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公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第三章 子爵令嬢、アリエタ・ハルシュカ
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第一話/ 忌まわしき過去の清算



 こうして、子爵令嬢アリエタ・ハルシュカとなったラウラであるが、ひとつだけどうしても譲れないことがあった。それは、ラウラという名前を残すことである。


 この名は孤児の彼女が唯一、実の親から授けられたものであり、育ての母と慕った黒蝶館のマダムや、シャオ家の皆にも呼ばれて育ったなじみ深いものである。他者の身代わりとして生きていく嘘の人生だからこそ、自身の存在を表す名前を捨てたくなかったのだ。



「子爵は、構わないと仰っています」



 断られると覚悟して申し出たラウラであったが、拍子抜けするほど簡単にその願いは聞き届けられた。公式には貴族の登録名である「アリエタ」を使用するが、呼び名はラウラで構わないそうだ。その理由をリヴォフ夫人がラウラに説明してくれた。



「改名する貴族は多いのです。特に男性は、家督を継いだり功績を挙げたりすると、改名して格が上がったことを世間に知らしめます。貴女の場合は、病気の快癒を祈願して、教会から授けてもらったとすれば良いでしょう」


「では、この名をいただいたお陰で、病気がよくなったと言えばよろしいのですね」


「そうです。田舎の貴族には験を担ぐ者が多いので、取り立てて珍しいことではありません」



 貴族とは理解しがたい人種だが、お陰でラウラは名前を捨てずに済んだ。今後は、親しい人からの呼び方はラウラ様かラウラ嬢、そうでないならロットレング子爵令嬢、またはミス・ハルシュカあたりになるだろう。






 その子爵令嬢が、貴族の身分を得て最初にやったことは、シャオ大老の長男を撃退することである。もともとは、ラウラに対する誘拐を防ぐための貴族との縁組であったが、彼女はこの身分を利用して、シャオ家をまるごと守る方法を考え付いた。



 なんとラウラはシャオ家の屋敷を売りに出し、すぐさま子爵家の名義で購入してしまったのだ。金の出入りは同じ財布なので資産的には変化はないが、門前にロットレング子爵の家紋が掲げられた。これで誰が見ても、貴族の別荘である。


 中身は同じくシャオ大老たちが住んでいるが、こうなると賊は手出しができない。もし貴族の家に襲撃があったとなれば、ただでは済まないからだ。門番に「屋敷の所有者が変わったのか」と尋ねた男がいたらしいが、恐らくは長男の手の内の者だろう。



「はい、つい先日、ロットレング子爵がご購入されました」



 そう言うと、すごすごと帰っていったらしい。ラウラは塩を撒きたい気分だった。愛犬を殺され、育ての父は毒を盛られたのだ。本当はこれしきでは満足しなかったが、とりあえず家の人々を危険から守れたことに安堵した。



「お前さんは、本当に賢いの。そうじゃ、身分や金は、そうやって上手に使えばいい」



 シャオ大老は満足そうに褒めてくれた。そんな大老に、ラウラはひとつだけお願いをすることにした。養女になって間もなく4年半。心の中にしまい込んでいた、過去の滓を清算するべき時が来たと、ラウラは考えていた。




「人探しを、お願いしたいのです」



 ラウラはある日、大老の枕もとでそう言った。



「ほう?」


「恨みを晴らしたい相手がおります」


「ほほ、そうかい。儂が生きとるうちでよかったわい」



 ラウラは、手の中にある小さなメダルを握りしめた。5歳で孤児院を追われた時は、なぜ自分がこのような目に遭うのかわからなかったが、成長して世の中の仕組みを知るごとに、幼い自分になされた仕打ちの残酷さが明瞭になっていった。



「フェリクス・ソラン、という男です。私が育った孤児院を管轄する教会で、その当時は司祭をしていました」


「うむ、ヤンに調べさせよう」



 それだけで、大老は何があったかを察した。やがて2週間ほどして、ソランが現在は司教となって王都郊外の教区を任されていることがわかった。聖職者として、順調に出世の道を歩んでいるらしい。



 ラウラは一通の手紙を書いた。ソランにではなく、司教を監督するバクリアニ聖教本部の大司教に宛てた手紙である。ハルシュカ家の家紋がついた封筒に正式な封蠟を施し、ロットレング子爵令嬢アリエタ・ハルシュカとして、以下の問い合わせをした。




 ――先日、街道で馬車が難儀した際、親切な少女に助けられました。その時は、ラウラという名前しか聞きませんでしたが、改めてお礼がしたいため探しております。


 孤児院で育ったと言っておりましたので、教会にお心当たりをお伺いしたく存じます。赤銅色の髪で緑の目をした、10歳を少し過ぎたくらいの少女です。胸に「フェリクス・ソラン」と彫られたメダイを下げていましたので、きっと教区の神父様の御名前でしょう。


 お力添えいただけましたら、教会にもささやかな喜捨をさせていただきたく存じます。




 これが、平民からの問い合わせであれば、教会は相手にしないだろう。しかし、貴族からの手紙は絶対に無視されない。


 この手紙を受け取った大司教は、どうするか。当然、ラウラという名前を孤児院の名簿で探すだろう。貴族からの要請であるうえに、教会に喜捨までしてもらえるのだ。良い話である。大司教は自分の部下である、フェリクス・ソランを呼びつけ、ラウラの所在を尋ねるに違いない。




 実際、その手紙が届いた数日後、ソラン司教は王都のバクリアニ教会本部に出頭を命じられていた。彼を呼んだのは、王都西教区を管理する大司教である。伯爵家の三男であり、いずれ首都大司教の座が確約されている人物だ。恭しく礼をしたソランに、大司教は温度のない声で用件を切り出した。



「ソラン、君はイサルト領の聖クエリオ教会にいたそうだが」


「はい、今から4年前までおりました」


「ラウラという娘が、孤児院にいただろう」



 ソランの顔色が変わった。数秒じっと考え、彼はできる限りの平静を装い声を絞り出した。



「どうでしょう、孤児院の子どもたちは入れ替わりが激しいですから」


「そうかね、君がラウラを奉公先に斡旋したと書類には書かれているが。しかも、この娘は5歳で出されているな。稀な例だ、覚えていないはずがないだろう」



 ソランの手足に汗がにじみ、氷のように冷たくなった。頭の中で当時の書類に書いた内容を必死に思い出すが、出鱈目な奉公先がどこの町であったかさえ思い出せない。どう答えるべきか。逡巡している間に、大司教が追い打ちをかけた。



「子爵家の方から探してほしいと問い合わせが来たので、名簿を照会してみたのだが」


「ラウラが、何かしたのですか」


「なんだ、やはり覚えているではないか」



 大司教が冷たい笑みを見せた。ソラン司教の聖職者としての命運が、事実上尽きた瞬間である。



「君の書いた書類は、実在しない奉公先だった。これに関して、説明してもらわないといけない。明日、査問会を行うからそのつもりで」




 その10日後、ハルシュカ子爵家に教会からの返事が届いた。内容は、ラウラが思った通りであった。



 ――ロットレング子爵御令嬢 アリエタ・ハルシュカ様


 貴女様からの先日のお問い合わせにつきまして、ご返答申し上げます。お手紙の内容にありました人物について、教会および孤児院の名簿を調査いたしました。その結果、同じ名前の女児は何名かおりましたが、身体特徴などが該当する者は残念ながら見当たりませんでした。


 また、フェリクス・ソランという者も、バクリアニ聖教の聖職者の中には在籍いたしません。せっかくお問い合わせをいただきましたが、お力になれず大変残念に存じます。ミス・ハルシュカのお優しく清らかな御心に、神の恵みがあらんことをお祈り申し上げます。




 なるほど、ソランは教会を追われ、もう二度と社会的な地位は得られなくなったということだ。それにしても、金に汚い教会が喜捨については一切触れていない。臭いものには蓋をして済まそうということか。ラウラは淑女らしからぬ高笑いをした。



「どうだね、満足したかね」



 今日は体調の良い大老が、ラウラの淹れた青茶をすすりながら、事の次第を尋ねる。ラウラはひらひらと手紙を振りながら頷いた。



「とりあえず、この件については片が付きました。でも、またやらねばならないことが見つかりました」


「ほう?」


「教会は、私の存在まで消してしまったのです。私は生きて、ここにいるのに。きっと、私みたいに消されてしまう子どもたちが、たくさんいますわ。私、教会なんて大嫌いです」



 そう言うと、ラウラは上級の聖職者らしい、美しい筆致でしたためられた手紙に向かい、好戦的な眼差しを投げつけた。



「そのうち、一矢報いてやりますわ」





お陰さまで、12/18にヒューマンドラマ部門で日間2位にランクインしました。第三章もがんばりますので、応援よろしくお願いします!

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[良い点] うーむ! 教会は腐敗してますね! やったれやったれ! 楽しみです! [一言] 2位! おめでとうございます!
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