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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
本編
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05話

 朝のホームルームは出欠を取る程度で簡単に済まされ、始業式のために桜林館へ移動する。

 多方面の出入り口が開放されているため、一ヶ所に生徒が集中することはない。それでも一、二年棟から向かう生徒の使用率が高い出入り口というものはある。

 人ごみが怖かった。

 人の目が気になるのは仕方がない。それ以上に怖いのは、人とぶつかること。

 人の近くを通るのが怖い。

 あまりの怖さに、一階に下りたところで立ち竦んでしまった。すると、

「翠葉こっち」

 桃華さんが私の腕を引いた。

 ふたりクラスの集団から外れ、外周廊下を進み図書棟へと向かう。

「言いなさいよっ」

 桃華さんの放った声音は硬かった。

 もともと凛とした声の人。けれども、そういうことではなく、感情がむき出しになっている感じ。

 これは何を言えと言われているのだろう。

「人との接触が怖いんでしょう? 飛鳥のときも身構えてた」

 その時点から気づかれていたことに驚く。

「……ごめん。耐えられない痛みじゃないの。でも、やっぱり振動とかそういうのはちょっとつらくて……」

「……そんなの仕方ないじゃない。翠葉が悪いわけじゃないんだから」

 桃華さんの顔つきはいっそう険しくなる。

「藤宮司になら言うの?」

「え?」

「あの男になら言うのか、って訊いているのっ」

「……言うというよりは、知っているから言わない、かも……」

 口にして、微妙におかしな文章であることに気づく。

 どうしてツカサは知っているのか――。

 それは、毎日のように病院に来てくれていたからで、毎日私の身体の状態を話す癖をつけさせようとした張本人だからで――。

 そこまで思い出して思う。

 まるで私の保護者のようだ、と。

「私も聞きたい……」

「……桃華さん?」

「あの男が聞けて私が聞けないのは不公平だと思うっ。私だって知りたいんだから……」

 いつもと違う桃華さんに戸惑う。

「翠葉が言ってくれるようになるまで待っていようと思っていたけれど、あの男に負けるのだけは我慢ならないのよ」

 桃華さんはぷい、と部室棟の方を向いた。

 その仕草は、ツカサが面白くないと思っているときにする動作と同じ。

 それに気づいたら笑みが漏れた。

「ちょっと、何笑ってるのよっ」

「だって、行動がツカサと一緒なんだもの」

 笑ったらいけない。きっと感謝しなくちゃいけないところ。

 でも、反発を見せる相手と同じ行動をしているところがおかしかった。

「あの男と一緒にされるのも並列扱いされるのも嫌だけど、何も教えてもらえないのはもっと嫌」

「……うん」

「ありがとう」と言おうとしたら、

「ずいぶんな言われようだけど、それは俺も同感」

 と、聞き馴染みのある声がした。

 この声だけは間違えない。

「ツカサ……?」

 振り向けば、すぐそこにツカサが立っていた。

「なんでいるの?」と訊こうとすると、

「簾条に連れられてるのが見えたから」

 と先に答えをくれる。

 その背後から、

「そんなツカサを見つけたから俺らも!」

 と、春日先輩と荒川先輩が現れた。

「翠葉ちゃん、久しぶり!」

 そう声をかけてくれた春日先輩は、水泳部なのに全く焼けていない。

「お久しぶりです」

「髪の毛切ったのね?」

 荒川先輩の手が髪の毛に伸びてくる。

 もともと長いからか、クラスメイトには何も言われなかった。

 そう思うと同時に、切ることになったいきさつを思い出す。


 ――自分で切った。

 ――ハサミで切った。

 ――左サイドの髪の毛を……。


 記憶はないけど、それが事実。

 春日先輩の手が頭に伸びてきてはっとする。

 身を引くより先に、

「優太、触れないでやって」

 ツカサが間に入り、春日先輩の手を遮ってくれた。

「言っておいたほうがいいんじゃないの? じゃないと簾条みたいなことになりかねないけど」

 メガネの奥にある目はいつだって冷静で涼しげ。その目が変わったのを私は一度しか見たことがない。

 八月八日、あの日だけ――。

 あ……あとは八月十三日。あの日、本音で話したときにも目に温度を感じられた。

 意識を春日先輩と荒川先輩に戻し、

「あの……痛みが――」

 何も考えずに話し始め、何をどう話したらいいのかに少し悩む。

「ん?」

 荒川先輩に顔を覗き込まれ、アーモンド形のきれいな目にドキリとした。

「あの……私、身体のあちこちに痛みがあって、夏休みに治療を受けていたんですけど、まだ全快ではなくて……」

「うん」

 相槌を打ってはその先の言葉を待っていてくれる。

 話せる――怖くない、大丈夫……。ここにいる人たちは中学の同級生とは違う。

「自分の歩く振動には耐えられるようになったんですけど、人とぶつかるのとか、肩を叩かれるのは少しつらくて……」

「そっか。じゃ、気をつけないとね? あとで図書室に集ったらみんなに言いなよ?」

 そうだよね。

 身近な人たちには言っておかないと、またびっくりさせてしまう。それはクラスメイトも同じことだ。

 でも、どうやって? いつ伝えたらいいの?

 さっきのホームルーム前の雑談タイムはチャンスだったんじゃないだろうか。

「それと、俺たち、もうちょっと仲良くならない?」

 え……?

 春日先輩の言葉に疑問が浮かぶ。

 ナカヨク、なかよく、仲良く――。

 それはどうしたらなれるのだろうか。……なろうと思ってすぐになれるものなの?

 答えが見つからなくて、桃華さんとツカサを振り仰ぐ。と、

「司の呼び名は昇格で、俺たちはいつまでも苗字に先輩付け?」

 少し離れたところからそんな言葉がかけられた。

 声のした方を見ると、柱の影に美都先輩が寄りかかっていた。

 腕を組み、ほんのちょっと肩を壁に預けるように立っている。美都先輩が小首を傾げると、襟足の髪の毛がさら、と動いた。

「俺たち、学年違えど同い年でしょ?」

 春日先輩がにこりと笑う。

 ツカサを見て、あとの二年生三人を順々に見る。すると、

「優太も朝陽も勘弁してやって。翠は留年していることを人に知られたいわけじゃない」

「ま、それもそうよね……」

 と、荒川先輩が人差し指を口に添える。

「翠葉、せめて名前に先輩付けで手を打ったら?」

 桃華さんに提案されて、何か思い出せそうな気がした。

 なくした記憶の一部――?

 けれども、思い出せそうで思い出せない。すぐに霧がかかってしまう。

「あ、いいね! それで手を打つよ」

 美都先輩の声に意識を戻す。

 人に言われたら同い年なんだ、と思うけれど、私の中では一学年先輩、という印象が強すぎる。どうしてツカサは大丈夫だったのかな……?

 そんなことを考えていると、

「俺たちの名前忘れちゃった?」

 と、長身の春日先輩に顔を覗き込まれた。

「いえ、優太先輩、嵐子先輩、朝陽先輩、ちゃんと覚えています」

「覚えててくれて良かった」

 春日先輩は人好きのする顔で笑う。

「ついでにさ、千里も名前で呼んでやってよ」

 美都先輩に言われて少し考える。

 センリセンリセンリ――あ、漣くんっ!

「ほら、そこっ! っておまえたち、揃いに揃って生徒会役員じゃないか。とっとと中に入れ、ほかの生徒に示しがつかんっ」

 図書棟から出てきた先生に怒られた。

 慌てて体育館に入ると、全校生徒が整列を完了させる寸前だった。

 桃華さんに、「こっちよ」と誘導されるままに歩くと、「翠」と後ろからツカサに声をかけられた。

 ツカサが言おうとしたことはわかっているつもりだし、もともとそのつもりだ。

「大丈夫、わかってるよ。倒れる前には離脱する」

「……ならいい」

 ツカサは私たちを追い越して、たくさんの人に紛れて見えなくなった。

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