厄銭落とし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、厄落としを見たり聞いたりしたことがあるだろうか?
僕のおじさんは、ちょうど今年が大厄でね。数ヵ月前におじさんの家に家族全員で集まって厄落としをしたんだ。いや、今は厄祝いという言い方の方がいいかな? 親戚や親しい人たちをもてなして、自分の厄を持って帰ってもらう、という意味合いがあるのだとか。
厄にせよ幸運にせよ、通常僕たちはそいつらの存在を、物事の結果でしか捉えることができない。その捉え方も、心に余裕があるかないかでずいぶん変わるだろう。
僕が思うに、厄祝いというのは人を集めて時間を過ごすことで、心に余裕を持たせる。それによってちょっとした不都合くらいなら、厄じゃないと捉えやすくする効果があるんじゃないかなあ。
過去、何度も行われてきた厄落とし。それが現代では考えにくい事象を引き起こした例もあったらしい。そのうちのひとつ、聞いてみないかい?
江戸時代の終わり。今年で42の厄年を迎える男がいたそうだ。
その年の男はついていなかった。大工仕事を生業としていた彼は、新年早々の仕事で高所から落ち、したたかに腰を打って、しばらくまともに立ち歩くことができなかった。ちょうど江戸では火事が頻発している時期だったから、大工としては稼ぎ時。それを数ヵ月も逃してしまったのだから、身入りにだいぶ響いてくる。
ようやく立てるようになったものの、今度は道具をしっかり握ることができない。ぐっと力を込めたつもりでも、掴んでいるという感覚が一向にしなかった。動こうとする手が発するのは、長年の下積みによって磨かれてきた神経の反応ではない。
ぶよぶよとした肉の塊。しびれが残る手に、三寸(約10センチ)ほどもある厚い手袋をつけ、精緻な針仕事をさせられているような頼りなさだ。そして作業に取り掛かると針は落とす、布は破く……いっそ手を入れない方がましだったんじゃないかと感じるほどの不甲斐なさだ。
病気かと思って医者を巡ったが、いずれも見当はつかないと返される。ただ男の手の鈍感さは想像以上で、囲炉裏であぶったばかりの箸を押し付けても、まったく痛がる様子を見せることはなかったとか。
医者は畑違いではと感じた彼は、今度は寺社巡りを始める。5つめの寺で住職にいきさつを話したところ、新年早々、「厄」につかれた恐れがあるとのこと。
男に、この後時間があるかどうか確かめた後、住職は本殿の裏手。位牌がいくつも並べられている影の中へ身体を滑り込ませると、ほどなく、かなり目の細かい竹製のざるを持って戻ってきた。
「このざるを持って、境内の土をおすくいくだされ。ざるの7,8分目程度で良いでしょう。すくえたら、その土の中へ両手を入れる。ゆっくり10を数えたら手を抜きます。どれほどのものか、それでまずは様子を見ましょう」
男は言われた通りにする。境内の土をざるに集めると、石段の上に置いて、中身に手を突っ込んだんだ。
住職が告げた10秒を待たず、変化は現れる。男が土の中へ手を突っ込んでほどなく、男の両腕が触れている土から、青い色がにじみ出る。驚く男に対し、住職はそのまま手を入れているように指示。その間もじわじわ青色はしみ出ていき、10秒が経った時にはもはや青くない部分の土を探す方が、難儀な状態になっていた。
「よほどの厄にまみれていらっしゃいますな。このままだと遠からず、手が使い物にならなくなりましょう」
「大工仕事でそいつは困るな。住職、何か打つ手はないのか?」
「ございますな。同時にいくらかの銭が必要になりますが」
「払おう。家に戻るかもしれないがいくらだ?」
大工の賃金は高い。下積みの厳しさに逃げていくものは多数いるが、それを越えた先の見返りは大きかった。日におよそ二刻(およそ4時間)の仕事で、常人の倍近くの給与は得られ、時間外ならば手当てもつく。
先にも触れた火事の影響で引っ張りだこな仕事でもあり、安定した高収入な職と来ている。その金で豪遊する者も多く、「江戸っ子は宵越しの金は持たない」と形容される原因の一端を担っていた。
「確かに布施としてもいくらか頂戴いたしたいところですが……別の使い道もありましてな」
そう言って、住職は男に耳打ちを始めた。
その日の夜。男は住職に告げられた、昼間とは別の寺近くまで来ていた。ここの本殿は数十段の急な石段を上がったところにあり、気を抜くと怪我をしかねない。階段脇には等間隔で並ぶ石灯篭があり、いずれにも火が入れられて、くまなく足元を照らし出している。
男は懐から巾着袋を取り出す。中には家から持ってきた銭が、たっぷりと入っていた。口を開けると、その中から2,3枚を取り出して手の中へ握り込む。数があった方がいいということで銅銭を集めてきたが、それを手にしているという感覚はやはり鈍かった。
「銭を握ったまま左右へ揺さぶり、青がしっかり移ったかどうかをご確認いただきます。もし首尾よく青く染まったら、階段を一段上り、銭をすべてひとつの山にして段の右端に置いてくだされ。
これを、段すべて上がり終えるまでの間、ひたすらに繰り返していくのです」
男は銭を握り込んだまま、住職に言われた通りに手を振る。これもまたたっぷり10
の数を数えて開いたところ、先ほどまでの銅の色がすっかり青に塗りつぶされている。緑青の放つ色合いではなくて、あまりに明るく鮮やかなものだ。
一段階段を上る。掴んでいた銭を一枚、二枚と丁寧に重ねて、段の右端へかたす。そしてまた新しく巾着の中から銭を取り出し、握り込む。これが段の数だけ延々と続くんだ。
回数を重ねるたび、銭は青く染まるのみならず、手を離した後で縁から青がこぼれ落ちることもあった。ぽたりと垂れた青い雫は石に当たるとぱっと飛び散り、すぐに姿を消してしまう。
更に段が進むと、あの感覚が鈍っていた手の中に、ほのかな温もりを感じるようになってきた。銭を染める青はもはやこぼれるだけでは足りず、上向いた面から、青いかげろうのようなものを立ち昇らせていた。
この現象についても、男は住職から聞いている。
「物が燃えるというのは、西洋での研究により、酸素なるものが激しく物と結びつかんとする時に起こる反応と、説かれているようですな。
厄落としに使う銭に関しても、また然り。手元に届くまで社会を回されてきた銭は、垢にも欲にもまみれた汚れを含むもの。そこに厄が結びつき、青くなる身をさらす。その度合いが高まれた高まるほど、青はなみなみとたたえられ、長々と立ち上りましょう。
案ずることはありませぬ。それは銭と結びつくことで、あなた様の厄が身体の外へ逃げ行く証でもあるのですから」
30段を越えると、石段の終わりも見えてくる。握り込む銭の熱はますます増してくるが、耐えられないほどじゃなかった。むしろ、手からあらゆる触感が逃げつつあった男にとっては、ありがたい熱さでもあった。
すでに重ねる銭のひとつひとつから、湯気のような煙が立つようになっている。それも青い色付きだ。手から離れた後も盛んに吐き続け、かなり上からのぞき込んだとしても、顔全体が火照ってくるのを感じる。
特に意識せずに巾着から銭を出し続けていた男。上り終えるまでに100枚ほどは使っただろうか。てっぺんで待っていた住職と再会した時には、すっかり手の感触は戻っていたらしい。住職が縫い針で少し指先をつついただけでも、顔をしかめてしまうほどに鋭敏な痛覚。それを持って、厄落としの完了が告げられた。
男が残していった銭は、後からやってきた小僧のひとりが残らず回収。この社前に置かれた賽銭箱の中に投じていく。男も少しのぞき込んでみたが、すでに斜めになっている口から漏れだす直前まで、銭が貯まっていたという。
「これら、すべて厄落としに使われた銭でございまする。もう100年以上貯まっておりますかな。あなた様と同じほど、特に重たい厄に憑かれた者たちが育んだ銭。こうして寝かせておりまするが、まだまだ抜けきりませぬ。
いかな賽銭泥棒といえど、これには手を出した日には、遅かれ早かれ、後悔する結果が待っていましょうな」
その後、男は無事に大工仕事へ復帰することができたそうだ。
かの厄落としの寺に関しては、江戸時代が終わる数十年の間はもったものの、明治時代に入って本格化した廃仏毀釈の煽りを受けて、廃寺となってしまったとか。
賽銭箱の中身も、きれいさっぱり無くなっている。誰かが持ち出したか、心ある者がどこかへ隠したのか。今も判断がつかないとのことだ。