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第11話:君成す出逢いに、御用心!?(7)



 目の前が遠くなるとはこの事だろうか。

 体はそこにあるのに、頭だけが大きく後方に仰け反り、意識だけが何処か遠くにある様子。はっきりと混濁する意識に視覚が着いて行かず、目の前が霞が掛かった様に、もしくは、濁った様に見える。


 まさに、ヒイロはその様な状態であった。




(あり得ないだろ、こんなの…)




 そこへ、銀に色付いた鉄仮面を付けた男からの更なる強烈な一撃がヒイロに襲いかかる。

 思わずしてその一撃を魔剣アイゼルで受け止めたヒイロだが、そのあまりの衝撃の強さに魔剣アイゼルが虚空へと跳ね上げられる。その勢いは、魔剣アイゼルを包み納めていたボロの布キレが空へ広がり舞い上がるほどだ。

 と、一瞬、その刀身を露にした魔剣アイゼルに鉄仮面の男が怯んだように動きを止める。

 だが、それはまさしく一瞬であり男は即座にその身体を動かし、再びヒイロへと迫った。


 街の風景にこびり付いたかの様に深く黒ずんだ暗闇から煌めく鋭い一閃が走る。

 それにヒイロが漠然と感じる何かにその体を硬直させるも、咄嗟にその手を握り締めて魔剣アイゼルを前へと突き出す。



「っ!」




 だが、その時、ヒイロは己の手に起こった異変に気が付いてしまう。




(手が痺れて…)




 そう、先ほど受けた一撃により、ヒイロの手はその感覚を半ば失いつつあったのだ。


 よくよく見ればフルフルと自分の手は小刻みに震え、掲げた魔剣もどこか覚束無いではないか。


 だが、しかし、それでも迫り来る目の前の者は待ってはくれない。


 そして、瞬きさえも許されない程の鋭い一撃が再び。




「っにぃいっ!?」




 迫る来る刃にヒイロは不様(ぶざま)ながらも地べたにひれ伏し、その身を倒してなんと避けてみせる。




「っ?! っ!? アンタ、頭どうかしてんのか!? いいから、こんな馬鹿な事をしてないで、とにかく、その剣を…ひぁっ!?」



 

 バクバクと重く脈打つ心臓の動きを全身で感じながら、ヒイロはこの場をどうにかして切り抜けようと鉄仮面の男の説得を試みる。


 だが、鉄仮面の男にとってそれは無意味な問答であり、無防備にも地べたに這いつくばったヒイロへと再び斬り掛かってきた。



「んなっ!? じ、冗談じゃないぞ!? 正気かよ、アンタ!?」



 それでようやく、ヒイロはこの鉄仮面の男が普通でない事を、自分などでは説得なんか出来るような相手では無い事を理解する。




「クソッたれ、この馬鹿!! 犯罪者!! 訴えてやるっ!!」



 鉄仮面の男の思ってもみなかった対応にヒイロは地面を転げるように逃げ、口汚く罵倒を繰り返す。


 だが、男はそれを気にする風も無く、更に次から次へと容赦の無い攻撃でヒイロへと襲い掛かって来る。

 彼の手にする鉄の剣が振り抜かれる度に背筋も凍るような切り裂き音が暗闇の空間で奏でられ、恐怖を煽る。

 ヒイロは必死になって逃げ惑った。

 チリチリと小さく、しかし、尖った熱が彼の後頭部を焦がしていく。



「クソッたれ…」




 何故、また、こんな訳も分からない状況になっているのだ。

 こんな奴に知り合いはいない。

 怨みを買った記憶もない。

 では、何故、自分はこんな奴に襲われているのだ。





「…クソッたれ!」





 鉄仮面の男に襲われ続けながらヒイロは、すでに答えを出しているであろう問に自問自答を繰り返す。

 分かっている。

 理解している。

 だからこそ、そう、だからこそ彼の背中に、嫌に冷やかな汗がベッタリと張り付いているのであった。











 こんな馬鹿な話が有るものか。



 怪人と名乗り、鉄の剣を振り回す男を目の前にしてカレンは呆然としていた。

 実質、馬鹿げた与太話だと思っていた。

 黒髪の少年にその話をしていた時でさえ、何か適当にと出した程度の話である。


 いや、更に言えば、フローアとの一件から、何としてもでも黒髪の少年を自分の元へと繋ぎ止めて置かなければならない、という打算の中で、あの時、すぐにでも自分と別れようとしていた彼に『か弱い自分を得体の知れないものから守る為に同行せよ』という大義名分を与える為に丁度良い与太話でもあったのである。

 そして、遡れば、城を抜け出す口実にして、あの大嫌いな『アストリナム国王』でも困らせてやろう…と。



 そう、そんな程度の認識だったのだ。



 その噂が真実であろうが、嘘であろうが、そこはどうでも良かった。

 いや、信じてなど微塵も無かったのだ。 その噂と相まって城内が、国王が、困ってしまえば良いと。

 黒髪の少年が自分と同行し、城までやってくれば良いと。

 ただ、それだけの話。




 だが、しかし、現実はどうであろう。

 確かに、あの鉄仮面の男は自らが怪人ギュソーであると言った。自分の耳が確かならば、目の前のアレは確かにそう名を名乗ったのである。




「そんな馬鹿げた話…」





 ある訳が無い。

 鉄仮面の怪人が黒髪の少年を襲っている現実を目の前にしても尚、カレンは未だ否定の言葉を呟かずには居られなかった。

 だって、この様なふざけた話で、この様な馬鹿げた事で…。





「ガッ!?」




 と、そんなカレンの呟きに怪人ギュソーが反応したのか、彼の仮面の下からギラリと嫌な光が放たれる。

 そして、それと同じくして地べたを転げるように逃げ惑っていた黒髪の少年の腹を怪人ギュソーの足が手加減も無しに蹴り上げたのである。


 あまりに予想だにしないその重い一撃に黒髪の少年は有無も無く腹を抱えて(うずくま)ってしまう。



 そして――



「っッ!?」





 カレンの鼓動が一度、強く脈を打ったが早いか、それとも怪人ギュソーが彼女に向かって剣を差し向けたが早いか。


 どちらにせよ、ギュソーとカレンの間にあった十数メートルもの距離は瞬く間に縮まり、鉄の剣が彼女の頭の直ぐ真上を横切った。



「ちょっ!?」




 かろうじて、間一髪の所で身を屈めて剣を避けたカレンに傷は1つとして無い。

 だが、しかし、いま彼女が間一髪にでも避けなければ、確かに彼女の首は切断されていたはずである。

 そして、それは、この鉄仮面の怪人が本気で彼女の事を殺そとしたという事に他ならない意味を持つ。

 ゾワッとそんな事実に遅れ()せながらに気が付いて、カレンの背筋に鳥肌が一気に沸き立った。




「な…なんなのよ、あんた!?」



 私に何か恨みでもある訳?

 カレンはギュソーを訴える様にして睨み付ける。


 しかし、どうでもよいとばかりにギュソーは、地面に倒れる彼女に躊躇する事も無く再び剣を振り落とす。




「なっ!? うぅっ!!」



 それをカレンは両手で地面を弾く様に身体を跳ね上げ動かして、なんとか逃れる。

 が、わずかに、わずかに逃げ切れなかった彼女のスカートの端が剣の切っ先に引っ掛かり、スッパリと二手に切り裂かれてしまった。



(…こいつ、本気で私のこと殺しに来てる!?)



 ひらひらと揺れる二手に切り裂かれたスカートの端。

 もしあのまま、その場に居たとしたなら、この二つと切り裂かれていたのは、きっと…。



 ゾッと今度はカレンの全身に寒気が走り抜けた。



 果たして、この得体の知れない怪人の目的は一体!?



 ギュソーはその敵意を、或いは殺意を、全く隠そうとせずに真っ直ぐにカレンへと剣の刃を差し向ける。

 寒気を感じているはずのカレンの肌から汗が噴き出していく。

 呼吸が乱れ、膝や足がまるで絹糸の様に、くにゃりと芯が柔らかくなり、直立に律せない。

 そのくせ、腰だけは鉛りの様に重く、自重は下へと向けられ、カレンは立ち上がる処か体を持ち上げる事さえ出来ないでいた。

 両膝を地面に寝かせ、なんとか両手を支えに上半身をあげる彼女にギュソーの冷たい視線が鋭く刺さる。

 憎しみ、または怒り、いや、それとも哀れみか。

 どれとも付かないギュソーの瞳の光りは、未だ淡く下界を照らす月光の仕業。

 しかし、無情にもそれに気付く者はここには居らず、後はただギュソーが力も無く地べたへと座り込む少女へと、その冷たい刃を突き刺すだけとなる。




「…なによ」




 人生とはこうも儚く、また唐突に終わるものなのか。


 瞳を閉じて呟いたカレンの心の暗闇に、そんな言葉がぽつりと浮かぶ。

 恐怖に震えた身体を捨てて、内に閉ざして逃げた彼女の心。

 その内で、彼女は時が経つのをただ待つだけだ。

 もうすぐ来るであろう衝撃に小さく唇を噛み締めて、棒か何かで叩かれた痛みを思い起こし、しかし、そんなものなどとは比べ物にならない事を理解しながら、カレンは知らない痛みに覚悟する。




(嫌よ…。やっぱり、嫌っ!? どうして、どうして、私ばかりが、こんな…)




 閉ざした心の中でカレンが叫び声をあげる。

 これでは自分にとって、あまりにも理不尽な結末ではないか、と。

 きっと、痛みは想像を絶するものであり、死に至るかもしれないものであろう。

 例え、一撃目で死に至らなかったとしても、この鉄仮面の怪物は即座に次を用意するはずであろう。



 一体、自分が何をしたのか!?



 この鉄仮面の化け物に殺される様な非道を働いた覚えなど自分には欠片も無い。




 これが、神が自分に与えた罰ならば、いまここで教えて欲しい。


 そうまでして命を奪われる私の罪は一体、何であるのか!?



 私は頑張っていたはずだ。

 理不尽にも幸運とは言えない人生の中で、私は頑張っていたはずだ。

 だって、私は―――




『ねぇ、カレン…』




 ―――私は。




『確かに、いま貴女にはお母様と呼べる人やお父様と呼べる人は居ないわ。でも…けれどね、貴女には私達が居るでしょ? 貴女は、シュフォンベルト家の…いいえ、私達夫婦の大事な大事な宝物なのよ。そう、だから、私達はずっと…ずっーと、一緒よ』




 ―――私は、カレン・ギースライド=シュフォンベルト。





『まぁ、凄いわ!? カレン、貴女、全ての属性の魔法を使えるのね!? なんて、子なの!? やっぱり、貴女は神様に愛された子なのね!?』




 ―――私は、カレン・ギースライド=シュフォンベルト。




『……そうだ、私がお前の父親だ。そして、お前はこのアストリナム王家の姫なのだ』




 ―――私は、カレン・ギースライド=シュフォンベルト。




『まったく、七番姫(ななばんひ)様のなんと貧相なことか』

『まさしく、上の姫君様方と比べると…』

『比べる事もおこがましい』

『まったく、まったく』




 ―――私は、カレン・ギースライド=シュフォンベルト。






『シュフォンベルト家は、昔から王家には絶対服従であったからなぁ』

『さよう、だからこそ、何も言わず長年、七番姫を預かっておったのよ。厄介だと思っていてもな』




 ―――私は。





『二人はお前とは会わぬ。……シュフォンベルトの事は忘れよ。お前は、カレリーナなのだ』





 ―――ワタシハ。





『魔法など習わずともよい。お前はただここに居ればよいのだ』








 ―――ワタシハ、ダレ?

















「……っぅ、ぐえぇっ、げほっ、はっ…くそっ…なん…だってん…だよ」





 ギュソーにより、腹部に強烈な一撃を与えられたヒイロは咳き込み、えづきながらも意識をしっかりと持ち、立て膝で体を起こす。

 よもや、いきなり腹を蹴られるとは、思ってもみなかった。

 しかも、相手は怪人などと馬鹿げたことを言う変質者。

 まさに、異世界ならではの出来事か。

 いや、これは違うのか。

 未だに続く腹部への痛みにヒイロは息もままならぬままに顔をあげる。

 急に止まった変質者の猛攻。

 まさか、今の一撃で死んだとでも思われたか。

 それとも…。




「えっ…ちょっ!?」




 しかし、顔を上げたそこに見えるのは先ほど知り合った少女に身震いをする様な鋭い刃を向けて、今にも斬り掛かろうと言わんばかりの鉄仮面の変質者の姿。

 再起早々に飛び込んで来た目の前の光景にただ呆然とするヒイロ。

 動けない。

 動こうとする身体どころか、まず思考が追いついて来ない。

 何かを考える訳でなく、ただ、無心に目の前を見ている。

 いや、心の底ではマズイと思っている。

 感性や感覚で、いまのこの状況を、いま誰が一番危険なのかを漠然と理解していた。


 なのに、だというのに自分は動けない。

 ただ呆然と目の前の小さな少女に鋭く恐ろしい剣の切っ先が襲いかかるのを眺めている。


 きっと、この場にいたのが自分ではなく思考の追いつく人物だったなら、動けない身体に対して動けと命じていただろう。

 もし、思考よりも身体が先に動く人物がいたなら、鉄仮面の変質者の前に出て少女を助けていただろう。

 なのに、自分は――


(ナサケナイ)


 やっとの思いで追いついたヒイロの思考は、自分を蔑むものだった。


 ここにきて、最初の問答。

 分かりきった答えの自問自答。



 何故、自分がこんな鉄の仮面を付けた変質者に襲われなければならないのか。


 ヒイロが最初に襲われながらも出した答え、それは。



 自分と居る少女こそ、この不幸な出来事の原因ではないのかという事。




 情けない事に、それがヒイロという男の出した答えであった。


 本当なら誰かを助けることなどしたくはない。


 助けたことで自分が不利になるようなことなどしたくない。


 それが、ヒイロに巣くう負の心。



 あの日、あの時、少しだけ、ほんの少しだけだが、ルチア達家族と出会って何かが、どこかが救われたとヒイロは思った。

 だが、やはり、変わらない。

 変わっていなかった。

 変わらなかったその心は、誰かを思うより自分を思う自己愛に満ちていた。



 前と変わらず。



 ただ、本当に彼もルチア達家族と出会って、少しだけ、少しだけだけど、目の前で倒れた人を起こすくらいのことはしようとは思っていたのだ。


 そう、思ってはいた。

 だから、送り届けて欲しいという桃色の髪を(なび)かせた何だかイケ好かない少女の頼みも渋々ながらも承諾したのだ。

 だが、そんな思いなど知ったことかと不幸は嘲笑って自分に付き纏う。


 苦悩も、苛立ちも、哀訴さえも、()うの昔に済ませた。


 しかし、変わることなく巡って奴らは来る。


 場合、場所、相手と形を変えて、自分の前へとたどり着いて来る。


 ――あぁ、逃げなければ…。


 そんな言葉がヒイロを取り巻く。


 不幸が来る。

 いま、目の前の彼女を助けたとしても、不幸が来る。

 助けなかったとしても、不幸は来る。

 なら、逃げなければ…。


 不幸が巡って来る、その前に。


 ――あの時から、そう決めたはずだろ?


 自分は、何を勘違いしていたんだろう。 

 ここが別の世界である事で勘違いしていた?

 この世界で誰かを助けれた事で気が大きくなっていた?

 その後の来るはずであろう不幸が無かった事で油断していた?



 ――でも見てみろ、不幸は相も変わらず今も巡っているじゃないか!?




(あぁ、そうか…)




 ――そして、(めぐ)り巡って、辿り(たど)着く先は、いつだって『お前(自分)』だろう?




(だから、俺は逃げなきゃ…)




 風の音。


 ざわざわと轟々(ごうごう)と吹き荒ぶ風の様に、ざわめく心。

 如何ともしがたいジレンマが、彼を愚か者にしようとする。


 きっと、いままでヒイロというこの男は、少年は、こうして見て見ぬ振りをしてきた。

 いつからか、いつの間にか、自分に振りかかってくる不幸を避けて、助けられる誰かも見捨てて、逃げてきた。


 そして、そんな自分を愚かだと蔑んできた。


 それが、いつからか、何故なのか。

 その原因は、いまだ彼の心の奥深く。

 そして、その回復の兆しは未だ見えてはいない。





 …………いや。





 少しだけ、先ほどまで、ほんの少しだけ抗って見せていた。

 そう、あの時も。


 月下の森深くで家族を思う姉妹を助けた時も。

 そして、その父親を呪いから助けた時も。


 それは、何故?


 どうして、自分は心の底から嫌がっていた筈の事をしたのか。


 そして、それは、一体どの様にして…?





「じ…、主ィイッ!!」


「ッ!?」





 そうだ。


 そうだ、魔剣だ。


 この魔剣があったから、自分は。






 相も変わらず、風は吹く。

 それも暴風となって、ヒイロの心を掻き乱す。

 だか、しかし、そんな荒れた中にあって彼の負となる感情が、いま何かに、そう、得体の知れない何かに捕まった。




「…動けよ、こんちくしょう」




 掠れ様に呟くヒイロ。

 彼が手にするは、腰の後ろに差した旅人ナイフ。

 魔剣アイゼルを手に入れるまで、愛用していた確かな業物。

 じんわりと全身を暖かな熱が巡り行く様にゆっくり動き出す体でヒイロはそれを抜き出すと最後には、勢いと共に鉄仮面の男怪人ギュソーに投げ付ける。


 その刃の切っ先を前にしてナイフがギュソーへ迫る。


 あまりのその速さに投げたヒイロでさえ目を見張る。



 だが、それは野生の感か、経験か、桃色髪の少女の前に刃を向けたギュソーが土壇場でそれに反応する。

 ギュソーは少女に向けた剣を翻し、己に向かい飛んできたナイフを振り払う。

 キィンと甲高い音が辺りに響き、ナイフが地面に突き刺さる。





「オォッ!!」






 しかし、ギュソーの剣は止まる事を許されない。


 横に一閃。


 その一閃は、グッと堪えたギュソーの腕の筋肉に更なる収縮を呼び掛ける。


 下から上へ縦に、更なる一閃。


 弾ける剣にギュソーは、体の全てを使って押さえ付け、さ迷う己の腕をメキメキと筋肉が音を立てるのも構わず、無理矢理に元の場所へと引き寄せる。



「ウゥッ、ラァッ!!」




 動きもデタラメならば、力もデタラメ。

 だが、危うい。


 無視をするには、油断をするには、己の体が、命が、危険である。


 ギュソーはここに来て初めて困惑しただろう。

 こんな、この様な馬鹿げた不規則(イレギュラー)な出来事に。



 一合、二合、三合、四合、絶え間無く続く目の前の少年からの攻撃。

 それを受けるので精一杯か…。


 少年の、闇夜に溶け込む程の黒い刃を持つ剣。

 それが月夜の明かりで鈍く光ったのをギュソーは息を飲んで見入ってしまう。

 不意にギュソーの腕に力が入る。









「ハアァアァッ!!」



「ゥグウゥッ、ォオオッ!!」




 声を聞かせるのは最初だけ。

 余計な言葉で自分を特定されるのを避ける為、ギュソーはそう決めていた。

 だが、そんな最初の決め事も忘れてか、彼の口から気合いの叫びが放たれる。

 駆け巡る血潮に思わずして、彼は雄叫びをあげる。


 力も強く振り抜かれた腕が剣を鋭く滑らせる。

 自分の持つ鉄の剣と、目の前の敵の持つ黒の剣が、何度もブツかり交差する。

 たった数十秒ほどという僅かな時間だが、ギュソーにとって、その時、世界は確かに無音だった。




―――カーン!!




 そんな無音の世界を打ち壊したのは、辺りに響き渡った金属の折れた軽快な音。

 その鋭い斬れ味は、使い手の業か、または、剣の業か。

 ギュソーの持つ鉄の剣は真っ二つに折られ、片方は未だ彼の手に、片方は地面に落ちてカラカラと軽い金属音を奏でながら転がって行く。

 沈黙に戻ったギュソーは腕に傷を負い、血を滴らせながらヒイロから一つ、二つと飛び退き距離を置いた。




「はぁはぁはぁ…っぁあぁ~…」




 汗だくになりながらも魔剣アイゼルを握り離さず、ヒイロは自分と距離を置くそんなギュソーを睨み付ける。

 息を切らせて、唾を飲み込む事さえ辛いというのに、その瞳は、微塵も疲れを見せていない。




「まだ……まだ、やったるぞ、俺ぁあっ!? おおぅっ!?」





 しかし、興奮覚め遣らぬ彼の口から、獣の様な、またはチンピラの様な荒々しい怒号。

 彼の体が急激な運動に着いて行かず、呼吸困難による酸素の欠乏が起きているのだ。

 その為に血の昇った頭では、考えも纏まらず、ただただ目の前の敵に威嚇という最も簡単な攻撃が考えるよりも先に出てしまう。

 鉄の仮面の下でギュソーもその事を理解しているのか、静かに彼は目の前の少年を見据える。

 さて、どうしたものか…と。




「おい、こっちだ! こっちの方で声がした!」


「わ、わかった、隊長に知らせよう!」





 そこでようやく城から抜け出した姫君を探すべく、今まで街を徘徊していた兵たちがこの騒ぎを聞き付ける。

 その事にいち早く気付いたのはギュソーである。


 その手に持つ身の丈半分になった剣を地面に投げ捨てると、ゆっくりにその身を翻し、軽やかに民家の屋根へと舞い上がる。


 そんなギュソーの早業に目を見開いて呆けるはヒイロ。


 そんな馬鹿な…、と彼の荒々しい息が萎みいく風船の如く力もなく抜け出していく。




「………」




 そんな彼を登った民家の屋根から、じぃっと見下ろして怪人ギュソーが伺う。




「はぁ...はぁ...な、なんだよ?」



 不気味なギュソーにヒイロは何だか気味が悪いとぶるりと身を震う。


 数秒か、或いは数十秒か。



 ヒイロを見下ろして、ギュソーはそのまま何も答えずに街に広がる民家の屋根という屋根を飛び渡りながら闇の彼方へと消えていく。


 一体、何だったのだろうか。


 闇夜に消えた鉄仮面の怪人ギュソーにヒイロは再び、ブルッと身震いをさせた。


 あの時、仮面の下でギュソーが何を考え、何を思ったのかは定かでは無い。


 だが、その場から逃げる直前。

 彼が闇に消えるその前。

 少しだけ、そうほんの少しだけ、彼がその仮面の下で笑みを浮かべていた様に見えたのは――




「なんだってんだよ……」





 未だ淡く下界を照らす月光の仕業であろうか…。





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