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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
93/120

28~33 Side Akito 02話

「七時半前……」

 時計に目をやりジャケットを手に取る。

 まだ早いが下で待とう。

 時間が過ぎるのが遅すぎる。一分が六十秒という物理的な速度は変わらないはずなのに、いてもたってもいられないわけで……。

 車を取りに行くというタスクくらいは残しておくべきだったかもしれない。

 今日の旅行はコンシェルジュも知っているため、出かける三十分前にはロータリーへ車を移動してくれている。

 一階に下りると、コンシェルジュ三人に迎えられた。

 その中のひとり、崎本さんに「お早いですね」と笑顔を向けられる。

「部屋にいてもやることないんで、先に荷物積みます」

「こちらで承ります」

「いえ、これ以上俺からやること取り上げないでください」

 苦笑してエントランスを通り抜けた。

 トランクに荷物を積み込み、運転席におさまる。

 ミュージックプレーヤーをカーステに接続すると、いくつもあるプレイリストからひとつをチョイス。それは、以前ブライトネスパレスへ行くときにかけていたプレイリストだった。

 帰り道では藤山デートのときにかけていたDIMENSIONのアルバムをかけようと思う。

 何か、少しでも思い出すきっかけになってくれるといい。

 思い出してもらったほうがいいのか悪いのか――。

 一緒に過ごした時間は幸せなものもあれば苦しいものもある。それは俺だけではなく彼女にも。

 だからこそ、思い出すことがいいことと言い切れない。

 けれど、俺を想ってくれたあの一時の気持ちを思い出してほしいと思ってしまう。

「自分勝手、わがまま、自己中――まんま俺」

 大きくも小さくもない声が車という狭い空間に響く。

 今までなら、「それで何が悪い?」と言えただろう。でも、今はそう言い切れない。

 こと、彼女に関することにおいては。

 俺にこうして変化があるように、司の内面にも変化が起きているのだろうか。

 司――「心揺さぶられる」っていうのは、こういうことを言うのかな。

 そういう話を司とならできそうで、司だから、ライバルだからこそできない。

 俺たちの関係は一生従兄弟だけど、そのほかの、目に見えない部分に亀裂が生じたりするのだろうか。

 けれど、あいつは何度となく俺の擁護やフォローをしてくれた。

 記憶がなくなったときだって、自分はインターハイ前だというのに、俺が引きこもって仕事一辺倒にならないように弓道場へ引っ張り出す口実を作ってくれた。行方をくらましたときには見つけ出し叱り飛ばしてくれた。

 その後、俺のわがまま――「久しぶりの夏休み」にも付き合ってくれ、さらには彼女に引き合わせてくれた。

 それらすべては彼女のためだったのかもしれない。

 でも、引き合わせないことで彼女の世界を自分のものにするいい機会でもあったはずなのに。

 どこまでもフェアじゃないのは俺のほうだ。


 何もしていないとろくでもないことばかりを考える。

 時計を見れば七時四十分。

 そろそろあの三人も降りてくるころだろう。

 車を降り九階へ向かうと、蒼樹たちがちょうど玄関から出てきたところだった。

 一番最後に出てきた彼女を見て思う。

 ――誰が教えたのだろうか。

 彼女は、以前森林浴へ行ったときのスカートと同じものを着ていた。

 淡いブルーの、たっぷりと生地を使ったロングスカートに足元はローヒールの茶色い編み上げブーツ。

 首もとに白いタートルが見え、その上にはラベンダーカラーのざっくりとしたポンチョを羽織っている。

 それだけじゃ寒いんじゃ――と思えば、蒼樹の持っているバッグの持ち手部分に白いフリースのパーカがかけてあった。

 若槻は自分の荷物のほかに、彼女のカメラといつかのトラベルラグを持っている。

「おはよう」

 彼女に声をかけると、少し緊張した声が返ってきた。

「おはようございます」

「体調は?」

 バイタル上の体調は知っている。けれど、それではわからない部分のことを知りたくて尋ねた。

 いや、ただ会話を続けたかっただけかもしれない。彼女の声を聞きたくて……。

「だるさは取れないけど、でも大丈夫です」

 言って笑みを添える。

「良かった」

 彼女が手に持っていたのは小型ハープ。

 小型ハープといえど、ケースに入れるとそれなりの大きさあがある。

 それに手を伸ばし、自分の方へと引き寄せると、

「あのっ、持てますっ」

 本当なら、カメラだけ持たせてほかは若槻が持てばいい。

 そうは思ったけれど、きっとこれだけは自分で持ちたかったのだろう。大切なものだからこそ、自分の手で――。

「うん、そうだね。着替えなんかは蒼樹が持ってるみたいだし、カメラは若槻かな? これはハープだもんね」

「あ、はい……」

 大切なハープだからこそ、俺に持たせてほしい。

 彼女は少し慌てては困惑した顔をした。

 困ったことに、本当に困ったことに――俺は彼女を困らせたくないと思いつつ、困った顔をした彼女も好きだったりする。

 もちろん笑顔が一番好きだけど、俺の言動で困ったり焦ったり……そんな彼女も好きなんだ。

 どうしようもない人間だと自覚しつつ、彼女の表情や言葉に一喜一憂している。

「翠葉は先輩の車に乗りな」

「えっ!?」

 彼女は前を歩く蒼樹の一言に慌てる。

「嫌?」

 そう訊くことで、彼女が断れなくなるのは知っている。だから言っているのか、それとも彼女の意思を尊重したいのか。

 それすらわからず問いかける。

「嫌、というわけではなくて……。少し、いえ、すごく緊張するだけです」

 慌てて否定してくれたときは俺の顔を見ていたのに、「緊張する」と口にしたとき、視線は足元へと落ちていた。

 若槻が彼女の隣に並ぶと、

「リィ、大丈夫だよ。サービスエリアで一度合流するし、それまで一時間ちょいだから。我慢我慢っ! いくら秋斗さんでも高速走りながらは悪さできないから安心しな」

 俺、気分的には新生藤宮秋斗なんだけど……。

「若槻くん……あとで上司の部屋まで来るように。社会人としての常識を――」

「若槻唯はただいま二日間の休暇をいただいております」

 このやろう、と思ったのは一瞬。

 だって彼女がクスクス、と声を立てて笑ったから。

 持つものがなくなったその手で口元を覆い、おかしそうに笑った。そして、俺たちよりも二メートルほど先を歩く蒼樹を追いかける。

 その後ろ姿を見ていると、

「何緊張してんだか。柄じゃないでしょ?」

 若槻に言われる。

「おまえねぇ……一度ちゃんとした恋をしたほうがいいと思うよ」

 そしたらこんなことは言えまい。

「大変申し訳ないのですが、俺、遊びじゃない筋金入りの純愛経験者ですから」

 は……?

「秋斗さんとは違うよ。俺の片思い歴は秋斗さんの比じゃないから。――っはよーございます!」

 若槻はコンシェルジュに挨拶をしてエントランスを出ていった。

「何それ、俺初耳なんだけど……」

 自分の車にハープを積むと、蒼樹の車の後ろに栞ちゃんたちも集っていた。

「気にするな。こちとらタダで泊らせてもらえるなんて嬉しいな限り」

 今回は俺と翠葉ちゃんのフリーパスをフル活用。宿泊料、その他が無料。

 こういう私的目的で使うのは二度目になる。

 静さんが、「何のためのフリーパスだと思っているんだ」とたまにごねるが、きっと翠葉ちゃんはそれでも使わないだろう。

 俺はたまに仕事で使うものの、仕事で使うために会社から費用が出ている。

 あとは、周りに気を遣わずうまい酒が飲みたいときだけに足を運んでいたが、胃潰瘍になってからはそれもない。

 今後私用で使うのなら、彼女と一緒のときだけでいい。

「翠葉ちゃん、俺と翠葉ちゃんは静さんからフリーパスをもらってる人間だよ?」

 彼女の顔を覗き込むと、一瞬頭にクエスチョンマークが浮かんだような顔をした。

 きっと、すべての記憶のありとあらゆる場所に空白があり、忘れていないはずのものまで記憶の取出しがスムーズにいかないのだろう。

 そんな彼女を目にすれば、やはり記憶は戻ったほうがいいのだろう、と思う。

 フリーパスの説明を簡単に済ませると、

「……因みに、普通に泊るといくらくらいするんですか?」

 貼り付けたような笑顔で尋ねられた。

 これは正規の金額は言わないほうが良さそうだ。

「安い部屋で一泊八万だった気がする、秋斗さん、どの部屋とったんですか?」

 若槻に悪気がないのはわかっている。それに、隠したところで泊る部屋までは隠せない。

 幸い、パレスホテルのサイトは会員しか閲覧できない仕組みになているし……。

「翠葉ちゃんたちが泊るのはロイヤルスイート。栞ちゃんたちはそのひとつ下。俺のは普通のデラックスタイプ」

 名称の開示で若槻はその部屋の金額がわかっただろう。けれども、その金額までは口にしてくれるな。

 そんな視線を向けると、

「それはそれはまぁまぁまぁ――」

 薄ら笑みを浮かべ、棒読みでそう言いながら蒼樹の車へと乗り込んだ。

「翠葉、金額のことは考えるのやめようか」

「……うん、そうする」

「さ、そろそろ行こう」

 顔を引きつらせたふたりに声をかけ、彼女を促し助手席のドアを開ける。と、見知った車が滑り込んできた。

「蔵元……?」

 今日の出発時間は話してあったが、まさか見送りに来たわけではないだろう。

 車を降りた蔵元の手にはブリーフケースがあった。

「秋斗様、こちらの書類にサイン漏れがひとつございます」

 その書類に目を通し脱力する。

「そのくらいどうにでもなるだろ」

 明日が期日の書類で、ほかはとくに問題はない。ただ、あるべき場所に俺のサインがないだけ。

 蔵元から渡された少し重みのある万年筆でサインをする。

「どうにもならなかったとき、サインだけをいただきに、二時間もかけて馳せ参じるのはご遠慮申し上げたいので」

 蔵元は営業スマイルを浮かべた。

「そのほうが秋斗様もお嫌でしょうから?」

 っていうか、それを見るのは社長――つまりは父さんだけのはずで……。

 蔵元は書類をケースに戻すと翠葉ちゃんに声をかけた。

「気負わずに楽しまれますよう――」

 彼女の顔が一瞬にして強張る。

 もしかしたら、記憶を思い出すための旅行だと再認識したのかもしれない。

「お嬢様……?」

「え、あ……」

 蔵元がコンクリートに膝をつき、

「どうか気負わないように」

「はい……。あの、蔵元さんひとりお留守番でごめんなさい」

「お気になさらず。これで二日間は羽を伸ばせます」

「……そうなんですか?」

「はい。誰かのお守りや誰かの使いぱしり。誰かの――」

 俺は便宜的な笑顔を再生する。

「蔵元、土産はないと思え」

 蔵元のスーツを後ろから掴み、猫をつまみあげるように上方へ引っ張った。

「最初から期待などしておりません」

 若槻も若槻だが、蔵元も蔵元だ。俺の部下は優秀だが一癖あるらしい。

「ただ、運転だけはお気をつけください」

 肩越しにこちらを見る目は、「お命は大切に」と言っていた。

「わかってる。彼女を乗せて無茶な運転をするつもりはない」

 そう言って彼女を助手席に座らせると、ドアを閉め運転席に周りこむ。

 俺が運転席に座ったときにはすでに助手席の窓が開いていた。開けたのは彼女自身。

「秋斗様は時々薬を飲むのを忘れるので、さぼらないように見張っていてくださいね」

「はいっ」

 俺は自己管理ができないガキか……。

「翠葉ちゃん、そんな小姑相手にしなくていいから」

 笑顔で言うと、翠葉ちゃんは不思議そうな顔をした。

「……仲、悪いんですか?」

「悪くはないよ」

「秋斗様は私の上司ですので、ただただ敬うばかりです」

 いい加減解放してくれ……。

 問答無用で助手席の窓を閉め、

「じゃ、行こうか」

 と車を発進させた。

 カーステから流れるのは彼女の好きな「Close to you」。

 君は記憶を取り戻したい? 取り戻したくない?

 翠葉ちゃん、君はどう思ってる? 君の幸せはどこにある?

 それを探す手伝いを俺にさせてほしい。

 許されるなら、その幸せを俺に作らせてほしい。

 人生において何が幸せなのか、なんて考えたことはなかった。 

 ただ、自分のやりたいようにできればそれで良かった。

 でも、今ならわかる。まだ漠然とだけど――。

 幸せとは、人の人生に関わることなんだろうな。

 君に出逢って知ることができたよ――。

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