第22話:浮遊大陸に、御用心!?(3)
思い通りにいく人生ではない。
そんな、事実に気が付いたのは、何歳ぐらいの時だったか。
それでも、きっと幸せはあるのだと信じて疑わなかった。
カレン=ギースライド=シュフォンベルトは閉じた瞳の奧の、暗闇に浮かぶ、あの懐かしき幼かった頃の憧憬を思い出していた。
母は、カレンが物心がついた頃にはすでに居らず、若くして亡くなったと聞いた。
父は何処かに居るとは教えられていたが会うことが叶わないのだと思っていた。
だって、父はカレンの知る限り、物心が付いてから、一度も会いに来てくれた事など無かったから。
だから、カレンは自分には愛してくれる両親は居ないのだと分かっていた。
『カレン、さぁ、お祖母様とリンドウ庭園でお茶をしましょう! リンドウの花がたくさん開いて、一面に笑顔を咲かせているのよ!』
それでも、カレンは不幸せだとは思わなかった。
だって、
『ふむ、茶菓子は甘く過ぎて好かんが、カレンが来るのならばワタシも行くとしよう』
『あら? アナタは呼んではいませんのよ? お茶会はワタクシとカレンの二人。ダナアーは、厨房で料理長とでもお酒でも飲んでらして?』
『なんだと? 馬鹿な! カレンが居てなぜワタシが呼ばれないのか、レーナ、それはありえんぞ。 カレンもお祖父様がいた方が良いだろう?』
だって、カレンにはこんなにも自分を愛してくれるお祖母様とお祖父様がいるのだもの。
これを幸せと呼ばないで、何を幸せと呼ぶのだろうか…。
何を…。
『お前は、このアストリナム国王の娘なのだ。いち臣下でしかないシュフォンベルト家にあまり拘るな…二人はお前とは会わぬよ』
そんなある時、カレンの父と言う男が現れた。
多くの武装兵団と自らも仰々しい鎧を身に纏うその男はシュフォンベルト領が属する、この国の王様らしかった。
そうして、その娘たるカレンは、その国の姫であるのだと唐突に告げられた。
それから、それを告げられた日より、あっという間にカレンはいままで暮らしていたシュフォンベルト領から引き離されて、王城へ、その一室に閉じ込められたのである。
勿論、お祖母様もお祖父様も何か国王という男に話をしていた。
きっと、何かしらの抗議をしていたのだろう。
だが、しかし、屋敷をぐるりと囲む物々しい武装兵団と国王という男の高圧的な態度に、最後は暗い顔でもってカレンを見送ったのだった。
仕方がない、仕方がないのだ。
お祖母様もお祖父様も貴族ではあるが、そこまで権力を持つ地位の貴族ではない。
あるのは長い歴史と古いお屋敷だけ。
そして、相手は貴族が仕えるべき国の王であり、また、カレンの父親であるという正当性が確かならば、小柄で争い事など好まない柔和な性格の二人に何が出来る事があろうか。
ただ、唯一。
唯一、出来る事があるとすれば…。
『国王陛下…そこの侍女…マリルはカレリーナ姫様が見出し、カレリーナ姫様が自ら望んで傍に置かれた直属の侍女にございます。何も分からない王城で色々と姫様のお世話をつつがなく行うことが出来るでしょう。どうか、どうか、その者も一緒にお連れ下さい…』
その時、すでにカレンに仕えていたカレンが自由に出来る侍女を、信頼出来るであろう侍女を一人、連れていくように進言する事だったのであろう。青白く、血の気の引いたような顔で、無表情の中、そう言葉を紡いだ祖母の顔がカレンの脳裏に浮かんで消えた。
そうして、始まった王城での暮らし。
それは、窮屈を極めたものだった。
一日のほとんどを室内で暮らし、一国の姫としての有るべき知識や常識を学ぶべく、一日も欠かす事無く勉学に励まされ、そして、決して、王城の外へは連れて行ってはくれない、そんな日々。
はっきり言って退屈であった。
何をしていたかと言えば、何もしていなかった。
強いて(しいて)言えば、シュフォンベルト家でも行っていた社交界や何かしらの儀典に御呼ばれされた時用の作法の授業くらいだろうか…。
しかし、それも、殆どをそつなく熟す事の出来るカレンにとって、ただの確認作業、貴族と王族との差異を覚える事、それも済めば、後はもうただただ同じことの繰り返し。
だから、カレンは退屈だった。
『ほぅ、お前が私の新しい妹か』
その退屈を変えたのは、この王城に来て初めてカレンの事をしっかりっと見据えて、語りかけてきてくれた女性。
『私の名前はエステア。甚だ遺憾ではあるが、お前も含めた姉妹たちの長をさせて貰っているよ』
苦みを含むもののニヤリとほくそ笑むその女性の名前は、アストリナム王国・第1王女エステア=アストリナム・デュ・フォン・ド・ベルト。肩まで伸ばした赤紫の髪とその頬に掛かる髪の毛を右手で払うようその仕草にはどこか魅了される様な色気があり、その癖、引き締まった表情は、鋭く射抜くような目にそれを触れさせない気高さと気品さが溢れていた。
『退屈か?』
そのカレンの心中へ真っすぐに問いかけられた言葉にカレンは自ずと頭を頷かせた。
『ならば、私の仕事をやろう。手伝え』
そう言って強引に作法の授業以外出ることの無かった部屋から彼女、エステアはカレンを連れ出した。
彼女の執務室に置かれた陳情書か何かの案件かの紙の束の数に、それで出来るタワーの数に驚いて。遠乗りだと外に連れ出されては、賊の鎮圧作戦にいつの間にか参加させられていることになったりしては驚いて。何より、あのいけ好かない父親であるアストリナム国王へと堂々とへりくだる事ことなく物を言うのに驚いた。
数日、数週間とエステア姉上と過ごすうちにカレンは彼女への憧れと崇拝、そして、信頼を持つことになったのは当然の事ようであった。
だが、退屈が変わり、次にやって来たのは苦痛だった。
『貴様が自分の…末妹であるな!!』
エステアにべったりだったカレンであったが、四六時中、彼女と一緒に居るというのは不可能な事であり、外交官としても国に従事するエステアが王国から居ない事はよくある事だった。
そんな日は、また、退屈な日々と退屈な部屋で過ごすことになっていたのだが、また、突如として現れた女性にカレンは強引に部屋から連れられて行く。
『自分は、アリィナ=S=アストリナム・デュ・フォン・ド・ベルト!! 貴様の姉であり、上から三番目の序列である』
そう言って現れたのは、濃い青紫の髪を持つ軍人気質な三番目の姉君であった。
移動、もしくは行動。その邪魔にならない様にと短く切りそろえられたその髪の毛。怒りを込めている居るのか、または、それがデフォルトなのか。強く真ん中に寄せられた眉毛と眉間の皺。その鋭い眼光は、何者も受け入れないといった風に冷たく攻撃的な様子だった。
『シュフォンベルトの家に居たにしては貧弱な身体をしているな…よろしい、自分が徹底的に鍛えてやる!!』
そうして、始まる地獄を思わせる王国軍さながらの修練だった。
三番目の姉君が行なうのは徒手による格闘戦、その基礎。
人を殴った事さえ無かった令嬢が顔を殴られ、腹を蹴られるという過重ともいえるその仕打ちは、
王城内では必要な時以外に外へと出ようとしないカレンへの仕置きとして見られていた節もあったほどだった。
いや、もしあしたら、そんな側面もあったのだろう。
理由は知らないが…。
『あまり根を詰め過ぎては何事も毒よ?』
二番目の姉であるミラが三番目の姉アリィナにそう言ってカレンを地獄の訓練から解放してくれたのは、どれくらいしてからだっただろうか。
何にせよ、彼女のその底の見えない包容力により、受け止められたカレンの体はもうボロボロで王国の姫と言える様な状態ではなくなっていた。
『ふん…まぁ、いいだろう。しかし、覚えて置くことだ末妹。欲しければ殴り倒してでも求めよ』
ミラに敬礼して去っていくアリィナは、カレンにその言葉を何度も告げた。
『欲しければ殴り倒してでも求めよ』
それはあの地獄の様な修練の日々で唯一、カレンが心で学んだ事だった。
幸せだった日々、退屈だった日々、素敵だった日々、そして、地獄の様だった日々。
「はぁあああああっ!!」
思い通りにいく人生ではない。
そんな、事実に気が付いたのは、何歳ぐらいの時だったか。
それでも、きっと幸せはあるのだと信じて疑わなかった。
あの過ごした日々は、今でもカレンの宝物だから。
しかし、それはとても困難な事だとも思い始めた。
だから、カレンは拳を握る。
欲しいものを求める為に…。
その障害を排除する為に…。
気に食わない事を粉砕する為に…。
「ん? は? Ms.シュフォンベルト? なにをぐっ、へえぇぇぇぇええっ!!」
「ハッ!! どうよ!? ブリフナルトの優男!! 怪人だか幽霊だか、そんなのじゃなければ私だって、このくらい!!!」
だから、カレンは握った拳で殴り倒す。
…
…
…
…
…
…
…
…
人が吹っ飛ぶ。
そんな光景が当たり前の様になってはいけないのだとヒイロは思うのだった。
「きゃぁーーーー!! ロックウォードさまぁーーー!?」
「いやーーーー!! ロックウォード様ぁーーーーー!?」
「あぁあーーん、飛ぶ姿も素敵だわぁーーーー!!」
ましてや、素敵とか…ない。
「はぁあ~っ!! ようやく、あの時の憂さを晴らす事が出来たわ」
「お見事でございます、カレン様」
ほら、そんな事を言ってるから、人を一人、暴力で吹っ飛ばしたのにこの娘ったら戸惑いも反省もないじゃあないか。
怖い。
「さて、待たせたわね? 私の従者(?)さん?」
振り返りながらニッコリとほほ笑む桃色の髪を靡かせた魔法使いの女の子。
あれ? 魔法ってなんだ?
怖い。
ロックウォードの登場でにわかに希望の光が差したかに見えたヒイロ。
が、しかし、そんなぁ事ぁ、無かった。
待たせたわね、なんて目の前の少女は言うが、敢えて言おう。
待ってない。
ヒイロの心情的にもそうであるが、ロックウォードに如何にして自分の分の怒りを差し向けるかを思案した。その物の数秒後にその生贄ことロックウォードが宙を舞う。
そんな、そんな時間的にも待つことのなかった現象にヒイロは恐れ慄いた。
嫌だわ、ひょっとして、この人…脳筋!?
今更、気づいたって遅いのだろうが、改めて振り返ってみると、少女カレンの行動は脳筋のそれに近かった。
「じゃ、とりあえず、一発…」
そんな、飲み屋のサラリーマンじゃないのだから。
とりあえず、ビール。
みたいに、暴力を振るわなくてもとヒイロはさらに恐怖した。
「レモンサワーとかにしない?」
「はっ?」
「ひぃっ!?」
なので、もっと別の物でもいいじゃない、とヒイロが言葉にするが即座にカレンが怒気で切り返してきたので彼はびくりと身を震わせる。
アカン、試合終了や、と。
「あぁ、店員君、僕、いつもの」
「あ”っ!?」
しかし、奇跡は起こる。
諦めたら終了だろう、と。
「アンタ、なに?」
「ん?」
突如としてヒイロとカレンの間に割って入って来た人物は、ヒイロがこの厨房に出入りした時から見知った少年だった。
「ボクは、アリウスだ」
アリウス=ベナ=ツィクト。
白銀の髪と眉。
白い肌と合い間って真っ白な雪を思い起こさせるその容姿は儚く美しい。
「男じゃなかったらな…」
ぽつりと呟くヒイロの嘆き。
この白銀の少年の性別が自分と同じでなかったら、ヒイロも素直に美しいと称賛した事だろう。
が、駄目。
この人物は男。
しかも、イケメン。
幼い印象が先立つ物のその容姿は類稀なるイケてるメンズなのである。
「店員君、いつもの」
「はい、クルミのパンにコーンポタージュ。サラダとミルクですね」
「ん、そう」
ニッコリと笑みを浮かべるその様は可憐な美少女であるが、男。
実に残念でならないヒイロなのであった。
「いや、そうじゃない。なに、アンタ? いま、私がこいつと話してるんだけど、って言ってんの!!」
嫌だわ、柄が悪い。
不良かしら?
眉を寄せて、恫喝するかの如くアリウスに睨みを聞かせるカレンにヒイロは傍観者を決め込む。
我関せず。我関せず。我他人なり。
そう念じながら、ヒイロは『この人たちと僕は無関係です、はい』とばかりに逃げ出す様にして厨房へと下がるのだ。
彼は危機を脱した。
「あ、早めにお願いするよ店員君」
「……」
かに見えたが、それは一時的な退避でしかないようで、逃げるヒイロの背中にアリウスの言葉とついでにカレンの射殺す様な視線が向けられた。
それで、彼が厨房へと逃げ返れば、
「おい、どうゆう事だよ、おい?」
と、厨房の先輩方もヒイロを囲み、そう問うてくるのだった。
「どうゆう事と言われても…」
だが、ここの所、自分に起きている目まぐるしいまでの環境の変化にヒイロでさえもほとんど今現在の状況に理解が及ばない訳で、ヒイロの肩を組み問うてくる先輩の一人の言葉にどう答えれば良いか分かるはずもなく。
「おや? 厨房の方々はご存じないのですか? 彼は天才と名高いMs.シュフォンベルトの従者であるのですよ」
そんなヒイロの代わりに返答したのは、いつの間にか厨房へとやって来たロックウォードであった。
「お前…」
「ふっ、いつの間にとでも言いたげだね。まぁ、僕くらいになると人に気づかれずに移動するなんて朝飯前さ」
シャランラーン♪と擬音が付きそうな手つきで前髪を弄りながらロックウォードがそう宣う。
「いや、お前、鼻血出てる」
「ふがっ?!」
しかし、格好の悪い事に彼の鼻からは先ほどカレンから受けた鉄拳にて鮮血が流れ出ている。
そんな様子で格好を付けられてもヒイロには哀れという感情しか湧かないのである。
「ゴホン、つまりですね」
無理やり誤魔化しやがったよ。
ササッと鼻血を拭い、ロックウォードは何事もなかったかの様に話を続ける。
ヒイロと厨房に居る全員がシラッとした視線を向けているのだが、彼はどうやら気にしない様子だ。
「このヒイロという少年は、Ms.シュフォンベルトの従者としてこの魔術学院に在籍登録しているのですよ、厨房雑務員の方々…」
すると、ロックウォードの言葉に小さく厨房内がざわつき始める。
「本当か?」
そんな中、代表して一人の先輩がヒイロに確認をしてくる。
確かに先ほどあの桃色髪の少女カレンがそんな事を言っていた。
というか、何なら、ここに来る前から下僕認定されていた訳で、ヒイロは仕方なくそれはもう渋々と頭を縦に振るしかない。
「おいおい、なんだってそんな奴が雑務員なんてやってんだ?」
そうするヒイロを見て、他の先輩達も口々に驚きの声を上げ始める。
いや、それにはもう偶然という偶然が重なったとしか言えないのだが…。
なんて、そう言うと、そんな訳ないだろうと一斉に皆に返されるヒイロ。
「まぁまぁ、厨房の諸君。何にせよ、驚くことはそこだけではないのだよ」
それを手を上げて静粛にしてくれと周りをロックウォードが宥める。
彼が貴族で有る為か厨房内の雑務員の皆が彼の言葉を文句も無く受け入れる。
彼はそうやって静かになった厨房内を確かめてから、ヒイロへと体を向き直す。
「あの白銀の髪を持つ彼と随分と親しい様だが…どういう関係かな?」
そんな質問にヒイロは首を傾げて、ただの客と店員だが? と返した。
「…覚えて貰っていると?」
しかし、更に問うてくるロックウォードの言葉。
「いや、俺たちも不思議には思ってたんですわ」
そんなヒイロとロックウォードのやり取りに厨房の先輩達も何故か頷き始めた。
「確かになぁ、俺らの誰一人としてあのお方に『いつもの』なんて親しく言葉を掛けられたことはねぇ」
「他のお貴族の坊ちゃま嬢ちゃま達からは多少顔を覚えられ、何人かは馴染みにして貰ってはいるが…あの方がそんな事をするなんて思ってもみなかった」
なんて口々にしながら、俺も俺もと皆が賛同し合っている。
何なんだ? と周りのそんな反応にヒイロは困惑する。
「いや、それは僕たち魔法学院の生徒でも同じさ。彼にそんなに気安く声を掛けられる人間なんていない。例外として、彼の担当教務員であるヴェルナ女史くらいだろう」
君ぐらいだよ、同年代でそんなにも友好的な関係を築き上げている人物は、とそう言ってロックウォードはヒイロを見据える。
かなりの高位の魔法力を有しており、魔術学院内でも一目を置かれて、その強大な力にて畏怖されている。
しかし、誰とも与する事のない魔術師。
それが、アリウス=ベナ=ツィクトである。
過去にそんな誰とも関係を持とうとしない彼に貴族階級で自尊心の強い魔術学院の生徒の一部がちょっかいを掛けた事があった。
ちょっとした悪戯だったのか、悪意のある攻撃だったのか、どちらにしてもそれは彼らにとって大きな失敗だった。
何故なら貴族階級で自尊心の強い魔術学院の生徒の一部は、その日の内に魔術学院を去ることになったのだから。
それは魔術学院側が騒ぎを起こした彼らに与えた罰則による物ではない。
その件について魔術学院側は沈黙を保ったのである.
しかし、彼らは領地静養という名目で学院を去ったのであった。
そして、未だに彼らが帰ってくる気配はない。
つまり、彼らアリウス=ベナ=ツィクトにちょっかいを掛けた貴族階級で自尊心の強い魔術学院の生徒の一部は、他でもないアリウス=ベナ=ツィクトに何らかの返り討ちを受けて、再起を不可能にされたのである。
それから、その事を知った正義感の強さで有名な一人の生徒が彼を咎めた。
何度も、彼が非を認める事をするまで何度もだ。
しかし、そんな彼が最終的に答えた言葉はあまりにも雑な物だった。
『誰? それ? それと、君は誰?』
どうでもいい相手。
そんな相手を再起不能にする高位の魔術師。
また、誰とも与しない彼は誰の名前も人となりも知ろうとはしない。
知ったとしても、すぐに忘れてしまうのだろう。
それを理解した残りの魔術学院の生徒たちは一様に、アリウス=ベナ=ツィクトに恐怖した。
『忘却の魔術師』
それがアリウス=ベナ=ツィクトに付いている二つ名だった。
どういった理由でその名が付いたのかを魔術学院の生徒の中で知る者は居ない。
しかし、理解の出来た者は居た。
それも、多く。
かなり多くの者が、だ。
忘れてしまうのだ、自分と与する事も無い存在の事など。
覚える必要が無いのだ、自分より劣る格下の存在の事など。
そして、彼に敵対すればその名の通り、忘却の彼方へと誘われるのである。
「だというのに、君の存在をアリウス=ベナ=ツィクトは認めている。忘れ去られていない」
解るかい? その驚くべき事柄が。
ロックウォードの語りにまたもや厨房の誰もが賛同する様に頷く。
それは、とても異常な事なのだと…。
「そうそう、アリウス=ベナ=ツィクトは…君の主人であるMs.シュフォンベルトの事も忘れるんだ」
何気なく放たれた言葉。
それに呼応するかの如く、ヒイロが先ほど居た食堂のカウンター前で怒号が上がる。
「ふっざけんじゃないわよ!! 毎回毎回、君は誰ですって? この魔術学院で天才と言われる私を知らないなんて言わせないないわよ!!」
それは、確かめる事も無くカレンの物だと分かる怒号。
「天才として名高いMs.シュフォンベルトだが、アリウス=ベナ=ツィクトもまた同じく天才と言われている…そんな相手に知らぬ存ぜぬと言われて彼女が激高しない筈もないね」
確かにあの沸点の低くかろう怒りんぼうが、アリウスの言葉を流す事が出来るとは考えにくい。
「ぶっ飛ばしてやるわ!!」
そうして、始まる超獣大戦。
「止めてきてくれ…」
青白い顔で、クルミのパンにコーンポタージュ、それとサラダとミルクが乗った配膳の盆をヒイロに差し出す先輩。
周りを見れば皆が顔を背けて明後日の方向を見ている。
これは、なんというか、その…。
マジですか?