七日目
日付をどうするべきか悩んだが、十二時を過ぎてのことなので七日目として記す。
前項の、猫人間を見つけた後のことである。
しばらく唖然と、お互い顔を見合わせていたと思う。
猫の瞳は鳶色というのか、茶色と黄色の中間みたいだった。瞬きをしつつ猫は顔を近づけ、「ぎゃあ!」だか「ぎゃう!」だか知らないが、威嚇するように大きく鳴いた。
私はすぐさま腰を抜かした。腰を抜かすのは二度目だが、一度目に比べて慣れてきた気がする。肉食を表す牙の鋭さに死を覚悟したが、この死への覚悟も幾度となく決めてきたため、堂に入っていたといえるだろう。
決めた覚悟もむなしく、肩に留まっていた鳥が慌てて私の顔の前に飛び出し、「まてまて」と止めに入った。
鳥はかくかくしかじかと事情を話した。私がここへ来た経緯と、これからともに過ごしてほしい、というような内容のことだ。
鳥の言葉は私には日本語に聞こえたが、猫人間にもしっかりと伝わったらしい。大人しく身を引き、今度は訝しげに鼻の頭に皺を寄せてきた。においを嗅いでいるのだろう。すぐさまどうこうしようという意思はなくなったようだが、恐ろしいほどに警戒されていることはわかった。
その状況において、直面した危機が去ったことで、また別の少し厄介なことに私は気がついてしまった。
生か死か、そんなことばかり書き連ねた手帳に今さらこんなことを書くのも場違いだとは思うのだが、冷静になってみるとこれが一番の問題である気さえする。
腰を抜かした私は、半身を起こした猫人間を見上げることとなる。懐中電灯は地面についた手の中だ。必然的に、猫人間の顔から下を照らすことになる。
人間そのものだと上述した気がするが、あれは少し違う。二足歩行に適した体の伸び方をしてはいるが、肩のつき方や関節が四足動物に近い。全身が少し荒い毛並に覆われていて、腹のあたりは少し薄い気がする。そのままつぶさに観察しながら視点を下げた。このあたりは、いくら私でも深く書き残すまい。
端的に言えば、猫人間は雄だった。
「あの子」と鳥が繰り返すから、これから会うのは子供なのかと思っていた。すっかり騙された気分である。
猫の顔立ちから年齢など類推できないが、さすがに子猫の顔つきとは違っていた。体格としては、私より少し大きいくらいだろうか。比較的細身だと思うが、毛並越しでも筋肉質であるとわかる。顔の通り、体からもヒョウらしいしなやかさが見て取れた。
場違いな困惑も加わり、浮足立つ私に、猫人間は猫らしく鳴いてみせた。とげとげしいが敵意はない。何度かにゃあにゃあと鳴くうちに、鳥が解説を寄こした。
曰く、「精霊の言葉なら従わざるを得ない」だそうだ。鳥が言うには、彼らにとって精霊とは信仰の対象であるらしい。
「彼ら?」と問うと、これも鳥が答える。
「君たちで言うところの、支配種だよ。一番文明に近いものを持っていて、一番社会に近いものを作り出している」
鳥の言葉と猫人間の様子を鑑みて、この世界の文明レベルを推察する。おそらく目の前の猫人間は、地球で言うところの原始人のようなものなのだ。どうして猫が、とは思うものの、そのあたりの知識に疎い私にわかるはずもない。つくづく情報工学のニッチさを思い知る。
その後、猫人間は私を枯葉の敷かれた寝床に招き入れた。ぎょっとするが他意はないらしい。体から目を逸らし、顔を見ればぎょっとしたことがどれほど馬鹿らしいか気づく。相手はネコ科だ。
猫人間は早々に猫らしく丸くなり、目を閉じた。この時ようやく気づくが、尻尾もしっかりとついていた。目を閉じてはいるが、尻尾が神経質に揺れるあたりに警戒心は抜けていないらしい。
猫人間の隣で、私はしばらく膝を抱えていた。リュックは背中から下したが、肩のベルトを手でつかんだまま決して離さない。猫の尾ではないが、私もまた警戒心を解けずにいた。
眠っている隙に噛みつかれてしまうのではないかと思ったのだ。猫人間とは言葉が通じず、鳥はわけがわからない。自分が妄想の中にいるのか、それともこれは現実なのか、未だ判別できずにさえいた。
長い間虚ろに考えることに疲れたのか、いつしか私は膝を抱いたまま横に倒れた。背中に猫の毛並と温かさがある。鳥目のくせに鳥が飛んできて、横たわった私の脇腹あたりにとまった。
横たわると、警戒心が熱に溶かされていく気がした。背中にあるのは、この世界に来て始めての、自分以外の熱だ。
もういい。と私はいつしかリュックを握る手を離していた。重たい瞼が落ちる。何日かぶりの深い眠りを予感させた。体の感覚が遠ざかる。
鳥のこと。ふさがった傷のこと。猫人間のこと。目の前でめまぐるしく起こった奇妙な出来事。わけのわからない依頼。謎、謎に次ぐ謎。私の今後。
疑問は果てしなかったが、それらはすべて夢の世界にかき消される。すべては、きっと明日の私に託したのだ。
今はただ、背中に誰かの温かさを感じて眠りたい。
ここまでが今日にいたる経緯である。
ほぼ丸一日近く寝て、目が覚めた時には八日目の朝だった。それから時間を見つけて、昨日一昨日の出来事を思い出しながら、少しずつ書いている。
日が暮れる前に、ようやくため込んでいた二日分の記録が書き終わった。今日の分もこれから次項に記す。
量を書いたので、かなり手が痛い。次からはできる限り日誌として、その日にあったことをその日のうちに残しておこうと思う。
ここまでプロローグ。