5.お弁当 (2016)
昼間、珠詠の部屋から筆を走らせる音が聴こえる。
「全国の稲荷神社の奉納率が例年より若干下回っておるのう…何か対策を蹴違ったか。」
そう小さい声で言いながら朝から書物の仕事をしていた珠詠は筆を走らせ、
全国から届いた集計書を基に漢数字と記録を記していく。
「最近は狐施行すら人間は忘れてきておるのか…今日は此処までじゃ。」
筆を置き、指で空を複雑になぞると珠詠が書き記した半紙が一瞬にして消える。
これは大半の妖狐が使える転送の妖術である。技量によって自身の転移も可能になる。
「…暇じゃろうし転送以外の妖術でも久しぶりにやるかの。」
中庭で珠詠が人差し指と中指を立てると指先からゆらゆらと火が出てくる、お馴染みの狐火。
別名を"狐の提灯"と言う。
妖狐が持つ基本中の基本妖術。下の野狐でも使える者はいるが、
妖狐としての地位が上がれば上がるほど火は熱く強く大きくなっていく。
「む、暑い。幾ら暇つぶしとは言え夏にやろうなどとは馬鹿じゃったか…止めじゃ止め。」
実際、妖術とはどれもこれもが体力を消耗する。種類によって度合いは違うが、結局は疲れるのだ。
「武義もおらんしのう…そういえば武義のやつ弁当を忘れおったな。」
孫の武義はバリバリの高校一年生、この時間帯は学校におり、授業を受けている。
「…気になるのう、学校。楽しいのかのう?」
珠詠は思いついたように立ち上がり、手際よく外出用の着物に着替える。
武義のいる高校に行こうという魂胆だ。
「よしよし、着付けばっちりじゃ。変装も大丈夫じゃな。」
変装といっても耳と尻尾を消すだけである。隠してしまえばもう人間の仲間入り、
珠詠は武義のいる高校へ向かい歩いて行った。
・
「ん? なんだ君は。」
校門の前の警備員が彼女を止めるが一瞬で顔色を変える。
「これは失礼…狐塚様でしたか、本日はどのような御用でしょうか?」
珠詠の苗字は狐塚、人間としてはこの町の一帯の有力者といった立ち位置である。
上辺ではなく、そういった土地管理等の仕事も珠詠はしっかりこなしているので、この様である。
人間としての珠詠の立場を知っている人間は少ない、
あっても町の中では古い領家の若い女当主と思われているぐらい。
「そう改まらんでもよい、逆に恥ずかしい…っとまあただ単に学校を見学しに来ただけじゃ。」
珠詠はスリッパに履き替え教室をさーっと軽く覗いていく、珠詠は驚いていた。
武義の入学式の際学校に来てはいたが校舎をしっかり見れていなく、
改めて今回じっくりと見ていた。
「実に硬い…殺生石製の校舎かの。」
かつんかつんと硬い壁をノックしながら妖狐ジョークを一人でかます珠詠。
大正、昭和の学校とは根本的に構造が違う。硬質的な校舎、
しっかり隅々まで照明が届いており少し眩しいくらいだった。
一年の教室を見ると一番後ろの席にいる武義の姿が見えた。
どうやら真面目に授業を受けているらしく珠詠は安心したところで、
「ふむ、授業参観と洒落こむかの。」
がらりと戸を開ける、教室にいた生徒たちは驚いていた。
『おい…ありゃ誰だ? 小…中学生?』『やだあの娘可愛い…!』
『一体誰だあの着物美人…いや、着物美少女は。』
見事に注目の的である。
「ば、婆ちゃん。なんで急に来たんだ…?」
武義の一言に教室が凍り付いた、生徒たちの驚愕の視線が孫に向く。
『あれ、武義の家族?』『は!? 狐塚いまなんつった…!?』『お婆…ちゃん?』
「まあ偶には愛しの孫の授業参観も良いと思ってのう。若人たち気にせんで良いぞ、
儂は見てるだけじゃからな。」
珠詠の声掛けで生徒たちは疑問を残しぎこちなく前に向き直り、各々授業を受けるのだった。
・
昼前の授業が終わり、生徒たちは昼食をとる。
「弁当忘れてきたんだった…購買で買うかな。」
と、渋々財布の口を開けようとしていた武義だったが、珠詠が来たことが幸いした。
「まあまあ…財布をしまうがよいぞ孫よ。そんなことも有るかと思っての、
儂がお前の弁当を持ってきたというわけじゃ。」
周辺にいる生徒に気付かれぬように珠詠は転送術で自宅から武義が忘れていった弁当を
袖越しで手元に転送した。
「ありがとう婆ちゃん。ああ~…その、なんだ…今日のは気紛れかい?」
武義が頭を掻きながら聞く。
「まあそんなところじゃ。ところで孫よ、くらすめいとには儂の話はしておらんのか?
随分驚いておったようなのじゃが。」
武義は頭を抱えて説明する。
「そのな、婆ちゃんがいるってことも話せるし、妖狐なのも隠せるよ、
口だけならね…婆ちゃんの若々しい見た目じゃ誰も信じてくれなさそうでな、
かえって俺がロリコンと思われるのではないかと、思ったわけだ。」
珠詠はぽかんとしていた、"ろりこん"とは一体なんなのかと疑問に思っていた。
「どういった意味じゃ? その…"ろりこん"とやらは。」
「うんまあ、あれだ、大雑把に言うと幼女趣味ってことだ。
本当はもう少しジャンル分けされてるが…」
「まあ昔はよくあったぞ、十代くらいの娘が嫁に出されることなぞ。
しかし時代は変わって今そんなことは有り得ぬ、
そんな時代にまさか儂の可愛い武義にそんな趣味あるわけがなかろ…無いよな孫よ?」
「無いって、それに昔のそれとロリコンとはわけが違うって。」
そう言って苦笑いしながら武義は弁当に手を付けた。
「…ん、今日はもしかして婆ちゃんが作ったのか?
やっぱり婆ちゃんの作る鮭おにぎりが一番美味しい。」
「そうじゃろう? 儂が愛情込めておるのだから…アイツに注げなかった……む、
何でも無いぞ、余計なことを口走ってしまった、すまぬ。」
珠詠が内心寂しそうにしているのを察した武義は愛情のこもった料理を噛み締めながら
珠詠から貰う愛情をもっと大事にしようと思った。
・・・・・
・勝手におまけ挿絵「敬老の日」
「硬い=石=殺生石」と言ったネタを入れたかっただけです。
・勝手におまけコーナー 狐火の位【善仙狐組合 術式研究局本部 監修】
上から、「日輪、陽炎、鬼火、燐火、桜火、
赤蒜(せきさん、ヒガンバナの別名)、狐魂、灯、蛍火」の順である。
日輪:神格レベルの妖狐が使える。空狐や九尾が主。最早輝く擬似太陽、
色は特定不可、眩しすぎて術者が心配される。
陽炎:輝白色の火、長く生きた天狐に多く見られる狐火。
超大規模な山火事を容易く起こせる為、山が禿げる。
鬼火:真っ赤な炎、天狐になったばかりの妖狐や長生きの白狐に多く見られる。
町内規模で大火事。玄狐も使えるため、
玄狐が偶に黒鬼と言われることもあるが、そりゃ酷い。
燐火:紅色の火、白狐になってやっと使える狐火。
此処から射程のみならず終点で小規模爆発する様になる。
桜火:色的に赤蒜の名残が桃色で現れており、消える間際、
火の粉が色も相まってまるで散る桜の様で、桜の字が付けられた。
お家一件灰になるまで燃やし尽くせる。
赤蒜:火力を上げるために燃やす妖力が中途半端に燃えて
不規則な燃え出し方をして尚且つ、
不完全燃焼で気化した妖力が何故か
有毒気体化してしまうためこの異名が付けられた。
狐魂:人間なら人魂という、篝火を焚くにはもってこい。
このレベルから射程距離が上がっていく。
灯:松明レベル、火を使う生活には困らない。放火魔の始まり。
蛍火:ライターの火、悪戯レベル。野狐がよく使ってる。
1mちょっとしか飛ばない。直ぐに消せる。