第11話『川戸怜苑が選ぶ未来:後章──LEON──』
「ラムズ様……」
「風邪ひいてんだろ寝てろよ」
ラムズは遥の頭をそっと撫でる。
「うん……」
遥はおでこに冷えピタを貼り、傍らにはオブラートとなにやら苦そうな薬が置かれている。
「飲んでねーじゃん」
「口移しして」
ラムズはこのシチュエーションを用意した地球の二次訳者を呪ったにちがいない。
「どうしても? やらなきゃだめ?」
海賊の王子様の口調がちょっと柔らかくなる。
「まったくお前はヨウスケに似てとんでもねえ頑固者だ」
ラムズは薬を口に放り込んでからすらりと長い足をベッドに片膝をつき、遥を押し倒す。
「っ……!」
海賊の王子様は遥の幼い唇を冷たい舌で割り開き、薬を挿れる。ラムズの冷たい唾液と遥の熱い唾液がまじりあう。
甘いくちづけと苦い薬はこの子にはまだ早すぎた。
◆◆◆
洋介がため息をついて軍服の帽子をかぶり、美咲が半歩後ろを歩く。
「ラピスフィーネの首飾りってのは乙女をいちいちときめかせて体液と反応させなければ時空間を転移できないから厄介だな」
とんでもねえご都合設定だが事実である。これがないとヤマトは愛殺世界に行けない。
魔印も考えたが地球から263メトルの巨大なヤマトごと転移させたらラムズでも倒れかねない。
「体液って言い方えぐいからやめーや」
美咲はつかつかと歩きながら頭一個分も背が高い洋介をジト目でねめつける。
「医学用語だけど?」
「あのさあ……」
念のため読者諸氏に断っておくが筆者はこのためだけにはるかちゃんを創ったのではない。
「CICに入るぞ」
抗弁する美咲を無視し、戦闘艦艇の武装システムを司る指揮所に洋介は入室。ここをCICと呼ぶが軍事マニアしか知らない専門用語なので別に覚える必要はない。
『東城異世界大臣、東城艦隊司令、入られます!』
「GPS途絶、データリンク消失」
すべての電子機器が使えない。
「あたりまえだ、ここは愛殺世界。お前らの世界のインターネットや人工衛星とやらががあるわけない」
「お、ラムズ船長」
ラムズはコンピューター、計器類に囲まれたCⅠCを眺める。
青い麗しい瞳にディスプレイのカラフルな光が反射する。綺麗だ。
「シュピガーデスの海図を画面に出してくれ」
航海士が顎を引いて了承し、言われた通りにする。
「ですがラムズ船長、レーダーは使えませんよ」
「簡単だ、目で見ればいい。そのためにシャーク海賊団を連れて来た」
「あ、そうか」
洋介は船乗りとして大事なことを忘れていた。
ジウが海自隊員からペンを借り、航海士とやりとりしてチャートに進路を記していく。
ロミューも砲雷科の手が空いた下士官兵を貸してもらい、甲板作業を仕切る。
戦艦と海賊船という違いはあれども同じ船乗りだ。
「で、海賊の王子様には考えがおありか?」
「敵をおびき寄せて、シュピガーデスの岩で叩き潰す」
「ほう」
洋介は腕を組んで感心する。
「ラムズ船長、艦隊司令の席を譲ります」
海賊の王子様は無言で頷き、席についた。
細い腰が座席に沈みベルトの金具が官能的な音色を奏でる。席の主が黒髪短髪の海上自衛官から銀髪碧眼の海賊の王子様に代わったのだ。
常人よりはプライドの高い洋介が席を譲った。太田が目を丸くする。
洋介は太田の肩に手を置いた。
「親父だってこうしたさ」
◆◆◆
東京都千代田区永田町──首相官邸。
内閣総理大臣執務室で仮眠を取る荒垣の額に立花官房長官が熱い缶コーヒーを押し付ける。
「金と銀どっちがいい?」
「金」
「ほらよ」
荒垣は一気に缶をあおった。
「なんでコーヒーがこんなにうめえんだ」
「寝てないのか? まあそうだろうな」
「アメリカ軍は日本人の保護を理由に愛殺世界に行こうとしているが、どう考えても火事場泥棒だ」
「荒垣総理、どうするよ」
「俺は、川戸怜苑君の選ぶ未来を、居場所を守ってやりたい」
「ならそうすればいい」
「俺はもう若くない。年を取ってそれなりの経験を知って、冒険ができなくなっちまった。冒険ができる愛殺世界に行った洋介君、美咲ちゃんが羨ましいよ」
「美咲ちゃんに次期総理大臣を託したクチか?」
荒垣総理はソファーに背中を沈め、顔を覆い、大きく息を吐いた。
「なあ立花、来年で総理辞めていいか?」
「え」
「日本国内閣総理大臣なんてろくなもんじゃねえ、血圧の上がる仕事で身が持たない。それに、大切なものを守れなくて若者に恨まれるくらいなら肩書きなんか捨ててやる」
「確かにお前は総理大臣より戦闘機のほうが似合ってるな」
立花官房長官は記者会見の準備を始めた。
「行ってくる。怜苑君の選んだ未来のために」
◆◆◆
『プルシオ帝国軍、ニュクス王国軍より答申。日ニュ安全保障条約第三項によりこれよりヤマトを援護する』
共同作戦は既に開始されている。
洋介がラムズに差し出したのは黒くて重い金属の塊だった。
「これもジュウとかいう魔道具の一種なのか?」
「バレット対物ライフル。使い方は……」
「いい、自衛官の様子をみて大体わかった。ガーネット号のカノン砲と同じだ。ここの金具を引けば弾丸が火薬で吹き飛ばされて敵に当たるんだろ」
「ご明察畏れ入る」
「俺はここが賢いから」
ラムズはこめかみを指でつついてみせる。
対物ライフル二挺を護衛艦やまとの舳先に構え、右にラムズ、左に洋介が甲板に伏せてグリップを握る。
「ところで洋介、戦艦と護衛艦ってどう違うんだ?」
「今その話かよ」
「ヤマトはどっち?」
「海上自衛隊では戦艦も巡洋艦も駆逐艦もひっくるめて護衛艦という」
「じゃあヤマトは護衛艦か」
「いや、戦艦だ」
「へえ?」
「俺は自衛官である前に、ひとりの戦士だ!」
──発砲!
何度も何度も何度も、撃ちまくる。逃がさない!
スコープの向こうのクオリティ大統領がみっともなく逃げ惑う。
洋介の屈強な腕が対物ライフルを押さえ込み、男性にしては華奢なラムズの身体が反動で揺れる。
ひととおり撃ち尽くし、洋介が身を起こした。
タイミングを見計らっていたかのように岩戸が狭まり、敵の艦隊が何万トンもある岩盤で圧壊する!
「成功だ。あとは頼みますよ、リジェガル殿下」
ラムズが起き上がり、辺りを見回している。
「船長どうした」
「メアリがいない」
「えっ!?」
彼女がいなくなったにしてはラムズは冷静だ。
「大丈夫だ、あいつにとっての王子様がもうじき助ける」
ラムズは時の神ミラームの恩寵を受けている。
「ラムズ船長、、、確かあんた運命の通りにしか生きられないんだったな」
洋介は彼に思いを馳せる。
自分の運命を知って、受け入れて、従って、五千年も生きてきた孤高の王子様の心情はいかばかりか。
青い海を背景に潮風が白銀の髪を撫で、眉目秀麗な海賊の王子様の横顔をあらわにする。
宝石しか愛せない寂しい王子様──
「お前らが羨ましい」
──でもなかった。
「そうなのか」
ラムズをお澄まし人形だと思っていた洋介にとって意外な一言。
彼は白銀の睫毛を伏せ、瞑目。やや時間を置いて決意を込めたまなざしで洋介に微笑みかける。
「お前らの行動は予想ができない。どんな運命が待ち受けていても力ずくでねじまげちまう」
「それが俺たち、人間の意地だ」
──爆発。
洋介の瞳に爆煙が映る。
「ヤマトは国なんかより、世界なんかより、ひとりの女の子のために戦うような船だ」
「自己陶酔。ロマンチストだな」
「褒められたと思っておこう」
◆◆◆
「やめてくれ! 死にたくねえ! 死にたくねえ!」
「身分をわきまえろ、王族に対する作法も知らぬ下級武官が」
リジェガルの機械仕掛けの義手が米軍兵士の首を締め上げ、骨ごと圧砕する。
「がはっ……!」
命を失い、骨が入ってるだけとなった血まみれの皮袋をリジェガルは甲板に投げ捨て、高貴な黒革のブーツで踏みつける。
「よくもメアリを痛めつけてくれたな──」
リジェガルは義手から鎖を投擲し、敵兵の銃を手ごと引きちぎる。
血飛沫と絶叫が戦士の国の英雄王の凱旋をたたえる!
「ぎゃああああああああ!」
手首から先を失った兵士もいる。ゴーグルをかち割り目玉を潰された兵士もいる。
「痛いか? 苦しいか? 辛いか? そうだろう、楽には殺さん、メアリが人間から受けた心の傷の一兆分の一でも味わってから、逝け!」
アメリカ合衆国大統領ワイルダー・クオリティが現れ、不敬にもいまだリジェガルを弑逆しようとする米軍兵士を手で制し、一対一で対峙する。
「メアリはどこだ。場所を教えろ」
ガチャ!
クオリティは首輪をリジェガルの足元へ投げつける。
金属の冷たい首輪だった。
「狼藉は忘れてやる。拾え、リジェガル。その首輪を」
リジェガルの目元がぴくりと痙攣する。
ああ、これほどの屈辱がどこにあるだろうか!
「貴公もプルシオ帝国もアメリカ合衆国に隷属しろ、さすれば安寧を約束してやる」
「俺に拝跪を命じる資格があるのはただひとり、ラピスフィーネ殿下ただおひとりだ!」
リジェガルは怒気をはらみ立ち上がった。
彼が口にしたのは愛するフィアンセであり、忠誠を誓った主君でもある。
「妙なことは考えないほうがいいぞ! 王子ひとりでなにができる!?」
「ひとりだと?」
リジェガルは王子らしく高笑いした。
「なにがおかしい」
「数え間違いだ、幼年学校からやり直せ!」
「なんだと!」
「ここには海上自衛隊と──」
タイミングを見計らっていたヒーローたち。
轟音を立てながら自衛隊へリコプターが甲板の死角から現れ、誇り高き日の丸のエンブレムをクオリティに見せつける。回転翼のブレードが触れるか触れないかの接近。
「シャーク海賊団と──」
ヘリコプターがロープを垂らし、ジウ、ロミュー、エディスら赤目赤髪のルテミスたちがアメリカ合衆国海軍原子力空母ロナルド・ジョナサン・ジョーカーに着地する。衝撃で甲板が微妙にへこむ。
「──俺たちがいる!」
そしてお馴染みの衣装を身に纏ったラムズと完全武装した洋介が着地。
「甲板のクズどもを吹き飛ばせ!」
ブラックホークヘリは敵勢に照準する、逃がさない!
「くたばれ!」
「おのれ! シャーク海賊団!」
「お前みたいな侵略者は、シャーク海賊団がぶちのめす」
……リジェガルはメアリのもとに辿り着いた。
「ごめん、メアリ、遅くなって」
昔みたいに優しい口調になった。リジェガルはメアリを優しく抱きしめる。
彼の足元には敵の屍しか残らなかった。
人魚姫を助けたのは、銀髪碧眼の海賊の王子様と金髪碧眼のプルシオ帝国の王子様だったのだ。
護衛艦やまとの舳先に旗を掲げて勇ましく立つのは美咲。
美咲の蜂蜜色の髪が風に吹かれ、その手に掲げる海賊旗とともに 格好良くなびく。
「この世界はとても残酷で、厳しくて、愛殺世界みたいに殺しや盗みはないけれど、その代わり現代日本は理不尽やわけのわかんないルールばかりで窮屈で、、、だからこそ私たちは愛殺世界に惹かれたの!」
レオンの目が見開かれる。
「現代日本で生きていくことは厳しいし、苦しいし、辛いし、泣きたいけど、愛殺のキラキラした世界がいつだって私たちを癒してくれる、楽しませてくれる!」
これは美咲一個人の意見ではなかった。
地球の訳者による愛殺コンテンツにより、日本国からは移住希望者が続出している。
だからこそ、そこに圧力がかかっての、今の戦場がある。
「私たちは理不尽な大人なんかに絶対負けない! レオン君は、絶対に渡さないんだから!」
美咲も33歳。ちょうど若手と中堅の境目の年齢だ。その彼女が大人になっても忘れたくない大切なことを教えてくれた。
──発砲!
ボタ、ボタ、と美咲の頭からどす黒い血が滴り落ちる。
「お母さん!」
「美咲!」
旗が倒れそうになるが、鋼の意志を秘めた歌姫は絶対にそれを許さない。
「ラムズ船長の旗は、誰にも倒させない! 私たちのプライドの旗は、誰にも折らせない!」
胸のついたイケメンとはよくいったものだ。
美咲は歯を食いしばって、旗竿を握る手、指の隙間に自らの鮮血が流れていくのを感じながらも、再びよろめきそうになる。
その時、彼女の手を屈強な幹部自衛官の手が包み込んだ。
「洋介……」
見上げれば、美咲の愛する夫が共に旗竿を支えてくれているではないか。しかも完全武装で。
「美咲のステージは、俺が守ってやる。だから思う存分歌え!」
物々しい武装に身を固める洋介が今は頼もしいナイトに思えた。
遥が包帯を母の頭に巻く。
「ありがとう洋介、遥──一緒に歌おう、メアリちゃん!」
美咲の手を取り、ステージに登るメアリ。
ふたりの歌姫を一機のF35戦闘機が上空に占位して援護する。
『自衛隊最高指揮官より全部隊へ告ぐ。ホワイトハウスより連絡があり、合衆国大統領ワイルダー・クオリッチは弾劾された。よってヤマトへの反乱の嫌疑は晴れた!』
大統領が心神喪失し職務に耐えられないため、副大統領と大統領顧問団の賛成多数により弾劾されたことを意味する。
荒垣健内閣総理大臣が戦闘機のコックピットから全軍に呼び掛ける。
「総理! まさか自ら出撃するとは」
「総理大臣ではない、ただのエースパイロットだ!」
「ええっ……」
「お前の国の宰相、無茶するなあ」
宮仕えの経験があるラムズもビビる。内閣府特命担当大臣の美咲もビビる。
「美咲ちゃん、君のおかげでようやくわかった。政治や肩書きに埋もれて俺は大事なものを見失っていた。これが俺の本当にやりたいことだ!」
美咲とメアリの歌にクラーケンが呼応し、敵艦隊に襲いかかった。
◆◆◆
クオリティ大統領がみっともなく震えて海賊の王子様と海上自衛隊幹部自衛官に命乞いをしている。
「……こいつどうする?」
ラムズはゴミを見るような目でそいつを見下ろしつつ洋介に問うた。
「多少手荒でもかまわないと言われているんでね」
「ジュウ、って武器使ってみていいか」
丁度目の前に生身の標的がいる。おあつらえ向きだ。
「なるべく脳ミソと心臓狙わないでくださいね? 苦しませたいんで」
「かしこま」
「それうちの嫁の持ちネタですやん」
新しい玩具をもらえたラムズは黒光りする拳銃を手に取り、舌で銃口をなめる。銃口のサイズは1センチルあるかないか程度だが、これで人間を殺せる代物だ。
「これちょーだい」
洋介は苦笑した。
「特別ですよ?」
ラムズは拳銃のディテールを一瞥するなり、いきなり引き金を引いた!
──発砲!
「がゃああああっ!?、、、ぐあっ、がっ、、」
膝の皿を貫通され筆舌に尽くしがたい苦しみを味わうクオリティ。
「くたばれ!」
洋介はクオリティの髪を掴み、鼻に膝蹴りをお見舞いしてやる。
鼻血が盛大に噴射される。
「この戦争狂め、武器商人からいくらもらってやがる。せいぜい後悔しながら死にやがれ」
洋介は守るために戦う自衛官であって戦うために戦う軍人ではなかった。
「貴様! アメリカ合衆国大統領にこんな真似してただで済むと思うなよ!」
「「肩書き抜きだ」」
洋介とラムズが顔を見合せ、同じ言葉を発したことを笑った。
◆◆◆
そしていよいよ訪れた別れの時。
「洋介さん、地球を、日本のことをお願いします!」
「いいだろう! その君の願い、この東城洋介が引き受けた! さあ、心おきなく旅立つがいい!」
「ありがとう」
「安心しろ、どこの世界に迷いこんでも、帰りたくなったら、いつでもヤマトで迎えに行く!」
「洋介さん、もう選んでるよ。俺が選ぶ未来、その場所は──」
《 愛した人を殺しますか? 二次創作第四弾 川戸怜苑が選ぶ未来 》
……メアリはまどろみながらヒッポスの鞍の上で揺られていた。
あたたかくて、なつかしい、安心するその感覚。
人間の男性に後ろから抱きしめられているのがわかったが、驚きより安心が勝った。
この感じ……遠い昔に、あの人と……
ふと、見上げれば、金髪碧眼の王子様。あの人と同じ。
「サフィア、なの……?」
「……ェガル殿下、お時間が押しております。お早く」
肝心な時に肝心な名前が聞きとれなかった。
「王子の命令が聞けないのか?」
「これは失礼致しました」
「サフィア、私ね」
「言わなくていい。知っているから」
「私は、貴方を──」
「いずれ君はそうするだろうね。でも、今は思い出に浸っていたい」
メアリの瞳が蕩ける。
王子様は銀の水筒から茶を注ぎ、メアリにそっと差し出す。
温かくて安心する。
──サフィア、覚えていてくれて、ずっと味方でいてくれてありがとう
おだやかに満ちる波、透明な水面にあの頃のサフィアとメアリが幼い姿のままで映った。
波は引き返し、もう一度水面に映るふたりはもう大人だった。
あるいはそれはメアリの夢だったのかもしれない。
それでも、大好きな王子様と一緒に見た夢、一緒に飲むお茶は温かくて世界でいちばんおいしかった。