第19話『海賊の王子様と人魚姫の泡沫──Ⅱ──』
これまでの愛殺新訳外伝byメアリ
青い絵の具を塗りたくったような空……地球の訳者が使った言い回しをとや松とか言う地球の読者はわたしとラムズの物語、その出だしにパロディしたらしいわ。
連れてこられたのはとや松の地元。
ヨウスケとミサキも混ざるけど、今回はヤマトは戦わないからのんびりできるかもね!
セントウキって言う鋼鉄の魔道具は星空の世界へわたしとラムズを飛ばしてくれたわ。
少し狭くて怖いけど、ラムズが守ってくれる。
ガーネット号でもそうよ? わたしに石をぶつけた船員をラムズはこれ以上考えられないほど残酷に殺した。
冷たい王子様。でも、わたしにだけ甘いわね。
どうしてかしら?
満天の星空。
着物に袴姿のリューキと軍服姿の洋介が綺麗な砂浜に腰を沈め波音を劇伴に穏やかに語らう。
紅桜色の髪の和装男子の隣には白黒に金の軍服を纏う黒髪男子。エモい絵面だ。ついでにどっちも低音イケボ。
「実はヤマトで別の異世界に行った時、貴方に似た妖鬼の女の子に出会った事があります」
切り出したのは洋介だった。
桃色の髪の毛のその子は今も桜散る朱の社のもとで妖しく微笑んでいる。ひょっとしたら現代日本のどこかにそのグッズを持っている一次創作クラスタがいるかもしれないが。
「そなたはヤマトという旅の船を持っておるのだろう? 今さら驚かぬよ」
「介入しようとしたが、断念しました。結局相手の世界観にピンポンダッシュしただけでした」
「なにゆえ訪れた」
「その妖鬼の女の子があまりにも重い責務を背負っていて、誇大表現でもなんでもなく命をトリガーに世界を破壊する存在意義を負っていたからです」
「女子に責務などのたぐいは似合わぬと申すか?」
「メアリちゃんにもラムズ様なりリジェガル殿下なりと幸せになってほしい」
「──女子の幸せは男子が勝手に決めてよいものではないぞ?」
リューキは断じた。
はっとする洋介。
当たり前すぎて忘れていた。
「そなたの奥方は国会議員で外務大臣だ。公儀の重役にあるが……果たしてその権勢はそなたがもたらしたものか?」
洋介はただの戦艦乗りで千人の部下を持つ現場指揮官でしかない。一方美咲は衆議院南関東比例代表で数百万人から投票された衆議院議員で一億三千万人の行政を担う重責にある。ぶっちゃけ美咲の収入が年三千万で洋介の給料が年一千万。
男性読者にならご理解いただけるとは思うが洋介はプライド的に苦しい立場にある。
リューキの言う通りだ、美咲は自立している。世間一般のヒモとそろばんの桁が違うだけで似たようなものだ。
「……違いますね」
衣食住でもっぱら洋介が主夫だ。だからこそ洋介はそう答えた。
「そなたらの生きる日本は諸行無常で女子や若人、あるいは異形が花咲かす世よ」
「仰る通り」
「ならよい。決して驕るな、されど腐るな」
月明りで淡く照らされる砂浜に青の回路が展開し、魔法円を構成する。
「戻ったらしいぞ」
そこには二人の人影。
海賊の王子様と人魚姫が空のデートから皆のところへ帰ってきた。
◆◆◆
満ち引きする波の音は子守唄みたいに安心する。
「鱗、もう一回くれないか?」
きらり、きらりと夜空いっぱいの星に祝福されながら、海賊の王子は人魚姫に愛を吐露した。
薄い布地のカーテンが星空を背景に優雅にひるがえり、暖色系のほのかな灯りの部屋で寄り添う男女のシルエット。
メアリが鱗を抜き、ラムズにそっと手渡す。
「大切にしてね」
ラムズが銀髪を一本抜き、メアリの薬指に結わえる。
二人だけの内緒の儀式。
人魚にとっては求愛行動であり正直恥ずかしい。メアリの胸元から首すじにかけてが赤く赤く染まる。
宝石狂いの船長に情欲はない。ただ、美しい宝物を愛でる綺麗で純粋な心と平然と命を奪える残酷な思考が同居している。
ラムズには人を人と思わない冷たい強さがあった。
でも、今は目の前のメアリを大事に想っている。
彼は美咲からもらったポッキーをメアリに差し出す。
メアリの舌がチョコレートの表面を舐る。口で器用に受け取り、
「いただきます」
「ミサキに教わったんだが──」
反対側からラムズがポッキーを噛み進めていく。
メアリのくちびるまで噛みそうになったところで一瞬引く。
ラムズがメアリの首筋に牙を這わせ、かぷり、と噛む。
ラムズがしばしメアリの血を啜る……
ちゅ、と彼の薄いくちびるがメアリの肩から離れた。
彼の薄くて透明感あるみずみずしい唇から鮮血がだらりと垂れる。エロい。
「お前も喉が渇いただろ? なんか買ってきてやる」
「えっ、」
ぷい、とラムズが子供みたいに頬を膨らませる。
「……お前の血、甘すぎるんだよ。まるで砂糖でも溶かしたみたいだ」
彼が喋るたびに鋭く尖った牙みたいな歯がちらちら見えてどちゃくそえろい。
「メアリは、なにが飲みたい?」
◆◆◆
海辺のホテルなのでカーペットが砂で微妙にざらざらしている。
気を利かせてメアリに飲み物を買うべく自販機の前に立つラムズさま。巾着袋から金貨を一枚取り出し投入口にガチャガチャとなにやら試行錯誤。当然入らない。
「両替します?」
丁度いいところに洋介が登場し黒革の財布から諭吉と樋口をつまむ。
この愛殺新訳外伝が西暦2034年を舞台にしているので日本銀行券の福澤諭吉は渋沢栄一になっているが読者諸君はどうかお気になさるな。
「諭吉一枚が金貨一枚で樋口一枚が銀貨一枚のレートでいいのかな?」
「へえ、この紙がお前らの世界の金か」
「ほんとは財務省の方針でその金貨と日本円を両替したら怒られるんですけどね」
チャリン、と細くて綺麗な指輪一万円札と五千円札をしまったラムズが手を止め、目を細めて口角を上げる。
「お前、日本で総理大臣だったんじゃないのか? 国の衛兵や役人を従える身分にあるんじゃねえのか?」
「地球の訳者にも聞かれましたが、俺の身分はただのヤマト艦隊司令ですよ」
ついでに言っておくと、洋介と美咲が36歳、愛娘の遥ちゃんが9歳だ。遥はこれから大人になってキレイになっていくからよいのだが洋介と美咲はどんどん老けていくだけ。
洋介はラムズが羨ましい。何千年もイケメンなのだから。
「ヨウスケはただの戦艦乗りなんだから難しいことを考えるな」
ラムズが洋介の心理をクリアに読みとる。
いつだって彼は王子様だった。
「お前らの国、大臣ひとつとっても肩書きやら仕組みがめんどくせえんだよ。国の主は誰なんだ」
数秒詰まる洋介。
「さっきの空中散歩で戦闘機を操っていた荒垣健ですね」
「変な奴だな。prime ministerがpilotでもあるのか」
「……メアリちゃん待たせてません?」
「そうだっけ?」
ラムズは賢いから忘れる訳なんかないのに今思い出したみたいに飄々と返事して背中を向けた。宝飾品が風で揺らぎ軽い金属音を奏でた。
「ラムズ船長」
「あ?」
「ありがとう」
「手離すなよ、お前の宝物を」
洋介とラムズが踵を返し、ポケットに手を突っ込み、通路をそれぞれ逆向きに歩いていく。
時計の鐘が重々しい音色を奏でる。
歩みは正反対でも、彼らは同じ羅針盤の上にいる。
ラムズと洋介の共通点は、船乗りであること、そして誰よりも人を殺した経験だ。
◆◆◆
「人魚は泡沫の夢を見るか?」
身体を丸めて眠りかけていたメアリ。シーツの隙間からはみだすなめらかな裸足にラムズは語りかけた。
その声で彼女は起き出す。
むにゃむにゃとしているメアリの深紅の髪を綺麗な指ですく。
「夢を見たわ」
「へえ」
ラムズが細い腰をベッドに沈める。ラフに足を組む。ズボンは七分丈で彼の痩せた足が見える。ラムズさまえろい。
「私が人魚であることがバレて、無人島の陸地奥に置き去りにされて……あやうく死ぬところだったわ」
ラムズの睫毛が揺れて瞳が一瞬鋭くなった。
「他には?」
「その世界には人間と人魚ぐらいしか使族がいなくて、陸酔いして這っているところをあなたに見られてしまうの」
愛殺世界には様々な使族がいるが、今この空間にいるのはラムズとメアリだけ。
「ああ、哀れなメアリ。その泡沫の夢に俺が主題をしんぜよう」
考えるのに、波が一回寄せて引くくらいの間があった。
「泡沫フェアリーテイル」
ちょっと自慢げにラムズが言ったのでメアリがおめめをぱちくりさせる。
「それ、何処から拾ってきたの?」
意地悪なラムズ船長は答えてくれなかった。
《 愛殺新訳外伝 第七章 海賊の王子様と人魚姫の泡沫 》
……夜明けを迎えた港のガーネット号。船尾楼に朝日が差し込む。
瓶の中にはほんのちょっとの海水に浸されたメアリの鱗が浮かんでいる。
ガーネット号船長室のコレクション棚にあって特等席に誇らしげにきらめいていた。
──大切にしてね
──俺の宝物だからな
海賊の王子様と人魚姫のささやきが泡沫に吸い込まれ、優しく消えていった……




