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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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00 Side Akito 01話

 人を待つのって緊張するものだな……。

 俺は今、新しいパレスの建設現場に来ている。それは、ほかでもない翠葉ちゃんのお父さん、零樹さんに会うため。

 お昼休憩はしっかりとる人だと蒼樹に聞いていたが、十二時を回り、すでに三十分が経過していた。

「すまない、待たせたね」

 息を弾ませ、颯爽と現れた人。この人が翠葉ちゃんのお父さん――。

「こんな遠くまで来てくれてありがとう。いらっしゃい」

 ……それ、何か違う気がする。

「お忙しい中、お時間をいただき申し訳ございません。今日は謝罪にうかがいました」

 用意されていた椅子を立ち、頭を下げる。

「うん、そうみたいだね」

 目の前に立つ人は柔和な笑顔を崩さない。

 どうしてこんなににこやかなんだろう……。

「ちょっとごめんね。着替えさせてもらっていい? 汗だくなんだ」

 苦笑してはバッグの中から替えのシャツを取り出し、上半身のみ着替えを済ませた。

「で、四十分近く待たせちゃったけど、午後の仕事一個終わらせてきたから、これから二時間弱くらいはフリーなんだ」

「っ……お忙しい中、そんなにお時間をいただくわけには――」

「話って翠葉のことでしょ?」

「はい……」

「だとしたら二時間でも足りないくらいかな、と思ったんだけど?」

 表面上は笑っているが、実のところはかなり憤慨しているのだろうか。

 そうであってもおかしくはない。ここが職場だから体裁を保っているだけで――。

「来るって聞いていたから弁当はふたつ用意してあるんだ。外に食べに出る時間はちょっと惜しいからね。俺のお勧めスポットに招待するよ」

 そう言って、あらかじめ用意されていたらしき包み袋を手に取り、その部屋から出た。

「周防ちゃーん、飲み物残ってるかなー?」

 零樹さんが現場の人間に声をかければ、

「あー、ここにあったのは自分がラストで飲んじゃいました。でも、さっき業者が来たばかりなので、自販機は売り切れなしだと思いますよ」

「りょーかーい」

 あまりにも緊張感のない会話に、つい自分の心まで解きほぐされてしまいそうになる。

 ホテルでここの仕事に携わっている人間は特攻Aチームと呼ばれていて、それはすごい勢いで仕事をする人たちの集団と聞いていたが、そんな雰囲気が感じられない。殺伐とした空気が微塵もなく、アットホームな印象だった。

「んじゃ、行こうか? 少し歩くんだけど、十分も歩かないから」

 屋外に出て森の中の小道を進む。と、ひっそりとした、けれど手入れの行き届いた祠にたどり着く。

「はい、じゃ、まずはカロリー摂取と水分補給」

 袋から取り出した弁当とペットボトルを渡される。

「弁当にポカリの組み合わせも味的にどうかとは思うんだけど、お茶だと塩分や糖分の補給ができないんだよね」

 そう言ってはゴクゴクと音を立ててポカリを飲む。

「食べながら話すとさ、口の中にものが入ってて、受け答えができなくなって食べるの止まっちゃうから、先に食べようね」

 どうしてかそんな前置きをされ、先に弁当を食べることになった。けれど、食べながらも不思議な会話は続く。

「現場にさ、面白い人間がいるんだよ。この黄色くておいしそうな出汁巻き卵が食べられないかわいそうな人。どう思う?」

 俺はどう答えていいのかわからずに、

「はぁ……卵アレルギーか何かなのでは?」

「違うんだって。この芸術的に幸せそうな顔をした卵焼きがどうしても食べられないんだって。あっ! 写真見るっ!? それはもうね、きれいに並べて残すんだよ」

 零樹さんはポケットから携帯を取り出し、画像を見せてくれた。そこには、確かに行儀良く並べられた卵焼きがふたつ鎮座しているわけで……。

「あまりにも毎回毎回だからさ、そのうち俺が気になってしかなくなっちゃって、どうして食べないんだああああっ! こいつに卵焼き食わせた人間休憩二時間! とか賭け始めたら面白いくらいに白熱したよ」

 そんな人間たちが特攻Aチーム? いや、この人が上司だからこそこうなんだろうか……。

 若槻、特攻Aチームって名称からは著しくかけ離れている気がする……。

 結果、その人はきれいに作られた卵焼きが食べられないだけで、自宅で作ったような普通の卵焼きならば食べられる、ということだったらしい。

 俺にはその差がさっぱりわからない。

「きれいなお弁当やきれいな細工もんてのはさ、芸術作品に思えて食べられないらしいよ。煮魚とか揚げ物、焼き魚、それらがお弁当に入っている分にはそこまでの芸術性を感じないらしい。が、この卵焼きだけは違うとあまりにも拘るから、弁当屋さんに問い合わせちゃったよ。そしたらさ、この卵焼きだけは、もと懐石料理の老舗で修業を積んだ店主が作ってるんだって。そりゃきれいなわけだよね? で、この卵焼きが食べられない彼に訊いたわけだよ。フランス料理や懐石とかどうするの? って。そしたら、極力そういうものは食べにいかないんだって」

 変わった人がいる……っていうか、変わりすぎだろう……。

「さ、食べ終わったよね?」

 弁当の蓋を閉め、入れてきた袋にきれいにしまう。俺の分も同じ袋にいれて、きゅ、と縛ってからそれを足元に置くと、

「本題を聞こうか?」

 空気も雰囲気も、表情も声音も何も変わらない。けれど、話の内容は変わる。

 空気は自分で変えなくちゃいけない気がした。

 俺はその場で立ち上がり、頭を下げる。

「申し訳ございません。お嬢さんを……翠葉ちゃんを傷つけました」

「うん、知ってる。――君が作ってくれたバイタル装置のおかげで、何かがあれば逐一わかる環境は整っているし、湊先生や碧、蒼樹からも連絡が入るからね。向こうで起きていることはたいてい耳に入ってると思う」

 笑うでもなく険しい顔つきになるでもなく、淡々と言われた。

「ねぇ、何をしたのか訊いてもいい?」

 何を――どこから話したらいいだろうか……。

「あ、予備知識として知っていることといえば、秋斗くんと翠葉が付き合うことになったことも知っているし、キスマークで擦過傷っていうのも知ってる。それから、付き合いが数日で終わっちゃったことも聞いているし、翠葉が髪の毛を切ったことも、記憶をなくす前に君が会いに行っていることも知ってるよ」

 ――ほとんど全部?

「あぁ、驚いてるねぇ……」

 なんで――どうしてこの人は笑っていられるのだろう。

「俺ね、最初に言っておくけど、別に怒ってないよ? 謝罪は受けようと思っていたし、会いに来てくれることを望んではいたけどね。それはあくまでも君に求める一般常識ってやつであって、とくに謝りにこいやっ! って類のものではないから」

 翠葉ちゃんぽいたとえをするならば、この人は「湿度のない夏」。そんな感じだ。

「何があったのか知りたいのは個人的な好奇心」

「親御さんとしての気持ちは?」

「ちゃんとあるよ」

 にこりと笑って、

「まぁ、長い話になるんだから座りなよ」

 零樹さんの真正面にある石を指定された。そこに腰掛けると、零樹さんは新たに話し始める。

「翠葉の記憶がなくなったときはさ、あまりにもひどいバイタルだったから俺から電話したんだ。そしたら蒼樹がすごい剣幕で、監視カメラが必要になるほどの何かを君がしようとしたらしい、って言ってた。静が動くんだから相当なことだと思うって……。その数日後、今度は君をフォローする電話があった」

 え……?

「よく考えてみれば、先輩は今まで一度も翠葉を傷つけるような行動はしていない、って。だから、今回も何か理由があるはずだってさ」

 蒼樹がそんなことを……?

「でも、それは私がどんなことをしたか知らないからそう言えるんです」

「そうかな……? 親ばかって言われるかもしれないけど、息子の人を見る目はそれなりだと思ってるんだよね」

 俺が彼女にしたことを知れば、蒼樹だってそうは言わないだろう。そして、今は穏やかな顔つきのこの人だって、態度を一変させるに違いない。

「自分は、翠葉ちゃんが謝罪の電話をかけてきたとき、許さない、と言いました」

「それは何の謝罪だったのか訊いてもいい?」

「私の目の前で髪を切ったことへの謝罪です」

「なるほど……。で、その許さないと言った言葉の意図は?」

「実際、謝らなくちゃいけないのは自分だと思っていましたし、怒ってなどいなかった」

「けど、傷つきはしただろう? 翠葉はそのことに対して謝りたかったんだと思うよ? それはわかってる?」

「えぇ、それはわかっています。でも、普通に許すだけでは彼女は救われない。許すと言っても彼女自身が自分を責めることをやめないと思いました」

「よくわかってるね……」

 零樹さんは嬉しそうに口にした。

「翠葉って子はそういう子で、何か一捻りして試練じみたものを与えないとだめなんだよね。そのあたり、俺とそっくりで本当に困るよ」

 かわいくて仕方ない、そんな口調だった。

「で、秋斗くんは一癖ある娘に何を課したのかな?」

 表情も目の色も声音すら変えずに訊かれる。

「……自分の恋人に戻るように、と。そう言いました。病室を十階へ移すことで軟禁状態にもなる。それを彼女に強要しました。ただ、そんな状況を作ったとしても、自分がいつもどおりでは意味がないと思っていたので、彼女には冷たく接し、不意打ちでキスもしました。翠葉ちゃんは私にそういうことをされることに恐怖心を持っていましたから」

「なるほどね、それで静が慌てて監視カメラをつけるとかそういうくだりになるんだ。納得」

「でもっ――長期にわたってとかそういうつもりはなくて、一週間もしたら解放するつもりでいたんです」

 本当に、少しの時間で良かったんだ……。

「あのっっっ。自分はっっっ――」

「うん、あのさ、話の腰を折るようで悪いんだけど、秋斗くん、普段は自分のことなんて言ってる? 俺? 自分? 私?」

 え……?

「俺の予想だけど、『俺』じゃない?」

「はい、そうですが……」

 それになんの意味が……?

「じゃぁさ。私とか自分とか言わなくていいよ。普段どおり話してよ。仕事の話をしているわけじゃないし、俺は親である前に御園生零樹として君と話したいんだよね」

 話の内容にそぐわない突飛な申し出に俺は面くらい、零樹さんはふわりと柔らかに笑った。

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