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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
92/120

28~33 Side Akito 01話

 仕事を片付けたはいい。

「やばい……眠れないってなんだよ」

 旅行前に眠れないなんて遠足前のガキじゃあるまいし……。

 外の空気を吸おう――そう思ってベランダに出た。

 静さんの部屋のベランダとは違い、うちのベランダには何もない。

 緑もなければテーブルも椅子もない。

 ただ、ここから一望できる藤倉市街の夜景は意外と気に入っている。

「酒が飲めればなぁ……」

 夜景を肴に一杯飲むのに……。

 禁酒を食らってからどのくらいが経っただろう。

 最初こそ飲みたいと思ったりもしたが、今ではそんなに飲みたいとは思わない。

 酒とコーヒーなら、コーヒーのほうが飲みたいかも。

 コーヒーを淹れているときに漂うあの香りはたまらないものがある。

 そんなことを考えていれば、かぐわしい香りが漂ってくるわけで……。

「栞、一泊旅行なんだからそんなにあれこれ持っていく必要はないだろ?」

 隣の家――即ち神崎家の主が出てきたようだ。しかも、片手にはコーヒーを持って。

「いい香りさせてますね……」

 ゾソリと言えば、仕切りの向こう側からひょい、と昇さんが顔を出した。

「おまえ、座り込んで何やってんだよ」

 長身の人間に見下ろされるってこんな感じか、と思いながら立ち上がる。

「数十秒前までは立っていたんですよ。夜景を見ていたらコーヒーのいい香りがしてくるから思わず立ちくらみ」

「なんだそれ。っつか、何? もしかして寝られねーの?」

 昇さんの目が三日月目になる。

「……はぁ、そうです。眠れないんですよ。大きなイベントを目の前に緊張しちゃって」

「だっせぇ……」

 本当にそう思う。

 前に行ったときは起きられるかが不安で、緊張して夜眠れないなんてことはなかった。

 あの日は会議が夜まで引っ張りはしたものの、仕事量で言うならば今回のほうが上をいく。

 目と頭をかなり酷使した。さすがの俺でも休息を欲する程度には。

 それでも神経が昂ぶっていて眠れない。

「酒も飲めねぇか……ちょっと待ってろ」

 そう言うと、昇さんは部屋へ入ったようだ。

 数分後、「ほれ」と渡されたのは薬のプレート。

 薄いグリーンの台紙に小さな白い錠剤。

「これ、なんの薬ですか?」

「軽い精神安定剤。筋弛緩の効果もある。飲みつけてない人間なら睡眠導入剤の役割くらい果たしてくれるさ」

 感謝したいようなしたくないような……。

「緊張の原因は考えなくてもわかるが、なるようにしかなんねーよ」

 そんなことはわかっているはずなんだけど……。

「一番困惑しているのは彼女だってわかってるんです。けど、自分がどう彼女に接したらいいのか――今の自分にはそれが一番難しい」

「……そのまんまのおまえでいいんじゃないか?」

 そのままの俺……?

「おまえのことだ、好きな子には思い切り甘くありたいんだろ?」

「それはもう……」

「だから、それでいいんじゃないか?」

「それをやって歯止めが利かなくなって失敗してるんですよね……」

 思わず苦笑が混じる。

 歯止めが利かなくてキスして、キスマークをつけて抱きしめて――。

「秋斗、同じ轍を踏まなきゃいいだけのことだ」

「……踏みそうなんですよ」

「ずいぶん苦戦してんな」

「えぇ……」

「ま、がんばれ寂しき独り者」

「昇さん……そこ、がんばれ青年とか若者とかの間違いじゃなくて?」

「二十後半と三十前半なんてそう変わんねーよ。ってことでとっとと休め」

 そう言うと、窓の閉まる音がした。

「同じ轍、ねぇ……」

 呟きながら部屋に入り、渡された薬を飲みすぐにベッドへ横になる。

 目を瞑ればここに彼女が横になっていた日を思い出す。

 誕生日のランチをうちで食べたあと、アルバムのトラップにはまってまんまとこの部屋に足を踏み入れた彼女は、何も考えず促されるままにベッドへ上がりこみ、アルバムを見ていたっけか……。

 そして、無防備なお姫様はそのまま眠ってしまった。

 目の前ににんじんをぶら下げられた状態でも、あの寝顔が見られる距離や関係――たかだかそんなものが、今なら幸せだったと思える。

 二回目は問題の日――。

 薬を飲んだ途端にとろんとして、彼女はそのまま静かに眠り始めた。

 あの日、拓斗が来なければキスマークまでは付けずに済んだかなぁ……。

 でも、拓斗がいようがいまいが、何度も何度もキスをすることにはなっただろう。そして、唇を重ねれば重ねるほどにそれ以上を望んでしまった気がしなくもない。

 結局はどっちもどっちだったのか――。




 ピピッ、ピピッ、ピピッ――。

 サイドテーブルにある携帯のアラームを止め身体を起こす。

 窓から外を見れば見事な秋晴れだった。

 寝室にはブルーグレーの遮光カーテンがあるものの、もうずっとそれを閉めてはいなかった。

 湊ちゃんには、「真っ暗な部屋で寝たほうが胃の回復が早い」と言われたものの、それをする気にはならなかった。

 理由は、幸倉の彼女の部屋にレースカーテンしかないから。

 彼女曰く、

 ――「外が明るくなったら目が覚める。そんな生活を心がけているんです。だから、厚手のカーテンは寒い冬にしかつけません」。

 後日、それが自律神経を整えるのに有効な手段であることを知ったわけだが、そんな生活が彼女らしいと思った。

 俺はどちらかというと、昼夜逆転することも少なくないから、きっちりと遮光して寝たい人間だったわけだけど――好きな子の言葉は偉大です、ってことで……。

「寝られたな……」

 ベッドに横になってから色々と考えていたつもりだが、気づけば寝ていたらしい。

「とりあえずはシャワー……」


 そのままの俺――。

 今の俺ではだめな気がする。

 そのままの俺なら、彼女に触れずにはいられない。

 記憶の話をしたとき、手を握ることは許された。

 そこから、とは思っていても、手を差し出すその瞬間が怖い。

 あのときは司もいたし、「おあいこ」な感じもした。

 もし、手を差し出して困った顔をされたら? いつかのように、男性恐怖症のような症状が出たら?

 楽しい旅行にしてあげたいと思うのに、それを自分が台無しにしてしまいそうだ。


 栞ちゃんたちの部屋はエグゼクティブ。翠葉ちゃんたちが泊まる部屋はロイヤルスイート。俺は普通のデラックスツイン。

 デラックスの下がないから俺はそれにしたわけだけど、栞ちゃんたちの部屋は式を挙げたときに泊まった部屋を取ることができた。

 本来ならロイヤルスイートを取るはずなのに、栞ちゃんがエグゼクティブのほうが落ち着くという理由でその部屋になったと聞いたことがある。

 なんで翠葉ちゃんたちがロイヤルスイートになったかというならば、静さんの口添えがあったことと、木田さんの配慮だった。

 予約の電話をしたとき、

『翠葉お嬢様はキャンドルサービスやお花がお好きなようでしたので、ロイヤルスイートのお部屋をそのようにご用意させていただきます』

 と言っていた。

 夕飯をレストランで食べたあと、部屋へ戻ったら電気を点けずともキャンドルが灯っている。そんな演出をしてくれるのかもしれない。

『秋斗様には――』

「俺はデラックスで」

『ほかのお部屋もご用意できますが』

「いいんです。あまり広すぎるのはかえって落ち着かない気がして……」

『かしこまりました。では、そのようにご用意させていただきます』

 そんな会話をして通話を切った。


 朝食にバタートーストとハーブティーを飲む。それが最近の俺のスタイル。

 朝に飲むのはミントティー。飲む時間帯や用途に合わせてハーブティーをチョイスするのは意外と面白い。

 面白いというよりは、気分の切り替えに「飲む」という行為以外に「効能」なんて要素もついてきて、興味深いと思うようになった。

 リラックスしたいときにはラベンダーやカモミール。仕事前にはミントやローズマリー。

 ローズやリンデン、レモングラスがブレンドされているものには利尿効果があったりビタミンが豊富なものまでと幅広い。

 コーヒーも産地や焙煎方法など楽しめる要素が数多くあったが、ハーブティーは何もかもが身体や心に作用するものだった。

 彼女に出逢わなかったら一生足を踏み入れることのない世界だったと思う。

 こうやって、俺は彼女にどんどん侵食されていく。それは悪いものではなくプラスの要素として

――。

 彼女は――俺が翠葉ちゃんに与えられるプラスの要素とはなんだろう。そもそも、俺は彼女にとっていい作用を与えられる人間なのだろうか。

「いつからこんなに弱気になったんだか……」

 気づけばトーストが冷めていた。

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