みにくい竜の子を拾った男とその同僚。
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バルさんのお話。それからちょっとおバカな狼さん同僚。
ヴァルネル・シィタ・ゼ・ロンガーゼッタがその少女――リーシャを見つけたのはまったくの偶然だった。ジリンの毒花が異常発生しているとの報告を受け、毒に耐性のある竜人のヴァルネルが視察に行くことになった。他にも毒耐性のある種族はいるのだが、そのとき手が空いていたのがヴァルネルだったというだけのことだ。そこでモウの群れに襲われかけている小さな少女を見つけたのだから、その偶然にも感謝せねばなるまいとヴァルネルは本気で考えている。
少女は竜人の証である黒髪と黒い瞳を持っていた。モウの群れから反撃もできずに逃げ惑う少女に見覚えはなかったし、見たことのない上着と短いスカートにも眉を顰めた。そのうえ涙にぬれた顔は竜人のくせに整っているといえるものではなかったが、黒髪黒目は紛れもなく同族の証。ならばと、常なら無視するところを助け出したのだ。ここで見捨ててあとから親に苦情を入れられてはたまらない、と思ったのもある。
モウから逃れることもできないとはどこの箱入りだと目をやれば、竜人の子なら誰でも持っている庇護の証を少女は持っていなかった。
竜人は成人するまでの間、親が毎日その額に印を刻み庇護の証とする。それぞれの家に伝わる染料を使って行われるそれは一種のまじないのようなものだが、竜人ほどの力を持つ種族の印はそれだけで力を持つ。それが非力な子どもの身を守るから、竜人の子は例外なくその証をもっている。しかし、少女にはその証がなく、印を刻まれたことのある様子すらなかった。それどころか言葉すらまともに話せない。どう考えてもまともな家庭環境で育ってきたとは思えなかった。
扉を1人で開けることもできず、子ども用の椅子にすらよじ登らねば座れない小さすぎる少女を保護することにしたのはただの気まぐれ……のはずだったのだが。
クロワッサンをおいしいおいしいと頬張り、出かけるヴァルネルの後を一生懸命に追いかけて見送ってくれたリーシャは文句なしに可愛い。もう仕事を投げ出したいくらいには可愛いが、がんばってねと見送ってくれる朝を思えば仕事に行くのも悪くはない。
「……ヴィズーガ、さっきからなんです? 空を眺めている暇があるなら手を動かしなさい、手を」
先ほどからヴァルネルの顔と空を交互に見上げて難しい顔をしている狼の同僚にそう声をかける。
基本的に同期のこの男と共に仕事を任されることが多く、つまりはこの男が仕事を終わらせなければヴァルネルの帰宅時間もそれに伴い遅くなる。家で待つリーシャを思い、さらに視線を厳しくしたヴァルネルを、難しい顔はそのままにヴィズーガは振り返った。
「仕事人間のヴァルネルが明日休みを取ったっていう馬鹿みたいな噂を聞いたから、雨でも降るんじゃないかと思って」
「なんです、馬鹿みたいな噂とは」
「あーなんだ、やっぱり嘘?だよなーおまえが休みなんかとるわけないもんなー。「別に噂でもなんでもないですよ。わたしは明日休みです」……えぇぇぇっぇぇっぇぇぇ!?」
「煩い。黙って手を動かしなさい」
大げさに驚きを表すヴィズーガに冷めた目を向けるが、驚きの最中にあるヴィズーガには届かない。
「だだだだだだって!!!!ヴァルネルが休み!?ウソだろ、建国記念日ですら休まなかったおまえが!?なにがどうして休むんだよ!?具合でも悪いのか?」
「別に悪くありませんよ。わたしが休んではいけないんですか」
「いや、いけないってことはねぇけど……」
やはり明日は雨かとヴィズーガは狼らしからぬ仕草でしゅんと項垂れる。
明日は休みが取れたから花屋のミィミをお茶にでも誘おうと思っていたのに、雨では猫のミィミは外に出るのを嫌がるだろう。なんてことだ、このお綺麗な仕事人間にオレはデートまで邪魔されるのか……。そうでなくても職場の女の子はみんなこの芸術品めいた男に夢中だというのに……!
「失礼なことを考えていますね?」
「いや、滅相もない!!!!」
じろりと睨まれ、ぶるぶると慌てて首を横に振る。絶対零度の視線はそう長くはそそがれず、すぐに逸れて手元の書類へと戻った。
その様子にこてりとヴィズーガは首を傾げた。はてもっと小言を言ってくると思ったんだが、今日はやけにあっさりしている。いつもならネチネチと重箱の隅をつつくようなことばかり言ってくる小姑みたいなヤツなのに。
考えてみれば、最近のヴァルネルは様子がおかしい。今まではいつ寝てるんだってくらい仕事にかじりついていたのに、最近は定時に帰っていた。まあ、元々この時期はあまり忙しくないというのもあるが、それにしてもこのお仕事ロボットみたいなやつが仕事を早く切り上げるなんてありえない。その証拠に、去年はオレたちが臨時休暇をとれるほどこいつは1人で働いていた。いくら屈強な竜人とはいえ、あのときばかりはこいつの体を心配した。
……ま、まあそれはともかくとして!仕事がなければ死んでしまう、くらいの仕事人間が定時で上がり、尚且つ溜まりに溜まりまくった休暇を消費するという。…………これは。
「女か!!」
「はい?」
これはもう女しかありえない。今まで男でも頬を染めるほどの美貌を持ちながら、どんな美女にも靡かなかったこいつについに春が……!と1人盛り上がるヴィズーガにヴァルネルの視線が突き刺さるが当の本人はまったく気付いていない。狼のくせになんという鈍感、と声に出して馬鹿にされていることにももちろん気付いていない。彼にとって、それどころではなかったのだ。
この仕事ロボットの心を射止めたのは一体どんな美女なのだろう。狐のセリーナさんか、はたまた猫のウィルルちゃんか。いや、ウィルルちゃんはこの前玉砕したんだったか。そういえば、食堂のレーヌさんもこの男の顔にやられたという話を聞いたことがある。
それよりなにより、この冷血男が恋人の前ではどんな甘い顔をするのかがとても気になる。いや、この男のことだから表情など変わらないかもしれないが、それでも何かしらの変化はあるだろう。彼女と手を繋いで歩いたりするのだろうか。にこやかに談笑しながら、おしゃれなカフェにエスコートしたりして……?デートならば当たり前の光景も、この男がやるとなると気になる。とても気になる……!
明日の休みの理由が彼女とのデートと決まったわけではないのに、少々単純なヴィズーガはまだ見ぬヴァルネルの恋人とそれに対するヴァルネルの態度にむくむくと好奇心を育たせる。
ちらりと窓から外を眺めれば快晴。気象占い部のやつらも明日は晴れだと言っていた。ならば、とミィミちゃんをお茶に誘おうと思ったのだが、ヴァルネルのデートを腹抱えて笑いながら見れるのはこれが最後のチャンスかもしれない。ミィミちゃんと紅茶を飲みながらケーキをつつくのもとてもとても魅力的だが、……だがしかし!!
「明日は晴れるといいな、ヴァルネル!!」
絶対ストーカーしてやろうといい笑顔で親指を立てたヴィズーガに、ヴァルネルは「いいからさっさと仕事をしろ」と手元にあった羽ペンを投げつけた。