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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
本編
50/120

50話

 昇降口へ続く通路を歩く。

 一、二年棟は桜林館側から、三年二年一年、と下駄箱が並んでいる。

 一年の下駄箱に行くのが怖い。クラスの人に会うのが怖い。

 周りに人はたくさんいるけれど、どうしてかその人たちのことは気にならなかった。

「あ――」

 思わず口元を手で覆う。

 今、私が怖いと思っているのは好きな人たちだけなんだ……。

 誰彼かまわず怖いわけじゃない。

 それはそうだよね……。私は好きな人が自分から離れていってしまうことが怖いのだから、ほかのクラスの人や知らない人にそんな感情は抱かない。

 中学のときとは違う。

 そこかしこに違うものは垣間見えるのに、私の心は柔軟さに欠ける。

「翠」

 顔を上げると、二年の下駄箱ではなく一年の下駄箱の間からツカサが顔を覗かせていた。

 無言で「早くしろ」と言われている気がして足が竦む。

 そんな自分を叱咤して、足を前に踏み出す。

 右左右左――必死で足に指示を送る。そうでもしないと歩くことすらできそうにはなかった。

 それくらいツカサが怖い……。

 それでも、ツカサの待つ場所まで行かなくてはと思うのは、好きと怖いが正比例だとわかっているから。

 中学のときとは違う――わかっているのに……。

 幸い、一年B組の下駄箱前にクラスメイトは誰もおらず、ほかのクラスの人たちが数人いるだけだった。

 そんなことにすらほっとする。

 ツカサは、私が靴に履き替えたのを確認すると、何も言わずに昇降口を出た。私は手ぶらのままでその背中を追う。

 三メートルくらいの微妙な距離を保って歩いていると、ツカサが立ち止まり、顔だけをこちらに向けた。

「一緒に歩けないほど速く歩いているつもりないんだけど」

 確かに、朝のそれとは違う。

「……あのねっ、かばん、自分で持てるっ」

「……話噛み合ってないけど?」

 そうは言いつつも、右手にふたつ持っていたかばんのひとつを渡された。

「ありがとう……」

 お礼を言いながらも、かばんを手渡すことのできる距離に動揺する。

 動揺よりも緊張、かな……。

「体調は?」

 すぐ近くから聞こえる声は、何度も聞いたことのある声で、何度も訊かれたことのある問いかけ。なのに私は、「大丈夫」と答えて失敗する。

「やりなおし」

 間髪容れずに訂正を求められた。

「……微熱があるけど大丈夫」

 要約しすぎ、と怒られるかと思ったけれど、そんなことはなかった。

「本当はバスに乗せたいところだけど、バスじゃゆっくり話なんてできそうにないから歩くよ」

 そう言って、ツカサは桜香苑に続く道へと進路を変える。

 病院には蒼兄が車で送ってくれるはずだった。朝の時点で蒼兄は変更になったとは言っていなかったから、たぶんそのあと――ツカサが蒼兄に電話かメールをしたのだろう。

 私は相変わらずツカサの背中を見ながら歩いている。自分からは隣に並ぶ勇気が持てなくて。

 どうして――ツカサの考えていることがわからない。

 朝は、「うざったい」「ふざけるな」という感じで全く近寄れる雰囲気ではなかったのに、今はこうして目の前にいる。

 間が開き過ぎないように、近寄りすぎないように――そうやって歩いていると、前を歩くツカサが突然止まった。当然、自動的に私の足も止まる。

 ツカサは後ろ姿でもわかるくらい大きなため息をついた。

 こちらを振り返ったかと思えば、足の長さを生かして数歩で私の隣に並んでしまう。

「いい加減隣を歩け」

「っ……」

「朝の会話をどれだけ大声で話させるつもりなんだ」

 呆れた顔で言われる。

「俺が朝に言ったこと、もう一度話すから、今度は忘れずにしっかり覚えておけ」

 それは無理っ――。

「さっき空太くんに聞いたからっ、だから大丈夫っっっ」

 もう一度ツカサの口から聞くのはダメージが大きすぎる。

「だいたいにして、なんで高崎が知ってるんだか……」

 舌打ちまでしっかりと聞こえてしまった。やっぱり機嫌は悪いのだ。

 それなら、わざわざ一緒に病院へ行ってくれなくてもいいのに――。

「俺は、これから先どんなときでも翠の体調を優先する。翠がどれほど葛藤しようが、言われるたびに悩もうが、それでも俺は止めるから。そのつもりで」

 立ち止まったまま言われた。真っ直ぐな目で、真剣な顔で。

「翠がなんで朝から急にそんな話なんだって訊いてきたから、朝から急に、なのは翠だけで、俺は昨日の帰りからずっと考えてた。やっぱり、俺は言いたいことは言っておかないと気が済まない。そういうふうに翠が考えるのは仕方がないことなのかもしれない。翠がバカでこういうことに関しては学習能力が乏しいのも理解したけど、あまり俺たちを侮るな。考えただけでも虫唾が走る。言いたいことはそれだけだ――以上」

 言い終わって、ツカサはにこりと笑みを深めた。

 さっきまで感じていた恐怖とは全く違う恐怖感に包まれる。

「で……翠は何を思ってあんなに泣きはらした目で遅刻ギリギリに登校してきたんだか……。俺はそっちが知りたいね」

 私はずっと無言だった。ツカサの意図がわからなくて。

「安心しろ」

 何を……?

「すでに呆れるは通り越しているからこれ以上呆れようがない。翠がどれだけ突飛な持論を展開させたところで何がどう変わるわけでもない」

 ……それは、喜んでもいいのだろうか。

 何か、変……。さっきまでは怖くて仕方がなかったのに、今は心なしかむっとしている自分がいる。

「ただ、俺にバカとか阿呆と言われる覚悟だけはしておけ。言わない自信は微塵もない。それから、足――乗り物に乗ってるわけじゃないんだから自力で前へ進まないと病院からは近づいてこないけど?」

「そのくらいわかってるっ」

 まるで「そんなことも知らないのか?」というように言われて腹が立った。

「あぁ、それは良かった」

 ツカサはにこりときれいすぎる笑顔を作り、また歩き始める。

「朝はあんなに怖い顔してたのに……」

 今だって違う意味で十分怖いけど……。

「あぁ、そっちのほうが効果的だろ?」

 どういう意味……?

「今はどうして笑っているの? 楽しいことなんて話してないし、心から笑っているわけじゃないのに」

「翠が必要以上に俺を怖がるから?」

「……笑顔でもある意味怖い」

「悪いけど、俺に『甘さ』は求めないでもらえる? 俺に標準装備されてるのは無愛想と誰かさんが命名した氷の女王スマイル。別名、絶対零度の笑顔のみ」

 そういう問題じゃないんだけどな……。

「いい加減話せ。なんで泣いていたのかを」

「……どう話したらいいのかわからない」

「どこからでもいい。だいたいの想像はついてる」

「じゃぁ、どうして訊くの?」

 私の足は勝手に止まる。

「……やめたんだ。翠を見てわかったつもりになるのは。翠が思ったこと、感じたこと、考えていることを翠の口から聞く。そう決めたんだ。夏休みにもそう話したはずだけど?」

「……いつもなら勝手に表情読んで先回りして答えをくれるのに」

「差し支えないときならそれでいい。でも、これは違う」

 私はごくり、と唾を飲み込み、震える唇を必死で動かした。

「好きな人がいる学校は――楽しくて幸せで……それと同じくらい怖い」

 自然と視線が落ちる。

 自分でもわかっていること、認めていること。それでも、口にするのは怖い――。

 そのとき、目の前に手が差し出された。

「っ……!?」

「必要なら貸すけど」

「…………」

「この手も取らないわけね」

 ツカサは自分の左手をまじまじと見てから、

「じゃ、強制で」

 と、私の右手を掴んだ。

 私の心臓は駆け足を始めるのに、ツカサは何食わぬ顔で歩き始める。

「翠……この手はいつもつながれてるわけじゃないけど、俺は何があっても翠をひとりにするつもりも置いてくるもりも離れるつもりもない」

「っ……!?」

「できれば、そのくらい一度聞いたら二度と忘れるな……くらいのことは言いたいところだけど、翠の頭は俺が思っていた以上にメモリが足りないようだし、俺がどれだけ言葉を駆使してもその不安は拭えないんだろ?」

 隣に並ぶきれいな顔がこちらを向く。

「なら、毎日電話しようか? それともメール? 翠が選んでいい。ほかに何か安心につながる行動があるなら提案してくれてかまわない」

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