【過去2.唯一無二の出会い】(1913)
ある男に救われた妖狐の娘は恩義だけではなく、特別な感情を抱き始める。
彼が寝床を貸してくれたお陰で、彼女は安静にすることができた。だが助けてもらった、それ以外互いに知らない。
「お主、何故この山に住んでいるのじゃ? この山は人間は出入りせん筈なのじゃが…。」
囲炉裏の火を弄っていた彼は手を止め、驚いた顔をする。
「初めて聞いたぞ…一体何故だ?」
彼女もまた驚きを隠せないでいた。
「俺は小さい頃からこの山に住んでいたが、それは初耳だ。」
「何を言っておる、昔からある人間と儂らの暗黙の了解なのじゃぞ!?」
「いや、俺の爺さんは何も言ってなかった、ただ自然の中に身を置いて俺に山で暮らす術を教えて貰ってずっと生きてきた。」
彼女は呆れた、まさかこんなことがあろうとは。これではきっと妖狐の村のことも知らないのだろう。
囲炉裏からぱきぱきと薪が焼けて割れる音がする。
「そうだ、お前の名前を聞いていなかったな。教えてくれないか? そろそろお前お前と呼ぶのは申し訳ない気がしてな。
…じゃあ聞くなら俺から名乗ろう、俺は辰義。」
助けてもらった上に寝床を貸してもらっているだけでなく先に名乗られたので彼女は断れるわけも無かった、視線を逸らしながら少し躊躇するように名乗る。
「…珠詠じゃ。」
「そうか、良い名前だな。珠詠。」
親以外に名を呼ばれて彼女は少し照れくさくなった。
「ぅ…むぅッ! わしゃ寝る! は、早く治さねばな!」
「ふっ、そうだな…お休み、珠詠。」
照れているのを見抜いたように鼻で笑う辰義。
「ぬぅ~~~~~ッ!!!」
微笑みながら名前を呼ばれて、更に照れ臭くなったのを隠そうと彼女は布団を深く被ったのだった。
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翌朝彼女の傷は足を除き治っていた、虎ばさみの傷は複雑に付き過ぎた故に治るまでまだ時間が掛かる。
「流石と言ったところだな、傷の治りが早い。」
そう言いながら辰義が腕に巻いていた包帯を解いて片付けている時、彼女は疑問に思った。
「のう、お主は何とも思わぬのか?」
「何がだい?」
「一応儂は人間で言う化生ぞ? びっくりするものではないのか? 」
彼は一度止めた手を再び動かしながら言う。
「俺の爺ちゃんは言ってたんだ『ありとあらゆる生き物がいるなら、知性がある生き物はきっと人間だけじゃない。』ってな。」
「達観した人じゃのう…お主の爺様は…。」
「それに俺の爺ちゃんは小さい頃会った妖狐に会うことが夢だったんだとさ、残念ながら爺ちゃんは会えないまま死んじまったけど…俺は会えたよ。
しかも想像よりももっと美しい生き物だとは思ってもみなかった。」
余りにも予想外の言葉に珠詠は驚いた、美しいなどと言われたのは初めてである。
「ぬぅ…調子のいいことを…。」
「本当の事さ。ほら、朝餉はもう準備してあるし食べようか。」
初めて見る食べ物だが、妙に親近感を感じた。お稲荷である。
「むぐむぐ……これは凄く美味しいのう…!」
「それは良かった、俺の手作りなんだ。…ありがとうな。」
「前から思っておったが一人で暮らしてただけあって、流石と言っていい料理の御手前じゃな。儂だって負けてはおらんがなっ!」
「そうなのか、じゃあ今度は珠詠の作る味噌汁が飲みたいな。」
「…ヌッッ!!!? ゴホゴホっ…エホッ!! …タイミングが悪すぎじゃぞッエ"ェ"ッ"ッ"ホ"ッ"ッ"ッ"!!」
「すまん…。」
珠詠にとって先ほどの言葉は告白と取っても過言ではない、それに気褄の悪い事ではない。だがその時の彼女はそのことに関して深く意識はしていなかった。
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「なあ、珠詠。」
「んん、なんじゃ?」
辰義は真剣な顔つきで珠詠に聞いた。
「お前はまだ人間を恨んでいるかい、嫌悪しているのかい?」
「うんにゃ、そんなことはもう有りもせん。儂は感謝しとるよ、儂が人間を再び信頼する機会をくれたのは辰義、お主じゃろ? 儂もガキじゃあるまいしの。」
「そうかそうか、人間をまた信じてくれてありがとう。」
「…また此処に来てもいいかの? 今度は儂が村で育てた野菜を持っていくぞ、この間のお礼じゃ。」
「勿論だ、お前がいなきゃ寂しい気がしてな。」
「なっ!? お主また調子のいいことをぉぉ……ぬぅ…儂も、そんな気がしてきたじゃろうが…。」
二人は互いに素直だった。
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珠詠の脚の傷も治り、以降二人は頻繁に会うようになった。時に山菜を共に探しに行き、時に自然が織り成す景色を共に見に行き、時に喧嘩しては互いに非を認め合い、
二人の関係は多くの思い出が纏まり容易く断つことのできない強く太い一本の綱になる、それは二人の行く末を導く唯一本の替え無き道標。
最初の出会いから互いに繋がる熱い感情が芽生え始めていることに互いに気付かぬ振りをしたまま、
二人は時を過ごした。しかし、振りを続けることはそう長く持たなかった。
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二人が会い続けて早5年程、ある晴れた日。互いの気持ちに大きな波が立つ。いつも話し相手のように接していた二人はただ、"会いたい"そんな感情だけに駆られて、
二人はいつも会う場所に向かった。そんな用だけで会うなど普通なら有り得ないとことだが、
恋は思案の外、常識では律しきれないのが恋、募り募った恋慕の衝動だけが二人を動かした。
「のう、今日は少し長く一緒にいてもいいかの…?」
今日は何故か目を合わせることが難しく、むず痒い気持ちが収まらない。
「あ、あぁ…いいとも。」
今日の辰義は何か様子がおかしい、何かを言い出したくても言い出せないような様子。それを読み取った珠詠は気になって仕方が無く、恐る恐る聞いた。
「…お主今日、何か隠しておらぬか…?」
珠詠の勘には敵わないと付き合いの長さで解った彼は黙ったまま珠詠の横髪に何かを付けた。
「お主、これは…。」
指で触れた瞬間、ちりん…、と綺麗な鈴の音が鳴る。
「俺からの感謝の気持ちと…契りの証だ。俺と夫婦になってはくれないか…?」
「…その誓い、受け取って…よいのか…?」
「俺はお前がいないと寂しい。お前が欲しくて堪らない…。 ずっと前までは一人で生きていけると思っていた、でもお前と会ってからお前がいないことに何か怖いものを感じるようになった。
珠詠といる時が一番安心できる…だから、傍にいてくれないか?」
辰義の手は震えながら珠詠の手を握っていた。珠詠はその手を振り払い彼の体に両腕を回し抱き返す。
「…儂も、同じじゃ…お主がいないと、何か虚しくての…その…なんじゃ、儂もお主が大好きじゃ、愛して…おるぞ?」
「珠詠…。」
微かに痛みを感じるが、心地良いぐらいに強く、渇望するように、抱き寄せられる珠詠の華奢な躰。絡み合う指と指、近づく互いの唇、加速していく鼓動、荒くなっていく息遣い。
想い合う二人を隔てる物はもう無かった。
・
その日、快晴の空に雨が降り。あの小屋には互いの汗が混ざる匂いと、互いに激しく求めあう聲が籠っていた。鈴の音と共に。
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一応キーワードの方にR15入れているはずなので多分、大丈夫ですかね…?