シートベルト
「シートベルト、ちゃんと着けなさい。」
そんな言葉、聞き飽きた。私はシートベルトが嫌いだった。窮屈でとても動き辛くて、車の中に縛り付けられているみたいで。誰かに注意されなければ、決して着けることはなかった。事故さえ起こらなければ、していても意味のないものだと思っていた。
私は小学生のとき、事故にあった。車に乗っているときだった。窓の外を眺めていた。突然、目の前の光景がすべて消えてしまったような気がして、目を閉じた。一緒に、体が浮くような感覚を感じた。耳のすぐ傍で、大きく不快な音がなっていた。耳をふさぎたくても、一瞬のことで体が反応できなかった。頭の中は真っ白になった。少しすると、浮遊感は消えた。でも、なにが起こったのかはわからなかった。だから、知りたくて目を開けた。車は横向きに倒れていた。窓も割れていて、ぐちゃぐちゃになっていた。とても居心地の悪い場所だった。今まで私がいた場所とは違って見えた。何処かにワープしてしまったのではないだろうか。そうおもえるほど、その場所は変わり果てていた。自分を閉じ込めているものが車なんだと信じられなかった。すごく居心地が悪くて、ただそこから出たかった。
少しして、頭の上にあるドアが開いた。ドアが開ききるのも待たずに、お母さんが叫んだ。
「こどもを先に。私はいいから、こどもを助けて。」
その言葉を聞いたとき、今まで感じていた不快感の正体が恐怖によるものなのだとわかった。そして、自分は助けられる状況にいるのだと自覚した。ドアの外から伸ばされた手は、迷わず私に向かってきた。外に出て初めて、なにがあったのかわかった。居心地の悪かったその場所は外から見てもとても不快なものだった。アルミ缶みたいに、ぐちゃぐちゃに潰れていた。それを見たら、やっとあの場所から逃げられたと思った。だけど、外から見るそれは、余計に私の恐怖心を煽った。怖かった。あの中にいたなんて。あんなにも車が脆いものだったなんて知らなかった。あの場所にいたとき、私はなにもすることが出来なかった。自分の力で外に出ることも助けを求めることも。なにも出来なかった。無力な自分が悔しかった。
その事故で大きな怪我をした人はいなかった。念のため、病院でいろいろな検査もした。誰も異常はなかった。回転して、いろんなところにぶつかって、あんなにぐちゃぐちゃになったものの中にいたのに。信じられなかった。運がよかった。事故にあっていて運がよかったなんて、不謹慎なのだろうか。でも、あのときシートベルトを着けていなかったら私はどうなっていたのだろう。生きていられただろうか。もう一度同じことが起こったら、私は死んでいるかもしれない。あまり考えたくもない。今生きていられるのは、きっと運がよかったのだと思う。
その日以降、私は無意識にシートベルトを着けるようになった。車が動いていなくても、席に座ったらまずシートベルトをするようになった。窮屈だとは思わなくなった。そのかわり、シートベルトをしないことが、怖くなった。
「少しだけだから大丈夫だよ。」
たしかにそうかもしれない。事故にあう確率なんてそう大きいものではないかもしれない。少しなら大丈夫かもしれない。でも、ダメだったらどうしよう。小さい確率が今あたってしまったら。私は、すごく怖い。
事故は怖いのもだと、命は大切なのだと小さいときからずっと教えられてきた。シートベルトは自分の命を守るためにするのだと何度も言われた。でも、事故にあうまではピンとこなかった。シートベルトをしなくても命を落としたことはなかったし、シートベルトをしなくても怖い思いをしたことがなかった。だからそんなもの必要ないと思っていた。味わったことのないことを想像するのは、すごく難しいことだと思う。私がどんなに怖かったと説明しても、その恐怖を味わったことのない人には伝わらない。味わったことがない人にはわからない。でもわかって欲しくない。あんなに怖い思い、しなくていいならそれが一番いい。私だって、もうあんな思いしたくないし、させたくない。もう二度と繰り返したくない。知らない方が幸せなこともある。それに、私は死にたくない。だれかを死なせたくもない。だから、そのために今の私が出来ることならなんでもする。今の私にできることは少ないかもしれないけれど、交通安全に気をつけることはできる。だから、交通安全には気をつける。きっと交通安全に気をつける理由なんて、それだけで充分だ。