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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
89/120

24~28 Side Tsukasa 04話

 ゲストルームのインターホンを押したものの、翠が出てくる気配がない。

 ゆっくり立ち上がったとして――立ちくらみ……翠ならあり得る。

 携帯を鳴らすと、近くから着信音が聞こえてきた。

 たぶん、すぐそこの自室にいる。

 携帯はつながったが声が聞こえてこない。

「眩暈?」

『うん……ちょっとドジ踏んじゃった』

「じゃ、こっちで手動で開けるからいい」

 いつもと変わりなければ物理的な鍵はかかっておらず、指紋認証のみで開錠できるはず。

 右の人差し指をセンサー部分におくと、ロックはすぐに解除された。

 玄関を開ければ翠の部屋は開いたままになっている。

「先輩、すぐそこ、左の部屋です」

 茜先輩は靴を脱ぐなり部屋へと駆け込む。

「翠葉ちゃんっ、大丈夫っ!?」

「あ……えと……」

 翠はラグの上に横になった状態で、言葉に詰まっていた。

「どうせ、段階も踏まずに立ち上がったんだろ」

 翠の手から携帯を取り上げ、今は俺の携帯に表示されることのないバイタルを見る。

 七十五の六十二――。

 脈圧はないものの、脈の乱れはそうひどいものではない。

 これなら数分も横になっていればもとに戻る。

「先輩、大丈夫です。あと数分もすれば落ち着くから。俺、飲み物淹れてきます」

 先輩に伝えるというよりは、翠に暗示をかけるために口にした。

 言葉による暗示や思い込みは人の身体にきちんと作用する。プラセボ効果は侮れない。

 俺は薬を処方できるわけでも治療をできるわけでもない。それなら、言葉でくらい安心を与えることはできないだろうか。否、これくらいは今の俺でもできると思いたい。


 キッチンに入り、ケトルに水を入れて火にかける。

 持続的に血圧が低いわけではないけれど、立ちくらみのあとならローズマリーだろうか……。

 いくつか並ぶ缶とカゴに入ったティーパックを前に悩む。

 あの部屋にいたということは、俺たちが来るまでは休んでいたのかもしれない。

 そう思えば必然的に手が伸びるハーブティーがある。モーニングティーだ。

 レモングラスとミント、レモンピールの爽やかな香りがするハーブティー。夏の間、翠が好んでよく飲んでいたもの。

 もう秋だけれど、少しでも自分たちの時間を巻き戻せるのなら、夏休みの頃に戻したい。

 あの頃のように話すことはできないだろうか。

 そんな思いこめて茶葉をポットによそった。


 すぐそこに翠の気配がある。

 キッチンに入ろうと思ってそこに立っているはず。なのに、一向に入ってはこない。

「カップ、どれ使うの?」

 翠の立つ方を見て訊けば、「あ、私やる」とキッチンへ入ってきた。それと同時にピアノの音が鳴り出す。

 まるで茜先輩の声が聞こえるようだった。

 指慣らしの単調なフレーズなのに、どこかのんびりと弾いているような感じがするから、

「時間をかけていいからちゃんと話してごらん」

 と、言われている気がする。

 食器棚の前に立つ翠の表情をのぞき見ると、翠は不安そうな顔をしていた。

 どのカップを使うか悩んでいる、というよりは、不安げな表情。

 でも、俺だって不安なんだ……。

「翠」

「な、何っ!?」

 ガラスには俺も映っていたはずなのに、翠は全く気づいておらず、振り返るとひどく驚いた顔をしていた。

 びっくり眼が俺を見上げる。

「訊きたいことがある」

 俺と翠の身長差は二十センチ。

 至近距離にならなければ「見上げる」なんてことにはならない。

「翠にとって、人の呼び名って何? それから、どうして呼び出しに応じるのか、その二点が知りたい」

 ただ、これだけのことを訊くのに、いつもと変わりない声量で話す自信がなかった。だから、翠のすぐ後ろまで近づいた。

「……はい?」

 きょとんとした顔。

 間の抜けた声で訊かれ、ほんの少し自分の緊張が緩む。

「……なんでとか疑問に思わなくていいから。とりあえず簡潔な答えを希望する」

 簡潔な答えなどもらえはしないだろう。

 今の翠、いつもより頭の回転率悪そうだし……。

「人の呼び名は――呼び名、かなぁ……」

 簡潔に、とは言ったけど、そこまで省略されると困る。何か補足しろ、と文句を言おうとしたら、

「あ、でも――苗字ではなく名前を呼ばれると嬉しいと思うから……というのは私が、という話なのだけど……。だから、誰かの名前を呼ぶときも、下の名前で呼べると嬉しいな。……呼べると嬉しいというよりは、下の名前を呼べる関係にあることが嬉しいと思う」

 どこか疑問文っぽいイントネーションで終わり、首を傾げてこちらを見る。

「じゃ、漣は?」

「サザナミくんは……苗字の響きがきれいだから」

 頭フル回転――そんな顔をしているけれど、俺が訊きたい答えまではまだ遠い。

「センリって響きもきれいだけど、周りの人でサザナミくんって呼んでいる人は少なくて、だから、自分が口にするだけでも新鮮な気がして……。きれいだから、そのままサザナミくんって呼びたかったの」

 翠らしいと思えた。

「ほかの男は?」

「……ほかの、男子?」

 俺が訊くことに対し、翠はいちいち驚き頭を抱えそうな勢いで悩み始める。

 これは答えにたどり着くまで時間がかかりそうだ。

「ほかの男子は……」

 言葉に詰まる翠に、「座って」と肩に手を置き、重力のままにしゃがむよう促した。

 相変わらず華奢な肩。手を乗せれば手の平に骨が触れる。

「ツカサ……尋問みたいで怖い」

 小動物の目で見上げてくる。

「尋問じゃないけど、それに酷似してると言われてもかまわない。答えてもらわないと俺が困る」

 勝手だと思うけど、もう少し俺に付き合ってほしい。

 俺が立ったままじゃ翠も落ち着かないだろうし、俺だって真正面から聞けるほどの度胸があるわけでもない。

 俺は翠の隣に座った。

 翠と話をするとき、どうしてか隣に並ぶことが多く、それに慣れてしまった自分がいる。

「翠の呼称に対する考え――それを知っておきたい」

 単刀直入に訊いたつもり。でも、翠の頭の中でどう変換されるのかは未知数。

「簡潔には話せないよ?」

「わかってる」と答えたら嫌みだろうか。

 そんなことを考えているうちに翠が話し始めた。

「下の名前で呼んでもらえるのはすごく嬉しいの。でも、自分が呼ぶときには少し考える。……なんていうか、慣れてないの」

 そう言って、居心地悪そうに笑みを浮かべた。

「とくに男子はもっと慣れてない。だから、下の名前で呼べる人はツカサと海斗くんと秋斗さんしかいないし、呼んでって言われても躊躇しちゃう」

 誰かほかの男に言われたのだろうか。

「朝陽たちは?」

「生徒会の先輩たちは、半強制的に、だったでしょう?」

 あれはなんていうか、俺への当て付けだとか、俺をからかいたかっただけだとも思うが、今になって考えてみれば、緩衝材になってくれたのかもしれない。

 翠が下の名前で呼ぶ男子は藤宮の人間三人だけだ。佐野ですら苗字で呼んでいる。それを目立たなくするために、名前で呼ぶように仕向けてくれたのかも――と今ならそう思えなくもない。

「それに、『先輩』がついているから呼びやすいだけ。でも、自分の中のイメージを重視するのなら、久先輩は会長って感じだし、朝陽先輩は美都先輩って感じ。優太先輩は春の日差しみたいな人だから、春日っていう苗字がとてもしっくりくる。でも、優しい先輩だから優太先輩でもあまり違和感はないみたい」

 何をどうしたら会長が会長って感じなのだろうか。会長はあまり会長の風格を持っているようには思えない。ただ、そう思う割には俺も会長と呼んでいる。

 理由は、付き合いが長い分、ほかの先輩と比べると接し方が曖昧になるから。

「先輩」であることを意識するために、「会長」という呼称を使っているにほかならない。

 ……とりあえず、漣にしても会長にしても優太にしても、

「呼び方にこだわりがあるのかないのかわからない」

 やっぱり翠の思考回路はよくわからない。

 わかりたいと思うけど、訊いてもわからないこともある。

 これ以上突っ込んで訊いたら本当の尋問だろうか。

「だから先に言ったじゃない。簡潔には話せないよって……」

「そうだけど……」

 でも、そこで放り投げることができない。諦められない。

 わかりたいと思う。翠を知りたいと思う自分を抑えられない。

「俺の名前は?」

「ツカサの名前?」

 翠がこちらを向く。

 でも、できれば今の自分は見られたくない。きっと情けない顔をしているだろうから。

 こんな話になるなら携帯で話せば良かったんじゃないか、と思い始めている自分がいるくらいには見られたくない自分だった。

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