第1話『ラピスフィーネの首飾り・地獄篇』
「ラピスフィーネの首飾り」
製作委員会presents
夏の日差しが容赦なく東京湾に照りつけ、大海原が白銀にかがやく。遠くには川崎の工業地帯と横浜の市街地、房総の山々が見える。
海原に広がっていく泡沫……
その中にあって異彩を放っているのが、海賊旗が高らかにはためく。
海賊船は横浜に向かってひたすら溯上していた。
それを率いる王子は、ややはだけたワイシャツから鎖骨と胸の筋肉が白くかがやき、漆黒の外套が細く筋肉質な肉体をすらりとひきしめているのがわかる。
サファイアのごとく青く輝く瞳に映るは──東京の街並み。
【 ガーネット号船長 ラムズ・ジルヴェリア・シャーク "海賊の王子様" 】
『東京湾内横浜沖に、海賊船らしき不審船を確認』
『巡視船するがより自衛艦隊司令部へ、海賊船は赤い帆を掲げている』
『官邸より防衛省へ、たった今翻訳者と連絡が取れた。原本との記述に照らし合わせ、該船はラムズ・シャーク船長率いる異世界の海賊船と断定。権限は国土交通省海上保安庁より内閣府特定事案対策統括本部に移管される』
『護衛艦やまと、了解。』
やまと艦橋左舷側の席に座るまだ三十三歳の彼が率いるは、イージス艦が二隻に彼自身が座乗する超ド級戦艦をはじめとする海上自衛隊の一個艦隊。
【 海上自衛隊第一護衛隊群群司令 東城洋介 海将補(少将) 】
黒髪短髪に濃紺の作業服を身に纏う。その両肩の階級章は黄金にかがやいた。
洋介は双眼鏡を構える。
「なんだ?」
海の男の勘がただならぬ気配を感じさせたからだ。
波がだんだんと高くなり、海水の塊が上下左右から艦を揺さぶる。
『やはり魔法を使える相手か、艦長、該船に警笛ならせ!』
洋介は護衛艦やまと自体の艦長を務める太田拓海一等海佐に命じた。洋介が艦隊指揮に専念できるのは優秀な彼が座乗艦の艦長だからだ。
『警笛鳴らします──』
太田がレバーを引き込む。
轟音にも似た、鈍く頭の芯を揺るがす警笛が響く──
東京湾の大パノラマに海賊旗と旭日旗がクロスする中高らかに鳴り響いたそれは、海賊と海上自衛隊の共闘を告げる号砲であった!
二〇三三年の日本で紡がれる愛殺の新訳版、その物語、その名は──
《 【愛した人を殺しますか? ──はい/いいえ】 二次創作 『愛殺新訳外伝』 第一楽章「地獄篇」 》
【 東京都千代田区永田町──首相官邸敷地内地下某所 内閣情報集約センター 幹部会議室 】
【 東京湾海賊船出現事案に関する官邸連絡室 】
「荒垣総理大臣入られます!」
「そのままでいい。仕事を続けてくれ」
日本国内閣総理大臣にして政権与党保守党総裁である荒垣健衆議院議員は照明がカットされた薄暗い危機管理センターに踏入り、自身に敬意を払い椅子から腰を浮かせる政府高官らを平手で制する。
【 内閣総理大臣 荒垣健 】
政府の会議では大抵内閣官房長官が司会進行を務める。
官房長官はシャープなデザインの眼鏡を光らせ、きびきびと報告する
『本日二〇三三年、紅桜二年八月十五日、東京湾において異世界からの海賊船が出現しました。この事案に際して閣僚諸君の報告を承り、基本的対処方針を策定したく思います』
【 内閣官房長官 立花康平 】
立花は盟友と妻にそれぞれ視線を合わせ、不敵な笑みを浮かべた。
『該船はカノン砲などの重火器を備えており、海保では対処は困難! 海自を前面に出すことには異存はありません』
【 国土交通大臣 兼 防災担当大臣 青生土門 】
三年前、新幹線運転士として異世界からの賓客を救助した彼はJNR東日本本社取締役を経て民間閣僚の立場で国土交通大臣として入閣していた。その柔軟な思考が導き出した答えは、海保の面子にこだわらず海上自衛隊を前面に押し出す荒垣案の支持。
『現在メアリ氏による天候操作で海が時化て?います。頑丈な海自護衛艦にしか耐えられないでしょう』
「現地には、海上自衛隊緊急展開部隊を派遣しました。お手元のレジメにある通りです」
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やまと型レールガン搭載護衛艦BBR140〈やまと〉
もがみ型多機能護衛艦FFM004〈くあま〉
まや型イージスミサイル護衛艦DDG179〈まや〉
こんごう型イージスミサイル護衛艦DDG176〈ちょうかい〉
むらさめ型汎用護衛艦DD101〈むらさめ〉
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その艦隊を率いる東城洋介海将補は東城美咲異世界担当大臣の夫であった。
【 内閣府特命担当大臣(異世界政策統括担当) 東城美咲 衆議院議員 】
美咲はセミロングの髪、その毛先を指でいじる。
「信じましょう美咲さん。何しろ三國志の時代に遠征したご主人ではありませんか」
◆◆◆
言うまでもないことだが、自衛隊は専守防衛。先制攻撃などできない。
戦闘の口火を切ったのはガーネット号であった。
近づいてくる護衛艦むらさめを射程に納めると、左舷のカノン砲を突き出した。
『該船の発砲炎を確認!』
鈍く重い鉄の砲弾、しかもその数数十発がゼロ距離射撃で護衛艦むらさめに殺到する。
『敵弾来る! 敵弾来る!』
『この目標砲弾と思われる!』
無数の砲弾がむらさめに食らいつき、鋼鉄製の船体を穿つ。そのうちの一般がミサイル発射菅と主砲弾薬庫に引火した。
『被弾!』
船体がひしゃげ、前よりでくの字に曲がり、圧壊し──爆発した!
「ぐあああああああっ!!」
「熱い熱い熱い熱い」
「助けてくれ、死にたくねえっ!」
無線からは断末魔の叫びが聞こえる。
爆炎がむらさめの甲板を炙り、船体が粘り気のある黒煙に包まれた。
『やられた! むらさめ被弾!』
「くそ!」
洋介は窓べりに沿って敷かれたカウンターに拳を叩きつける。
意外なことに、現代の軍艦はほとんど装甲などされていない。ミサイルが当たる前にレーダーで探知して撃ち落とすのが基本的な戦術だからだ。
と、護衛艦くあまから通信が入る。
『お兄様、私が仇を取ります』
「麗雪、待て、救助が先だ!」
『お兄様! でもこいつはむらさめを! 私たちの仲間を……!』
兄と妹でそれぞれ艦長を務める上官どうしのやりとりを海曹、海士隊員がいらだちながら聞いている。
そう言っている間にも、護衛艦くあまはどんどんと突っ走っていく。
『そのむらさめの乗員は海に投げ出されている! 船乗りなら救助が先だ!』
実際、海にはむらさめの残骸から無数の人影が這い出て、救命ボートにすがりついていた。
妹は押し黙った。
「むらさめ乗員の救助を」
「了解……!」
兄に反論する代わりに、副長にむらさめ乗員の救助の旨をぶっきらぼうに言い捨て、暗がりへ消えていった……
むらさめから漏れ出した軽油で灼熱の業火に炙られる海を、今度はイージスミサイル護衛艦ちょうかいが進撃する。
全長一六〇メートル、七〇〇〇トンのそのイージス艦を操る艦長は長瀬佑都一等海佐だ。
四十代後半の彼は三年前の武勲において司令官職の誘いを受けたものの、艦隊に年長者としてどっしりと残ることにしたのだ。
洋介が率いるのは八隻の護衛艦だが、三十三歳の彼は麗雪以外の全ての直属の部下より若かったからだ。
『洋介君、ここは僕に任せてもらいましょか』
『おお、長瀬さんなら大丈夫だ!』
『こちら護衛艦まや、引き続き警戒態勢を維持』
『現在護衛艦くあまが死傷者を収容中』
『やまとを盾にして無防備となるくあまを防御する』
『やまとより小型挺が発進、東城群司令が乗り込むようです』
洋介の率いる第一護衛隊群の各艦長には指示待ち人間などいなかった。良くも悪くも皆が確固たる戦意を持ち、自らの判断で臨機応変に動いている。
戦闘指揮を一ヶ所で行う最新鋭多機能護衛艦くあまとは異なり、護衛艦ちょうかいは艦橋とCICに別れている。CICは船体奥の電子機器に固められた戦闘指揮所だ。
長瀬はその戦闘指揮所に陣取り、ヘッドセットを耳にかけ、マイクを口元に引き寄せる。
「艦長、撃沈しますか?」
「あかん!」
長瀬は首を勢いよく振った。
「え」
「あかん! 力ずくで沈めては事後処理がしんどいねん、なんとか生け捕りにして交渉のテーブルに着かせなあかん!」
彼は身振り手振りでコミカルに説明する。
「あ~、出ましたね、艦長の関西弁、本気モードだ」
「あ、あかん、ほんまや」
「艦長、主砲で対処します」
「頼むで! やっこさんのマストをへし折ったれ!」
「了解──砲術長!」
艦長の旨を受け、戦闘指揮官たる砲雷科砲雷長はさらに部下の砲術長に命じる。
「わかってます! 射撃管制、手動にて行う!」
砲術長の復唱に従い、隊員が制御卓のスイッチを切り替えた。
『主砲砲撃射線確保!』
護衛艦ちょうかいは大海原に白い波しぶきを押し広げながら、カノン砲の死角となるガーネット号前方から回り込み、OTOメラーラ127ミリ単装速射砲、その砲身を起き上がらせる。
海上自衛隊と海賊が真っ正面からぶつかりあう。
さあ、反撃のターンだ!
『主砲攻撃始め!』
『撃ちィ方ァ始めェ!!』
独特のイントネーションで下された号令にかぶせ、長瀬が叫んだ──
「いてまえっ!」
発砲!
砲弾が空気を切って飛翔し、まっすぐにガーネット号に突っ走る。
見張り員が双眼鏡を構え、刮目する。
『該船も発砲! 砲弾が来ます!』
『機関、後進全速!』
スロットルが押し込まれた!
「うおっ!」
「うわっ!」
ちょうかいはスクリュー回転を切り替え、急制動、今度はバックの要領で勢いよく後退りする。七〇〇〇トンの質量から生まれる重力加速度に乗員が激しく揺さぶられた。
長瀬は制御卓に掴まり、額に玉のような汗を浮かべる。
ちょうかいとガーネット号の放った砲撃が空中で交錯し、それぞれ相手に向かっていく。
ガーネット号からちょうかいに放たれた砲弾は先程のバックのおかげですんでのところで当たらずに済んだ。
そのちょうかいからガーネット号めがけ127ミリ主砲弾が空気を切って飛翔し、まっすぐにガーネット号に突っ走る。
その直径は十三センチ弱。弾の大きさこそ相手に劣るが、音速を越えるその主砲弾の射程は三十キロメートルに達する。
それが直撃したものだからマストはひとたまりもない。
バキバキと嫌な音を立てて木材の繊維が裂けていき、傾いていく……マストは完全にへし折れた。
マスト上部にいた見張り担当の船員が海に投げ出される。
それを小型挺から目撃した洋介は考えるより先に海に飛び込んだ!
こればかりはラムズも驚いた。
海自側も驚いた。洋介は本来千人、二千人の部下を率いる身である。
塩辛い海水が鼻に入りながらも洋介は船員のひとりを担ぎ上げ、その足でガーネット号に乗り込んだ。
ガーネット号の船員も救助したむらさめ乗員を引き渡す。
異世界の海賊と日本の海上自衛隊は言葉こそ通じなかったが同じ海の男である。負傷者を引き渡す流れは意志疎通しているかのごとくスムーズにやってのける。
「──感謝するとでも思ってるのか?」
ラムズはマスケット銃を引き抜き、火縄に点火、洋介の額に冷たい銃口を押し当てる。
洋介も負けじと9ミリ拳銃をラムズに構えた。
今度は生身で再び対峙する海賊の船長と海自の司令。
メタフィクション的な表現を用いれば、ふたりが銃を突きつけ合う様子は劇のワンシーンの演出そのものだった。
トップどうしの一騎討ちを双方の部下が固唾を呑んで見守る……
火縄が燃えていき、発砲までのカウントダウンを刻んでいく。
ラムズも、洋介も、撃たない、いや、撃てなかった。
洋介の鳶色の鋭い瞳とラムズの青い麗しい瞳が交錯する。黒髪と銀髪が潮風にはためき、海が銀色に輝いた。
海賊と海自。立場は違えども、同じ海を舞台にするふたりの男には奇妙な友情が芽生えていた。
「……どうした、早く撃てよ」
「……そっちこそ」
洋介の挑発にラムズは乗らない。
「あなた方はむらさめ乗員を助けてくれた」
先に銃を下げたのは洋介だった。
「お前たちも、船員を助けた」
それに警戒心を解いたのかラムズも火を揉み消した。
洋介は瞳に悲しげな色を浮かべていた。
「俺にとって、海賊だろうが敵だろうが流す血の色に違いはない。みんな赤いんだよ……!」
今この瞬間まで人間を快く思っていなかったメアリの瞳が見開かれた。
護衛艦むらさめを包む紅蓮の業火が天まで焦がす。
「青臭い。お前それでも海軍か?」
「俺たちは──海上自衛隊だ」
「かいじょう、じえいたい?」
聞き慣れぬ組織にジウが問う。何者かと。
「話がしたい」
※原作世界にはマスケット銃はありませんが演出上特別に使わせていただきました
登場人物
【東城洋介】(33)
海上自衛隊幹部自衛官(海将補)。第一護衛隊群群司令。
黒髪短髪。鳶色の瞳。
【東城美咲】(33)
内閣府特命担当大臣。専門学校東京クリエイター学園非常勤講師。
芸能人。
【東城遥(9)】
洋介と美咲の娘。
【東城麗雪】(28)
洋介の異父妹。訳あって北朝鮮出身。三等海佐(少佐)待遇。第一護衛隊群護衛艦くあま艦長。
【太田拓海】(32)
海上自衛隊幹部自衛官(一等海佐)。第一護衛隊群旗艦護衛艦やまと艦長。
焦げ茶の髪に伊達眼鏡。洋介より背が高く、温厚。
護衛艦やまと副長兼砲雷長を歴任。
【長瀬佑都】(49)
海上自衛隊幹部自衛官(一等海佐)。第一護衛隊群護衛艦ちょうかい艦長。
護衛艦やまと艦長、副長兼砲雷長、航海長等を歴任。