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光のもとでⅠ 第十一章 トラウマ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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35~39 Side Akito 02話

 スーツを脱ぎ、さっきとは違うものに着替える。

 本当は明日着ようと思っていたものだけど、別にそれが前後したところでとくに問題はない。

 白いシャツにチノパン。その上にVネックのカーディガンを羽織る。

 気合をいれているわけでもなければ、お洒落している要素はどこにもない。

 学校で白衣の下に着ているものと変わらない服装。

 彼女はそんな俺をじっと見ていた。

「カーディガンは普段着ていないけど、翠葉ちゃんと一緒にいるときはたいていがこの服装。中のシャツがその日によって変わるくらい」

 彼女は「あ」って顔をしてから少し間を置いて、

「秋斗さんは思い出してほしいんですね」

 その答えは今しがた、明確に出た。

「……すごく悩んだよ。このまま思い出さないでくれたほうが俺にとっては都合がいいんじゃないか、とか。翠葉ちゃんが苦しまなくて済むんじゃないか、とか……。でも、やっぱり俺にとっては宝物のような時間だったんだ。それらすべてがなかったことになるのは悲しい。それに、翠葉ちゃんが言った『経験値』という言葉。それを聞いたら、やっぱり取り戻したほうがいいんだろうな、と思えた」

 この言葉に嘘はない。

 思い出すことが最善とは言えないだろう。それは君にとっても俺にとっても。

 それでも、君は思い出したほうがいいと思う。

 蒼樹が言っていたから……。

 高校に通うようになってから、彼女の世界が広がった、と。

 そこで経験したものを失っていいわけがない。

「……ツカサは秋斗さんに会わなくちゃだめと言っていたし、話をするべきだと言ってました。忘れてしまったことに対しては、ただ思い出そうと無理をしなように、それしか言わなくて……」

「……司は翠葉ちゃんを第一に考えてるんだな」

 彼女を思いやる部分において、俺は今まで司に勝てたことなどないだろう。

 つい最近までの俺は、「思いやる」というよりは「煮え切らない人間」になっていただけ。

 本心は聞いていない。でも――。

「きっと、本当は司も思い出してほしいと思っているんじゃないかな。思い出がなくてもこれからの関係は築ける。でも、それまで一緒に過ごした時間を共有できないのは寂しいことだと思うんだ」

「そうですよね……。最近、少しずつだけれど、思い出し始めてはいるんです。でも、一シーンとか一フレーズばかりでつぎはぎもできない状態なんですけど……」

 やっぱり……。

「私、お茶を淹れますね」

 話が長くなりそうだから、その前に飲み物を用意しようと思ったのだろう。

 彼女は一番手近なストーブのケトルをテーブルに置くと、

「秋斗さんは何が飲みたいですか?」

「じゃ、俺はラベンダー」

「私はカモミール」

 にこりと笑い、籠からティーパックを取り出しカップへセットする。

 こんなこともあったな……。

 思い出しては彼女の背後へ回る。

 彼女がびっくりしすぎないように、壊れてしまわないように、優しくそっと抱きしめた。

「翠葉ちゃんを警護していたとき、家まで送ったことがあった。そのとき、君はキッチンでハーブティーを淹れようかコーヒーを淹れようか悩んでいたんだ。そのとき、俺はこうやって背後から抱きしめて『ハーブティーがいいな』って耳元で囁いた」

 状況を説明しながら同じようなことをする。と、

「あっ、秋斗さんっっっ。心臓がうるさくなるから困りますっっっ」

 身を縮めて言う彼女。

 髪の毛をまとめているから、本当なら首筋まで赤くなっている彼女を見られるはずだった。けれど、小さなキャンドルが灯るこの環境ではそれも叶わない。

「あのときも君の心臓はバクバクいってたよ。俺がからかっているのがばれて、腕の中で『からかうなんてひどい』って抗議された」

 思い出すだけでも幸せだと思うし、かわいいと思う。

 現に今、目の前で同じような状態の彼女がとても愛おしくてたまらなかった。

「……そのときにしたキスは二度目かな。唇以外を含めるなら三度目だけど」

「……え?」

「図書棟の仕事部屋でしたキスは右頬に。翠葉ちゃんが俺を好きと認めたときには唇に。そしてこれが唇へのキス、二度目だった」

「私は――私はいつから秋斗さんを好きだったんでしょう?」

「俺が気づいたのは中間考査の翌週だったと思う。だから、五月の末くらいかな?」

 四月に君と出逢って、俺が一番君の側にいられた期間。それがこの時期だと思う。

「何か思い出せそう?」

「いえ――でも、さっき、本館へ戻るとき、少しだけ思い出したんです。秋斗さんと手をつないで噴水広場のキャンドルをきれいって言いながら歩いたときのことを。ちゃんと会話も風景もセットで」

「本当に……?」

「はい」

「ディナーのときは……?」

 つい矢継ぎ早に訊いてしまう。

「あれは――前にもホテルで秋斗さんにエスコートされたこと、ありましたか?」

「あるよ」

 でも、どっちのことだろう。

 森林浴の帰りか、打ち合わせ後のことか――。

「残念ながら、それがどこのホテルか、どんな状況か、そういうのは思い出せなくて……」

「そっか……。ホテルは藤倉にあるウィステリアホテル。その先は思い出すのを待とう?」

 覚悟を決めたはずなのに、やっぱりどこか尻込みする部分がある。

 司を見て動揺した意味を、今の彼女なら理解することができるような気がして、それが怖いと思えば先延ばしにしたくなってしまう。

 それに、せっかくどうでもいい雅のことも忘れてくれたのに、そこまで思い出されてしまう気がして――。

 テーブルに視線を移せば、ケトルとカップたちがそのままになっていた。

 これ幸いとそれらに手を伸ばす。

「あ、ごめんなさいっ」

「いいよ。邪魔したのは俺だから」

 少し、嘘……。ただ、自分が落ち着きたいだけなんだ。

 お茶を淹れていると、君をより濃く思い出す。

 表情や仕草、嬉しそうにお茶を淹れる君を……。

「秋斗さん、何かありましたか……?」

 何か、か……。

「……そうだな。覚悟した、ってところかな?」

「覚悟……?」

 まだ、覚悟したてで肝までは据わっていないけど。

「正直、いいことはしてきてないかもしれない。それでも、俺にとっては翠葉ちゃんと過ごした時間はこれ以上ないくらいに大切なものだといえるから、思い出されることで俺が不利になることがあるとしても、やっぱり思い出してほしいんだ。さっき翠葉ちゃんが言ってくれたから、俺は俺らしく接する。だから、また全力で翠葉ちゃんを口説きにかかるよ」

「…………」

「真っ赤だね? そんなところも変わらない。どんな君でも、君にどんなふうに思われようとも、俺は君が好きだから。覚えていてね」

 彼女を真正面に見据え、少しだけ笑みを添えた。

 翠葉ちゃん、俺は君が好きだよ――。

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