第21話『シャーク海賊団、夏の大冒険:第二楽章』
何、あれはな、空に吊した銀紙ぢやよ
かう、ボール紙を剪って、それに銀紙を張る、
それを綱か何かで、空に吊し上げる、
するとそれが夜になつて、空の奥であのやうに
光るのぢや。分つたか、さもなけれあ空にあんなものはないのぢや
それあ学者共は、地球のほかにも地球があるなぞといふが
そんなことはみんなウソぢや、銀河系なぞといふのもあれは
女子共の帯に銀紙を擦すりつけたものに過ぎないのぢや
(中原中也 星とピエロ)
地球を飛び出し、無限の星空の世界に海賊の王子様と人魚はたどり着いた。
ラムズの痩せた綺麗な白い手から羽根ペンが解き放たれ、青く輝く地球を背景にくるくると回る。繊細な羽毛がかすかな空調でふわふわと揺れる。
二階操縦室で男性陣が、一階居住区で女性陣が宇宙服からいつものコスチュームに着替える。
で、怜苑がさらに奥に引っ込む。
「どこに行くんだ?」とラムズ。
「さあ?」とジウ。
「わかりませんわあ」とロゼリイ
「わかんないの」とヴァニラ。
「わからないわ?」とメアリ。
「ニャッニャ」とリーチェ。
「ガオ~?」とグレン。
「着替えるんだよ! この人外たちめ!」
「で、素直に宇宙旅行なだけじゃないんでしょ?」
ジウがプラスチックのスプーンでレトルトパウチされた宇宙食をおいしそうに食べる。
「飲んで気分を上げるのー!」
ヴァニラがチューブから酒をかわいく吸う……酒ってスペースシャトルに持ち込んでよかったっけ? 無重力で酒が丸い水滴になり、ぱくりと咥える。
「地球世界のお偉方が来ているんだろ?」
ロミューが鍛え上げられたルテミスの身体に黒タンクトップの姿でラムズに聞く。
「international space stationで地球世界各国の使節様と話すらしい」
無重力でラムズのコートがマントみたいになびき、白銀の髪がかわいく揺れる。彼の細い骨盤と腰回りのベルトが重力から解放されて、さらに彼がスマートな胴を捻ってエロい。肋骨の輪郭までもがうっすらとブラウスに浮かぶ。
船内空間に魔法円が浮かび、リジェガルとラピスフィーネが現れる。
プルシオ帝国王子リジェガル・ファウスティ・ペルシアは転移した瞬間立ちすくんだ。無限の星空が圧倒的な存在感で迫ってきたからである。
ニュクス王国の摂政といえども、リジェガルは二十歳になっていなかった。
リジェガルが微笑んでラピスフィーネの手をとり、優しくエスコートして着地する。ラピスはグラデーションのかかった紫のドレス腰のあたりに花のように布地があつらえられている、リジェガルは黒に金の肩章、飾緒の高級感ある男性王族の軍服だ。
リジェガルがラピスの白い肩を抱き寄せる。
宵闇にぽっかりと浮かぶ青い地球を背景に、寄り添う王子様とお姫様。
丸い地球の水平線に目的地がずっと待っている。
国際宇宙ステーションはアメリカとロシアの宇宙船を主なモジュールとして構成され、そこに世界各国の宇宙船や宇宙飛行士が加わる。
人類の叡知の結晶だ。
そして宇宙空間だから誰かに干渉されることもない。会談におあつらえむきであった。
ハッチの隙間から空気が漏れ、蜃気楼となる。
いよいよ、地球人と異世界人が対面するのだ。
ラムズやメアリはピンとこないかも知れないが、地球人にとってみれば愛殺キャラは異世界人であると同時に「宇宙人」でもある。
川端康成風に言えば、トンネルを抜けるとそこは国際宇宙ステーションであった。
「ようこそシャーク海賊団の方々。ようこそラムズ船長。私たちが地球世界の代表です」
「へえ、代表、ねえ……」
ラムズは優しい苦笑い。
国際宇宙ステーションにはアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの宇宙飛行士が滞在していて、出迎える。
皆青色の作業服だ。で腕と胸にそれぞれの出身国のワッペン。
最初に様々な人種の宇宙飛行士たちがラムズに平泳ぎして近寄る。無重力ならではだ。
「私たちは地球世界の盟主たる国際連合五大国。アメリカ合衆国、グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国、フランス第五共和国、中華人民共和国、ロシア連邦共和国の代表です。」
「貴方がたはunited nationsで国連と名乗ったが、第二次世界大戦の連合国もunited nationsと言う。名前変えただけだな」
ラムズの指摘は鋭い。握手しようとした宇宙飛行士の手が止まった。
「ま、まあ、会議を始めましょう」
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【 国際連合安全保障理事会常任理事国たる米英仏中露に日本国を加えた地球世界代表と、プルシオ帝国ニュクス王国聖ナチュル国ハイマー王国の愛殺世界四大国による国際宇宙ステーションでの特別外交交渉 】
~地球世界主要出席者~
◆日本国特命全権大使 荒垣健(元内閣総理大臣、現与党幹事長、航空自衛隊予備役空将)
他、国際連合安全保障理事会を構成する米英仏中露の宇宙飛行士
~愛殺世界主要出席者~
◆プルシオ帝国王子 リジェガル
◆ニュクス王国 ラピスフィーネ
◆シャーク海賊団 ラムズ
他、ハイマー王国使節、各国諸侯と武官。
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切り出したのは荒垣だった。
「冒頭、日本国政府としてアメリカへの反乱行為をまず謝罪します」
「もう過ぎたことです。責任を取って当時のprime ministerは辞職したではありませんか」
リジェガルは荒垣を横目で見る。
戦闘国家の王子として、アメリカが日本をsubject toしている姿が珍妙に思えたのだ。
日本はアメリカの制御下に置かれている。
「色々ありましたなあ、東京湾でヤマトとガーネット号が交戦して、我がロシアの反乱軍がラピスフィーネ王女アイドル扱いで熱烈歓迎されたかと思えば、プルシオ帝国の中に対日外交反対派が現れて、自衛隊とともにニュクス王国とプルシオ帝国との枢軸体制を固める……」
ロシアの宇宙飛行士がレジュメをめくりながらおさらいする。
「当時のロシア連邦の狙いはラピスフィーネの首飾りだろう? あれは地球世界にとって希少鉱物だ。日本と愛殺世界のペイナウ大陸共同経済活動に参入して外貨と資源エネルギーのおこぼれにあずかりたい、というわけか」
リジェガル王子の問いにロシア代表が押し黙る。
「ま、遊園地でシャーク海賊団のショーやってマンガアニメゲーム業界が盛り上がったんだけどね」
ジウがフランクに頭の後ろで腕を組む。七分丈のズボンに裸足でやんちゃな男の子って感じがしてかわいい。
「あのあとアメリカに反旗を翻し、ホワイトハウスと上下院の追認を得て米軍の愛殺世界進駐を阻止。我々米軍「は」愛殺世界駐屯を諦めた」
「米軍「は」といったな。含みのある言い方だ」
リジェガルは大国を敵に回して対等の交渉ができる王子様であり、一流の政治家でもあった。
「ばれたようだな。なら話が早い。今からの提案にyesと仰っていただけなければ、国際連合安全保障理事会は、愛殺世界を地球人類の脅威と断定し、国連軍を派兵。愛殺世界のクリーチャーを管理し、鉱産資源を徴収する!!!」
世界代表の視線はラピスフィーネの首飾りに向けられていた。
「どういうことだ!」
「リジェガル殿下、ラピスフィーネ殿下、我々の提案は呪術の触媒となるあなたの首飾りでございます、その原料たる希少鉱物が愛殺世界北大陸に眠っていることがJAXAの偵察衛星で判明しました。口封じのために衛星はスクラップにしましたがね」
序盤の伏線回収だ。
「JAXAの衛星をハッキングしてデータを盗み見たわけか」
「情報はどこで手に入れたか、ではなく、どんな中身か、が重要だと思うがね」
荒垣健が眉間にしわを寄せる。
「──交渉決裂だ」
◆◆◆
ハッチが勢い良く締められると、ラムズたちを乗せたスペースシャトルオパール号は一目散に地球に逃げ出した。
大気圏にすべり込むスペースシャトルをミサイルが追いかけてきて逃がしてくれない。
操縦桿を抱え込んだ荒垣が決死の形相で皆の席に向く。
『シャーク海賊団の皆、間もなくこのスペースシャトルは被弾する』
ルテミスたちが顔をしかめる。
メアリが涙をひとしずく頬に流した。
衝撃──機首左側面、乗員座席付近に直撃した! ここには非常用の扉がある。
「──きゃっ」。
メアリは何があったか理解できなかった。座っていた椅子と壁と床と天井が失われた。本来脱出のための扉から吸い出されて身投げする羽目になるとは何たる皮肉、何たる悲劇か!
人魚は蝶のようにくるくると舞い、風に流されていく。
メアリ! メアリ! メアリ!
ラムズの目が見開かれ、その悲劇を瞳に焼き付けることしかできない!
かけがえのない命が目の前で失われてはならない!
「所詮悪の英雄にしかなれねえんだ。そう望まれるならやってやるさ」
ラムズも大空に舞い降りた!
ジェット旅客機が飛ぶくらいの高度から真っ逆さまに落ちていくラムズとメアリ。激しい風で赤い髪がはためく。
「メアリ。俺だけ見ろ」
「──!」
落下していることに気づいたメアリが一瞬で発狂しかけるが、優しいラムズはメアリの唇を強引に奪う。
唇と唇を合わせる。人魚にとって女性としての誇りをぐちゃぐちゃにする行為だ。
恨まれてでも、たいせつな彼女に生きていてほしかった。だからこうした。
メアリは抵抗しなかった。その代わりにラムズにしがみつく。
ラムズは空中でメアリを抱き寄せ、空中で体勢を変えて、迫りくる激突に備えて自分がクッションになることを試みる。
他の女ならここまではしない。
メアリは落下しながら気絶した。
スペースシャトルオパール号は空中で爆発事故を起こした。現時点でラムズとメアリの安否は不明である。
◆◆◆
人魚が目を覚ますと、周りが峡谷だった。谷底にあるオアシス。
輝く星空。
鳥の声。
森のざわめき。
川のせせらぎ。
ここが地球のどこの国かはわからない。少なくとも日本ではなさそうだ。
メアリが上半身を起こすと、少し離れた木にラムズが背を預けていた。
ラムズの美しい顔は左半分がグロテスクに焼け爛れ、目玉がむき出しになっている。
宝石の擬人化みたいな甘い顔と第三度熱傷のツートンがインパクトがある。
「ラムズ!? ひどい怪我」
「俺の体なんかすぐに治るよ。おっと、パラメトロンは見るなよ」
今は再生の途中らしい。つまりメアリが目覚める前はもっとひどい状態だった。
愛する人魚姫に醜い怪我をみられたくなくて、海賊の王子様は顔をそむける。
「わたしのせいよね」
「お前のバックパックに収納されていたパラシュートが運よく中途半端に開いたから着地できた。メアリのせいじゃねえよ。俺が飛び出して一緒に落ちながらパラシュートを開いたんだ」
「え、じゃあ……」
「むしろメアリのおかげでお互い助かった。ありがとう」
ラムズはちょっと言い方を変える。
「俺はお前より先に死んでやらねえから」
諧謔的な言い回しで場を和ませてくれたラムズにメアリはくすりと笑ってしまった。
「ふふ。おかしい」
「サバイバルキットの地図を見ていたんだがNorth Koreaと書いてあった。Japanese governmentとは正式な外交関係はない。当分救助は来ねえな。」
ラムズは地球上のどの知的生命体より賢いから星と地形とコンパスでプラマイ1キロメートルの誤差で現在地を特定できていた。
「北朝鮮も日本もどうだっていいのよ。わたしは人間じゃないから皆ひとしく地球人だわ」
インナーを脱いで、黒のスポブラとショーツだけになるメアリ。
彼女は海神ポシーファルの氏子。小川を泳ぐのにどうして衣服が必要だろう。
「それ以上は脱ぐなよ。人間の男は平気で人魚をいたぶるからな」
股間と尻が伸縮性ある黒い下着で包まれ、そこから肌色の足が二本生えている。
──ああ、忌々しい人間の足だ……!
「人間の足なんて嫌い。切り落とせば少しは気が楽になるかしら」
どっかで聞いたことのあるような台詞だ。
メアリは宇宙服を着るために縛っていた髪をほどく。
「わたし魚捕まえてくる」
「そうか。テント組み立てておくよ」
メアリが小川から戻ってきたのとラムズがテントを組み終わったのは同時だった。
「身体を再生するのに食べ物が必要よね」
捕まえてきたのはアユの一種のようだ。
「おれはいらん」
「え……」
現に顔はもう綺麗なイケメンだが。
いやラムズ様、そこに愛はあるんか?
メアリが半泣きになって魚をぎゅっと抱きしめる。
それに気づいたラムズが。少し愁いを帯びた顔で微笑み、メアリの顔を覗き込む。
「ごめんね。一緒に食べようか」
ラムズ様はプライドを簡単に捨てられるからこんなゲロ甘な台詞が言えるんだよ。あざといね。
人間は、特に女性は体験を共有し分かち合うことを望む。
焚き火を囲み、メアリは生のまま。ラムズは塩焼きで食べる。
ファンタジー映画のワンシーンのようだ。同棲しているみたいで楽しい。
ラムズの魔法で食べた後を適当にかたづけ、草原にシートを引いて寝転ぶ。
夜の闇が圧倒的な質量で迫ってきて、星が宝石みたいだ。
「ラムズがわたしと引き換えに船員を殺したとき、はっきり言ってすっきりしてしまったの」
メアリが本音をぽつりぽつりと漏らす。
「ヨウスケのほうがひどいと思うぜ。一度に何百人も敵兵を殺して船ごと沈めて給料をもらっている」
引き合いに出された洋介がくしゃみした。
「赤髪赤目も自分の行動に後悔なんかしてねえぜ……」
みんな気にしてないんだから人を殺したぐらいで気にするなと言おうとしたラムズがちょっとした例外に気付く。
「……いや、待て、宝石商からお宝を仕入れたとき荒れくれ者がロミューの額に唾を吐いた。俺が駆け付けた時には売人はズタズタの躯になっていた。ジウの力だけじゃねえぜ。あのロミューがやったんだ」
「初めて聞いたわ」
とや松より先に愛殺を知った男性作家がこのエピソードを再翻訳していて地球の訳者もこれに関係するエピソードを書いたらしい。
それでもロミューは、父親の惨殺死体をその娘に見せようとしたラムズを止めていたが。
「繊細な人間の心がぐしゃぐしゃになって休んでいる間に、神経が図太い横暴な人間がのさばって適当な仕事をして褒められて給料を貰える。どの国でもどの使族でもありふれた話だが、特に日本がそうなんだよな」
ラムズはちょっとアプローチを変えた言い方をする。
女の子をいったん世界に絶望させてから、救いに来た王子様を演じる。うまい手だ。
この話術は恋愛にも使えるし、コンサルティングみたいな仕事にも使える。
ラムズは意外と日本の政治家に向いているかもしれない。いや、訳者が激怒するからやめておこう。この話はこれまで!
今はラムズ様の甘美なる台詞に酔う時だ。
「人間なんて大っ嫌い。結局はこの宇宙旅行も騙し討ちじゃない」
メアリが自分の美しい足に爪を立てる。
「この足だって……」
「よせよ」
ラムズがメアリの足を白く瘦せた手で触り、太ももの内側からふくらはぎを片手で愛撫していく。
「宝石みたいに綺麗だよ。メアリが自分自身をどう思おうとな」
美しい星空と峡谷の大パノラマを背景に、メアリは甘えん坊になった。
君がため
惜しからざりし
命さへ
ながくもがなと
思ひけるかな
(藤原義孝(50番) 『後拾遺集』恋二・669)