4.見えない笑顔 (2016)
日が昇り珠詠の寝室に光が入る、差し込んだ日光が体に当たると同時に彼女の眼は開いた。
むくりと起き上がり最初に鏡に向かう。己の顔を見つめ、笑顔の練習をした。
「…に、にこやかに…の。」
だがしかし、鏡に映るのは笑顔ではなく恐ろしいニヤけ顔。笑顔だけができないのだ。
「…駄目か、二度と儂の顔に笑顔は戻らぬのか…。」
耳と尻尾がしょんぼりと垂れる。
「水やりに行かねばな。」
珠詠の最近の日課は花に水やりをすることである、ちなみに元々故郷で畑仕事もしていた為、
家庭菜園もあったりする。
「む、モンシロチョウの幼虫ではないか。儂の育てた"れたす"がお気に入りのようじゃな…。」
度々虫の幼虫をこの庭で見かける、孫が小さい頃は自由研究の課題に困らなかった、
なんてことを思い出しながら山を見る。
今朝は山にかかる霧が濃く、朝日も相まって風情ある朝の景色であった。
「今日も晴れるのう…仄仄しや…。」
自然と笑顔がこぼれるはずの場面ですら相も変わらず彼女の顔に笑顔の要素は一つも無かった。
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「暇というのも良い事じゃ、仕事が無いのはちと落ち着けんがのう。」
そう言いつつ縁側でお茶を啜りながら尻尾を左右にふわふわと揺らす。
「なんて言うんじゃろうな、こう…お天道様の光に当たっていれば
雪が溶かされるように自然と笑顔になれるかのう?」
薄眼で太陽を見つめて、笑顔になろうとしてみた。しかし感覚的に失敗していることが解る、
近くで群れていた小鳥たちが何か恐ろしいものに気付き一斉に飛んでいく。
「小鳥たちですら恐ろしいのか、儂の……ニヤけた顔。」
昼の陽が差す縁側で珠詠は腑に落ちない様子でゆっくりとお茶を啜る。
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家族が揃う夕方の食卓で珠詠は武義に聞くことにした。
「…のう、孫よ。」
「どうした婆ちゃん、深刻な顔して。辛気臭いぜ?」
「やっぱり笑顔の無い儂は嫌か?」
孫は箸を置き口内に残ったご飯を飲み込み少し考え、珠詠に答えを出した。
「いや、嫌じゃないよ。俺は婆ちゃんの孫だ、婆ちゃんが何を考えているかは大体分かる。
顔に出なくても心の中で笑顔になっていることも俺は理解しているつもりだよ…。」
そう言って孫は箸を持ち直し、食事を再開する。珠詠は孫の優しい言葉に辰義を思い出す。
「…そんな優しい孫の為にも儂は一層努力せねばな。遂には優しいところまで
アイツに似てきよって…ふふふ。」
"ふふふ"と言いつつもやはり彼女の顔に笑顔は無かった。
でも珠詠の家族は彼女が内心笑顔だということを分かっている。
「なんか照れ臭ぇな…。」
「ねえ珠詠母さん?」
「なんじゃ愛娘よ?」
孫との会話を黙って見ていた娘の辰詠が言う。
「最近、武義と妙に仲が良いのねぇ、なにかあったのかしら?」
「何も無いさ母さん、俺たちゃただ単に家族らしく仲良くしてただけだよ。」
「そうじゃぞ、この子はお婆ちゃん子なんじゃからな。」
「それは、言い過ぎだ婆ちゃん…。」
「…絶対何かあるじゃない…私だけ仲間はずれなの?」
「うんにゃ、何も無いぜ? そう落ち込むなよ母さん。」
珠詠に笑顔は無くてもその日の食卓には確かに笑顔があった。
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