第25話『ジュアナと時空の迷宮──Ⅱ──』
……数十年前、イルドゥラントはヴァロレンスに対し、王位継承権の大義名分で戦争を仕掛ける。その目的には領土的野心も含まれていた。
当時のラムズはシャーク伯なる身分。ラムズ•シャークはイルドゥラントの領土の一部を治める辺境伯であった。
すなわち、最前線で貴族、騎士を指揮しヴァロレンス国軍と対峙するのがシャーク伯であった。
この日、シャーク伯は、部下の部隊がヴァロレンスの聖女を生捕りにし、牢に自ら確かめに来ていた。
「これはシャーク伯」
「人払いを」
ラムズは金貨の入った麻袋を揉み手する衛兵に叩きつけた。
「どうぞ」
重厚で派手な金属音を立てて牢が開く。
「お前は……」
男言葉でジュアナは虚勢を張る。
キ、とジュアナはラムズを睨みつける。
「思い出したか?」
ラムズはしゃがみ込み、粗末な服を着せられたジュアナを見つめる。
「慰み物にするつもり?」
実際、ジュアナの砂色の髪はくしゃくしゃになっていた。
どす黒い鉄格子とは対照的に彼の背からはセーヴィーを思わせる柔らかい白い翼が三本生えている。黒革のベルトが彼のしなやかな肢体を引き締めているのがわかる。暗がりの中で青水晶を嵌めた目が魔導石みたいに光った。
「興味ねえよ」
小鳥がさえずるかのような男性にしては儚げで繊細な声だった。そして彼は静かに立ち上がる。
「ああ、可哀想なジュアナ」
ラムズの優しい羽根がぼろぼろのジュアナを包み込んだ。
「っ……」
ふと、溢れ出る感情。
女性として言えないような拷問にも耐えてきたのに、ラムズに包まれて感情が決壊した。
「もう、なんとかしてよラムズ……!」
翼の中でラムズは掌を示し、小瓶に収められたミニチュアサイズの旗を差し出す。
「これ、王子様に届けるんだろ?」」
王家の旗だった。
ラムズは冷たい手でそれをぎゅと握らせる。
「どうしてそれを」
これをヴァロレンス王太子に渡せば、全軍の士気が上がる。正当の王位の証だ。
「シャーク伯、お時間が押しておりますので──」
「氷塊と化せ──Gracym contyge」
ラムズが魔法で衛兵を凍らせたではないか。
「王太子殿下から言伝があってな。連れ帰ってきたら俺を所領ごとヴァロレンスに迎え入れてくださるそうだ」
国だって、人だって、平気で裏切るのがラムズだ。間違いない。
いつだってラムズは時と国と人との間を賢く立ち回り、勝ち残ってきた王子様だ。
「おい、何の音だ」
「ジュアナの牢からだぞ」
衛兵が駆け付けた時、牢はすでにもぬけの殻だった。
七柱の神々から賜った魔法を繰り広げ、ラムズは牢から颯爽と去っていった……
……宵闇に魔物が鳴き、星々が色とりどりに瞬く。
薪が燃えてはじけ、二人きりの野宿を演出する。
「食わないと死ぬぞ」
保存食のビスケットを差し出すラムズ。ビスケットといってもほとんど麦だけの硬い白いものだ。
「いらない」
いらないわ、ではなく、いらない、だ。ジュアナは心まで男装して強がっている。
「どうせ宝石のためでしょう。王旗をヴァロレンスに持って帰ったらラムズには宝石が勲一等もらえるんだから」
「ああ、そうさ。当たり前だろ」
ジュアナはふて寝しようとするが、小瓶から甲冑を出現させた。
「わりい、魔力を貯めるのに時間がかかっちまった」
小瓶からランプのように灯る光は、神に仕える彼女にとってまさに神々しいものであった。
「俺の騎士には、そんな粗末な服、似合わねえよ」
ラムズにとっては宝石がすべてで、富、権力、女性も宝石の添え物以上の価値はないのだろう。
だけど、
彼の気遣いがとても温かくて、
とても嬉しくて、
ジュアナは泣きながらビスケットを頬張った。涙と混ざり合って、やけにしょっぱかった。
翌朝は、ラムズとジュアナが初めて迎えた朝だった。
ラムズは寝ているジュアナを横目に、王旗から宝石を外し、静かに去っていった。
◆◆◆
……話を聞いた美咲はすかさずツッコむ。
「いやいやいや、宝石盗ったんかい!」
「やはりこの時空の迷宮は、ラムズの後悔から来ているんじゃないか?」
洋介の推理は当たらずとも遠からずだ。
「ねーねー、この宝石、旗の装飾品みたいだよー?」
宝石と旗をおもちゃみたいにいじっていたジウが皆に見せてみる。確かにすっぽりとはまるサイズだ。
「つまり、その王旗が宝石と旗に分かれて俺たちの手元に届いたわけか」
洋介は腕を組んで考え込んだ。
「ラムズ船長、それ外しちゃだめなやつだったんじゃないの?」
美咲の指摘にラムズは押し黙る。
おもちゃを独り占めしてふてくされる子供のように、ラムズは宝石を盗んだことを謝らない。
「ここはあくまで夢の世界。だけど、宝石と旗を合わせるならひょっとしたら呪縛から解き放たれるかもしれませんわ」
「呪縛? 呪縛があるのその旗に?」
ロゼリィの推理にメアリが目をぱちくりとさせる。
ラムズが苦々しく口を開く。
「その旗、正しく扱わないと時空間を歪ませる能力があってな」
「「早く言ってよラムズ船長!」」
「だから王家の神器に使われてきたんだ」
ともかく、ロゼリィの案にひとまず皆乗ることにする。
「じゃあ、行くぞ」
ロミューが旗に宝石を嵌めると空間が突如として歪んだ──! 洋介美咲ともども皆が光に呑み込まれた!
◆◆◆
虚の気候に漂う木造船。
白く整った鼻筋に、麗しいくちびる。
ラムズが甲板に側臥し、伏せがちの目を開けると、すでにそこは洋館ではなかった。
ラムズは寝ることはないが、気絶していたのではなく、瞬きを一回しただけだった。
ラムズが起き上がると、ロミューが皆を起こして回っているのが見える。
ガーネット号は元いた世界に戻ってきたのだった。
「昔の俺がきちんと宝石を返していればいいんだが」
「ラムズ船長さまは五千年生きてるんだもんね」
ジウの言う通り、五千年も生きていれば昔はやんちゃしていたのがラムズだ。
ジュアナのエピソードも、ラムズにとっては記憶の刹那でしかないのだろう。
一方現代日本では、、、
ぼんやりとした視界がうっすらと開いていく。
「東城総理、東城司令官、目を覚まされましたか!?」
国立病院で官房長官に起こされ、全てを思い出した洋介がガバッと飛び起きる。
「状況はどうなっている!」
「メタバース世界からの被害者の魂の脱出を確認しています」
「よかった。ラムズは王旗ごと宝石をジュアナに返したんだな」
ここで洋介が時空の迷宮での記憶、自身が発した台詞を思い出した。
「なんともはた迷惑な話だったなあ」
「くどい」
美咲は駄洒落を一蹴した。




