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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
本編
26/120

26話

 かなり深い眠りについていたと思う。

 目が覚めたのは五時を回った頃。携帯が鳴ったことで目が覚めた。

 携帯のディスプレイには「里見茜」と表示されている。

 電話……?

「もしもし……」

『身体、大丈夫?』

「はい、昨日の今日だから休むようにって主治医に言われたくらいで、今日はひどい痛みはないんです」

『これからマンションに行ってもいい?』

「え?」

『歌の練習をしたいの。そろそろ合わせて練習を始めなくちゃいけないし、どのくらい声が出るようになったのかも確認したいから』

「でも、茜先輩、紅葉祭の準備は……?」

『あら、これだって立派な準備よ? それに、桃から授業のノートも預かっているの』

 来てもらって困ることはないし、幸いここにはピアノもある。

 茜先輩の伴奏に合わせて歌う環境は整っていた。

「じゃ、エントランスまで迎えに行きますね」

『あ、大丈夫。司も一緒だから。じゃ、あとでね!』

 ……ん? ツカサも一緒……?

「ええええっ!? ツカサも一緒っ!?」

 通話の切れた携帯に向かって声を発したところで誰に届くでもない。

 携帯のディスプレイを見たまま呆然とする。

「昨日の今日でまともに話せる気がしない……」

 今日の夜には電話をかけようと思っていたけれど、まだ心構えなるものは全然できていない。

 どうしよう……。

 急に目の前が真っ暗になった気分。

「えーと……――どうしよう」

 まだ不機嫌は続いているだろうか。それ以前に謝っていないし、謝る内容がわかっていないし、ツカサは理由もわからず謝るなって怒る人だし――。

 ぐるぐると悩んでいると、インターホンが鳴った。

 はじかれるように立ち上がり、眩暈を起こしてまた後悔……。

「待って、すぐに出るから……」

 聞こえもしないのに、ラグの上で平衡感覚を失ったまま口にする。

 すると、手の内にある携帯が鳴った。それに出ると、

『眩暈?』

 耳に心地いい落ち着いた声。聞き慣れた声が問う。

「うん……ちょっとドジ踏んじゃった」

『じゃ、こっちで手動で開けるからいい』

 それだけで通話は切られる。

 ゲストルームには物理的な鍵はかかっていないため、指紋認証をパスさえすればドアは開く。その手法で開けるのだろう。

 玄関ドアが開く音がして、

「先輩、左の部屋です」

 ツカサの声がすると、すぐに茜先輩が入ってきた。

「翠葉ちゃんっ、大丈夫っ!?」

「あ……えと……」

 まだ視界が回復しておらず、ラグにコロンと横になったままだ。

 ここで「大丈夫」と答えると、ツカサの信頼度が減る……。

「どうせ、段階も踏まずに立ち上がったんだろ」

 持っていた携帯を取られたのは、きっとバイタルを確認するため。

「先輩、大丈夫です。あと数分もすれば落ち着くから。俺、飲み物淹れてきます」

 視界は回復し、少しずつ身体を起こす。と、

「大丈夫?」

「はい、もう大丈夫です」

 歌の練習が目的なら、場所はリビングへ移したほうがいいだろう。

 茜先輩とふたり、廊下を抜けリビングへ移動した。

 キッチンではツカサがお湯を沸かしながらハーブティーを選んでいる。

 どうしようかな……。このまま気まずいのは嫌だし……。

「茜先輩、私、手伝ってきます」

「うん、いってらっしゃい」

 にこりと笑われ、この笑顔に癒されていたいと思う。後押しされるどころか、 この場を離れたくなくなって少し挫ける。

「翠葉ちゃん、司も気にしてるから話しておいで? 私、ピアノ弾かせてもらってるから」

 ツカサも気にしてる……?

「翠葉ちゃんは司から離れようなんて思ったことないよね?」

 どうしてかな。その問いには、「そうであって欲しい」と望まれているような気がした。

 でも、事実そんなことを考えたことはない。むしろ――。

「離れるってなんでしょう……。もし、距離が開くというのなら、それは私から離れるのではなく、ツカサが離れていくのだと思います」

 自分で答えておきながら、心臓が痛いと思う。

「翠葉ちゃん、行っておいで」

 私は茜先輩の小さな手に押されて一歩を踏み出した。


 数歩歩いてキッチンの前。あと一歩でキッチン。

 そんな場所に立っていると、

「カップ、どれ使うの?」

 キッチンの中からツカサに声をかけられた。

「あ、私やる」

 つい慌てててキッチンに入ってしまった。

 ゲストルームのキッチンは独立した作りになっているため、ここからはピアノの前にいる茜先輩の姿は見えない。ただ、ピアノの音だけが聞こえてくる。

 戸棚の前に立ち、ちょうど私の目の高さにあるカップたちを眺めた。

 ハーブティーなら耐熱ガラスの透明なのがいいかな。

 カップを選ぶことだけに神経を集中させようとする。と、

「翠」

 自分を呼ぶ声が近すぎる場所で聞こえてびっくりした。

「な、何っ!?」

 振り返ると、真後ろにツカサが立っていた。

 距離が近すぎて、見上げるようにしてツカサの顔を見る。

「訊きたいことがある」

 訊きたいこと……?

「翠にとって、人の呼び名って何? それから、どうして呼び出しに応じるのか、その二点が知りたい」

「……はい?」

「……なんでとか疑問に思わなくていいから。とりあえず簡潔な答えを希望する」

 答え、簡潔に……。

「人の呼び名は――呼び名、かなぁ……」

 質問されていることの意味をいまいち理解できていないと思う。だから、もしかしたら的外れな答えを返しているのかもしれなかった。

「あ、でも――苗字ではなく名前を呼ばれると嬉しいと思うから……というのは私が、という話なのだけど……。だから、誰かの名前を呼ぶときも、下の名前で呼べると嬉しいな。……呼べると嬉しいというよりは、下の名前を呼べる関係にあることが嬉しいと思う」

「簡潔」には程遠いけど、これで答えになっただろうか。

「じゃ、漣は?」

「サザナミくんは……苗字の響きがきれいだから。センリって響きもきれいだけど、周りの人でサザナミくんって呼んでいる人は少なくて、だから、自分が口にするだけでも新鮮な気がして……。きれいだから、そのままサザナミくんって呼びたかったの」

「ほかの男は?」

「……ほかの、男子?」

 この話はなんだろう……。いったいどこへつながっているのだろう。

「ほかの男子は……」

 言葉に詰まっていると、肩に手を置かれた。

「座って」

 食器棚を背に座るよう促される。

「ツカサ……尋問みたいで怖い」

「尋問じゃないけど、それに酷似してるといわれてもかまわない。答えてもらわないと俺が困る」

 私が座ると、ツカサもその隣に腰を下ろした。

「翠の呼称に対する考え――それを知っておきたい」

 呼称に対する考え……。

 つまりはあだ名とかニックネームとか呼び名のこと、だよね?

「簡潔には話せないよ?」

 そう前置きをしてから続きを話すことにした。

 ツカサが何を求めているのかはわからないし、どうしてそんなことを知りたがるのかもわからない。

 でも、そのことに対する私の考えを知りたいという気持ちだけは理解できたから――。

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