芳野さんのお節介
神林一葉の担当編集者である芳野慶子は残暑を感じさせる猛烈な陽射しを窓ガラス越しに浴びながら、座っている自分のデスクに突っ伏していた。
「……はぁ、一葉君も、もう少ししっかりしてくれればなぁ…」
それもこれも原因は先日芳野の企画で行われた読み聞かせの朗読会での事だ。
朗読会自体は成功したと言って良いだろうが、一葉の子供達への返答に些か問題が残る形であの日は終了し
その事についてこれから一葉とどう折り合いをつけて納得させていけるか
頭を悩ませていた芳野に斜め前のデスクに座って仕事をしていた。今年で入社二年目になる白石漕悟が話しかけてくる。
「どうしたんすか?芳野さん、神木先生と何かあったんすか?」
「…特にないわよ。ただねぇ、一葉君って変わってるから……」
「へぇ、確か神木先生ってまだ若いっすよね、やっぱり絵本の作家さんって変わってる人が多いんすか?」
「あのね、白石君それ、偏見だと思うよ。皆さんちゃんと子供達の事を考えてくれてるし、ただねぇ一葉君は変わってるわね
あの子だけ、違う時間にいるって感じだし」
そこで、芳野は意気良いよく立ち上がり、白石に向かって力説しだす。
「それにっ!一葉君ってすっごく女子力高いのよ!
家の亭主に体の事を考えた食事を出すと、肉はないのか?なんて言われるのに、一葉君は若いのに別に気を使ってるふうでもなく、野菜中心の食事なのよ!
しかもっ自分で育てた家庭菜園の野菜を使ってるの!
何アレ!!メチャクチャ羨ましいんだけど!」
「……私もあと10歳、若かったらなぁ」
「あっ、華雫ちゃんに言っちゃいますよ、お母さんが他の人に目移りしてるって」
「ふっふっふっ、白石君、あの娘の事知らないわね、あの娘ならきっと喜ぶわよ、
てっ、いうか白石君、家の娘とどうして連絡出来るのよ?」
「それはですねぇ、俺と華雫ちゃんはメル友なんですよ!」
「はあ!?」白石の思わぬ伏兵に芳野は思わずすっとんきょうな声をあげる。
「この前、華雫ちゃんがここに来たとき、お母さんがいつもお世話になってますって、アドレス交換したんすよ。いやぁ、本当良い娘ですよね」
「白石君、娘に変なメール送ってないでしょうね?」
なんとか衝撃的な事実を飲み込み、白石に釘を指す。
芳野が白石を信用していない訳でないのだが、やっぱり愛娘が親の見ていない所で連絡をしていると考えるとなると、それはそれで心配になってくる。
(ああ、でもなぁ、白石君だしなんか余計な事話してそうだよね…)
「そんな、変なメールなんて送ってないっすよ。今日は芳野さんの機嫌が良いとか悪いとか…………最近暑すぎるから涼しくさせようと一つ怪談話を送りましたが、怒られました」
ガックリした様子の白石だが、怒るのは無理もないだろう、小学3年生の子供の携帯電話に怪談話がメールで送られるなんて、それだけで子供にとってはホラーだ。
「当たり前でしょ!
て、しっかり変なメール送ってんじゃないわよっ」
「そんなぁ、気を使ったのに…」
「有るか無いかわかんない気なんて使わないで宜しい」
ぴしゃりと言い捨てる芳野に白石は更に肩を落とす。
芳野も芳野で思い当たる出来事を思い出した。10日程前、華雫が久しぶりに一緒に寝たいと夜になってから急にベットに潜り込んできた事があった。
小学生になってからは自分の部屋を貰ったのが嬉しかったのか、一人で寝ることが多かった華雫は、基本的に『今日は一緒に寝よ』と、一言自己申告してから一緒に寝るのが常だった。
それが、この前はどうにも、ふて腐れたようにブスッとしていた気がする。
(……あれは、白石君の所為だったのか、全くもう)
「はぁ、いい?白石君、華雫はまだ子供なんだから怖い話は逆効果なの、白石君がなけなしの気を使ってくれたのは嬉しいけど、今度からはしちゃ駄目よ。解った?」
「すんませんでした。解りましたけど……芳野さんさっきかちょくちょく俺のこと貶してませんか?」
白石は反省しているものの、やはり気づいていたのだろうが今注意された手前言い返して良いものか思案した後、棘のある芳野の言葉への反感を口にする。
(うん、やっぱり白石君は素直でいい子ね)
「だって、可愛いわが娘に怖い思いをさせられたら、少し位怒って仕舞うのが親心ってものでしょう?」
「……ハイ、すみませんした」
「そうそう、素直が一番!」
(一葉君も白石君も素直でいい子なんだけどなんで彼女いないのかしら?)
「そうだ!ねえ白石君っ今度一葉君も入れて合コンしましょうよ、女の子達は私が声かけてみるから」
「え?急に何言ってるんすか芳野さん、そもそも合コンだと結婚してる芳野さんは入れないんじゃないっすか」
脈絡無く言い出す芳野に少し引き気味に、白石がもっともなことを言う。
「私のことはいいのよ、若い子達に出会いの場をつくるために一肌脱ぎたいのっ」
「流石っす芳野さん、俺のことそんなに考えてくれてたんすね……」
ノリの良い白石は芳野の言葉に感激してしまう。
「当たり前じゃない、若い子に出会いを提供するのも大人の務めよ」
そうして、芳野は着々と合コンのセッティングを進めていき、残るは一葉の了承だけとなっていた。
何度か一葉に合コンに誘ったのだがその度断られ、期日が迫った今、最後の手段をとる決意をする。
(よしっ!やってやる!ここまで来たら無理やりにでも一葉君を連れてってやるんだから!)
心の中で決意する芳野はやる気満々で、合コン当日行動に移す。
一葉の家まで向う、移動の間に携帯電話で一葉に電話をして、適当な用事を付けて迎えに行くと言って電話を切り止める。
(ここまでは上手くいったわね、でも、問題はこれから……一葉君の事だから怒って帰ったりはしないと思うけど)
気を引き締め直した芳野は一葉の家に着き一葉は怪しむ事無く車に乗りこみ、芳野は車を走らせる。
目的地である飲み屋に着いた辺りで一葉も何かが違うことに気付いたようで、
「あの、慶子さん確かさっき編集者の人達と顔合わせがあるっていってませんでしたか?」
「んっ、ありますよ」
言葉少なく一葉を誤魔化しながら目当ての席へ向う。
人の集まったテーブルに着いてから芳野は一葉の方に振り返り、テーブルに揃っていたメンバーを紹介していく。
紹介が終わり一葉は芳野に事の次第を問い質す。勿論、周りの人に聞こえないように。
「慶子さん、俺、合コンの件は断りましたよね?」
「え?これは、うちの編集者の飲み会ですよ?ほらっこれを機に他の人の顔を覚えて、ついでに一葉君の良い出会いに貢献したいなって」
一葉が非難するするように言うが、芳野はケロリと受け流し図々しく開き直る。
「……それを世の中では合コンと定義されるんじゃないんですか」
「そうとも言うかもしれないわね、でも、合コンって造語じゃない?だから、別にわざわざ分類しなくたって良いと思うの。だからこれは、飲み会です」
芳野は一葉に言ってやったぞ、みたいなドヤ顔で見返す。
しばらく呆れていた一葉だったが芳野に確かめるようにおずおずと聞く。
「……あの、慶子さんもしかして、もうすでに酔ってます?」
「酔ってませんよ、そもそも、まだお酒来てないじゃないですか」
「……そうですよね……はぁ」
トホホといった感じに項垂れる一葉を尻目に芳野は丁度良く運ばれてきたお酒を手際よくまわしていく。
「ここまで来たら、最後まで付き合ってくださいね。一葉君」
小さな声で釘を指すと一葉はぎくりと肩を揺らす。
(ああやっぱり、こっそり帰る気でいたのね)
「先輩っ、一人だけずるいですよ、一葉君とばっかり話してるなんて。私だって噂の一葉君と話したいです」
しばらくこちらの様子を見ていた後輩の須賀優那が堪りかねたようでこちらに身を乗り出す。
「ごめんなさいね優那ちゃん、一葉君こうゆうの慣れてないらしいの……優那ちゃん達でフォローしてあげてくれる?」
「それは勿論です。むしろ願ったり叶ったりです。ね?春江ちゃん」
「?ええ」
八重樫春江は何の相槌か全く分かっていないようで、取り敢えず返事をしたといった感じだ。優那は明るくお洒落にも気を遣う社交的な女性であるのに対し春江はお洒落にあまり興味のない、良く言えば落ち着いている。悪く言えばトロイのだ。
そんな対照的な二人を交互に見ながら芳野は一葉を二人に任せることにして席を離れる。
これもまた年長者の務めでいう処の『あとは若い者達でどうぞごゆっくり』とゆうやつだ。
席を立ったときに一葉が一人にしないでくれと訴える様な目をしていた気がするが気のせいだろう。
芳野はとりあえず一番端の席に移動し、自分の若かった頃を思い出しながら若者達を暖かく見守ることにし、一葉達の様子を眺める。
一葉はやはり慣れない席で緊張しているのだろうおどおどと居心地悪そうにしていた。優那は一葉に興味があるようでしきりに声を掛けては春江に話しをふったりしているが一葉は緊張のせいか言葉少なく応じるばかりだ。
春江も所々で話しに加わったりしてチラチラと一葉の方をみたりしていたがやはり我関せずを貫いていた。
それを知ってか知らずか空気の読めない白石が話しに割り込み見事に一葉を救い、
優那からは余計なことを…と気づかぬうちに恨みを買っていた。
白石を筆頭にワイワイと盛り上がっているのをこの中ではわりと年上の武田翔太が場をなだめる。少し離れた席でツンとすました顔で中原美恵子が眺めている。
(いいなぁ、私にもこんな時期があったのよね……)
離れた席から皆の様子を見ていた芳野は自分も昔はあんなふうにワイワイと騒ぎ楽しんでいたのだと若い頃の自分をありありと思い浮かべることが出来るくらい、いい具合に酔ってしまったようだ。
気づけば飲み会が始まってからどれくらい経ったのかいつの間にか終盤に向っていたようで、二次会の話しをしていた。
店を出て二次会に繰り出す事になり、芳野と他の数名はその場で解散する事になった。挨拶もそこそこにそれぞれ別れていく。勿論と言うべきか一葉は帰るようである。
「一葉君どうだった?」
「……はぁ…慶子さん、頼みますから今度からこういうの勘弁して下さい……」
一葉はため息と共にしゃがみこんで俯きながら喋る。芳野からは一葉の顔は見えないがたぶん一葉はお酒に弱いのだろう、首辺りや耳が真っ赤に染まっているのが分かり少しばかり芳野もやり過ぎたかな?と思う。
「あれ?そんなに嫌だったの?」
「……イヤというか、どうすれば良いのか解らなくて……苦痛です」
「あはは、でも、一葉君それだと今までどうしてたの?人付き合いとか」
「今まで………どう、してたんでしょうね?
今まで、この道しか見ていなかったので、周りの、人とか、気にして、なかったんじゃ、ないかな?」
一葉は相当酔っているのか、とつとつと語るその言葉はどうしようもなく真実なのだろうと芳野は思う。
だとしたらなおの事、一葉にはどちらにしろ良い出会いが、人との関わりが必要なのだとも感じるのだ。
ため息とともに芳野は一葉の頭をそっと撫でる、自分の子供ではないものの、まるで出来の悪い子供ができた母親の気持ちにでもなったかのような気分だ、芳野の目に一葉はいつもより心なしか幼く、不器用に見えそれが堪らなく、いと惜しい。
こうして芳野のお節介はまだまだ続くこととなった。