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「パセリ〜セイジ〜ローズマリ〜アンドタ〜イム〜」


小鳥のさえずりよろしく、わたしのディーヴァの如き歌声は今日も絶好調。

羨ましいな、雄大。君は毎日こんなにも穏やかな朝を迎えられるなんて。

さながら、優雅なる貴族の目覚めだよ。オンボロアパートにて。


「うっせえええええ!」


もう、何が不満なのさあ。

これ以上遅いと学校遅刻しちゃうぞー。







むっつりした雄大を横目に、今日もニュース番組をぼんやり眺めた。

わたしに関する情報を拾う為に始まった習慣だったが、これといって収穫は無し。そもそも元より情報が少なすぎる為、私関連のニュースが流れていたとしても、きっと気付かずにスルーしているに決まっている。


「ほら雄大テレビ見てよー。先々月から報道されてる連続殺人事件。もうこれ被害者3人に及ぶけど、まだ見つかっていない遺体とかあるのかな」


菓子パンを頬張りながら雄大は少しだけテレビを見る。けれどまた視線を小さなテーブルへと戻すと、荒々しい手つきで牛乳パックに口をつけた。


「もうっ雄大!ちゃんと見てってば!ほら、被害者の顔写真載ってるよ!この中に私いないの?」


ねえねえねえっ。

詰め寄るわたしに痺れを切らしたのか、雄大は眉間にそれはそれは深い皺をよせると徐ろにリモコンを操作した。

ちょっと、見るのこれ。体操のお兄さんとお姉さんが素敵な笑顔で歌いながら不可思議な踊りを踊っているよ。


「……飯食ってる時に胸糞わりぃもん見せんじゃねえ」


こ、こんにゃろーう。

怒りでフルフル震える腕を天高く突き上げながら「うおおおおぉぉ!」と奇声を発する。行き場のない怒りは幽霊にとって当たり散らす先がないから、もう不便不便。

白い目でみるがいいさ。


それでも最初の頃は、面倒くさそうにしながらも一緒にニュース番組を見てくれていた。

そりゃまあ、部屋に住む不届き千万な幽霊には早くどっかに行って欲しいだろうけれど。

けれどいつしかそれが減ってゆき、今ではまともに取りあおうとしない。

時間が経てば経つほど事件とわたしとの関係性は低くなってくるだろうし、どれも確証のもてない報道ばかり。しかもこれがいかに確率低く意味の薄いものかって理解はできているけどさ。

でも、もうちょっと私に興味持ってくれたっていいじゃない。

雄大のばか。


制服に着替えると、荷物らしい荷物も持たないまま身支度を完成させた。まったく今時の若者は一体何しに学舎へ通っているのかと問いたい。

まあ雄大に言えるなら毎日休まず時間を守って通学しているだけ、花丸バッチを贈りたい気分だけど。


見送りに行く為、雄大の後ろをふよふよ漂う。その時、玄関に向かおうとした彼の身体が大きくふらついた。

驚いて咄嗟に腕を伸ばすが体を支える事無くすり抜けた手は空を切る。

慌てて彼を見ると、壁に肩をつき倒れないよう何とか持ち堪えていた。


「…雄大!」


なにもできないわたしはただ彼の周りを忙しなく漂う。

顔を覗き込めば痛みを耐えるようにキツく目が瞑られている。


「雄大、雄大っ」


昨日の姿を思い出す。一段と傷だらけだったんじゃないだろうか。

今更気付いて何一つ気遣ってやれなかった後悔が押し寄せる。


「雄大…っ」

「……大丈夫だ」


雄大は呼吸を整え、少し落ち着くと再び身体を立て直した。


「今日は休んだ方がいいんじゃない?病院行く?とりあえず座った方が…」

「騒ぐな。こんくらい慣れてる」

「でもっ」

「もう黙れ」


靴を履く雄大の背後で、穴が開くほどその背中を見つめた。もう何を言っても此処には留まってはくれないだろう。


「今日はケンカしてきちゃダメだよ?」

「あぁ?」

「体育あったら休んでね」

「…何言ってる」

「真っ直ぐ帰ってくるんだよ」

「………」

「…気をつけて、行ってらっしゃい」


いつもみたいに手を振るのも忘れていた。

ただただジッと彼の顔を見つめる。

数秒、無言でいるには長過ぎる時間視線が交わり、先に反らしたのは雄大だった。

ドアの向こうへ消えてゆく彼の動きを目で追う。

扉が閉まる瞬間「…行ってくる」の言葉が聞こえて、わたしは情けない笑みを浮かべてしまった。







雄大が家族大好きマイホームパパになった。

と言ったらフルスイングされた。もちろん空振り三振だけど。

顔真っ赤にしてすんごい可愛いかった。けれども、あまりおちょくると塩を盛られそうだったからそれ以上は渋々諦めた。


結局何が言いたいのかと言うと、朝出たときの姿のまま概ね時間通りに帰宅するのだ。

2つ掛け持ちしているバイトは若干不定期に日常に割り込んでくるものの、それだって終わり次第直ぐに帰宅しているようだった。


「お帰りなさいあなた。お食事にします?お風呂にします?それともわた…」

「それ以上言ったら今から念仏唱えるぞ」


傷ついて帰ってくる事がなくなった。

わたしがどんなに安堵したか彼は知らない。

生きている彼は、私にとって憧憬であり、希望であり、唯一であった。

〝いつか〟に蓋をして、昼間の留守は窓の外を眺めた。

そこから見える季節の移り変わりは、わたしを酷く不安にさせた。

冬から春、そして夏になろうとしていた。







時計は明け方の4時を指そうとしていた。

人の気配のない部屋で、わたしはひたすら玄関ドアを見続けていた。

雄大が帰ってこない。

今までの1度もそんな事はなかった。

室内は少しずつ明るく照らされてゆくのに対し、わたしの中の不安はどんどん蓄積されていった。


どうしたの、雄大。何かあったの。


意味もなく室内を漂う。外に出られないか何度か挑戦してみたが、結果は以前と全く同じであった。

少し前から玄関に居座っており、まるで忠犬のようだと脳裏をかすめた。

雄大をお見送りする以外に居ることのない玄関は、よくよく見れば見た事のないもので溢れていた。

靴箱の下に並べられている黒いスニーカー。無造作に置かれたビニール傘。どこのものか分からない鍵2つ。

そして次に目に入ってきたもの。

幽霊であった筈のわたしの身体は、まるで命を吹き返したかの様に苦しい位に息が詰まった。

膨大な電流のようなものが身体を駆け巡り、思わず体を縮こまらせた。


だめ…まだ待って…!


彼が帰って来ていないのだ。

もう少しだけでいい。

お願いだから、私に時間をちょうだい。







部屋に明かりが付いた。

外はもう暗い。ガサリとビニール袋を提げて、部屋の主人が室内へと足を踏み入れた。


「…………おい?」


ガランとした空間からは何の反応も返ってこなかった。


「おい!」


辺りを見渡すが、捜している姿は何処にも見当たらない。

違う、いないのではない。見えないのだ。


「くそっ……どこに、」

「雄大」


呼べば、勢いよくこちらを振り返った。

私の姿を捕らえる事が出来たようで、しっかり目が合っていることに安心した。


「お帰りなさい、雄大」


今の私は笑えているのだろうか。

雄大は一瞬ホッと息を吐き出し、私の様子に眉を寄せた。


「……お前、何か薄くなってねえか?」

「うん、時間みたい」


目を大きく見開く。

初めて会った時の顔と重なって、思わず小さく笑ってしまった。

楽しかった。

彼を待つ間、此処で過ごした日々を1つ1つ思い出した。

最初は無視されていた事。下ネタに敏感に反応するのに気づいた事。コンビニ弁当を羨ましそうに見てたら小さなご飯を盛られた事。お風呂場を覗こうとした時が一番怒られた事。寝てる雄大の横でこっそり添い寝をした事。

雄大の怒った顔。呆れた顔。蔑んだ顔。小馬鹿にした顔。

心からの笑顔を見れなかった事だけが、ほんの少しばかりの心残りだけれど。

本当に、楽しかった。


「今まで色々迷惑かけちゃってごめんね。それでも、ここに居させてくれてありがとう」

「………何言って」

「もう、行かなきゃ」


淡い光を放って、少しずつ空間に溶ける様に私の身体は消えかかっている。

自分の最期がわかった時から私は自分の体を視覚出来るようになった。そしてそれは徐々に朧げになっていった。


「…な、に。…お前また、ロクでもない事考えてんの?」


その顔は見た事が無かったな。

もう、何て顔してるのさ。


「……ああ、そうか。俺が帰って来なかったから怒ってんだな。悪かったよ、お前が見たがってた番組見逃しちまったな」


雄大。


「だからもう止めろよ、それ。…タチ悪ぃ」


雄大。


「……何黙ってんだよ、なあ」


もうはっきり見えないよ、雄大。


「なあ!いつもみたいに…!」


感覚などなくても、私が涙を流しているのが分かった。

視界を覆ってしまう程に溢れて出て、もう笑顔でなんていられなかった。


「雄大、思い出したのわたし。あなたの事、もっと前から知っていたの」


懺悔をするようだった。

私のワガママで、今の2人があった。


「ずっと見ていた。好奇心から始まったそれは、気づいたら目が離せなくなって。そしてあなたの事を好きになっていたの」


私という自己を形成するものは、いつだって私以外の誰かだった。所詮良家の子女であった私は、優秀であった母の幻影を重ねて育てられた。

こう在りたいとした私は皆に排除され、皆の求める私になった。

そしてそれは、高校生活でも変わらなかった。

皆に勧められるまま生徒会長という立場になった時には、自分の立つ場所は真っ暗だと悟った。何処を向いても何も無かった。

見つけたのはそんな時だった。

送迎の車の中から、数人の男達に囲まれる彼の姿が目に入った。

多勢に無勢。傍目にみても状況が良くない中で、彼の瞳だけが印象的だった。


その日から何度も彼を探した。通学路や行動範囲を知ってしまえば容易く見つけ出せた。

どうしてこんなにも気になってしまうのか。

気づいてしまえば簡単だった。

彼は自分の為だけに生きているのだ。

そこにいる彼は、彼そのものだった。

力強く意志を持った瞳は、私の憧憬であり希望であり、唯一になった。


「いつだったか、変な女に声をかけられた事があったでしょう。あれ、私なの」


彼はとにかく、色んな人間から絡まれることが多かった。元を辿ってみれば、雄大に逆恨みを持った近くの学校の生徒が、あれやこれや彼のことを吹聴して回っていたからだった。

私が気づけた時には、もうどうにもならない所まできていた。偽りは形を変え、真実になってしまっていた。


「ずっと見ていたって言ったでしょう。少しでもあなたの助けになればって渡したのが、あの御守りだった」


漸く合点がいったようで、雄大は記憶を呼び起こしているようだった。

玄関先に無造作に置かれていた朱色の御守りは、一度だけ彼と私とを繋いだものだった。

傷付かないで欲しかった。

何でも良いから縋りたかった。

あなたの身を案じている人がいる事を知って欲しかった。

ルールに則ったコミュニケーションの取り方しか知らない私には、そんな方法でしか彼に想いを伝えられなかったのだ。


「あの時の雄大ったら、本当に可笑しな顔してて。思い出しただけで笑っちゃうよ。何だこいつ、って顔で見られてたのに、私としたら緊張で爆発するかと思って逃げ帰ったなー」


くすくす笑いながら、アレは雄大もかなり困惑してたなぁと自重する。知らない異性から無理矢理御守り渡されて、殆ど喋らないまま逃亡されたらそうなるわ。


ふと視界に入った私の左手の肘から先が完全に消えていた。

もう足も殆ど残っていない。


「ごめんなさい、雄大。私ね、事故だったの」


雄大の体が大きく震えた。


「車に潰された後も意識があったの」

「…………れ」

「考えるのは、あなたの事だけだった」

「………黙れ」

「また会いたいって。もっと沢山話したいって。次こそはもっと上手に会話にするんだって」

「黙れっ」

「…あ、なたの…笑ったかおが、見てみたいって」

「黙れって言ってんだよ!」


きっと最期の願いが私を此処に飛ばしてしまった。

雄大、私ばかりが貰ってしまって本当にごめんなさい。


「…ありがとう、雄大。こんなに楽しかったの生まれて初めてだった…」


雄大の手が私を掴もうとする。

大きな無骨な手は、私の腕を掴み損ね、肩を通り過ぎ、頬に触れられず空でさまよった。


「とても幸せだった。……だから、雄大も」


意識がだんだん混濁してゆく。

全てが真っ白に染まっていって、彼の姿は薄ぼんやりと彼方の先にあった。

最期の瞬間、聞こえた言葉に確かに私は涙を流した。



ーーずっとそばにいてくれーー










主軸の話はこれで完結となりますが、それからの話をもう一話投稿して全ての完結になります。


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