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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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17~23 Side Tsukasa 07話

 学校を出たのは五時過ぎ。

 病院には十分もあれば着く。

 誰にものを尋ねるでもなく九階へ向かう。と、長い廊下は足元が見える程度の照明しか点いておらず、ナースセンターにだけ煌々と明かりが点いていた。

 ほかの階とは比べるまでもなく、経費削減を彷彿とさせる階になっている。

 これは相馬さんの性格か――。

 少なくとも、翠が入院していたときはこんなことはなかった。

 廊下から病室を覗き込めば、照明は点いておらず自然光のみの明るさ。

 この部屋の明るさは寝ている翠を気遣ってのことだろう。

 相馬さんは翠の傍らで点滴を外しているところだった。

「おぉ、来たか」

 いつもより小さな声で言われる。

 この場で物音を立てたくなくてナースセンターへ戻ると、少し遅れて相馬さんも病室から出てきた。

「なんだ、スイハが気になって来たんだろ?」

 ステンレストレイにある点滴パックなどを処理しながら訊かれる。

「寝ているなら起こす必要はないでしょう」

「夏休み中は寝てても病室にいただろうが」

「…………」

「またケンカしたのか?」

「そういうわけじゃ……」

 いつのケンカがどこまで続いているのかがすでに謎。

「おまえがついていないんだったら俺がついてるぞ」

「そうしてください」

「らしくねぇな?」

「……翠のバイタルを見せてもらってもいいですか?」

 ここのパソコンからなら履歴がたどれる。

「それ、歴とした個人情報なんだがな……。ま、おまえさんだからよしとしよう。内緒だからな? 御曹司」

 相馬さんは悪そうな笑みを作り、翠の病室へと消えた。

 発作のあと、翠が目を覚ますときは誰かが側にいることが多い。それは周りが気をつけてそうしている。

 発作を起こしたあとに病院で覚醒する際、去年の出来事にフラッシュバックすることがあるのだとか。本人もそのことはわかっているため、目を覚ます前には必ずどんな状況で今自分がどこにいるのか、それらを頭の中でトレースしてから目を開けるようにしていると言っていた。

 夏休み中、色んなことを知った。

 翠にとって、去年という一年がどれほど過酷なものだったのか。それらはすべて翠が話してくれたこと。

 退院してから一ヶ月分のバイタルにざっと目を通す。

 取り立ててひどいものは何もない。ただ、先々週半ばあたりからずっと微熱が続いていた。

 動きすぎだとは思っていたし、時折だるそうにしているのも見ている。でも、翠が笑顔を絶やさずがんばっているのを見てしまうと、それに水を差すようなことが言えなかった。そして、一方では単なる高温期だろうと思っていた。

 きっと、あと数日もしたら生理だろう。もっとも、生理がコンスタントにきているならば、の話だけど。

 もっと早くにセーブしておけば良かった。今となってはあとの祭りだ。

 バイタル――もう一度自分の携帯にも転送してもらえないだろうか。そうしたら、こんなことにはならない。

 デスクに置いてある翠のカルテにCFSのレベルが記されていた。

「PS値2――日常生活は送れる」

 が、油断をすればすぐ次のステージだ。それと、頚部リンパの腫れ、ね。

 これは明日は休めと言われるだろう。でも、明日を休めばもう土日だ。三日間はゆっくり過ごせるだろうか。

 ここのところ、土日も紅葉祭の関係で学校に来ていた。今週も変わらずその予定だが、強制的にでも休ませたほうがいいかもしれない。

 それを翠に言うことを考えると気が重くなる。

 翠のことだから嫌がるのだろう。もし休ませることができたとしても、家で歌の練習をしているかもしれない。でも、そのくらいならいいか……。

 呼び出されてくだらないことに頭を使うくらいなら家で休んでろ――。


 ふと顔を上げれば、病室の照明がついていた。

 起きたか……。

 相馬さんが出てくると、

「おら、仲直りしてこいや」

 と、肩を叩かれた。

「仲直り」という言葉には引っ掛かりがあるものの、ここまで来て会わないというのもおかしな話だ。

 翠の病室に入るとひどく驚かれた。

「……ツカサ」

 どうして、って顔。

 病室の時計に目をやって、さらに驚いた顔をされる。

 考えていることはだいたいわかるつもりだけれど――こと、呼び出しに関しての思考回路だけは別枠で。

「どうしているの……?」

「先に上がらせてもらった」

 そう言ってスツールにかける。

 本当は、追い出されたとは言いづらい。

 秋兄なら、「心配だから来た」と言うのだろう。もしくは、「ついていたかったからついていた」と。

 俺には言えない言葉の数々。

 ここでこんなふうに話すのは久しぶりだ。

 翠が退院して、二学期が始まってからすでに一ヶ月。

 当たり前といったら当たり前のことなのに、夏休みという期間、あまりにも当然のようにここへ通ってきていたからなのか、この場所が妙に心落ち着く場所となっていた。

 否、翠とのこの距離やポジションに、かな。

 翠の真っ直ぐな視線を感じ、何か話さなくては、と思う。

「数日休んだら?」

 俺は口を開いて早々に地雷を踏んだらしい。

 翠の大きな目から、ボロボロと涙が零れる。でも――。

「また入院するのは嫌だろ?」

 翠が学校を休まずに通いたいのはわかっているし、つらくてもがんばって登校しているのも知っている。

「私がいなくても困らないものね」

 翠は手の甲で顔を隠し、しゃくりあげ始めた。

 あ――勘違い……いや、違うな。勘違いではなく、俺の読みが浅かっただけだ。

 学校を休みたくないのは意地になっているからじゃない。

「……困る。翠がいないと困る。誰が計算やるんだよ」

「そんなの、電卓があれば困らないじゃない」

 翠が恐れているのは――自分の居場所がなくなること。

 俺の中で翠に代わる人間なんていないのに。

「一緒に練習しなくちゃいけない歌の練習だってあるだろ」

「一曲だけだもん」

「伴奏してもらう曲を含めたら二曲」

 俺が必要だと言ってる。

 もっとストレートに言えたら――たとえば、歌の歌詞のように……。

 こんな伝え方をしたって何も伝わらないし、何も変わらない。わかっているけど、それができない。

「翠がいないと困る人間たち――」

「え……?」

「生徒会のメンバーが困るって」

「……でも、私が抜けてもそんなに大きな穴は――」

「開くんだよ」

 俺の中には……。

「うちの生徒会で俺に文句を言えるのは翠くらいだから。俺への文句は翠に言わせるっていうのがメンバーの常套手段」

 翠の涙が止まり、こちらをじっと見る。

 その視線にもだいぶ耐性ができたとは思うけど、まだ心臓の強化が足りない気がした。

「だから、翠がいないと困る人間はいる」

 今の俺にはこの言葉が精一杯――。

「……最近、普通に話せなくてごめんなさい」

「それでいいって言ったのは俺だから」

 たぶん、どっちが悪いわけでもなくお互い様。

「……本当はもっと普通に――夏休みに話していたみたいに話したいんだけど……」

「第三者が絡むとケンカ腰?」

 図星って顔が翠らしくて、つい口元が緩む。

 俺たちがまともに話せなくなったのは、翠が呼び出しにあうようになってからだ。それさえ絡まなければほかでは普通に話せていたと思う。

「ツカサ……私、大丈夫だよ?」

 遠慮気味に見上げてくる目。

「何が」

「ツカサや風紀委員の人が見張っていてくれなくても、たぶん大丈夫……。最初こそ、『呼び出し』かもしれない。でも、今では会えば挨拶をしてくれる人もいるのよ?」

 早速第三者が絡む話到来……。

 またか、と思いつつ、努めて冷静に話すことを心がける。

「……青木から聞いた。呼び出した側の態度が変わりつつあるって」

「話せばわかってくれる人もいるよ? 時々、どうしても相容れない人もいるけれど」

 訊いてみようか……。何をどう考えてそういう人間と話をするのか。俺が理解に苦しむ点をクリアにしてもらえるだろうか。

 翠が何をどう考えているのかが知りたかった。

「ツカサ、どうしたら普通に一緒にいられるのかな」

 ――っ!?

「ただ一緒にいて、普通に話をしたいだけなのにね」

 そう言って、翠は視線を落とす。

 その言葉と表情に、一瞬期待した自分がいる。が、それはすぐに打ち消される。

「ツカサがもう少し周りの女の子と話をしてくれたらこんなに苦労しなくて済むんだよ?」

「友達」として一緒にいて話がしたいだけ。それ以上でもなければそれ以下でもない。

 でも、どうやったってほかの女子と話す気にはなれない。

 たとえば、翠はできるのか? 知らない男、不特定多数の男と話せ、と言われたら。

 できないだろ?

 根本的な事情は違うにしても、状況は然して変わらないと思う。

「ツカサ……私、ものすごく大丈夫な気がしてきた」

「は?」

 急にそんなことを言うものだから、ますますわからなくなる。

「ううん、こっちの話」

 久しぶりに俺に向けられた笑顔。

 久しぶりだと思ったのも束の間。その表情はすぐに消えた。

「何、笑顔から一変して表情曇ったけど?」

「ううん、有効な解決法はあったけど、なんとなくショックだな、と思っただけ」

 翠の頭の中を割って見てみたいと心底思う。

 何が有効な解決策で、何がショックなのか。

「……それ、どんな解決法?」

「え? ものすごく簡単なことだよ。ツカサは女の子が苦手だから話さないのでしょう? それでも私と話せるというのは、私を女の子として見ていないからっていう極論。それをみんなに話せば納得してもらえるだろうな、って」

 ――冗談だろ……?

「どうしてそんな顔をするの?」

 翠は俺の気持ちに少しも気づいていないのだろう。

 わかってはいたけど、ここまでスルーされるとたまらないというか、やるせないというか……。

 翠といると嫌っていうほど、そんな気持ちを思い知らされる。

 俺が女だと思って話すことができるのは翠だけで、ほかの女子は生物上女と認識はしているが、そういう対象にはない。

 何も返せずにいると、ノック音が聞こえてきた。

 ノックの音が秋兄……。少し抑揚を感じるような叩き方。

「翠葉ちゃん、どう?」

 いつだって絶妙なタイミングで現れてくれる。

「あ、大丈夫です。あの、病院まで運んでいただいてありがとうございます」

 翠は場の空気が変わったことに少しほっとしたようだ。

「いいえ、どうしたしまして。今日はもう帰っていいみたいだから送るよ」

 御園生さんは……?

 訊こうとしたら、

「蒼樹、今日は教授に捕まって大学の研究室で飲まされてるんだ」

 翠が病院へ運ばれたのにあの人がいないこと自体が不自然なはずなのに、俺は今の今までそんなことにすら気づかなかった。今の俺は、そんなにも周りが見えていないのだろうか。

「俺じゃ嫌かな? それなら、あと一時間もしたら楓が上がる時間みたいだけど……」

「あ、えと……全然嫌じゃないです。お手数をおかけしてすみません」

 少し硬質な声。秋兄の変な遠慮、というよりは緊張が翠に伝染した感じ。

 秋兄――ふと、その存在に考えをめぐらせる。

 秋兄は翠の中でどんな位置づけにあるのだろうか。

 先輩でも友人でもないはずだ。だとしたら何……?

 兄の友人。否、それよりはもう少し近い位置にいると思う。

 自分を好意を持ってくれている男――そんなところだろうか。

「翠、秋兄とブライトネスパレスへ行ってきたら?」

「「え?」」

 ふたり声を揃えて反応する。

 翠の顔を見る勇気はなかった。

 これで赤面されていたらかなり堪える。十カウント取られそうな打撃に。

「どっちにしろ、少し休んだほうがいいのは確か。でも、家や病院で横になってろっていう類でもない。だから、息抜きに行ってきたら? 白野は紅葉が始まってると思う。秋兄、仕事の都合は?」

 声を発すると同時に秋兄を振り向く。

 ただ、翠を視界に入れたくなかった。

「いや、明日は会議とかそういうものもないから大丈夫だけど……。でも、翠葉ちゃん大丈夫なの?」

「学校は楽しいみたいだけど、気苦労耐えないこともあるから。たまにはそういうのもいいんじゃないの? あとは相馬さんに訊いて。俺は帰る」

 紛れもなく自分が話しているはずなのに、現実味がまるでない。

「ツカサっ!?」

 つい――振り向いてしまった。

「少しは身体も頭も休ませろっ」

 口にした言葉は本音。

 翠は今にも泣きそうな顔をしていた。

 そんな顔をさせたいわけじゃないけど――今は無理。

 赤面じゃなくて、泣きそうな顔をしている翠に安心している自分がいるくらいには無理。

 夏休み、翠にはつらい期間だったかもしれない。けど、俺にとってはかけがえのない時間だった。あんなふうに側にいられたら、それで良かったんだ。それで良かったはずなんだ。

 なのに、今はその距離すら保てず話もできない。もう、あのときのあの位置にはもどれないのだろうか――。

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