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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
本編
25/120

25話

「いい加減寝な」

「あ――」

 蒼兄に楽譜の入ったファイルを閉じられた。

「……うん」

「何かあったのか?」

 首にタオルをかけたままの蒼兄は、 ピアノに寄りかかって私の顔を覗き込む。

「また、ツカサを怒らせちゃった」

 私は怒らせた、もしくはツカサが嫌がることを言ってしまったと思っているけれど、秋斗さんは「思っていることが伝わらなくても声を荒げる」と教えてくれた。

 本当はどっちだったのかな……。

 一連の出来事を蒼兄に話しても、正解が何かは教えてもらえなくて、寝る直前まで考える羽目になってしまった。

「電話で訊いたら――やっぱり怒られるのかな」

 蒼兄に訊くと、

「それもありだけど、今日はやめておきな」

 時計を指されて、すでに十一時近いことを知った。

 私は明日学校を休むけれど、ツカサは普通に朝から登校するわけで……。

 紅葉祭の準備期間に入ってから、ツカサは朝六時には弓道場にいるという話は聞いていた。

 ツカサはとても生真面目な性格だと思う。

 どれだけやることが増えても、普段の日課を怠らない人。きっと、勉強に対しても同じなのだろう。

 すでに高校の勉強は終わっているとはいえ、赤丸達成率百パーセント、常に首位独走というスタンスを崩さずにいられるのは並大抵なことではないと思う。

 海斗くんの話によると、テストの順位や点数が張り出されるようになるのは中等部かららしい。そして、ツカサは中等部一年から一度も失点したことがないという。さらには、全国模試でも五点以上の失点はしたことがないという

 ――「それだけの努力はしてますから」。

 そう言ったのは、いつどんな場でのことだっただろう。

 思い出せない……。でも、確かにそれはツカサの台詞だったと思う。

 最近はふとした瞬間に何かを思い出すことが増えていた。

 それらはとても端的なもので、前後がわからないから「思い出した」ともいえないような記憶の欠片だけれど。

 どれもがパズルのピースのように断片的で、どんな絵になるのかすら想像もつかない。

 仕方がないから、頭の中にパズルフォルダを作り、思い出したピースはひとつずつその中へ入れるようにしていた。

 たいていが、何かの一シーンだったり誰かの一言だったり、そういうもの。




 気になることがあると、いつも以上に眠りが浅くなる。

「病院で少し寝てきたから眠れなかったのかな……」

 昨夜は何かしら夢を見て目が覚める、を繰り返していたため、ぐっすりと眠れた気がしない。

 睡眠不足で朝から貧血気味。

 今日、学校を休むことは決まっていたことなのかもしれない。

 学校に欠席の連絡を入れてくれたのは蒼兄だった。

 でも、微熱がある程度で昨日のように身体が痛かったり、取り立てて全身状態が悪いわけではない。強いて言うなら、少しだるくてちょっと痛みがある程度。

『翠葉ちゃん、森林浴セット取りに帰る?』

 栞さんから連絡があったのは午前八時。

「あ――できればそうしたいです」

『私、午後から母のところでお手伝いなの。だから、行きに車に乗せていってあげるわ。帰りは四時くらいになるけど、ピックアップしてあげるから」

 とても嬉しい申し出に、喜んで便乗させてもらうことにした。

 このあと動く予定があるのなら、それまでの時間は身体を休ませるべきだ。


 唯兄が十時過ぎに帰って来て、出かける支度をしている私に、

「どこか行くの?」

「幸倉に森林浴セットを取りに帰るの」

「まさかひとりでっ!?」

「ううん、栞さんが車で連れていってくれるって」

「でも、栞さんは実家の手伝いで夕方までは抜けられないでしょ?」

「うん。四時くらいには迎えに来てくれるっていうから、それまでは家でゆっくりしてればいいかな、と思って」

 だめかな……。

 唯兄をじっと見ていると、

「それ、俺も一緒に行く」

「でも、唯兄はこれから寝るんじゃないの? それにお仕事は?」

「仕事は粗方済んでるから、あとは夜に仕上げをすれば大丈夫。それに、秋斗さんところで少しは寝てきてる」

 そう言ったあと、唯兄はいたずらっ子の顔で、

「荷物は栞さんに運んでもらって、俺たちは電車で帰ってこない?」

 電車――それは私が憧れている乗り物。

 いつか、電車に乗りたいと話したのを覚えていてくれたのだろう。

「俺が一緒で、しかも平日の日中ならなんの問題もないと思うんだ」

「……いいのかな?」

「たまには冒険しようよ!」

 そんなふうに誘われて、少しドキドキしてしまった。

 栞さんに話してみると、

「若槻くんが一緒ならいいわよ」

 とくに反対されることはなく、ドキドキするイベントフラグが立った。

 学校を休んでいるのに、そんなことしていいのかな?

 多少の罪悪感はある。それでも、楽しみであることに変わりはなかった。


 栞さんに送ってもらって幸倉の家に着いたのは十一時過ぎ。

「荷物は玄関にまとめて置いておいてね? それから、翠葉ちゃんは衣替えの洋服も用意しなさいね」

 言われてびっくりする。

「わ……すっかり忘れてました。今日から衣替えだったんですね」

「あぁ、今日って十月一日か」

 唯兄と顔を見合わせ、月日曜日感覚が狂っている自分たちを笑った。

 自室に入り、冬服の制服と冬服仕様のルームウェアやお出かけ用の洋服とコート類をクローゼットから出した。

 唯兄はとくにやることがないからか、家中の窓という窓を全部開けると、

「うっしっ!」

 掛け声ひとつ発して掃除を始めた。

 三十分くらい掃除をして気が済んだのか、今は私の部屋のソファに転がっている。そして、私のベッドは洋服だらけ。

 それらをまとめトラベルラグも用意した。

「準備はこれで全部かな……」

 デジカメはマンションに持っていってあるし……。

「じゃ、ぼちぼち行きますか」

「うん!」


 幸倉駅までの徒歩二十分の道のりはタクシーを使った。

 本当は歩きたかったけれど、「微熱あるでしょ」と言われて口を噤んだ。

 久しぶりの幸倉駅には光陵の制服を着た生徒が数人いた。

 知らない人ならいい。でも、知ってる人には会いたくない――。

「リィ……?」

「……あのね、中学のときの同級生が苦手なの。うちの中学、ほとんどの人が光陵高校に進学しているから――」

「わかった。とっとと通り過ぎちゃおう」

 手をつながれ、唯兄に引っ張られるようにしてホームまで歩いた。

 何事もなく通り過ぎたというのに、私の身体はカチコチに固まっていた。ホームのベンチに着いたときには、

「ほら、深呼吸」

 と、唯兄に促されるほどだった。


 幸倉駅から藤倉駅までは電車で二十分程度。電車を降りると、

「少し遅くなったけど、お昼にしよう」

 唯兄はウィステリアホテルに向かって歩きだした。

「ホテルでお昼?」

「うん。あそこにはまだ俺の仮住まいの部屋があるから。そこでランチをオーダーして食べよう? 須藤さんにも連絡とってあるから、リィの食べられるものが出てくるよ」

「……ありがとう」

「どういたしまして。で、悪いんだけど、俺メインコンピューターの一部をチェックしに行かなくちゃいけなくて、三十分から一時間くらい待ってほしいんだ。俺の部屋で休んでてもらってかまわないから」

「うん、わかった」


 ホテルに着くと、私たちに気づいた澤村さんが、「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた。

 今日は制服じゃないから人の視線も気にならない。

 唯兄は自分の部屋でランチを食べることと、そのあとにメインコンピューターのチェックをする旨を伝える。と、

「わかった。それなら裏から移動するように」

 唯兄に対する澤村さんの対応は、私へのそれとは異なる。

「翠葉お嬢様、ごゆるりとお過ごしください。のちほどホテル内をご案内いたしましょうか?」

「澤村さん、リィ本調子じゃないんだ。だから、お昼食べたら俺の部屋で休ませます」

「おや、そうでしたか。ではお帰りの際はお車の手配をいたしましょう。それでは私はこちらで失礼いたします」

 優雅に一礼すると、ほかのお客様のもとへと移動した。

 動作のひとつひとつがとてもきれい。以前、静さんにも似たようなことを思ったけれど、品を感じる。

 そんな澤村さんの後ろ姿を見ていると、唯兄に声をかけられた。

「リィ、こっち」

 フロントの一番端にカーテンで仕切られた場所があり、その奥に通された。

 そこは調度品を取り揃えてあるホテル側とは打って変わって「会社」という感じだった。

 長い廊下の脇にはガラスで仕切られた部屋がいくつもあり、パソコンが何台も並んでいる。

 向かい合わせにデスクが設置されている部屋もあれば、ひとつひとつ間仕切りがしてある部屋もある。

 ロビーには優雅なクラシック曲が流れていたのに対し、こちらは戦場、といった感じだ。

 ホテル業務がどのようなものかは知らないけれど、表の従業員だけで成り立っているわけではないということがわかる場所だった。

「会社」だ――。

 唾を飲み込むとゴクリと音がした。

「こういうとこ来るの初めて?」

「うん……うちは自営業だから――」

「そっか、学校の社会科見学とかは?」

「小学校のときに給食のパン工場を見にいったことがあるだけ」

「……ここで良ければいつでも連れてくるよ? オーナーも許してくれると思うし。でも、今はとりあえず俺の部屋へ移動ね」

 手を引かれ、その通路の先にある業務用エレベーターに乗り込み三十九階へと移動した。

 業務用エレベーターを降り、表のフロアに出てひとつめの部屋が唯兄の部屋だった。

 部屋は二十畳くらいの広さで、ベッドのほかには一列にパソコンが四台並んでいる。ほかに備え付けのクローゼットとダイニングテーブルが置いてあるのみ。

 オーディオセットやテレビの類はない。もしかしたらパソコンですべて代用しているのかもしれない。

「少し横になってたら? ランチが届くまでには二十分くらいはかかるだろうし」

 言われて、素直に横にならせてもらった。

 唯兄はパソコンを立ち上げ何やら難しい顔をしている。そんな姿を見ながらいつの間にかうつらうつらと寝てしまったみたい。

「リィ、ランチきたから食べよう」

 起こされたときにはすでにダイニングテーブルの上に土鍋がふたつ並んでいた。

「須藤さん特製のおじや」

 唯兄が嬉しそうに笑う。

「ホテルのメニューにはないんだけど、俺、これ好きなんだよねぇ」

 具材は鶏肉と茸とご飯と卵、それから長ネギ、かな? 中華風味のほんのり塩味が絶妙で、長ネギと卵の相性が抜群。

「美味しい……」

「でっしょー? シンプルなんだけどすごく美味しいんだ」

 食べ終わると、

「じゃ、俺はちょっと仕事してくるから、リィは休んでいるように」

 まるで小さい子みたいにベッドに寝かしつけられた。

 消化に血液が使われている今、確かに私の頭は朦朧としていて、横になって眠るのにはちょうど良かった。


 マンションに戻ってきたのは三時過ぎ。

 唯兄は帰って来るとすぐに秋斗さんの家へ行ってしまった。

 やっぱり忙しかったんじゃないのかな、と少し不安になる。

 学校のみんなは今頃授業を受けていて、それが終われば紅葉祭の準備に追われるのだろう。

 そんなことを考えつつ、ベッドで横になっていた。

 車での移動が多かったとはいえ、やっぱりあちこち移動するのは身体の負担になるらしい。

 藤倉の駅は地下鉄も乗り入れていることもあり、平日でも人が溢れていた。その人ごみに疲れたのかもしれない。

 だるいな、と思う程度には疲れていた。

「少し休もう……」

 ホテルでも散々休んできたけれど、やっぱり慣れ親しんだ場所のほうが落ち着く。

 ゲストルームは自分の家ではないけれど、落ち着く、と思う程度には慣れ親しんだ場所になっていた。

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