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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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28~33 Side Akito 06話

 携帯が一コール鳴り、木田さんが来たことを伝える。

 ドアを開けると、

「お待たせいたしました」

 にこやかに紙袋を差し出された。

 あぁ、ちょうどいいから今訊いておこう。

「木田さん、ここって今日明日フリー?」

「はい。ご予約は入っておりません」

「俺の部屋、こっちにしてもらってもいいかな?」

「もちろんでございます。のちほどお荷物と必要なものを一通り揃えてお届けいたします。コンセプトが『森の中』ですので照明における電化製品はございませんが、バスルームとトイレは完備してございます」

「もしかしてバスルームからも星が見えたりする?」

「えぇ、星空が臨める設計になっております」

「それは楽しみだな。じゃ、よろしくお願いします」

「翠葉お嬢様、どうかなさいましたか?」

 木田さんの言葉に彼女を振り返ると、

「少し、羨ましいなって――なんでも、ないです……」

 彼女は恥ずかしそうに口元を覆い、苦虫を噛み潰したように笑う。

 別に、そんなことは普通に口にしてくれてかまわないのにね。

「それでは、ごゆっくりお過ごしください。ディナーの準備が整いましたらご連絡いたします」

 彼女のもとへ戻ると、まだ恥ずかしそうにしていた。

「ここに泊まりたかった?」

「……夜がどんな雰囲気か知りたかっただけです。今日は晴れているから、きっと星もきれいに見えるでしょうね」

 君の願いならなんでも叶えてあげたいんだよね。

「ディナーは七時から。そのあと食休みしてから治療だっけ?」

 彼女の予定を訊くと、

「いえ、ご飯の前に治療をすることになりました。じゃないと、昇さんたちがお酒飲めないって」

 彼女はクスクスと笑いながら答える。

 確かに、治療前に飲酒はまずいか……。

「そっか……。翠葉ちゃんはいつも何時くらいに寝るのかな?」

「え……?」

「夕飯のあと、寝るまでの時間をここで過ごしたら?」

 春や夏とは違う。五時を回ればあたりはすっかり暗くなる。

 あたたかく過ごせる時間は短いが、その分、星を堪能する時間はたっぷりとあるということだ。

「……いいんですかっ!?」

「もちろん」

「嬉しいっ!」

「あ、でも……うるさそうな兄ふたりの承諾だけは得てきてね?」

 栞ちゃんあたりもうるさそうだけど、今日は昇さんが一緒だから、栞ちゃんのことはしっかりと捕まえていてくれるだろう。

「蒼兄と唯兄はきっとだめなんて言わないです」

 どうやら彼女は蒼樹と若槻が俺に全幅の信頼を寄せていると思っているらしい。けど、

「それはどうかなぁ……」

 苦笑しながら紙袋の中身を取り出す。

 蒼樹と若槻、蔵元――この三人は俺という人間をより深いところで理解してくれている気がしなくはない。ただ、俺はそんな付き合いをしてこれたのか……。

 そこに不安がある。

 人付き合いなんて真面目に考えたこともなかったんだ。

「ハーブティーのパックもある。ストーブをつけてお湯を沸かそう」

 紙袋の底にあったパックを見つけて彼女に渡すと、

「それっ、私がやりますっ」

「じゃ、お願いしようかな」

 彼女はゆっくりと立ち上がり、三つのストーブを一巡する。

 最後に全部を見回して、結局は出入り口に一番近い場所にあった赤いケトルを選んだ。そして、いそいそと閉まっているドアへ向かう。

「くっ、そうか……あのドアの向こうが気になって仕方なかったんだ」

 彼女が座っていた位置からすると、真正面にあのドアが見えていたはずだ。

 そんなことがおかしくて、つい口元が緩む。

 今頃、あっちの部屋は彼女の観察対象になっているだろう。

 ケトルに水を入れるだけにしては十分すぎるほどの時間をかけて、彼女が戻ってきた。

 俺はストーブに火を入れたところ。

「まだ寒くないからね。入り口のこのストーブでいいかな?」

「はい」

「じゃ、ランチにしよう」

「はい!」

 味覚は君の記憶に何かしらの刺激を与えるだろうか。

 サラダマリネにサンドイッチにハーブティー。どれもあの日に食べたものと同じ。

 入っていたナプキンで手を拭き、「いただきます」と口にする。

 彼女はサンドイッチを手にしてびっくりしたように目を見開いた。

「ここは焼きたてのパンを使ってサンドイッチを作るんだ」

 思い出すのではなく、新しい出来事を体験している、そんな感じだな……。

「すごく美味しいです……」

 彼女が何かを食べている姿を見ると、えらくほっとする。ずっと、何か食べさせ続けたくなってしまうくらいに。


 ランチを食べ終わると、彼女はポンチョを脱いだ。

 白いタートルに淡いブルーのロングスカート。色の組み合わせもあの日と同じ。

「ねぇ、今日の服装って……スカート、どうしてそれにしたの?」

 訊いたところでわかりはしない。そうは思うのに、訊いてしまう自分がいる。

 意識してそれを選んだわけではないだろう。そうは思うのに……。

「スカート、ですか? ……えぇと、どうしてでしょう?」

「それね、以前森林浴に来たときと同じスカートなんだ」

 俺がそう答えると、彼女は少し悩んでから話し始めた。

「どうして、と訊かれても、とくにこれといった理由はなくて……。ただ、昨日、冬服を取りに自宅へ帰ったとき、目についたから持ってきたんです。今日何を着るのか悩んだときにも真先に目に入ったから……だから、です」

 期待はするな――でも……。

「秋斗さん……?」

「翠葉ちゃんは記憶を取り戻したい? 取り戻したくない?」

 本当のところはどう思っている?

「……取り戻したいです。記憶がなくても日常生活に困ることはないけれど、少し寂しい。共有できる過去があるはずなのに、その記憶がなくて。それに、私は秋斗さんを好きになって初恋体験をしているはずなのに、その記憶がないだけで、経験値をすべて取り上げられた気がして」

 そうだよね……。

 不幸中の幸い――それは実生活において、高校生活において支障が出なかったことだ。

「――初恋の相手が俺かどうかは、記憶を取り戻した君に訊いてみたいな」

「……え?」

 あの日の夜、ホテルで司を見かけて歩みを止めてしまうほどの衝撃を受けた理由。

 君はその答えを出さずにいる。答えを出す前に記憶を失った。

「いつか訊きたいことだから、思い出したら教えてね」

 彼女は要領を得ないといった顔をしていた。でも、これ以上のことは今はまだ話せない。

 記憶が戻ったら――そしたら改めて訊くから……。

 そのときにはきちんと考えてひとつの答えを導き出してほしい。

「思い出すことに対して恐怖心は?」

 本当はどう思ってる?

「……ないと言ったら嘘になります。起きた出来事は全部教えてもらったけど、人から聞くのと自分が思い出すのは違うと思うから」

 途端に表情が硬くなる。

 ……でも、やっぱり思い出したほうがいいんだ。

 それは周りの人間が、というものではなく、君自身が……。

「翠葉ちゃん、立場は違うけど……その記憶を共有した者として、一緒に受け止めるから、だから――」

「だから」の先が続けられない。

「逃げないでほしい」なんて俺が言っていいのかわからなくて。

 怖いのは俺も同じだ。それでも、思い出してくれることを望む。

 衝撃の大きさも、受け止めるものも全然違うものだろう。

 彼女は事実を受け止めることになる。俺は、記憶を取り戻した彼女が俺に抱く感情を受け止めなくてはいけない。

「はい、逃げません。なので、思い出せるまで、秋斗さんがどんな人なのかわかるまで時間をください」

 俺が言葉にできなかった、「逃げない」という言葉を口にして、真っ直ぐに俺を見る彼女。

 言葉は必要なかった。

 ただ、君が好きだよ、と伝えたくて笑みを返す。

 いつまでも待つよ。

 君が言ったとおりなんだ。

 周りから聞かされることと、思い出すことでは「事実」が同じだとしても、「感じ方」「受け止め方」が異なる。そのとき、俺は嫌われるのかもしれない。軽蔑されるのかもしれない。それでも君から離れることができない。

 湊ちゃんからも聞いている。記憶が戻る保証などどこにもないと。記憶が戻る戻らないは半々の確立だということも。

 確かに、彼女は雅に会った日の夕方の出来事を思い出すことはなかった。そのことにはほっとしているのに、今回は思い出してほしいなんて、都合よすぎるよな……。

 俺はいつだって都合のいい人間なのかもしれない――。

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