚を見いだされ、大老から両替商を任せられた。そこから金融や為替に着手し、一代で銀行の頭取となったのだ。大老には恩返しできないままだったので、せめてラウラの役に立ちたいと言ってくれた。
「実は、生前に子爵家との縁組の事情はお聞きしておりました。きっと子爵領でラウラ様が何か事業を始めるだろうから、その時はよろしく頼むと。ですから、ロトス銀行が全面的に支援させていただきます。もちろん、秘密保持もお約束します。銀行家は口が固くないと商売になりませんからね。もちろん、このアーチも同様です。ご安心ください」
さらにロトスは、無担保かつ破格の低金利での融資を提案してくれた。優秀な秘書、大手銀行の後ろ盾、有利な資金調達。三つ巴の幸運がラウラに舞い込んできたのだ。それだけに絶対に失敗は許されないが、ラウラには勝算があった。領地視察の際、ある「宝の鉱脈」を見つけていたからだ。
「正直、驚いています。13歳の娘さんが、ここまで緻密な事業計画書をご用意されているとは。私の考えを改めなければいけませんね」
アーチが、額の汗を押さえつつ言う。彼は21歳。ロトスから能力を見込まれ、若くして大規模融資を任されている。地味だが上質な服をきちんと着こなし、一見すれば控えめな印象ながら、いざという時の交渉はロトスいわく「蛇のように粘り強い」らしい。実に頼もしい家令である。
ロトス銀行からの申し出があった翌週、早速アーチはロットレング領へ派遣されて来た。そしてハルシュカ卿の執務室で、事業計画のすり合わせを行ったのだが、当初アーチは素人のやることなので穴だらけだろうと考えていた。しかし蓋を開けてみれば、収益の裏付けなどが既に数字として割り出されており、法務的にわずかな助言を行うだけでよかった。
「しかし、よく地下に熱泉があることがわかりましたね。ご自分で調査されたんでしょう?」
「おかしな井戸があったので、村の人に聞いてみたの」
ラウラはある日、村はずれで奇妙な井戸を発見した。林を開墾した平地で、農業には好適と思われる立地でありながら、その井戸は石や木の板で塞がれていた。なぜ使用しないのかと農夫に聞いてみれば、
「せっかく掘ったんですが、変な水が湧いてくるんです。熱いし臭いし、撒くと葉が枯れるので、畑には使い物にならんのです」
という返事だった。ラウラの頭の中に、あることが閃いた。以前、ユマ国の湯治についての本を読んだことがある。その中に書いてあった事象がこれに該当する。ラウラはさらに質問した。
「ねえ、この近くにも、同じような井戸がないかしら」
「井戸じゃないけど、お山の上の方だと、川底から同じような臭い湯が沸いているところはありますよ」
ロットレング領のある東部は、未開な地域が多い。その理由のひとつが火山脈である。子爵領の北側にも活火山があり、20年に一度ほど噴火を起こしては灰を撒き散らしている。その堆積した灰のせいで麦の生育が悪いことも、長年の業績不振の一因であった。
ラウラは文献で得た知恵を総動員し、この土地に温泉の脈があることを確信した。火山上流には確かに川底の源泉がいくつかあり、湧出量も豊かなことから、ユマ国式の湯治が可能であると判断したのだ。ラウラは地図を広げた。
「井戸のある一帯は、畑のために開墾された平地だから、建設にはおあつらえ向きよ。領の中心地からは少し距離があるけど、森の中に街道から直通する道を繋げば、そうね、ざっと計算して王都から馬車で1日半から二日ってとこかしら。保養地というのは、あまり近すぎても有難みがないし、これくらいがちょうどいいわ」
「湯治宿の料金はいくら位をお考えですか? 安ければ客が増えるでしょうが、利益が薄くなる。かと言って、あまり高くすると庶民は逗留しづらくなります」
ユマの文献で勉強したアーチは、すっかり計画の虜になっていた。地下から湧く湯、いわゆる温泉には特別な効能があり、腰痛や持病の治癒に用いられる。そしてその湯は燃料もいらず、無尽蔵に供給されるのだ。商売としては非常にうまみがある。
しかし、ラウラは首を振った。彼女の頭の中には、もっと壮大な図が描かれていた。
「確かにユマ国では、そういうやり方ね。でも、ロットレングではそれに付加価値をつけるわ。ただの湯治客じゃお金は取れないもの。私たちが相手にするのは、貴族よ」
ラウラは温泉の効能に加えて、さらなるサービスを盛り込むことで、贅沢に慣れた貴族階級が飛びつく、新たな娯楽を生み出そうとしていた。そのために、すでに根回しは始まっている。ラウラは地図に描かれた予定地を、細い指先でそっとなぞった。
「開業は一年後。見てなさい、あなたの派遣期間が終わるころには、融資額を完済してみせるわよ」
こうしてラウラの領地改革は始まった。ユーリもアーチも、翌年の開業に向けて全力でラウラの飛ばす指示に従い、領内外を駆け回った。建設業者や職人も、ロトス銀行が全面支援しているというだけで、きつい日程でも快く融通をきかせてくれた。そのあたりは交渉の専門家、アーチの面目躍如である。
ただ一名、状況がよく分かっていないのが、子爵夫人のエルカである。彼女は経済の観念が皆無だったので、なぜ銀行から融資を受けるのか理解できなかった。
「利子がもったいないわ。ラウラはお金をいっぱい持っているのに、借りるなんて変じゃないかしら?」
「それはラウラ個人のお金だろう? ロットレング領の資産を使って事業をしないと、儲けが私たちの財布には入らないんだよ」
「まあ! それはいけませんわ、ドレスを新調できなくなります」
「そう、お前の好きな甘藷も食べられなくなる」
温泉事業と同時進行で、ラウラは甘藷(さつまいも)の栽培にも着手していた。火山灰の土壌で良く育つ品種で、バクリアニ王国ではほとんど生産されていないが、日持ちがする上に主食にも菓子にもなる。そのうえ栄養価も高いため、高値での取引が見込まれた。
「お義母さま、スイートポテトのタルトですわ。いかがでしょう」
「まあ、これは美味しいわ。プディングもよかったけど、これも程よい甘味で。本当にこの甘藷は美味しいわね」
ラウラは甘藷を使ったデザートを、温泉施設の名物として供する予定であった。土産として焼き菓子を持ち帰れるように、王都から職人も引き抜いてある。
「ラウラ様の賢いところは、これらを段階的に発展させていく算段でしょうね。無理をして計画倒れになる事業はたくさん見てきましたが、これなら間違いなく採算が取れるに違いありません」
アーチが次々と書類をさばきながら、ラウラに太鼓判を押した。彼にとっても、現場で直に事業を取り仕切る初の大舞台である。張り切りすぎて開業までに倒れられても困るが、彼がそこまで肩入れしてくれているのが嬉しかった。
ラウラは、シャオ大老から教えられた「商売を大きくするための方法」を反芻していた。
――その日だけ儲かっても、だめだ。お客さんに喜んでもらって、それが明日も明後日も続かねば、よい商いと言えんよ。5年後、10年後にどうなりたいかを考えて、そこへ行きつく方法を考えるのが商売じゃ。
ラウラは5年後に、この貧乏な田舎の子爵領を、王都の貴族がこぞって訪れる高級保養地に改革するつもりだ。10年後はそこへたどり着く道の途中で、また新しい山の頂上が見えるだろう。そうしたら再び、上を目指して登るまでだ。