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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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24~28 Side Tsukasa 05話

「ツカサは……ツカサが言ったんだよ。私がツカサって呼んでたって」

「それだけ?」

 本当にそれだけなら、俺は相当間抜けだ。ひとり名前に固執して――。

「それだけっていうか……確かにそう言われたからそう呼んでいるのだけど……。呼ぶにあたってひどい違和感はなかったの。自分が男子を呼び捨てにすること事体には驚きがあったけれど、でも、呼ぶことに抵抗はなかった」

 翠の声が困惑の色を濃くする。それでも訊くことをやめられない。

「じゃぁ、藤宮先輩と司先輩とツカサについては?」

「ツカサ、これはなんだろう……?」

「翠にとってはどうでもいいこと。でも、俺にとってはどうでもよくないこと」

 俺にとってはどうでも良くて、翠にとっては一大事。そんなことが今までにたくさんあったな、と思う。

 今の翠はあのときの俺と同じ心境なのだろうか。

「……泣く?」

「っ……!?」

 訊かれたことにびっくりして顔を上げる。

 翠の目に自分が映っていた。

 目の表面には水分が多め。でも――。

「泣いてない。ただ……少し怖いとは思ってる」

 わけは訊いてくれるな。答えられる自信はない。

「……何か嫌みを言うときには藤宮先輩って呼びたいかも?」

 少し笑いの混じるコミカルな言い方。

 言われている内容的には皮肉が含まれているけれど、翠が話す分には嫌みっぽく聞こえない。

「でも……できれば使いたくない。今の私にはその呼び方はよそよそしく思えるから。『司先輩』はケースバイケース。それがいいならそうする。でも、今一番しっくりくる呼び方は『ツカサ』なの」

 その答えで十分なのかもしれない。でも、その先を求める自分がいる。

「じゃぁ、どうして司先輩に呼び方を戻そうとした? ケースバイケースって何」

「……それは、そんなことで気が済むならそれでいいと思ったから。ツカサのファンの人たちは、自分たちがそう呼べないから、だからそういうふうに呼んでいる私が気に食わないだけだと思う。その女の子たちが、ツカサのことをそう呼べるようになるのには時間がかるでしょう? だとしたら、それまで私も先輩をつけて呼べばいいかな、って……安直かもしれないけど、そう思っただけ。でもね、藤宮先輩と呼ぶつもりはなかったよ」

 翠は何も考えていなかったわけじゃなくて、ただ――いつもどおり、翠独自の変な見解があって、それに則って名前を呼んでいたらしい。そして、その変な法則の中で自分の呼称は守られていると思っていい気がした。

「全然簡潔じゃなかったけど、ふたつめの問いの答えは?」

 訊けばため息っぽく息を吐き出し、

「呼び出しに応じる理由だっけ……?」

「そう」

「知ってもらいたいから……?」

 質問に疑問文で返すなよ。

「何を?」

「ツカサのことも自分のことも。なんかね、話を聞いていると、ツカサのことを勘違いしている人が多い気がして……。言われて一番嫌だったのは、話しかけても無視する人、っていうの」

 訊かれたことに、「面倒」と表情で答えたことは何度もあると思うが、無視まではしたことがないと思う。でも、そこを勘違いされていたとしても俺は困らない。

「ツカサはそんなことしないよね?」

 相手にしてこなかったといえばしてこなかったうちに入るかもしれない。それを無視というなら「してきた」ことになる。

「ツカサは女の子が苦手って言ってたでしょう? それに、あれこれ噂されるのも自分のことを詮索されるのも嫌だよね? でも、それ以外なら? ……たとえば、学校行事に関することで話しかけられたのなら無視なんてしないでしょう?」

 あぁ、なんとなくだけど、少しわかった気がした。

 翠が呼び出しに応じてどんな話をしているのか、とか。何を思ってそんな話をしているのか、とか。だから、最近図書棟に行くまでに話しかけられる回数が多かったのか、とか。

 正直、話しかけられてそれに答えるのは面倒だと思う。でも、それが紅葉祭に関わるものなら答えに困ることはないし、自分のことを詮索されているわけではないから、ないがしろにはせずきちんと答えてきた。

 翠を呼び出す人間がそれで満足するというのなら、そのくらいは協力しようかと思う。

「翠、最後にひとつだけ……」

「何……?」

 一番訊きたくて、怖くて訊きたくないと思ったこと。今なら訊いても大丈夫な気がした。

「翠は俺と距離を置こうと思ったことはある?」

「ないよ」

 即答だった。悩む間など一秒もなく、最初から決まっていたかのように声を発した。

「もし、人にそう言われたら?」

 これも否定してくれると思うからこそ訊けること。

「ツカサ、私、揉めごとが好きなわけじゃないのよ? でもね、譲れないことは譲れないの」

 ただ否定してほしいだけなのに、翠の顔が歪む。

「一緒にいるところを見ると不愉快だとか、図々しいとか、そう思われているみたいなんだけど、人に言われて自分が大切だと思っている関係を崩すつもりはないの。自分からは手放したくないの。だから、逆にその人たちがツカサに近づけばいいと思った」

 言葉を口にするたびに、苦しそうに顔を歪める。

「ツカサ……この話やだ。怖い――」

 そう言って下を向いた翠の目から涙が零れた。

 ブルーグレーのワンピースが涙に濡れて青い染みとなる。

 あぁ、そうか――人が離れていくことを何よりも怖がっているのは翠なんだ。だから、翠から簡単に距離を置こうとするわけがない。

 そんな人間が学校を辞めようとしていたと考えるだけでも想像を絶する。

 ……否、そう考えていたとき、翠の手の内にはまだ誰も入れていなかったのかもしれない。

 翠は隣で蹲るように足を抱えている。

 ――また、泣かせた。

「手、つないでもいい?」

 言われなくてもつないでいたと思う。

 この手を放したらいけない気がして……。つないでおかないといけない気がして――。

「悪い……」

 そう言うと、まだ涙に濡れた目で翠が俺を見た。

「昨日、怒鳴って悪かった……。それから、今、泣かせて悪い……」

 意識しなくても手に力がこもる。

「もうこんなこと訊かないで。こんな怖いことは考えたくないよ」

「……訊かずにはいられなかったんだ」

「……どうして?」

「俺も不安だったから、訊かずにはいられなかった。でも、もう訊かない。その代わり、俺が空回りしそうになったら翠と話したいんだけど。翠じゃないとだめなんだ」

 翠が空回るとき、誰に手を伸ばしても救われると思う。でも、俺が空回るとき――相手は翠じゃないとだめなんだ。翠にしか助けてもらえない。

 名前の呼び方やそんなもので翠との距離は変わらない。それを今知ったから、この手を一度離すけど、不安にはならないでほしい。

 立ち上がりキッチンの引き出しから新しい布きんを取り出すと、それを翠に渡した。

「涙拭いたらカップの用意して」

 翠はきょとんとした顔で俺を見上げたけれど、すぐにコクリと頷き少し笑う。

 俺は自動的に止まったクッキングヒーターの電源を入れ、再度湯を沸かし始めた。

 夏に渡したとんぼ玉。それは今、チェーンには通されておらず、髪を結うゴムに通されいる。そして、いつも翠の髪につけられていた。

 猫に鈴をつけた気分でいたけれど、鈴をつけられたのは自分なんじゃないか――。

 そんな錯覚に陥るほど、俺は翠が好きなようだ。

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