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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
本編
12/120

12話

 薬はきっちり二十分で効き始めた。

 吐き気は軽くなったけれど、痛みに関しては多少楽になった程度。鈍痛はどうやっても残る。

 けれども、この状態が続くのは二時間程度。持続時間はさほど長くないのだ。

「ツカサ……」

 身体を起こして振り向くと、こちらを向いたツカサと目が合った。

 やっぱり恥ずかしいな……。

「あのね、お薬効いた。これ、ありがとう……」

 用意してくれた寝具セットを指差す。

「それとね、薬……たぶん二時間くらいしかもたないの。だから、このまま病院に行こうと思う」

「そうすればいい。今日のところは本格的に何かができるわけじゃない」

 そう、なのね……。

「碧さんに連絡? それとも御園生さん?」

「お母さん」

「じゃ、連絡するだけして、迎えが来るまで休んでろ」

「ん……」

 ツカサは会話が終わればまたファイルに視線を落とす。

 お母さんに連絡をすると、すぐに来てくれると言われ、十五分後には学校へ着いたと連絡が入った。

 身体を起こしツカサにお礼を伝え、ひとり図書室を出ようとしたけれど、ツカサは昇降口まで送ると言ってきかなかった。

「こんなに顔色の悪いやつをひとりで歩かせられるか」

 ことあるごとにそう言われている気がする。

 昇降口前に車が止まっており、私たちに気づくとお母さんは車を降りてきた。

「司くん、ありがとうね」

「いえ……。じゃ、気をつけて」

 言うと、ツカサはすぐに踵を返した。


 車に乗り生理がきたことを話すと、

「痛いだろうけれど、生理が完全に止まらなくて良かったわ」

 実のところ、体重が一気に減ったことが原因なのか、痛みが本格化してからふた月ほど生理が来なかったのだ。それに付随して、基礎体温もガタガタだった。

 けれども、入院後期から基礎体温がきれいなグラフに戻り、今回の生理があった。

 これで完全に止まってしまったら婦人科にもかからなくてはいけなかったのだ。そういう意味では少しほっとしている。

 帰ったら栞さんにも話そう……。

 そこまで考えて、栞さんも生理のことを話せる人だと思い出す。

 もともと私の体調管理をしてくれていたから、生理周期も把握していてくれた。そして、基礎体温のことをきちんと説明してくれた人でもある。

「お母さん……この学校の性教育って何?」

「あ、そっか……翠葉は一学期に受けられていないのね?」

「そうみたい……」

「じゃ、近いうちに補講を受けてテストかな? なかなか刺激的よ」

 お母さんは軽やかに笑った。

「教えてはくれないの?」

「教えられないことはないけれど……。外部生は洗礼を受けるのが決まりだもの。翠葉も受けていらっしゃい。そのうえでわからないことがあれば教えてあげるわ」

 これはなんとなく、蒼兄に訊いても同じ答えが返ってきそうだ……。


 病院に着き受付を済ませると、私とお母さんは九階へ上がる。

 そこは病棟だけれど、私にとっては診察室になっていた。

 相変わらず九階はガランとしている。

 ベッド待ちで入院できない患者さんもいるのに、どうしてこの階は誰もいないのだろう。

 ベッド待ちで苦しむ人たちがいるくらいなら、こんな階はなくしてしまえばえのに。

 そう、安易に思う私は子どもなのかな。

 ナースセンターの前を通ると、

「少し早いな?」

 と、相馬先生が腕時計を見た。

「痛いのか?」

「さっき生理が来て、お腹が痛い人になっています。お薬飲んだけど、そんなに長くはもたないの……」

 すると、相馬先生もほっとした顔をした。

「生理が止まるよりは来たほうがいい。今日は生理痛に効くツボにも鍼打ってやるから安心しろ」

 相馬先生とお母さんが挨拶を済ませると、治療のために病室へ入った。


 治療をするときは先生とふたりのことが多い。トリガーポイントブロックのときは補助につく人が増える程度。

 退院してからの麻酔治療は、手術室がある階で昇さんか久住先生が処置してくれることになっている。

 いずれも、診察時にお母さんが一緒のこともあるけれど、治療のときはお母さんは席を外す。

「学校はどうだ?」

「今日は始業式とホームルームだけです。あとは生徒会の集まりがあったけど、私は途中でお腹が痛くなって横になっていました」

「そうか」

 なんてことのない会話。

「身体の痛みは?」

「痛いけど……でも、激痛発作は起きていないし、歩くことができるくらいの痛みレベル」

「少しずつだ……。少しずつ痛みのレベルを落とす。今は治療効果が維持できていればそれでいい」

 十あったものを急にゼロにはできない。そういう話は夏休み中に聞いた。

 もとより、そんな贅沢は望んでいない。

「ただ……人とすれ違うのがすごく怖いです。ぶつかったときの衝撃や振動が――そいうのが怖くて、人ごみを目にすると足が竦んじゃう」

「……そういうときは空いているところを探すか、空くまで離れて待ってろ」

 確かにそうだ。流れに乗ろうとするからハードルが高くなる。

「友達に――なんで言ってくれないのって怒られちゃいました」

「いい友達じゃねぇか」

「うん……」

「でも、言えないのか?」

 こんな会話をしながらでも、鍼を打つ手はしっかりと動いている。

 相馬先生は治療を進めながら、時折「吸って吐いて」と指示を出しながら話を聞いてくれるのだ。

「言えないというか……一度そういうことを話してしまうと、際限なく甘えてしまいそうで怖いです。……蒼兄に頼りすぎてしまったのと同じになりそうで。それは負担になると思うから。その線引きが自分にできる気がしなくて……」

「相変わらず気苦労の絶えねぇやつだな」

 先生はくく、と笑った。

「紫先生とお姫さんから聞いたんだが、なんで人に言えなくなった?」

「え?」

「具合が悪いこと、なんで人に言えなくなったのかちゃんと考えたことあるか?」

「……心配をかけたくないから」

「でも、それはクリアしただろ?」

 そう言われてみればそうだ。

「ほかにないのか?」

 ほかに――。

 心が黒く染まりそうな過去――中学の頃を思い出す。

「……言っても信じてもらえないから」

 いつからなのかは覚えていない。ただ、気づいたときには誰も私の声に耳を傾けてはくれなくなっていた。

 無視されることが日常。声をかけられても冷やかしとかそんなものばかり。気づけば、学校で人と話すことはほとんどなくなった。

 時々鎌田くんと話す程度。学校に行って口を開かない日もあった。

 誰かに具合が悪いと言える環境があそこにはなかった。どうして無視をされるのか、どうして攻撃的な目で見られるのかもわからなかった。

 上履きや靴がなくなることはしょっちゅうで、机の落書きもマジックで書かれることはなかったけれど、シャーペンで目に入るところに何かしら書かれていた。

 最初は見つけるたびに消しゴムで消していたけれど、それも無駄なことなのかもしれないと途中から諦めた。

 保健室の先生も心配して優しく対応してくれたのは始めのうちだけ。

 どこの病院で検査をしても異常がないという話をしてからは、「本当に具合が悪いの?」と言うようになった。

 血圧が下がって倒れたときには、「ダイエットをしているんでしょ? 食べないからだめなのよ」と言われる始末。

 ダイエットなんてしたことないのに……。

 起立性低血圧であることや自律神経失調症であることを話せば、「成長期の子には多い」と言われ、理解を得られるわけではなかった。それは担任の先生も変わらず……。

 お母さんが何度となく学校に説明をしてくれたけれど、わかったというのはその場だけで、何が変わることもなかった。

 だから――言うことを、伝えることを諦めたのだ。

 学校は決して楽しいところではなかった。でも、義務教育だし行かなくちゃいけないと思っていた。

 行きたくないという気持ちもあったけれど、身体のこと以外でお母さんたちに心配をかけるのが嫌だったから、多少体調が悪くても無理して学校へ通った。

 でも、そうするたびに倒れては心配をかけ、クラスの人からは冷たい視線を浴び、何ひとつ良かったことなどない。

 いつからか、校門をくぐると視界はグレーのフィルターがかかって見えるようになった。

 色彩の一切がなくなる。

 モノクロの世界とも言えないような、メリハリのないグレー。そこに温度を感じることも湿度を感じることもなくなった。

 お母さんや蒼兄に相談したら良かったのかな。でも、もう過去のことだもの。わからないよ――。

 それらを先生に話すと、

「おまえはそんなところから苦労してたのか」

 と、ため息をつかれた。

「苦労って……こういうことを言うんですか?」

 私が考えている「苦労」とは何か違う気がする。

 これは「苦労」というよりも「境遇」というか、「苦い思い出」としか思えない。

「でも、その学校の養護教諭もクラス担任も腐ってんな。ま、今は教育の現場も荒れてるからなぁ……。モンスターペアレンツってのが社会現象になってるくらいだ。それを恐れてやりたい教育ができない、そういう学校は増えている。だが、その現象に甘えて教育現場が何もかも対処しないできないっていうのは免罪符にはなり得ねえんだけどな」

 モンスターペアレンツ――。

 ネットで記事を読んだことがある。

 学校に対して自己中心的かつ理不尽なことを要求する親。

「もし……もし、私がそのことを話したとして、お母さんたちが学校にかけあってくれたとしても、きっとモンスターペアレンツって言われたと思う。どこにも逃げ道とか解決策はなかったように思う」

「そこが難しいんだよな。とくに地域性の出る狭い社会、学校ってところはさ」

 鍼の置き時間である十分くらいはずっとこんなふうに会話をする。

 入院中、毎日顔を合わせて毎日治療してくれ、そうこうしているうちにこういう会話を普通にできるようになった。

 相馬先生は私が苦手な言葉を使わない。

「普通は」とか、「一般的には」とか、「基本は」とか、「通常なら」とか――そういう言葉。

 いつも自分の価値観で話してくれる。「俺はこう思う」と。

 それが私にはとても嬉しいことだった。

 世間一般とか普通とか――私には当てはまらなかったり、その中に入ることができないことが多々ある。だから、私はその言葉が苦手だ。

「普通」という言葉には憧れる。

「普通」に学校へ通って、「普通」に生活ができて、「普通」に生きる――。

 焦がれて止まない言葉でもあるのに、その言葉を引き合いに出された途端に私は蚊帳の外になってしまうことが多い。

 だから、憧れているのに苦手……。

 生と死、好きと嫌いは紙一重。きっとそんな感じ。

「でもね、先生……。中学のときと今私の周りにいる人たちは違うってわかっているの」

「じゃあ、なんで言えない?」

「……習慣――癖、かな」

 きっとそう……。

「それは知覚神経の、痛みの記憶をなくすのと同じで徐々に取り除いていくしかねぇな。時間はかかる。でも、治せないものじゃない」

 そう言って、先生は鍼を取り始めた。

 表が終われば裏。今度はうつ伏せになって横になる。

「信じていないわけじゃないんです。どちらかと言うなら、これ以上にないくらいに信頼できる人たち。ただ、人に言うっていう習慣がなかなかつかないだけで……」

「でも、坊主にはだいぶ言うようになったじゃねぇか」

「だって……言わないと怒るし、すぐに不機嫌って顔に書くし……」

「くっ、確かにな。あの坊主はある意味すげぇな。スイハが俺にこんな話をするようになったのも、あの坊主の調教の賜物なんじゃねぇか?」

「先生ひどい……」

 調教だなんて、まるで私が動物園の動物みたいじゃない。

「でも、本当のことだろ?」

「……ツカサが、私がなかなか言葉にできないことを口にさせるように鍛えてくれているのは認めるけれど、そうじゃなくても相馬先生には話せるようになっていたと思います」

「お? 嬉しいことを言ってくれるね。俺の嫁になるか?」

「なりません」

 にっこり笑って答えると、

「そういうところはお姫さんや坊主に似てきたな」

「それはあまり嬉しくないです。でも……先生は先生の価値観で話してくれるから……。私はそれが好きだし居心地がいいのだと思います」

「俺も、スイハのそういう真っ直ぐなところは嫌いじゃねぇよ」

「先生?」

「なんだ?」

「先生のお嫁さんになる人はとっても幸せだと思うの」

「あ゛?」

「だって、先生は人のことを中身から見てくれる。だから、その人は絶対に幸せ」

 そう言うと、先生はとても優しい顔をして笑った。

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