前
いやぁ、今日も平和だなあ。
野良猫のミカちゃんは相変わらずつれない態度で不法進入よろしく餌を漁っていったし、今朝のニュース番組内1番の極悪ニュースは近い未来のストレス社会における頭皮予想だったし、帰宅そうそうの同居人は暴れまわれる程すこぶる元気な健康体だし。
「くそがっ…死にやがれ!」
もうー。そんなこと言われなくたって死んでますってば、わたし。
「ごめんーごめんってばー。もうしないからさあ」
「天井からぶら下がって白目剥きやがって。毎度毎度その身体使って驚かすの止めろ!」
「どーどーどー」
「ニヤニヤしながら言ってんじゃねえぞ、てめえ」
「えっ、してないよ!これは〝今日も雄大ちん私に構ってほしいんだなあ可愛いやつめ〟という菩薩のような穏やかな笑みだよー」
「お前の頭の中はどういう思考回路してやがる!この死にぞこない!」
「ぐさー!ぐさーだよ、ぐさー。わたしのビードロのハートは心無い青少年の戯言でバリバリのグッチャグッチャのサラサラさ」
「そのまま風に流されてしまえ」
「雄大のアホんだらー!本当に本当にそうなったら、夜な夜な枕元に立って恨み言を吐き垂らしてやるー!」
「その吐き垂らすの部分が一番嫌だな」
「苦しいよう〜寂しいよう〜痛いよう〜寒いよう〜………苦しいよう〜寂しいよう〜お腹減ったよう〜焼肉食べたいよう〜……ぐぎゃぁぁぁぉ!」
「おいっ!何だよ!とうとう悪霊になったか!?」
いやはや、やはり今日もわたしは天に召される事なく平和だなあ。
楽しい同居人を眺めながらしみじみ思う。
そもそも、同居人などと言ってはいるが相手はわたしのことを自分の部屋に勝手に住み着く傍迷惑な奴程度にしか思ってはいないだろう。
何故ならこのアパートの部屋の主であり一人暮らしをする望月雄大の許可を得た訳ではなく、それはもう野良猫のミカちゃんより図々しい面がまえで勝手たる同居を強要しているからだ。
でも、こっちにだって言い分くらいある。
「嗚呼、わたしの名前はなに?何でこんなオンボロアパートにいるの?何でわたしは幽霊なの?教えてロミオ」
「悪かったなオンボロでよ!」
つまり、わたしは何でここに居るのか分からなければ、ここで目を覚ます前までの事を何一つ覚えちゃいない。
そこに上乗せで、雄大の住むこの部屋の室内に閉じ込められる様に一歩も外に出られない事が、この否応無しの同居に繋がっている。
分かっているのはわたしがまだ年若い女ということ。
それと、幽霊だという痛い現実だけだった。
「雄大ー。今日も痛そうだね」
「うるせえ。俺に干渉するな」
わたしのセリフでようやく自分を省みた雄大は小さく舌打ちする。
つっけんどんに言葉を投げ捨て、ボロボロの身体は浴室へと消えて行った。
なんでい、その舌打ちの裏に「またくだらない事喋っちまったぜい」が隠れていることなんてお見通しなんだよ、こちとら。
というか隠しもしてないな、このやんちゃ坊主め!ブリーチのし過ぎで痛みに痛みぬいてるまっ金金の髪見るたびにお母さん、涙流しながら味噌汁作ってるんだから。
このボンクラ息子!そんな子に育てた覚えないわよ!
いーだっ。という顔をしてシャワーの音のする扉からフンッと顔をそらす。
ふよふよ半透明に浮く体を反転させ、ぼんやりと天井に残るシミを眺めた。
この閉鎖された空間内での雄大しか私は知らない。ただ、外の世界は彼にとって住みにくい場所なのかもしれない。今日みたいな日は珍しくはなく、時折傷だらけになって帰ってくる。
雄大の性格上やられっぱなしというわけではなさそうだが、たまに喧嘩後の様な姿になって帰宅するのがそれを物語っていた。
確かに目はナイフのように鋭い。がっしりした体格はそんじょそこらの高校生が出せないような圧力をバシバシ放出している。それに、いつも不機嫌そうな顔が拍車をかけて〝いてまうぞおらぁ〟な雰囲気だけどさ。
雄大は凄く優しいんだよ。
勘違いされやすくて、不器用で。
だからあんなに口が悪くなっちゃったんじゃないかなぁと思う。
このツンデレめ。
そう言った次の日、魔除けの御札を用意して帰宅した時の残酷さには悲鳴を上げたけれども。
気がついた時、わたしはこのアパートの室内で空中を漂っていた。
汚い部屋。それが私が誕生した初めての世界だった。
体に違和感を持ち、地面との距離に困惑し、確かめようにも自分の姿は鏡に映らなかった。
一体どうなってるんだと動揺が大きくなった時、着崩した学ラン姿で帰宅した雄大と鉢合わせる。
目があうと無言でドアを閉められた。きっとめまぐるしく頭をフル回転させたであろう時間を有して、雄大は再び自らの家の玄関を開け放って言った。
「…………おい、地縛霊なら他所でやってくれ」
今思えば、おいおい突っ込むところそこかよ、と雄大もかなり動揺してたんだなぁって分かる発言だったのだけれども。
その時のわたしはその台詞のおかげで自分の置かれた状況をしっとり理解した。そりゃあもう、しっとりとね。
そこからは気味悪がる雄大をこわがらせないようユーモアを交えつつ事情を説明。彼が徐々に虫けらを見るような表情に変わっていったのを気づかないフリをしながら同居を宣言してみる。
出て行け!と闘牛もビックリの暴れまわり方をした彼に、わあ危ないやつ、と部屋を通り抜けようとしたら壁にぶつかった。
はあ?と2人が初めて心を通わせた数十分後には私が部屋から一切出られない事が判明し、無言で黄昏る一名と浮遊物の姿があった。
そんなこんなで今現在。
強制的に始まってしまった非現実的な生活は、何かの意思が働いてしまったんじゃないかと時々考える。
しかし解決策が浮かばないまま、今の思いの外楽しい生活に喜々として甘んじていた。
ようやくお風呂から出てきた雄大の元へ、バビューンとスーパーマンポーズで飛んでゆく。
一瞬ギョッとしていたが、持ち前の男魂により直ぐにその表情は引っこまれた。
「雄大雄大ー!遅いよなにしてたのさぁ!もうやだぁなにー女の子が部屋で待ってるっていうのに、お風呂場でエッチなことしてないでよねー」
「おま……」
「ほらほら早くテレビテレビ。いっつも見てるドラマが佳境なのっ。ヒロインのモコスコロちゃんが人間国宝あと一歩ってところなの!」
鼻息あらく雄大に畳み掛ける。
周りにふよふよと浮遊物を漂わせ、彼は激情を必死に押さえ込もうと努力した。
「………色々言いてぇことはあるが……マスなんざかいてねえわ!頭にウジ湧いてんのかてめえ!」
数あるツッコミの中から自分のプライドを優先させたのであった。
「わーいっありがとうー!いやいや、このドラマ見るとほんと、人間に生まれてきて良かったなあって思うよ」
「……はっ」
「は…鼻で笑ったなー!?わたしだって眩しい陽射しの下、エネルギーに満ち満ち生きてたことくらいあるんだからね!たぶん!」
「たぶん、ねぇ」
「くー!モコスコロちゃんのお父さんのゲレネスト氏なら『愛馬に蹴られてみればいい。それが如何に小さき事か分かるだろう』って言うに決まってるんだから。これ第3話の主人公が自暴自棄になったときの名台詞ね」
「んだそれ、どこの国のドラマだ」
「日本だよ」
外界の音を遮断しテレビを食い入るように見ていたわたしは、ドラマの次回予告が終わったっころで詰めていた息を吐き出した。
ちらりと床に座る雄大に目を移す。テレビには興味ないとばかりに雑誌を広げていた。
その顔には無数の傷。
腕にも足にも。きっと服の下にも顔を顰めてしまうような跡があるのだ。
「おい幽霊、じろじろ見るな。呪われる」
「ばかちーん!本当に呪っちゃうぞー!」
台詞に反してプンスカした表情を作るのも忘れて彼を見続けた。
なおも自分に注がれる視線を怪訝に思ったのか、雄大はようやく雑誌から目を離しこちらを見た。
「………何だ」
「いやー、雄大って顔に傷の一つや二つあったところで魅力が損なわれないというか。むしろ雄々しさに拍車がかかって、わたしをめちゃくちゃにしてー!というか」
「…変態がっ!」
「いいじゃん、褒めてんじゃん」
「褒め方もあるだろうが!」
「ええー文句の多い奴だなー」
彼の額に青筋が浮かんだ。
「ねえねえ、わたしはどう?食べちゃいたーい!ってなる?」
「ああ?」
「だからー、ずばりわたしって可愛いのか聞いてるの。だってわたし自分の姿見れないし、ここから出られないし。分かるのって雄大だけでしょー?」
「……まあ、そうだな」
「ねっ、ねねねっ。で、どうなの?ふわふわ系かわい子ちゃん?それともグラマラススタイルなセクシーお姉さん風?」
ああ、でもクールビューティとか清楚系とかも捨て難いなあ等と思っている中、雄大は表情を消し無言でわたしの顔を凝視していた。
「雄大?」
名前を呼ばれハッとしたように目を見開く。
バツが悪そうに目をそらすと、雄大は雑誌を持って立ち上がった。
こんにゃろう、さては逃げる気だな。
「ちょっと!雄大いいー!」
「うっせえ!まとわりつくな!」
ものに触れる事はできないので、雄大の体をすり抜けたり、彼の周りをグルグル回ったり嫌がらせをする。
ちょっと、雑誌で追い払うようにしないでちょーだいよ!それとも何か、お前さんが生まれ育った場所にはこーんな巨大な害虫がいると。
連れてきて見せてみなさい、そんなカオス!
「なになにー、そんなにわたしってば魅力的なのー?」
「普通だ、普通!」
「なにそれ!つまんないよ!まだブサイクって言ってもらったほうが面白気があるよ!」
「まじうっせえ!」
「傷つくー!」
口を尖らせながらブーブー文句を言うわたしを無視する事に決めたらしい。
雄大のインポー!のあたりで増えた青筋が見え、グシャリと雑誌を握り潰し、それを壁へ叩きつけると布団を敷き寝る体制をとった。
おお…、こわい。
テレビの電源はそのままに音量を下げる。電源を消すため紐式のスイッチに手を伸ばした雄大の姿に、わたしは体育座りをしながらおやすみと言った。
「……ちっ」
カチッ。
真っ暗になった室内をテレビの明かりがチカチカ照らした。
知ってるよ。雄大は何も言わないけれど。
テレビだって眠ることのないわたしのために付けていてくれる。
今もほら。
布団に潜り込んだって君の声はちゃんと届いているよ。
『…………やすみ』
うん、おやすみなさい雄大。