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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
本編
27/120

27話

「下の名前で呼んでもらえるのはすごく嬉しいの。でも、自分が呼ぶときには少し考える。……なんていうか、慣れてないの」

 そんなふうに呼べる友達がいたのはどのくらい前のことだろう……。

「とくに、男子はもっと慣れてない。だから、下の名前で呼べる人はツカサと海斗くんと秋斗さんしかいないし、呼んでって言われても躊躇しちゃう」

「朝陽たちは?」

「生徒会の先輩たちは、半強制的に、だったでしょう?」

 ツカサだってその場にいたのだから知っているはず。

「それに、『先輩』がついているから呼びやすいだけ。でも、自分の中のイメージを重視するのなら、久先輩は会長って感じだし、朝陽先輩は美都先輩って感じ。優太先輩は春の日差しみたいな人だから、春日っていう苗字がとてもしっくりくる。でも、優しい先輩だから優太先輩でもあまり違和感はないみたい」

 一通り答えると、

「呼び方にこだわりがあるのかないのかわからない」

 むすっとした顔で返された。

「だから先に言ったじゃない。簡潔には話せないよって……」

「そうだけど……。俺の名前は?」

「ツカサの名前?」

 隣を見ると、ツカサは俯いていた。

「ツカサは……ツカサが言ったんだよ。私がツカサって呼んでたって」

「それだけ?」

「それだけっていうか……確かにそう言われたからそう呼んでいるのだけど……。呼ぶにあたってひどい違和感はなかったの。自分が男子を呼び捨てにすること事体には驚きがあったけれど、でも、呼ぶことに抵抗はなかった」

「じゃぁ、藤宮先輩と司先輩とツカサについては?」

 何これ……。本当に尋問のようなのだけど……。

「ツカサ、これはなんだろう……?」

「翠にとってはどうでもいいこと。でも、俺にとってはどうでもよくないこと」

 声も表情も無機質に思えるのに、目だけは違った。

「……泣く?」

「っ……!?」

 瞳が揺れて見えたのだ。

「泣いてない。ただ……少し怖いとは思ってる」

「どうして?」と思ったけれど、その疑問は声にならない。

 私がどう答えたらその不安は拭えるのだろう。

 何か言わなくちゃ……。

「……何か嫌みを言うときには藤宮先輩って呼びたいかも?」

 泣きそうな顔よりは怒ってくれるほうがいい。だから、少し皮肉っぽい言い方をした。

「でも……できれば使いたくない。今の私にはその呼び方はよそよそしく思えるから。『司先輩』はケースバイケース。それがいいならそうする。でも、今一番しっくりくる呼び方は『ツカサ』なの」

 これ以上の説明はできそうにない。

「じゃぁ、どうして司先輩に呼び方を戻そうとした? ケースバイケースって何」

「……それは、そんなことで気が済むならそれでいいと思ったから。ツカサのファンの人たちは、自分たちがそう呼べないから、だからそういうふうに呼んでいる私が気に食わないだけだと思う。その女の子たちが、ツカサのことをそう呼べるようになるのには時間がかるでしょう? だとしたら、それまで私も先輩をつけて呼べばいいかな、って……安直かもしれないけど、そう思っただけ。でもね、藤宮先輩と呼ぶつもりはなかったよ」

 河野くんが言うように、刺激はしないほうがいいのだろう。

 不快な思いをさせる種をばらまく趣味もない。でも、ツカサはそれに応じてはくれなかった。

「全然簡潔じゃなかったけど、ふたつめの問いの答えは?」

 意地悪……。

「呼び出しに応じる理由だっけ……?」

「そう」

「知ってもらいたいから……?」

「何を?」

「ツカサのことも自分のことも。なんかね、話を聞いていると、ツカサのことを勘違いしている人が多い気がして……。言われて一番嫌だったのは、話しかけても無視する人、っていうの」

 そう言われたとき、「そんなことしない」と反射的に口走っていた。けれども、その言葉に返されたのは冷笑だった。

「あなたがされたことないだけじゃないの?」

「何? 自分が特別だとでも言いたいの?」

 そんなつもりで言ったわけじゃなかった。だから、一生懸命話した。わかってほしくて……。

「ツカサはそんなことしないよね?」

「…………」

 なんで無言かな……。

 否定してくれないと、私困るのだけど……。

「ツカサは女の子が苦手って言ってたでしょう? それに、あれこれ噂されるのも自分のことを詮索されるのも嫌だよね? でも、それ以外なら? ……たとえば、学校行事に関することで話しかけられたのなら無視なんてしないでしょう?」

 これこそ否定されたら困る。

 だって、私は彼女たちにそう話してしまったもの。ツカサが嫌がる話題を話さなければ大丈夫、と。

 私と話すときだって、世間話のような会話はあまりしない。そう話すと、彼女たちは一様に驚いていた。

 そう――私はみんなが思っているほど特別な存在ではなかったのだ。ただ、蒼兄と秋斗さんが知り合いだったから秋斗さんやツカサと知り合うきっかけがあっただけ。それがなければ、きっと私はツカサと知り合うことはなかったと思う。

 偶然出逢うことができた人たち。それが、秋斗さんとツカサなのだろう。

 ツカサにとって、私はたまたまそこにいて、たまたま交流を持つことになった人間に過ぎない。すべて、偶然なのだ……。

「翠、最後にひとつだけ……」

「何……?」

「翠は俺と距離を置こうと思ったことはある?」

「ないよ」

 どうして……?

「もし、人にそう言われたら?」

 もし、人に言われたら――。

 実際、それに似たようなことは何度も言われた。

 一緒にいるところを見るのが不愉快だとか、気に食わないだとか……。

 たくさん言われた。でも――。

「ツカサ、私、揉めごとが好きなわけじゃないのよ? でもね、譲れないことは譲れないの」

 初めて呼び出されたときからずっと考えてきた。

 生徒会を辞めればいいとか、成績を落とせばいいとか。

 成績を落とすなんてそんなことはしたくない。でも、それだけが譲れないわけではなかった。

 ツカサとのこの距離は、この関係は手放したくないものだった。

 イベント前で一緒に行動することが多いというのは事実だけれど、少し言い訳も入っていた。

 夏休みにずっと一緒にいてくれたツカサの側にいるのはとても居心地がよくて、安心ができる場所で――それを手放すことができなかっただけ。

「一緒にいるところを見ると不愉快だとか、図々しいとか、そう思わているみたいなんだけど、人に言われて自分が大切だと思っている関係を崩すつもりはないの。自分からは手放したくないの」

 これはきっと、最大のわがまま。でも、譲れないの――。

「だから、逆にその人たちがツカサに近づけばいいと思った」

 名前の呼び方は譲歩できてもこの距離だけは譲れない。

 私が初めて見つけたかけがえのない人たちとの間に距離を置けといわれても、それだけは呑めない。

 自分から手放すなんてできない。考えるだけでも怖い――。

 もし、自分の居場所がなくなってしまったとしても、組織の中で必要とされない人間だとしても、自分に伸ばしてくれた手やつながることができたものを、人の指図で手放すのは嫌。

「ツカサ……この話やだ。怖い――」

 桃華さんや飛鳥ちゃん、佐野くんや海斗くん。クラスメイトや生徒会のメンバー。

 ただでさえ、私の小さな手から零れ落ちてしまいそうなくらい、大切な人たちがたくさんいる。

 その人たちとの間に距離ができる。離れていってしまうかもしれない。

 そう考えるのはとても怖いことだけれど、どこかで仕方のないことと思っている自分もいる。

 でも、離れていってしまう人の中にツカサがいるかと思うと、不安で死んでしまいそうなくらいに怖い。

「手、つないでもいい?」

 震える声で尋ねると、 答えるよりも先に、ツカサに右手を取られた。

「悪い……」

 ツカサはいったい何に謝ったのだろう。

「昨日、怒鳴って悪かった……。それから、今、泣かせて悪い……」

「もうこんなこと訊かないで。こんな怖いことは考えたくないよ」

「……訊かずにはいられなかったんだ」

「……どうして?」

「俺も不安だったから、訊かずにはいられなかった。でも、もう訊かない。その代わり、俺が空回りしそうになったら翠と話したいんだけど。翠じゃないとだめなんだ」

 ツカサは私の手を離し立ち上がると、キッチンの引き出しから布巾を取り出した。

「涙拭いたらカップの用意して」

 そう言って、沸騰してからずいぶんと時間が経ってしまったポットのお湯を再度沸かし始めた。

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