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公妾/maîtresse royales  作者: 水上栞
◆ 第二章 大老の庇護の下、蕾から大輪の花へ
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第四話/ サンクチュアリ



 シャオ家の屋敷で暮らし始めて、約半月。ようやくラウラは、この家の全体像を把握しつつあった。まず場所であるが、バクリアニ王国の東側。先の戦争で支配した森林地帯の街道から、私道で繋いだ森の中にある。



 客がここへ馬車で乗り付けるには、私道の検問所と敷地外側の塀にある門、さらに母屋に用のある場合は、内側の門で改めを受けることになる。表向きには財を成した東方人特有の用心深さ、ということになっているが、実際は家人たちの素性を社会から秘匿するためである。






 ヤンから兄妹の身の上を聞いた翌日、リーザとドロテも、実にあっさりと自分たちがここへやって来た理由を教えてくれた。二人はそれぞれ違う場所で人さらいに遭い、ある貴族の館で地下室に監禁されていたという。



「見て下さい、ひどいことをするでしょう。私もラウラ様みたいにティティに消してもらえたらよかったんですが、背中いっぱいだから無理だって言われました」



 そう言って服を脱いだドロテの背中には、禍々しい刺青が一面に入れられていた。


 ドロテは農家の娘だったが畑の帰りに攫われ、しばらくどこかの工場で紡績の下働きをさせられた。そして10代になり美しく成長したため、闇市で貴族に転売された。刺青はその貴族に入れられたのだという。



「頭のおかしい連中が集まって、酒を飲んだり阿片を吸ったりしてました。そこを裸で歩かされるんです。貴族なんて、そういう変態ばっかりですよ」



 吐き出すようにドロテが言った。そして彼女から半年ほど遅れて地下室に監禁されたのがリーザだ。やはり彼女の身の上も悲惨だった。なんと彼女は、11歳まで男爵令嬢として育ったそうだ。



「男爵と言っても、金で爵位を買った田舎の成りあがりです。私、父の子を身ごもったんです」



 何があったかは聞かずしてわかる。哀れなリーザは、醜聞を恐れた親から修道院へ送られた。そして子を生むが、わずか数日で亡くなってしまった。



 絶望したリーザは、親元に帰りたいと何度も手紙を書いた。そんなある日、迎えの馬車が来たので、ようやく家に帰れると喜んだ。ところが着いたのは知らない貴族の家で、その地下室でドロテと一緒に監禁されたのだ。



「お前たちは、既に死んだことになっている。何をしようが罪にはならない」



 抵抗したリーザを強かに鞭打ち、地下室に投げ込んだその貴族は、蛇のように冷たく笑いながら、彼女たちにそう宣告したという。一種の狂人である。



「そのうち嬲り殺されると脅えていました。そこから連れ出してくださったのが、旦那さまです」



 きっかけは、その貴族がシャオ大老に麻薬の譲渡を依頼してきたことだ。上流階級には毒を好んで嗜む人間が少なからずおり、たまに薬商の大老にも打診がある。もちろん大老は求めに応じなかったが、その男は迂闊にも奴隷を嗜虐趣味のために拘束していることをぺらぺらと喋った。



「それを聞いて、旦那さまは私たちを買い取ってくださったのです。それはもう、驚くほどのお値段で」



 その貴族も後ろ暗いことがあるだけに、闇社会に通じる大老に逆らってはまずいと思ったのだろう。言われるまま彼女たちを手放した。



「でも、最初は信じられませんでした。ただの親切で、大金を払って奴隷を解放するなんて、普通はありえないでしょう? そのうちひどい目に遭うんじゃないかとビクビクしていました」



 リーザが肩をすくめた。しかし、大老は彼女たちに女中仕事を言いつけただけで、後は自由にやんなさいと言ってくれた。やがて、それが大老の本心であると理解した彼女たちは、忠実な部下として大老に一命を捧げる決心をした。



「私たちは世間的には死んだ人間なので、この塀の外では生きられません。でも、ここには私たちを傷つけるものはないから幸せです。ここで旦那さまに仕えながら、静かに暮らしていくのが望みです」



 ドロテがしみじみと言う。リーザも深く頷いた。彼女たちもヤン兄妹と同じだ。絶望から救い出し、生きる場所を与えてくれた大老のために、ここに骨を埋めようとしている。そんな彼らを置いて逝くことが、大老の心残りであることをラウラは理解した。






 そんなある日の昼下がり、ラウラは庭園の池で、大老が鯉に餌をやっているのを見かけた。発作は繰り返しやって来るようだが、気分の良いときは普通に生活できるため、散歩をしたり犬と遊んだりしている。屋敷には大きくて白い毛のラジ、黒っぽく小柄なハンという2匹の犬がおり、この日も彼らが大老の傍に侍っていた。



「今日は、お加減よろしいのですか」



 ラウラが声をかけると、大老はやんわりと微笑み「ぼちぼちな」と言って、自分の座る縁台の隣をすすめた。白と黒の尻尾もパタパタと揺れる。歓迎されているようだ。



「少しはここの暮らしにも慣れたかね」


「はい、皆さん親切にしてくださいます」



 実際、この世の楽園だと思っていた黒蝶館よりも、さらにこの館は贅沢だった。シャオ大老は苦労人なので、貴族的な装飾や無駄遣いは好まなかったが、衣料品も食事も質の良いものが選ばれ、ラウラは快適な毎日を過ごしていた。



「お前さんが窓ふきや洗濯をすると言って、ドロテたちが困っておったぞ」



 からからと大老が笑った。養女になったとはいえ、ラウラは奴隷から平民になった身である。せめて自分の食い扶持くらいは働こうと、せっせと女中の仕事を奪っては困らせていた。特に母屋の敷地には外部の人間が入らないため、広い屋敷や庭園を、少ない人数で管理しないといけない。お嬢さま然として怠けている暇はないのだ。



「私は忙しい方が性に合っているのです。それに、私だって皆さんと同じ、お義父さまに拾われた身分です。同等の扱いでなければ不公平でしょう」


「みんなの身の上を聞いたかね」


「はい、ティティ以外は」



 ティティは医師であり薬師である。シャオ大老の治療をしながら、母屋の外に広がる薬草園の管理をしている。ラウラがここへ来たとき、外門から内門までの長い距離に驚いたが、実はこの敷地は中心に塀で囲まれた母屋があり、その周りを広大な薬草の畑が取り巻いている。シャオ大老の薬学知識の集大成である。


 本当なら、医師の資格を取った秀才であり、薬学の心得もあるティティが後継者に相応しいはずなのだが、きっと何らかの事情があるのだろう。彼とは手術のお礼を言っただけであまり話したことがないため、身の上をまだ知らずにいた。



「ティティは、人を殺している」



 ラウラの心のうちを読み取ったが如く、大老がさらりと告げた。ラウラはじっと池の鯉を見たまま動けなくなった。大老は淡々と続けた。



「儂がユマ国からここへ移住した時に、主治医の夫婦もついてきた。ティティは彼らの子だ。王都の医学校を卒業し、将来を期待されていたのだが……」



 ティティが王都で下宿していた家に強盗が入った。犯人はわかっている。街の有力者の放蕩息子である。その男はたびたび民家に押し入っては、親の力で有耶無耶にしてきた。しかし、今度ばかりは悪質だった。金を盗んだだけでなく、下宿先の奥さんを手籠めにしてしまったのだ。そしてそれを止めようとした旦那さんを数人がかりで殴りつけた。


 ティティが下宿に帰宅したとき、ぐったりとする夫に縋りついて泣き叫ぶ奥さんの姿があった。ティティは力を尽くして看病したが、数日後に彼は亡くなった。放蕩息子の死体が運河に浮かんだのは、それからしばらくしてからだ。死因は毒である。



「薬学に長けていて、彼らに恨みがある人間は限られている。有力者や自警団はティティの行方を追ったが、すでにここへ逃げてきていた。そういう理由で、今は儂の専属医師をしている。もったいないが、仕方ないわい」



 毒殺の証拠は一切残っていなかったが、彼らはティティの仕業だと確信している。もしも捕まれば、まず命はないだろう。以来、ティティはこの屋敷で薬学の研究に勤しみ、たまにラウラのような患者に手術を施すため、お忍びで王都へ出る生活を送っている。



「ティティのご両親は、どうなったのですか?」


「亡くなったよ。薬草園の中の墓地に眠っておる。儂の家内もな。近いうち儂もそこに入るさ」



 風がそよぎ、木の葉が鳴る。池には鯉の描く水紋が優雅に広がり、白と黒の犬が足元にまどろむ。一見すれば平和そのものの風景の中であるが、この館には実にたくさんの秘密や罪が包み込まれている。



「怖くなったかね」



 大老が問うた。ラウラはゆるゆると首を振った。彼女もまた、館の秘密の一部分である。



「怖くはありません。私は、知らないでいることの方が、よほど恐ろしいのです」



 わずか8年の人生で、嫌というほど裏と表を見せられてきた。知らずにいれば騙されるが、知っていれば闘うことができる。それは、偽らざるラウラの本音だった。




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