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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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03~07 Side Momoka 01話

 この夏休み、朝の日課がひとつ増えた。

 翠葉が入院して一段落ついた頃から、蒼樹さんの朝のランニングコースがうちの方面へと変わり、五時半頃に川辺を十分ほど一緒に歩くようになった。

 その時間がいつも待ち遠しかった。

 恋愛って不思議……。ほかの人と話したらどうでもいいようなことまで特別な会話に思えるから。

 翠葉は無事に退院して、今日から学校へ登校してくる。そんな日の朝――。

「桃華、悪いんだけど、翠葉のこと頼む」

「言われなくても……」

 蒼樹さんの顔を見れば、メガネの奥で瞳を不安げに揺らしていた。

 相変わらず翠葉思いの人。

「何か気になることでもあるんですか?」

「痛みはだいぶ引いているみたいなんだけど、『振動』は怖いらしい。……家の中ですれ違うときも表情が硬くなる。何に怯えているのかと思って肩に手を置いたらすぐにわかった。身体のどこかに手をかけられたり、ぶつかったりするときの振動が怖いらしい」

「振動……?」

「そう。病院では人と至近距離ですれ違うなんてことはまずなかったし、家に帰ってきてから気づいたことなんだ」

 それでは、学校生活に戻るのはかなりの不安があるんじゃ……。

 学校で人とすれ違わない場所など皆無だ。

「学校では人とすれ違うことが多いし、今日は始業式だ。どうやっても避けられることじゃない」

「わかりました。気をつけてみます」

「ありがとう」

 少しほっとしたのか、蒼樹さんの表情が緩んだ。

「でも、司がかなりがんばってくれて、だいぶ体調を口にしてくれるようになったんだ。だから、前みたいに体調が悪いことを言わないってことはないと思う」

「……藤宮司、ですか」

「ははっ、桃華は本当に司が嫌いなんだな?」

 言われてドキリとする。

「いいやつなんだけどな」

「……知ってますよ」

「ん……?」

 不思議そうな顔で蒼樹さんに覗き込まれ、言おうかどうしようか迷う。

 私は一時藤宮司を好きな時期があった。それを知る人はいないはずだけど、茜先輩と久先輩、それから朝陽先輩あたりは気づいていたかもしれない。

 高等部に上がり、クラス委員を買って出たのは生徒会役員にならないため。それは嘘じゃない。

 ただ、もうひとつ理由を挙げるとするなら、これ以上、あの男を目に入れないようにするためでもあった。

 いつどんなときも、目について姿を追ってしまう自分も嫌だった。

 あの男が中等部を卒業してからの一年間、自分に冷却期間を設けることができたのは幸い。学年が同じじゃなくて本当に良かったと思う。

 あの男は絶対に振り向いたりなどしない。私のことを見てくれることなどない――中等部三年の一年間は、あの男を諦めるための一年だった。

「私、中等部の頃、藤宮司が好きだったんです」

 この際だからカミングアウトしておこう。だって、過去のことだし……。

「え……?」

 蒼樹さんは歩みを止めて、表情をフリーズさせた。

「ふふ、意外でした?」

 下から見上げると、

「意外っていうか、少し焦ったかも?」

 なんて正直な人だろう。こういうところは翠葉とそっくり。表情までそっくりだ。

「意外は認めましょう? でも、なんですか? 少し焦ったって」

「意外は……本当に言葉の意味そのままで、焦ったっていうのは――何かな」

 蒼樹さんはタオルで汗を拭きつつ首を捻って考えている。

 大きな木の日陰まで来るとふたり歩みを止め、木に寄りかかって話をするのがお決まり。

「あぁ、桃華が同じ年頃の男を好きになるっていうことが意外だったのと、それに司は含まれないか、っていう納得と、俺と司って全然タイプが違うよな、って思ったところで少し焦ったのかな」

 蒼樹さんは訊けばこんなふうにきちんと答えてくれる。何に対しても誠実に、決して子ども扱いはせず。それが嬉しい。

「藤宮司はなんでもできちゃうじゃないですか……。それに、今、私が生徒会やクラス委員の仕事を要領良く片付けられるのは、あの男が仕込んでくれたからです。……ただ単にこき使われて叩き込まれた、というだけな気もしますけど……」

「なるほどね……」

「自分の周りにあそこまで完璧な人間はいなくて、愛想を振りまいてくるタイプでもなくて、なんか新鮮だったんですよね……」

 それは今も変わらない。

「加納の道場でも週に一、二度は会っていましたし……」

 なんていうか、あの男は何をやらせても様になってしまう。そして、何よりも所作が美しかった。

「告白はしたの?」

「えっ!?」

 蒼樹さんに顔を覗き込まれた。その顔には「純粋なる好奇心」と書かれている。

「しませんよ……。っていうか、あの男、本当に自分以外の人間に無関心じゃないですか」

「まぁ、それは否定しないかな」

 今は翠葉という気になる対象がいるにしても、中等部の頃は誰にも興味を示していなかった。

 今ほど周りの人間との交流もなかったし、いつだって孤高の存在だったのだ。

「どれだけ近づこうとしても、近づいたら近づいた分だけ離れていく。なのに、私が困っているときにはどこからともなく現れて助けてくれるから性質が悪いんです……」

「らしいっちゃらしいけど、それは司の視界にちゃんと桃華が入ってたってことにはならないかな?」

「そんなふうに考えた時期はあります。でも、そうじゃないってわかるまでにそんなに時間はかかりませんでした。あの男は同じ組織にいる人間としてミスがないように――たぶんそれだけです」

 翠葉に対するフォローとは全く異なる。いつだって仕事上で困ったときのみに差し伸べられる手だった。

 助けられることはあっても気遣われたことはない。

「その男が、今じゃ翠葉に振り回されっぱなし。いい気味です」

 少し意地悪い顔で蒼樹さんに笑いかけると、まだ不思議そうな顔をして私を見ていた。

「なんですか?」

 目がきれいすぎて吸い込まれてしまいそう。

 藤宮司も蒼樹さんもメガネをかけているところは同じ。しかも、似たようなノンフレーム。

 けれど、レンズの向こうにある目の温度が、色が違う。

「そういうのってさ、どうやったら諦めつくの?」

 ……えええええっっっ!?

「あれはもうなんていうか……人畜無害としか思われていないって嫌でもわかる態度でしたし――そもそも、こういうこと訊きますっ!?」

「あぁ、そっか……ごめん」

 蒼樹さんはとても罰の悪い顔をした。

「たとえばさ、桃華を好きだと自覚して、それを伝えずに俺は諦めることなんてできるのかな、って考えたら無理だなぁ……って思ったから」

 頭を掻きながら言う。

 もう、この人は――。

「そういうのさらって言うからずるい……」

「ずるい?」

「嬉しいけど、ずるいです」

 蒼樹さんは要領を得ない顔をしていた。

「蒼樹さん、時間ですよ」

 時計に目をやり告げると、蒼樹さんも自分の腕時計に視線を落とした。

「あ、行かないと……」

 少しの反動をつけて木から離脱。

「桃華、今度そういう話をしようか」

「え……?」

「気持ち上の話とか、過去の恋愛とか」

 意外と言ってもいいかしら……?

 蒼樹さんは過去の恋愛など気にしないと思っていた。気にするとしたら私だけだと思っていたのだ。

 ……もしかして、私が気にしているかもしれないと思って言ってくれたのかしら?

「単に俺が知りたいだけなんだけど……」

 やだっ、私、顔に出てた!?

 蒼樹さんはクスクスと笑い、

「こんなことが気になるなんてね。自分でも意外だと思ってる。……じゃ、またね」

 そう言って軽やかに走り出した。

 その背中を見て思う。

 どんどん遠くなるけれど、あの男を好きだったときに感じたものとは違う。

 不安なんてない。胸が締め付けられるような寂しさを感じない。だから、私は今幸せだと思えるし、あのままあの男を好きじゃなくて良かったと思う。

 もし、今翠葉があの男を好きになったとしても、未練はないし背中を押してあげられる。

 入学したての頃に牽制したのは、ただ自分の視界に入れたくないから翠葉を近づけたくなかった。結果、無駄だったけど……。

 翠葉はあの男に惹かれていたし、また、あの男も翠葉に惹かれた。

 あんた、女子を眼中に入れたのってこれが初めてなんじゃない? しかも、相手は翠葉。

 超がつくほどの美少女で、超がつくほど鈍い子。

 いい気味だわ。片思いがどれほど切ないのか、思い知ればいいのよ。

 でも――もし、翠葉があんたを好きだと心を決めたのなら、ふたりの背中を押してあげる。

 ふたりが幸せになれるように。

 そうね……それまでは藤宮司をトラップにかけるのを生きがいにするわ。

 蒼樹さん、紅葉祭はとても楽しくなりそうですよ。ぜひ、OBとして見にいらしてくださいね。

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