第13話:君成す出逢いに、御用心!?(9)
カビ臭い地下の牢獄。王城の敷地内に作られたというのに、そこは陰気が漂う場所だった。
牢獄というのは、場所を問わずそういう物なのだろうか。カレンは地下へと続いた階段を降り立って辺りを見渡した。
地上にあった階段を降りたら、もうそこが地下牢だ。
降りた先にテーブルがイスと共に置かれ、見張り番がそこで牢屋に入る者たちを監視している。
筈なのだが、見張り番は眠っていた。
テーブルには遊戯用のカードをバラまかせて、食べ掛けのサンドイッチは散らかり、見す張り番の二人はイビキを掻き立てながら眠っていたのだ。
「ねぇ、これは私の幸運を喜ぶべきかしら? それともこの国の未来を心配するべきなのかしら?」
貴女はどちらだと思う?と、カレンは自分の隣で静かに佇むメイドのマリルに問い掛けた。
「ま、別に私の考える事では無いけど」
そして、マリルの答えを待たずにカレンは一番奥の牢に近付いて行った。
古びた石造りの壁と錆びた鉄の格子の中、そこに彼は居た。牢獄の隅っこで体を丸めて寝転がって、ボロの服はそのままに、荷物、剣やナイフは取り上げられて牢獄に入れられたようだ。
「……ねぇ、ちょっと」
そんな彼になんと声を掛けたら良いか迷った挙げ句、カレンは、ただ呼び掛ける。
今は時間が少しでも惜しい。
「……」
しかし、彼女に呼ばれた彼は返事を返すどころか微動だにしない。そんな彼の態度にカレリーナはピクッと片方の眉を上げる。
「ちょっ…」
そして、一拍ほど置いてから、再び、牢屋の彼に声を掛けようとした所で、ようやく、彼が体を起こす。
振り返りこちらを見るその少年の顔に、地下牢という暗がりが影を落とし、カレンの位置からはその表情を確かに伺う事が出来ない。
しかし、それでもカレンが戸惑う程に彼から重苦しい空気がカレンの方に流れてきていた。
「何か用かよ?」
不機嫌な様子が分かる。
それもそうだろう、だって、一国の姫を助けたのにも関わらず、牢屋に入れられているだ。感謝をされればこそ、このような仕打ちを受ける謂われはないのだ。
(だけど)
それでも、自分はそれを利用する。
それが、カレンの選んだ答えだった。
「明日、貴方の処刑が下されることになったわ」
「...」
彼からの反応はない。
突然の事に理解していないのか、或いは...。
「私と一緒に来なさい」
「はぁ?」
...
...
...
....
...
...
...
...
...
...
...
...
...
被害妄想だと思わなくもない。
最初はそう考えていた。
だけど、それにしては重なって来すぎだと思った。
気が付いたらいつも自分が不利な状況になっていた。
だから、なんて、不幸なんだって思わずには居られなかった。
「だ・か・ら、下僕よ!下僕!」
真夜中に揺れる馬車の中で、ヒイロの耳に甲高い声が入ってくる。
馬鹿げた話だが、あのまま牢屋に居たら、ヒイロは処刑され、殺されてしまうらしい。
何故だ、とは思ったが、またか、とも思った。
それから、少し疲れていたし、なんだか考えるのが面倒になってしまった。
そんな時に目の前の少女、カレンが言った。
自分と一緒に来いと、いや、ここから出してやるから取り引きをしないか、と言った。
だから、なんとなく、ただなんとなく彼女が差し出した手に、ヒイロは自分の手を差し出してしまった。
それから、どうやったのか、カレンの隣に佇むメイドのマリルという女性が牢屋の鍵を開け、前もって用意していたのだろう馬車に有無をいわさず乗せられて、一段落が着いたかと思った矢先、いきなり『アンタ、いまから私の下僕ね』である。
思わず、『はあ?』と大文字を二個ほど並べた返事をしてしまうのも無理はないとヒイロは思った。
ただ、返事をされた方は、堪に触ったらしく先ほどの叫びとなってヒイロにそれを返してきたのである。
「だいたい、下僕ってなんだよ?何をすればいいんだっの!?」
いい加減に、下僕、下僕と同じ単語を繰り返すカレンにヒイロは苛立ちを見せる。
そもそも、下僕とはどういう事か。
目の前の少女が姫君という事からすれば、配下になれという事なのだろうか。
「そんなのっ!......」
苛立ちには苛立ちを、語気を荒らげたヒイロにカレンも語気を荒らげるのだが...。
「えっと...」
その先の言葉が続かず、彼女はマリルを見る。
「あらゆる命令にしたがい雑用などを行うという事でいいのではないでしょうか?命をかけて...死ぬまで」
すると、視線を受けたマリルが馬車を牽く馬のたずなを握り締めながらも淡々とカレンの言葉を引き継いでとんでもない事を言い出した。
「な、え、死ぬまで?」
「当然の事でしょう。貴方はカレン様に命を助けられた身の上なのですから...」
「ちょっと待て。なんだ、それは!?そもそも、そうなった原因はそのカレン様にある筈だ。そして、俺はその命を助けた。なら...」
「なら、貴方を助ける事は当たり前だと?」
冷たい瞳だと思った。
顔を正面に横目ながらマリルが自分を見る視線。それが、ついこの間まで自分に向けられていた視線と重なって、ヒイロはマリルから目を逸らしてしまう。
「一国の姫君が賊に襲われていた現場に居た事。持っていた剣は抜き身で衛兵に捕まり、身元不明...そもそも、賊から助けたというのは真実なのでしょうか」
責める様な目。
それがヒイロを萎縮させる。
例え、それが謂われのない視線だとしても...。
「と、とにかく、最初に言った様に、アンタは私の下僕として振る舞っていればいいわ」
何とも言えない空気になりつつあるのを感じてかカレンが話しを締め括る。
いや、すでに場の空気は最悪だ。
だが、ヒイロにとってそれはもうどうでも良かった。
これから、どうするべきか、それが問題だと考え始めていたのである。
確かに彼女らには牢屋から出して貰い、処刑されてしまう所を助けて貰ったという事実があるのだろう。
だが、原因はその内の一人にあるのだから、プラスもマイナスもない。
なら、次はこの馬車から逃げ出すか?
未だ、真夜中の街。
さて、かなりの速さで走る馬車から身一つで逃げ出せる猛者とは果たして...。
流石にそれは自分ではないなとヒイロは頭を振る。
(アイゼルがあれば...)
自分はただの一般人。
ならば、魔剣があれば、どうか。
「...」
しかし、いま手元にそれはない。
牢屋に入れられる際に取り上げられたのだ。
だが、牢屋を抜け出す際にマリルがそれらしき物を持ち出していたのをヒイロは確認している。
持ち主の自分に未だ返されていないのは、先ほどの言葉から考えるに自分が信用されていないからだろうとヒイロは思った。
馬車に積まれた荷物にも、それらしき物は見当たらない。
意図的に隠されているのだ。
(くっそ...)
まただ。
また、自分の身の丈に合わない厄介事がやって来た。
魔剣があれば、或いはなんて考えていた自分が滑稽だった。
(処刑される?下僕になれ?ふざけんな!)
どうすればいい。
とうしたらいい。
考えれば考えるほど頭の中が鈍くなっていく様にヒイロは感じた。
それから、疲労感が体を重くしているなと思った。
瞬間、それを意識したからか強い眠気がヒイロを襲い始める。
駄目だ、何か対策を考えなくては...。
いや、とりあえず、いまは眠ろうか...。
鈍った頭の中でそんな二つの思考がぶつかり続ける。
そして、ヒイロはいつの間にか瞼を閉じてしまっていた。
ハッとなって目を覚ましたのは、ガヤガヤと騒がしかったからだ。
しまった、いま何時だ?
なんて、習慣的な思考回路が廻った後、いや、違う。ここは、何処だ?と、正常に回路が廻り始める。
馬車の中に居るのは覚えている。
目を開けて入ってきた視界が布の天井で、茶系の布に覆われた馬車の屋根だと理解出来たから...。
問題は、すでに馬車が止まっている事だ。
どうやら、自分を助けてくれたらしい彼女たちの目的地に着いたらしいな、とヒイロは思った。
彼女たちは外だろう。
荷台の後ろから覆われる布を暖簾の様に分け押してヒイロも外へと出ていく。
射し込んできた光にヒイロは目を細めて、腕で顔を隠す。
すでに夜は明けて、太陽が出ていた。
「あら、起きたのね。まったく、いい気なものね」
目が慣れてきたと同時に声が掛かって、そちらの方を向くと桃色の髪を風に靡かせた少女、カレンが立っていた。
と、同時に彼女の後ろに何やら可笑しな物体を目撃して、ようやく廻り始めた筈の思考をヒイロは停止させてしまう。
「ほら、行くわよ。最後の荷物くらいは運びなさい、下僕!」
「いや、おい...」
それから、再び、カレンに声を掛けられて、彼女がその可笑しな物体の方へと歩みを進め様とした所で、ようやくヒイロは正気を取り戻して彼女に質問をした。
「い、行くって、何処にだよ?てか、ここは何処だよ!?」
「何処って...」
カレンは辺りを見渡してから、再び、視線をヒイロへと戻す。
「ここは港よ!見れば、分かるじゃない?」
馬鹿ね、とでも言いたげなカレンの眼差し。
いや、確かに、確かに、辺りを見渡せば、青い海が見える。潮風が吹いている。向こうに見えるいくつかの船は海の上、波に揺られている。
「あの、俺の目が可笑しいのでしょうか?」
でも、だが、だけど...。
「そこの船、宙に浮いている様に見えるんですけど?」