第32話:Runaway
気怠さと共にその瞳を開けたアストリナム王。冷たい床の上ではなく、背中には柔らかいクッション性の弾力を感じていま自分がベッドに寝かせられている事に気が付く。
「うっ…」
そうして、目が覚めて、人を呼ぼうと声を出そうとするも、アストリナム王の喉からその声が出てくる事はなかった。
それで、己が気を失う前に王の間でリューレスト=オルグに襲われていた事を今更ながらに思い出す。
リューレスト=オルグ。
何故、彼があの様に自分を憎しむ様になってしまったのか…。
その理由を幾ら考えてもアストリナム王には心当たりが全く無かった。
「国王陛下、御目覚めになられましたか…」
と、アストリナム王の無情な回顧に割って入ってきた声。それに彼は顔をそちらの方へと向ける。そこには侍女に連れられて、丁度、王の寝室にやって来たベン=カリヤック国防大臣の姿があった。
「お互いに命を拾いましたな…」
そう告げて、カリヤックは疲れた表情を見せる。その後に聞かされる彼の報告はやはり無情な物であり、王の親衛隊の隊長を始め、多くの者が助からなかったという物、また、王城を防衛していた多くの騎士たちの死などや王都の民たちの死などが含まれていた。
「…魔法とは…魔術とは凄い物ですな…」
ポツリとカリヤック大臣が言葉を溢す。
そんな中でアストリナム王とカリヤック大臣が助かったのは、ひとえにカレンの回復魔法による物だった。
リューレスト=オルグを、その強力な魔法で退けたカレンは、次に急いでアストリナム王たちの安否を確認して、助かりそうだと見るや回復魔法を施して、二人を助けたのであった。
その事を朦朧とする意識の中で見ていたカリヤックは過去に七番姫と蔑んでいた姫がこれ程までに頼りになる人物であったという事実を知り、己の無知を恥ずかしんだと言う。
「カレリーナは…」
侍女から水の入ったコップを貰い、その喉を潤して漸く話せる様になったアストリナム王は、カリヤック大臣にそんなカレンの現在の様子を尋ねた。
「はい、専用の侍女と使い魔と呼ばれる黒髪の従者と城を周り、生存者や怪我人の様子見、治療を買って出て下さり、いま、それを終えて控えの間にて、その身を休ませております」
「そうか…」
「っ!? 陛下、何処へ!?」
「カレリーナの所だ…」
軋む身体に鞭を打ってアストリナム王は横たえるベッドから這い出ると、フラつく足元でカレリーナの居るという控えの間へと足を向ける。
カリヤック大臣は、それに何か言いたそうな顔をするが、この度の英雄に国王自らが出向き、話をするという行為に否はなく。
黙ってその後ろを着いてゆく事にするのだった。
未だ破壊されたままの王の間。その前を通り過ぎて、その近くに作られた控えの間へとやって来たアストリナム王は、自らの手でその部屋の扉を開ける。
「国王陛下!?」
カリヤック大臣が言った様にカレンはそこに居て、彼女はその豪華なソファーの上で寛いでいた。
「良い。楽にせよ…」
それを見て、アストリナム王はそのままでもいいと言う。
とはいえ、復帰そうそうであろう一国の王が自分たちの所へとやって来たとなれば、先程までさせてた様にソファーにダラリと寝そべり座っている訳にもいかず、カレンは立ち上がり、臣下の礼を取る。それに並んでカレン専用の侍女であるマリルも侍女らしく礼を取り、取り残された黒髪の少年ヒイロだけがボケっと椅子に座ったままとなった。
「これ! 貴様、畏れ多くも国王陛下の御成りだぞ! 臣下の礼を取らぬか!?」
「あえぇ!? あ、はいっ!!」
そして、それを見咎めたカリヤック大臣にヒイロは注意をされて、すぐ様、椅子から降りて臣下の礼を取るように促さられる。
「…良いと言った」
しかし、それをアストリナム王自らが取り下げ、カレンとマリルにも再度、楽にせよと言葉を掛ける。
そうして、ややあってカレンたちとアストリナム王が対面で座る形になり、漸く、話し合いが始まった。
「この度は、そちらの活躍、大義であった」
「はい」
最初に出たのは、この事件でのカレンたちの活躍を褒め称える言葉であり、後にそれに見合った勲章を授与する事をアストリナム王が確約する物だった。
それから、アストリナム王からカレンの身の内を心配する言葉が投げ掛けられて、カレンがそれに大丈夫だと答えた所でアストリナム王が、カリヤック大臣に医師を呼ぶ様に伝え、下がらせた。
「ですから、私は回復魔法を施しているので大丈夫だと申しております」
「だが、回復魔法も全てを飽和するほど万能とはいえまい。一度、医師に見て貰うが良い」
アストリナム王の最もな意見にヒイロは、しっかりした国王陛下だと思った。
だが、カレンの方はそう思わなかったらしく見るからに不機嫌となり、その表情は今にも舌打ちをしそうな勢いであった。
「何故、そうまでして私の、ワタクシのやりようを信じて下さらないのですか!!」
「そうではない」
「そうではありませんか!! ワタクシをこの城に連れてきた時からそう!! ワタクシの魔法も無駄だと切り捨てて、貴方は、父上はワタクシの意思を無視しておいでではないですか!!」
「そのような事は」
「あります!!」
段々とヒートアップしていくカレンの口上に一際、眉を困らせて、アストリナム王はカレンの事を宥めようとする。
だが、それがより一層にカレンに燃料を投下してしまったらしく、カレンはギラリとアストリナム王をその鋭い視線で睨み付ける。
「こちらが私の使い魔であるヒイロです。彼の剣技はあのリューレスト=オルグを上回り、私の助けになりました」
その言葉にアストリナム王はヒイロの方を向き、彼の顔を凝視する。
「黒髪、黒目か…」
急に話を振られたヒイロは一国の王に見れられてガシリと石の様に固まってしまう。
「それにワタクシの魔法!! それが決めて手で彼の不届き者リューレスト=オルグを退治せしめたのです」
「それはわかっておる。故に、その活躍に対して勲章を授与しようと、」
「いりません!!」
何だって!?
そう、声を上げそうになったのはヒイロであった。一国の王からその活躍を認められて勲章を授与されるという事の重大さを理解しているヒイロはカレンの言いようにとても驚いてしまう。
しかし、カレンは頑としてそれを受け取るつもりが無いことを伝え、代わりに別の事を要求したのだった。
「ワタクシの、私のシュフォンベルト家の復帰を願い上げ申します」
「それは…」
「ならぬと申されますか? しかし、私はそれだけの働きをしたと自負しております。臣下の考えるに、活躍した者にその欲しがる褒美を与えぬ王は愚王と侮られても仕方が無いかと存じ上げますが?」
「ちょっ、おい!?」
カレンのあまりの言い様にヒイロは思わずして声を上げて止めさせようとする。しかし、先にカレンから鼻先への平手打ちを喰らい、彼はソファーへと沈み込む。
「何故、そこまでシュフォンベルト家に拘る…」
「生家だからです」
「お前の生まれた家は、この王城だ」
「いいえ、私をここまで育て、愛を与えてくれたのはシュフォンベルト家です。故に、私はその否定を許しはしない!! シュフォンベルト家のカレンこそ、私の根幹を成すもの!!」
カレン=ギースライド・シュフォンベルト。
それこそが自分であり、その自分を育てくれたシュフォンベルト家こそが自分の居る場所である。
それが、カレンがずっと思っていた事である。
その為にカレンは魔法という学問、魔術に傾倒し、その力を溜め込み、活躍の場を求めた。
そして、こんにち、それは成ったのである。
なのに、この目の前アストリナム王といえば、口を開けば、シュフォンベルト家を認めないとばかり。
「それにシュフォンベルト家に拘っておられるのは、国王陛下の方ではないのですか?!」
「なに?」
だから、逆に言ってやった。
シュフォンベルト家に拘っているのは自分ではなくて、アストリナム王自身ではないのか、と。
「何故、頑なにシュフォンベルト家を目の敵になさるのですか!! シュフォンベルト家が、あの二人が何をしたというのですか!?」
「っ、黙りなさい、カレリーナ」
「カレリーナではありません! カレンです!!」
「カレリーナ!!」
お互い一歩も譲らず、話し合いにならないカレンとアストリナム王。じっと二人は睨み合う様に視線を交差させて、黙り込んでしまう。
「国王陛下?」
そこに女医師を伴ってカリヤック大臣が部屋へと帰ってくる。
そして、その部屋の出ていく前と出て行った後の雰囲気の違いに戸惑いながらも、医師をカレンの方へと促すと、彼女の様子を診察させる。
それに、カレンは黙って従い、全てをその女医師に見てもらう。
そして、医師が診察を終えて、カレンに何ら異常がない事をアストリナム王とカリヤック大臣に伝えると、どうだと言わんばかりにカレンは胸を張る。
「そうか。だが、二、三日は大人しくしておれ」
「っ!? このっ…!!」
だが、それでもカレンの身を心配するアストリナム王はカレンへと数日の安静期間を定めて、伝える。
それに、これ以上、何を言っても仕方が無いとカレンは怒りの表情で口を閉じてしまう。
「そこの…カレンの使い魔? 従者よ、そなたの名前を教えてはくれぬか」
それを見てアストリナム王もカレンとのこれ以上の問答が無理だと判断して、その意識をヒイロへと向けてきた。
「あ、は、はい。俺、じゃなくて私はヒイロ。ヒイロ=カガミと言います」
「ふむ、ヒイロ。そなたのその髪と瞳の黒の色は真の色か?」
「え? はい、そうですけど」
「さようか」
アストリナム王は、ヒイロの黒目黒髪を感慨深く見やるとスクリと立ち上がる。
「そなたにも勲章を授与する。それで、その身を立てて、カレンへとよくよく仕えるが良い」
そう言って、アストリナム王はもう話す事はないとカリヤック大臣を伴い、来た道と同じく自らの手で部屋のドアを締めて出ていくのであった。
そして、それから一週間が経過した。
逃げられた!!
リューレスト=オルグが王城を襲撃した日から一週間か経過し、その間に王城ではカレンとヒイロに勲章の授与がされた。王都ではハンターズギルドのハンター達のお陰もあって、未だ傷跡は残るものの安定を取り戻しつつあった。
そんな中で、久しぶりのゆったりとした時間を堪能していたカレンだが、丁度、一週間の朝、ヒイロが借りている部屋から彼が荷物ごとごっそり消えている事に気が付いて、彼が自分の元から逃げ出したのだと勘付いた。
まず、勲章の授与により、ヒイロに掛けられていたカレン誘拐の誤解が解けて、その指名手配が取り消された事。
そして、この一週間で気が緩んでカレンがヒイロへの監視を緩めていた事。
また、英雄ともてはやされて、ヒイロにも貢物が持ち込まれて、道具や装備が充実していた事。
等など数えれば切りがない事柄が合わさっての、この度の脱走である。
「あの、馬鹿下僕ぅ〜〜っ!!!」
それは、ヒイロにとっては当然の結論であったのだが、カレンにとっては当然ではなく、寝耳に水な話であった。
故に、ヒイロの勝手な行動に顔を真っ赤にして怒りの感情を示すのだった。
そして、その一方で、ヒイロはようやく、カレンたちの呪縛から逃れられてホッとしていた。
「勲章の授与から、冤罪の証明までして貰ったんだ。もう、あの国で俺を犯罪者として指名手配する意味はない。だから、大丈夫だよな?」
しかし、それでも万が一はある物だとヒイロは、何日も前から身支度を済ませると、その日、太陽も登らない内から王都アースラルを出ていく事にしたのだった。
「まぁ、あの白族の娘に見付かれば、また、使い魔だ、従者だ、と付き纏われていたのは確実ではあったろうな」
それに、背中に背負った魔剣アイゼルが同意を示したので、ヒイロはやはり己の決断は間違って無かったと確信したのであった。
「さて、それで主よ。これから、何処へ向かう?」
そんなヒイロの気持ちを理解してか、話題を切り替える様にして魔剣アイゼルがヒイロへと次の行き先を聞いてきた。
「なんか、アストリナム王国では英雄として崇められちまって色々と貰っちまったもんが沢山あってなぁ、道具、装備共に何処にでも行けそうなんだよなぁ」
リューレスト=オルグを倒した戦功、王都アースラルを魔物から守った戦功、そして、アストリナム王を守った戦功。色々と混ざって、民に流布されて、それはすぐ様、王都ならず王国全土に忽ちに拡がっていった。
そのお陰で、ヒイロはいまや時の人。
英雄と崇め奉られて、様々な派閥から様々な献上品を与えられていた。
流石に、その全部を持ってくる事は出来なかったが、旅に役に立ちそうな物はありったけ持ってきていたヒイロであった。
「ふむ、贅沢な話であるな。しかし、その中には主の目的となる道標となる物があったとは思えんが、もしかして、あったのか?」
それを聞いて、魔剣アイゼルはボロボロで牢屋に閉じ込められていた時のヒイロの事を思い出しながら、その貢物の中に目的地となる場所の手掛かりがあったのかと彼に問う。
「いや、それらしい物は無かったな…」
「そうか」
だが、もちろん、そんな訳がある筈なく。
結局、目的地は決まらず終い。
「たけど、手掛かりは別の所で見付けたよ」
「なに?」
と、終わりそうだったのをヒイロの言葉がそれを否定する。
彼は献上品の中にあったアストリナム王国周辺の地図を広げる。
「機械だ」
「機械?」
「そう、機械」
「機械…それはあの昆虫型の魔物の事か?」
アイゼルの言葉にヒイロは、うん、とひとつ頷く。
「機械ってぇーのは、俺の世界にもあった物だ」
「ほおっ」
「そして、あの我儘お嬢様のカレンお嬢様の様子を見るからに、この世界では珍しい物だってのが分かった」
「確かにな、長年生きている我にも機械とは初耳な言葉ではあった。まぁ、我が祠で眠っている間に出てきた新たな魔物かと言われれば、そうなのだろうと思ったが…主はそう思わなかったという事か」
「あぁ、機械は俺の世界にもあったものだって言ったろ?」
そして、この世界では物珍しい物だという。
ならば、機械は元々、この世界には無かった物だという事にならないだろうか。
そして、近年になって何者かによって作られたのではないかと、ヒイロは考えたのだった。
「なるほど、それは、つまり」
「あぁ、それは、つまり」
ヒイロ以外の異世界者がこの世界にもう一人紛れ混んでいる可能性を示している事になるのだった。
「場所は、西国の島国」
初めて昆虫型の魔物と対峙した時にマリルが語った事を信じるならば、目的の場所は、そこ。
ヒイロは広げた地図に指を走らせて、左へと差し向ける。
「俺がいま行くべき方角は、西だ!!」
…
…
…
…
…
…
アストリナム王国、王都アースラより、数百キロは離れたであろう森の中。
そこは薄暗く、不気味で、おおよそ人が入り込んで来そうにない場所であった。
森の中にあって、岩肌が剥き出しで、辺り一体は焼け焦げた様子で草花が真っ黒と炭化している。
「ぐ…っ…ぅぐっ…」
そこで、倒れ伏して微かな声を上げる者がいた。
白銀の長髪に白銀の瞳。
「あらぁ、生きとりましたかぁ。ほんま、しぶとい御方やわぁ」
その上半身には斜め一線に斬り傷があり、身体の所々が焼け焦げていた。
「あーあー、派手にやられてもうて」
そんな満身創痍な人物に紫色の衣に身を包んだ一人の男が話を掛けていく。
「意気揚々に単独判断で襲撃を仕掛けといてこの始末……アンタ、阿呆とちゃいますか?」
やれやれと、その紫色の衣の人物は掌を上にあげて、胸元でパァと両手を広げる。
それから、倒れ伏している白銀の男の身体を足蹴にする。
「聞いとりますか? リューレスト=オルグ親衛隊七番隊隊長殿…」
その紫色の衣を身に纏う男はかつて、アストリナム王国の王城の門番を勤めていた妙な訛りのある喋り口調の男であった。
「最初はあんなにすんなり簡単に入り込まれて、よぉやりますわぁとか思っとりましたが、まぁ、最後がアカン」
アンタ、何年潜んで、襲撃の時を待っとったと思っとるんですか? と、今度は腕に持った瓶から中の水を白銀の男、リューレスト=オルグへと振り掛ける。
「とりあえず、ウチで扱っとる傷薬ですわ。気休め程度ですけど、受け取って下さい。礼? あぁ、礼は要りませんわ…とりあえず、頑張って生き残って下さいね、リューレスト=オルグ隊長」
そうして、紫色の衣を纏った男は闇へと消えて行ったのであった。
これにて、第一部・完結でこざいます。
いやぁ、ここまで本当に長かった(三度目)。
何年も何年も前から書き始めて漸く、節目ですが、終わりを書けて、感慨もひとしおです。
もちろん、節目ですので、続きはあります。
ちょっとしたプロットと頭の中にしか未だ物語りは有りませんが、何とか力を振り絞って書いていきたいと思いますので、気長にお待ち頂ければと思います。
それでは、作者・オオトリページでした。
ここまで、お読み頂き、ありがとうございました。