一葉と妖精の出会い
芳野と“秘密の客人”の続編を書く約束をした一葉は早速構想を練る事にする。
だが、やはりと言うべきか一向に続きが進まず手を止める事にし、次の日に持ち越してしまう。
そして翌日、一葉の朝は早く5時半にはいつもの様庭の手入れと家庭菜園の収穫をし、その野菜を使って朝食の準備をするのが大体7時前後になる。
今日は五穀米のご飯に、枝豆のオムレツ、茄子と大根の味噌汁、トマトスライスにバジルをちぎってオリーブオイルと塩胡椒をかければ完成だ。
早速準備した朝食を取り、後片付けと昼食のお握りを作っておき、やっと絵本の作成に取り掛かる。
(想像……想像かあ……)
一葉は妖精と、もしあの時喋る事が出来たら、その後一体自分はどうしただろうと考えるが、全く想像出来なかった。
(俺って、こんなに想像力無い人間だったか?)
「ん~・・・」
唸りながら、腕を組んで身体を捻ったりしてどうにかとっかかりを捻りだそうとするも、どうにもならずコテンと机に額をつける。
(少し話を整理しよう…あの時…俺は妖精と遊びたかったはず で…… でも、俺は何かしたかった訳じゃなかった……ただ、見えているってのを踏まえた上で、一緒に居たかったんだ……よっし、書くかっ)
頭の整理も付き、話しの方向性も決まりやっと続編の制作に取り掛かる。
一葉が制作の手を止めたのは、部屋に入る日の光りが朝よりも暖かく強くなってからだった。
時計の針はもう3時を回っていた。
「フハァ~、少し休憩するか」
机と向かい合ってすっかり固まってしまった背中と肩を伸ばし、ゆっくり立ち上がる。
キッチンで今朝採ったペパーミント、アップルミント、レモングラスを使った、ハーブティーを淹れる。お茶菓子はクッキーを準備し、バルコニーに運ぶ。
一葉が休憩を始めて30分は経とうとしているのに、どうした事か妖精が未だに現れないのだ。
いつもなら、とっくに来ている筈が今日は姿すら見せていない。
(……おかしい、…こんな事今までなかったのに……そういえば昨日も変だった)
そうだ、昨日も妖精は紅茶にもお菓子にも手をつけずにいなくなった。
そして今日も姿を見せていない。何かあったのだろうか?
(考えても仕方ないし、今日はもう片付けるか……)
不安は残っているものの、一葉が幾ら妖精の身を按じても、どうする事も出来ない。
ただ、何事も無いことを願うだけなのだ。
カップを片付け、再度仕事に取り掛かる一葉だが、まったく手が進まず業を煮やす。
(あぁ、手が着かない……さっきはちゃんと進んでたのに……)
落ち着かなくなって一葉は家の中を歩き回り自然と”秘密の客人”の絵本を手に取っていた。
何か頭に引っかかり一葉は絵本を開き挟んであるはずの祖母の手紙を探す。手紙の封筒はあったがどうも中身が入っていないようだった。
「…………何で?」
(もしかして、アイツ手紙の中身を読んで、それで姿を見せないのか?………でも、そもそもアイツって字、読めるのか?)
失礼と言えば失礼なのだが、そんな事もはっきりとは判らないのだ、こんなにも近くにいてそれでも遠い。
(でも、もしかして読めるのかなぁ?小さい時からアイツの前で色んな絵本読んでたしなぁ……)
でなければ、妖精が姿を現さない理由はない。手紙には妖精の事がしっかりと書かれているのだから。
まさかこんな処で露呈してしまうなんて思っていなかった……。
(そうだとしたら、妖精はもう、この家には来なくなるのか?一度だって声をかけた事もないのに………)
「探そう、探しに行こう」
一葉は妖精を探しに森の中へ入っていく。
昨日、妖精が手紙を探しに一葉の家から離れて行った後、妖精はなんとか手紙を見つける事が出来た。
その手紙を一葉の元に戻す前に、手紙を読もうと妖精の棲んでいる場所に手紙を運びます。
森のなかにある草花が咲く丘の直ぐ側にある大きな木が妖精の家です。
早速手紙を広げてみます、逆さまでした……
向きを直してもう一度見てみます。妖精には少し難しい字がありますがなんとか読めそうです。 手紙は、あの家に住んでいたおばあさんが一葉に宛てて書いたもののようで、内容は一葉への謝罪と妖精に喋り掛けてあげてと……
最初の所は解らなかったけれど、一つだけ解ったのは、自分の姿が一葉達にも見えていたという事だ。
「どういう事?……見えてるのに……知らない振りをしてくれてたの?……」
(どうしよう……この手紙、返さなきゃいけない……けど………)
一葉に見えているって事が解った今、どうやってあの場所に戻れば良いか判らなくなってしまった。
途方に暮れて仕舞った妖精は、自分の家から出て、丘で花達を眺めていました。
妖精が途方暮れていたその頃、一葉は森の中で妖精を必死になって探していました。
妖精が居そうな場所はそれほど多くはない筈です。
野原に湖、小さな滝、河原を見て回ったが妖精は見つからなかった、他に妖精が居そうな場所は何処かないだろうか………
(流石に妖精だし、人が来そうな所には先ず行かないのか?………)
だとすると、違う場所を探さなければいけない。
(……あった、まだ探して無くて、人が来そうになくて、妖精が居そうな場所!)
思い当たった場所は、さっき回った滝の上にある丘だ、そこには道が出来ておらず行くためには急斜面を草木を掻き分けて進まなければ行けないため、人は滅多に来る事も無い。
息を切らして、なんとか丘にたどり着いた一葉は妖精を探すが、直ぐに見つけて仕舞った。
妖精の方はまだこっちには気付いていないようだ。
(どうしよ……勢いで来たものの何も考えてなかった。なんて、声を掛けよう……そもそも、本当に声を掛けるべきなのか……)
この期に及んでもまだ迷って仕舞う、一度やらないと決めたこと、諦めて仕舞った事に向き合うのは難しい……
一葉はふと、祖母の手紙を思い出した。
~~~ 一葉へ
この手紙を貴方が読んでいる頃、私はもう、この世にいない事でしょう。
私は貴方に謝らなければなりません。私のせいで貴方の願いを押し留めて仕舞った……ごめんなさい。
私は貴方の書いたこの絵本を読んで始めて貴方の願いに気付いたのですが、貴方が一度も私にこの絵本を見せなかったので言い出すことが出来なかった。きっと、あの時の私の言葉のせいだったのでしょう?
本当にごめんなさい。
でもね、勝手だとは思うのだけど、あの絵本を読んでから私がいなくなった後、一葉、貴方が妖精さんと楽しそうに、この庭で過ごす姿をよく思い浮かべるの。
だから、一葉、妖精さんに話し掛けてあげて。
きっと大丈夫よ。
祖母の手紙には、そう書かれていた。
見事に一葉の思いを見透かしていた手紙だった。確かにあの絵本は祖母に見せれば絶対にバレて仕舞うような話しだった。
だから、祖母に見せなかったのだ。
それなのに、あの絵本を祖母の家の中で見つけた時は本当にビックリした、それに手紙まで附いていて……
(本当に、いいんだろうか………)
本当に妖精と喋りたかったのは、祖母だった。それなのに自分が喋り掛けて良いのかと、そう思っていた。
あの時、幼かった一葉は息を弾ませ、妖精に喋り掛けようとしていた。その勢いで祖母に妖精と喋りたいか聞いたのだ。
『そうね、喋ってみたいけど、妖精さんはこの家に来てくれる数少ないお客さんだからね……もし、来なくなって仕舞ったら………寂しくなるものねぇ』
(そうか、もし僕が妖精さんに喋り掛けて妖精さんがどっかに行っちゃたら、お婆ちゃんが独りぼっちになっちゃうんだ………)
このとき、一葉は気付いたのだ、祖母にとって妖精がどれだけ大事な存在なのかを…………
だから、自分の勝手な願いで祖母を悲しませて仕舞いたくなかった。
(でも、もう良いんだろうか………)
そんな事を考えているうち、妖精が一葉に気付いたのだ、一葉と妖精の目線が合うと、妖精がビックリしたみたいだ、一葉はもう後には退けずどぎまぎとしながらも妖精に近づく。
(もう此処まで来たら片を付けないとな……たとえ、もうあの家に来なくなってしまっても…。そうか、俺も、祖母のように、たとえ交わることがなくても妖精と時を同じくしたいと、そう、思っていたのか…)
一葉は自身の臆病風の正体に苦笑しながらゆっくりと妖精の許に歩み寄るとしゃがんで、今日、初めて妖精に喋り掛ける。
「こんにちは、妖精さん、俺と友達にならないか?」
一葉はベタだとは思ったものの、絵本と同じセリフを口にする。
「フフフッフフッ、エヘへ、ありがとう」
妖精はあの絵本と同じ事を言われるとは思ってなかった、けれど、実際に言われるとこんなに嬉しいものなのだと実感した。
(あぁ、そうだったんだ、私も話がしたかったんだ、だからあの絵本を羨ましく思ったんだ)
一葉は始めて妖精の声を聞いた……
(こういう声、してたんだ………)
妖精の声は、子供のように無邪気で高く透き通る声音をしていた。
「なぁ、またあの家に遊びに来てくれるかい?」
「えぇ、行くっ」
「あと、妖精さん、名前はなんて言うの?」
「えっとね、ツバキだよ」
“ツバキ”今まで一葉が一緒にいた妖精の名前を一葉は噛み締めるように呟く。
「………ツバキ、か、良い名前だ」
「ンフフッありがとう」
一葉が言うとツバキはニマッと笑う、笑って細めた明るい青の瞳に一葉の姿が映る。目線が合うそんな些細なことですら初めてのことで、一葉は胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「ところでツバキ、手紙を返して欲しいんだけど」
一葉がツバキを探すに至った理由である手紙を一葉はツバキから返してもらわなければ意味がない。
「あっ、ごめんなさい…今返すから」
慌ててツバキは手紙取りに向かった。
(ああ……良かった)
独りになった一葉は、さっきまであんなに自分が悩んでいた事が馬鹿馬鹿しくなる位の自分の滑稽さに呆れたくなるが、それに余りある達成感も感じて、一葉は野原の上に寝そべり目を瞑る……
「一葉?寝ちゃったの?」
いつの間にか戻って来たツバキが一葉を起こそうと耳許で呼び掛ける。
一葉は体を起こしながらツバキに向き直す。
「ん?あぁ戻って来たのか?」
「はいっ一葉っごめんなさい、持ってちゃって、でも風に飛ばされて……一葉のだからいっぱいいっぱい探したんだよ」
(どうやら、持って行って仕舞うきはなかったのか、それで、風に飛ばされて探していたと?……)
「そうか、ありがとう。ツバキ」
「エヘへ」
「じゃあ、今日は俺帰るけど、ツバキはまた、いつでもあの家に遊びにお出で」
そう言って一葉は家に戻って行った。
次の日には、いつもの様にツバキは遊びに来た。
「一葉っ、絵本よもっ絵本っ」
「アハハッ、今日は何を読む?ツバキ」
この光景は正に一葉が思い描いた、あの絵本の続きその物だった。