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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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02 Side Minami 02話

 玄関周りを掃いているとき、エレベーターから人が降りてきた。

 降りてきたのは御園生家。その中に翠葉ちゃんの姿を見て目を瞠る。

 翠葉ちゃんはずいぶんと痩せてしまっていた。ここにいたときよりも、ずっとずっと華奢になってしまっていた。首元に入れていたであろうIVHの痕が痛々しい。

 藤宮の夏服で隠せるのか、そんなことが気になる。

 腕の点滴の痕もかわいそうだった。

 今が冬だったら良かったのに……。

 そう思うくらいには何を見ても痛々しかった。

 声もかけずに家に入る。と、すぐにインターホンが鳴った。

「え……?」

「美波ちゃん、いる? ……いるよね? 少し、話をさせてもらえない?」

 私がまだ玄関にいると思って話しかけているのだろうか。

 碧さんはとくに大きな声で話すでもなく、ドアに向かって普通に話しているようだった。

 さっきは翠葉ちゃんの姿に気を取られていて、碧さんまでは気が回らなかった。

「翠葉の話も、私の話も、聞いてもらえないかしら」

 碧さんは少しずつ、言葉を選びながら口にしているようだった。

 玄関を開けると、困ったように笑った碧さんが立っていた。

「先日はごめんなさいね」

 それこそ、こんな玄関先で話す内容じゃない。

「中へ入ってください」

「……いいの?」

「だめだったら入れません」

 ……私、かわいくないなぁ。碧さんにはすごくかわいがってもらってきたのに……。

 廊下の先を歩く碧さんは痩せてしまったものの、憔悴しきっている感じではない。

 手軽に出せるものは冷蔵庫に入っているアセロラジュースくらい。グラスに入れて持っていくと、

「ありがとう」

 碧さんはグラスを受け取り美味しそうに一口含むと、すぐに口火を切った。

「私ね、美波ちゃんに話していないことがあるの」

 こういう潔さが碧さんの持ち味だと思う。

「長い付き合いになるし、子どもの話もたくさんしてきたけれど、翠葉の病状についてはあまり話したことなかったわよね?」

 私は頷く。口を挟まず静かに聞こうと思った。

「翠葉が生まれたときはなんともない普通の子だと思っていた。でも、幼稚園に上がった頃からほかの子とは違うことに気づいたの。幼稚園へ行かせても午後まで体力が持たないことが多かったのよ。幼稚園から呼び出しの電話があって、迎えに行くといつも擁護室で横になっていたわ。幼稚園へ上がった途端、風邪で熱を出すことが多くなって、もしかしたら少し身体が弱いのかもしれないと思った。でも、成長に伴い元気に育ってくれることを願っていたわ。けど、それは小学校へ上がっても何も変わらなかった。不定愁訴と呼ばれる体調不良が続いて、近所の病院へ連れていくと『自律神経失調症ですね。この頃の子どもにはよくあることですよ』って言われた。その後、身体に痛みが出ると訴え始めた。でも、どんなに大きな病院で検査をしても異常は認められず、成長痛と言われ続けた。中学に上がってからは精神科に回されることが増えた。……痛みが出始めたのは小学四年生くらいだったけど、静に藤宮病院を紹介してもらうまでの五年間は地獄だった……。どれだけ痛がる娘を病院へ連れていっても何も処置をしてもらえなかったから」

 そう言って涙を零した。

「五年、も……?」

「そう、五年も。その間、私たちはあの子に何もしてあげられなかった。そうして、なるべく目の届くところに置くようになった。結果、あの子を家に閉じ込めてしまったの」

 私は碧さんと何年の付き合いになるのだろうか。ふとそんなことを思い数える。

 十年以上――もう十三年になるのではないだろうか。

 なのに、どうして……どうして私は何も知らないんだろう。

「ごめんね。言えなかったの……。病院に関係する場所にいる美波ちゃんだからこそ、言えなかった。私自身が病院に不信感を持ってしまって、鬱状態になってしまったから。会えば普通に話すことはできる。でも、翠葉のことに関しては――そういうことは話せなかったの。一度だけ相談したことがあるけれど……」

「それなら覚えています」

 幼稚園に馴染めないという話を聞いたことがあった。

 周りの友達に馴染めず、ひとりで絵を描いていたり、いろんな色を混ぜて遊んでいることが多い、と聞いていた。

 当時、私に子どもはいなかったし、二十代前半の私にはなんの知識もなかった。

 今なら、モンテッソーリ教育なども知っているけれど、それはあくまでも「今」の私であり、あのときはなんの助言もできなかったのだ。だって、当時は助言も何も、私にとっての碧さんが憧れの対象だったのだから。

 それを思えば、碧さんが私に話せなかったことなど当たり前のように思える。

「翠葉はね、鬱状態の私のことも覚えているのよ。最初はわからなかったと思うの。でもね、いつからか、私たちに具合が悪いことをあまり言わなくなったの。それは、私が通っていた病院がメンタルクリニックだとわかってからだと思う。自分が私の精神状態を悪くしたと思っちゃったのよ」

 ……それは間違ってはいないだろう。でも、あまりにもつらすぎる……。

「いくら違うといっても、『大丈夫。勘違いなんてしてないよ。私は元気なお母さんが大好き』。それしか言わない。……本当にそれしか言わない子だったの。具合が悪そうなのを察して声をかけても、『大丈夫』と笑顔で答える子になってしまった」

 翠葉ちゃんは確かにそういう傾向がある。そういう傾向以前に性格的なものだと思っていた。けれど、そこにいたるまでに背景があるのとないのでは大違いだ。

「具合が悪いのを言えない子にしてしまったのは間違いなく私たちのせいだし、それを言えるようにしてあげられなかったのも私たち。……うちには事情があると言ったけど、今の話がその事情。しょせん、私たち親のせいよ」

「碧さん――」

 なんと言葉をかけたらいいのかわからない。言葉が見つからない。出てこない――。

「ごめんなさい、私、なんて言葉をかけたらいいのか……」

「ううん、いいの。ただ、美波ちゃんが知らないところの話はこういうことだったって……。それだけ知ってほしかったの。それと、蒼樹はすべてを黙認しているわけじゃないの。あの子は翠葉の負担を軽くしたいだけ。私たちが側にいると翠葉の気持ち上の負荷がかかることを知っているから。蒼樹の記憶にも、私が鬱でひどいときの状態がしっかりと残っているから……だから、翠葉のことも私のことも考えて行動してしまうの。私が側に付いていたいといえば、翠葉の気持ちを汲むわ。そして、それが私のためにもなると思ってる。そういう子なの」

「……翠葉ちゃんも蒼樹くんも、すごく優しい子に育っているんですね」

 そうとしか言えなかった。

 シスコンとかブラコンとか、人の負担を考えないわがまま患者とか――今まで色んなことを思ってきたけれど、何も知らないからこそ言えることだった。

 私は蒼樹くんにも謝らないといけないだろう……。

「碧さん、ごめんなさい……。あの日、碧さんがあまりにも自分を大切にしていないように思えて、それがすごく嫌だった。すぐにでも病院へ連れて行きたいのに、それを頑なに拒否されて、水分すら摂らせることもできなくて――」

 気づけば頬を涙が伝う。

「うん……。美波ちゃんがそういう気持ちで入ってきたことはわかっていたから……。それに、私、本当にあのときひどかったもの」

 碧さんは肩を竦めて笑った。

 話を聞けば、一週間だか二週間、日中は現場を仕切り、ホテルに戻ってはデスクワークを片付け、食べては戻す、を散々繰り返してきてもう限界だったらしい。

 現場で倒れて、その日の内に静さんがゲストルームに連れ帰ったとのことだった。

 本当に限界までがんばっていたのだと、今こっちにいられるのはそのときに片付けた仕事の賜物だということも、私は何も知らずに口を出してしまったことになる。

 蒼樹くんやきれいな女の子に釘を刺されて当然だった。でも、静さんに会ったら詰め寄らずにはいられそうにない。

 そんなひどい状態で連れて帰ってきたのなら、なんで私に一言声をかけてくれなかったのか、と。

「美波ちゃん、静に文句言おうと思ってるでしょう?」

 クスクスと笑いながら訊かれる。

「当たり前じゃないですかっ! 私、同じ階にいたのに何も知らなくてカリカリ怒って怒鳴って悶々として、バカみたいっ」

「本当にあのときはごめんなさい。そのあと連絡もしなくてごめんね」

「もういいです~……なんか脱力。そうですよね……碧さんに限って子どもを蔑ろにしてるはずなかった。それだけはわかってたはずなのに……」

 どっと疲れが出た感じでラグの上に転がってしまう。

「そういえば……」

 ムクリと起き上がり、

「ランチ食べました?」

「まだよ?」

「栞ちゃんのことだから用意してるんだろうなぁ……。でもっ、今日はちょっと独り占めさせてください。一緒にランチ食べましょう!」

 碧さんは一瞬間を置いて、「賛成」と微笑んだ。

 うん、やっぱり碧さんには笑っていてほしい。もう、あんなにぐったりとやつれた顔は見たくない。

 もし、またあんな状態になっていたら、次こそは私が病院へ連れていこう――。

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