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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
本編
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02話

 私は二学期が始まる二日前に退院した。

 退院当日は、お父さんも現場から帰ってきて、蒼兄たちと一緒に病院へ迎えに来てくれた。

 その日は幸倉の家に泊り、翌日はマンションへ移動。

 学校へ通うのには、やっぱりマンションからのほうが都合がいいから。

 お母さんも仕事の資料をマンションへ運び、マンションから現場へ指示を出せる状態を作っていた。

「お父さん、私、静さんにお礼を言わなくちゃ……」

「ん?」

「静さんなのでしょう? 藤宮病院を紹介してくれたのは」

「あぁ、そうだよ」

 柔らかく笑うお父さんは、前に見たときよりも肌が黒くなっていて、そのせいか、少し痩せたような印象を受ける。それとも、本当に忙しくて痩せてしまったのだろうか……。

 そんなことを考えていると、

「今日、マンションに着く頃には静も来るよ」

「またゲストルームを使わせてもらえることにもお礼を言わなくちゃ……」

「それなんだけどさ」

 お父さんは鼻をポリポリと掻きながら話しだす。

「翠葉が高校を卒業するまで貸してもらう契約をしたんだ。で、もしかしたらそのまま買い取るかもしれん」

「え……?」

「あそこさ、父さんたちも学生結婚したときに住んでたんだ。思い出もいっぱいあるんだよね」

 言いながらにへら、と笑う。

「幸倉の自宅を手放すつもりはないし、父さんたちはずっと幸倉に住むけれど、蒼樹の都合上、あそこは便利らしいからさ。もし、ゲストルームを買い取るときには、蒼樹名義か唯名義にするつもりだよ」

「……そうなの?」

「あぁ、ほぼ決まりなんだけど、あと二年ちょっとは賃貸の状態」


 すべての準備を終えてマンションに移動。

 幸倉の家からは二十分から三十分くらいの距離。そして、学校とは目と鼻の先。

 すごく贅沢な環境だと思う。

 前にお父さんが言っていた。

「どんな治療が降って湧いてもその治療を受けさせてあげられるだけの経済状態を維持する」と。

 それは、私が学校へ通える環境を整える、というものも含まれているのだろう。

「お父さん……ありがとう」

 ポスン、とお父さんの胸に額を預ける。

「うん?」

「治療のことも、学校へ通う環境のことも、全部――全部、ありがとう」

「……いいんだよ。翠葉が幸せでいられるのなら」

 お父さんはそう言って抱きしめてくれた。


 マンションでは栞さんとコンシェルジュが出迎えてくれた。

 九階でエレベーターを降りると、美波さんがポーチにいるのが見えた。けれども、挨拶をする前につい、と家に入ってしまう。

「美波さん……?」

 いつもなら元気よく声をかけてくれるのにどうしたのだろう。

 立ち止まっていると、

「翠葉が気にすることじゃないよ」

 と蒼兄に背を押された。

 蒼兄は何か知っているのだろうか。

 不思議に思って蒼兄を見上げると、

「私、ちょっと行ってくるわ」

 お母さんは私たちに愛想笑いを見せ、美波さんの家へと向かって歩きだした。

「ほらっ、リィ、中に入ろうっ! 栞さんが軽食用意してくれてるって!」

 唯兄に背中を押され、久しぶりのゲストルームへと足を踏み入れた。

「おかえり」

 玄関で出迎えてくれたのは静さんだった。

「静さん、あの、またお世話になりますっ」

 勢いよく頭を下げると、後ろからどつかれた。

「痛っ……」

 どつかれたことよりも、その勢いで玄関マットに膝をついたことのほうが痛かった。

 蒼兄っ? それとも唯兄っ!?

 反射的に振り返ると、

「勢いよく頭下げて、勢いよく頭上げたら蹴飛ばすけど?」

「つ、ツカサっ!?」

 私を見下ろしていたツカサは「おかえり」と言うと、私を追い越してリビングへと通じる廊下をスタスタと歩いていった。

「ずいぶんな挨拶をされるようになったんだね?」

 立ち上がるのに手を貸してくれた静さんに言われる。

「なんだか、最近は口を開けばケンカ調子です。慣れましたけどね」

 笑って答えると、静さんは「それは興味深い」とリビングへ向かったツカサに視線を移した。再度私に視線を戻すと、

「ここを貸すことの条件は前と変わらないよ」

 条件――。

「ピアノを弾くこととと写真提供のふたつ。それだけだ」

「はい。でも、それなら写真の報酬は――」

「それは呑めないよ? 報酬は報酬でもらってもらわないと、うちが会社的に困るんだ」

 やっぱりだめなのね……。どうしてもあの金額には納得がいかないんだけどな。

 そしてもうひとつ、気になることがある。

「静さん……私、写真を撮った記憶がないのはやっぱり気持ちが悪くて……」

 撮ったものは自分が写したものだろう、という感覚はある。けれども、写っている場所が記憶にないというのはとても気持ちが悪いのだ。

「そうだろうね……。でも、とりあえずはダイニングへ行かないかい? 玄関にずっといると、後ろの人間も入れないからね」

 後ろからは、「まーだーーー?」と声を発する唯兄がいた。

「ご、ごめんなさいっ」

 私は慌てて靴を脱ぎ廊下を進んだ。


 ダイニングではすでにツカサがくつろいでおり、栞さんはキッチンでランチの用意をしてくれていた。

 その手伝いをしようとキッチンへ入ろうとしたとき、

「翠葉ちゃんはこっち」

 と静さんに手を取られた。

「大丈夫、栞の手伝いは若槻がやるさ」

「うん、リィはそっちで待ってな」

 唯兄が背後から現れ背中を押してくれた。

 私は手を引っ張られたり背中を押されたりして、ダイニング中央まで足を進める。

 ラグの上に座ると、静さんは私の正面に片膝をついた。ツカサはキッチン側のソファに座っている。

「翠葉ちゃん、ブライトネスパレスにもう一度行かないかい?」

「え……?」

「もちろん体調のいいときだ。秋斗と、もう一度行ってこないかい?」

 秋斗さんと……?

「秋斗と一緒が嫌なら私が連れて行こう」

「……嫌、じゃないです」

 即答はできなかった。でも、嫌ではない。それは嘘ではない。

「そう言ってくれると助かるよ」

 静さんは少し笑って、階段の方を向いて声をかけた。そこには秋斗さんがいた。

「秋斗」

 秋斗さんも驚いた顔をしていたけれど、私も負けないくらいには驚いた顔をしていたと思う。

「下りてこい」

 静さんが言うと、秋斗さんは私に視線を固定したまま怪しい足取りで階段を下りてきた。

 秋斗さんの後ろからもうひとり ――身長が高くて頭が小さい紺のスーツを着た人も一緒に下りてくる。

「翠葉ちゃん、彼が蔵元森だ。秋斗の秘書をしている」

「初めまして……になるのでしょうかね。蔵元森です」

「御園生翠葉です……」

 握手を交わしたけれど、なんだか不思議な感じだ。

 記憶がないから「初対面」な気が満載。それでも、事前情報として「知り合いである」ことを聞いているからだろうか。感じるはずのない違和感を「初めまして」の挨拶に覚えたのだ。

「なんだかおかしなやり取りをすることになってしまってすみません」

 ペコリ、と小さく頭を下げると、

「物事には順序があり、その過程が抜け落ちてしまったのは翠葉お嬢様の意思ではございません。ならば、抜けてしまった部分を補うために今のやり取りは必要なものだったと思います」

 カチコチの理由を並べた蔵元さんは、最後には柔らかな笑顔を向けてくれた。

 見かけは「硬派」なイメージなのに、話をしてみるととても物腰柔らかな話し方をする人だった。

「で、秋斗様……。いい加減何か話したらいかがです?」

 蔵元さんは声音を変えて秋斗さんを振り返る。

「え、あ……えっと、嫌じゃない?」

 それは、一緒にブライトネスパレスへ行くこと……?

「片道、どうやっても一時間半はかかるし、往復で三時間は俺と一緒だよ?」

「秋斗、法廷速度を守ったら一時間半では着かないぞ。それに、ふたりきりだからといって何かするつもりがあるのか?」

「いえ、全くもってそんなつもりはないけれど……。でも、密室に俺とふたりって大丈夫なのかなって……。あまり飛ばさないとなると片道二時間コースだし……」

 秋斗さんは不安そうに私を見ていた。

「……困ること言わないでくれたら大丈夫です」

 かまえることなく口にした言葉。

「……じゃ、翠葉ちゃんの調子がいいとき、一緒に行こう?」

 うかがうように顔を覗き込まれたので、私はコクリと頷いた。すると、秋斗さんは脱力したようにラグの上にしゃがみこむ。

「「格好悪……」」

 秋斗さんともうひとり、ツカサの声が重なった。

 私がびっくりしていると、秋斗さんはツカサの方を向いてにこりと笑う。

「もういいんだ。俺、格好悪いのも全部見せるって決めたから」

「はい、そこのふたり、火花散らしてないでね~。はいはい、お昼だよー、お昼お昼」

 唯兄がふたりの間に割って入ってきて、テーブルにお皿を並べ始めた。

 今度こそ手伝おうと思って立ち上がると、今度はツカサに制され、結局私は何も手伝わせてもらえなかった。

 治療の甲斐あって、今は痛みもなくこのくらいのお手伝いならできるのに……。


 昼食はシーフードチャーハン。

 いつもなら白米とシーフードなのに、玄米とシーフードに変わっていた。

 スープは根菜を中心としたものが使われており、相馬先生が使う素材に近いものがある。

 栞さんが遅れてキッチンから出てくると、

「がんばって食べて少し太らないとね」

 と、頬をつままれる。

 確かに、がんばって食べなくてはいけない。

 学校へ通うのにも授業を受けるのにも、エネルギーは必須。

 食べられないではなく、がんばって食べなくちゃ――。

 そう思ってスプーンを手に取ると、

「そこで気負っても仕方ないから」

 ボツリ、と隣に座るツカサが口にした。

 まじまじとツカサを見ると、「何?」という顔をしてスプーンを口に運ぶ。

 なんだかなぁ……もう。でも、こういうやり取りにも慣れた。

 私に本音を話せと言うだけではなく、ツカサも思っていることを話してくれるようになったから。

 それが愚痴というより、ほとんど私に対する文句であることが玉に瑕だけど……。それでも、嘘がない言葉だと思うから、言葉の裏表を考える必要がなくて楽。


 お父さんと静さんはピアノがある方のスペースにテーブルと椅子を出し、仕事の打ち合わせをしていた。ダイニングの大きなテーブルの方には、私たち三兄妹とツカサ、秋斗さんと蔵元さんと栞さん。

 お母さんはまだ戻ってこない。そして、蒼兄もそわそわと少し落ち着きがない。

 もしかしたら蒼兄は何か知っているのかもしれない。

 そうは思っても、どうしてか訊くに訊けなかった。

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