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日付なし

 状況が変わった。まだしばらく、猫と行動を共にしなければならない。

 外は晴天。空気は冷たいが日差しは春めいている。これから冬越しの洞穴を出て、外に見えるあの丘陵を行くのだという。猫たちはざわめき鳴きながら、少しずつ洞穴の外へ流れている。私も行かなければ。だが少しだけ、書いておくことがある。


 これまでずっと、どうして猫たちが私を助けたのか疑問だった。せいぜいシロのついで程度に助けられたのだと考えていたが、違った。

 捕虜だ。

 私はここでも変わらず捕虜だったのだ。

 猫たちにそんな知恵はないだろうと高をくくっていたことは否めない。敵を殺さず生け捕りにし、利用しようなどとは考えつかないだろうと。ここの猫たちの警戒心の薄さが、私に疑わせることを忘れてしまったのかもしれない。

 いいや。事実、猫たちにそれほどの知恵はないのだろう。

 だけどブレーンが別にいるとなれば、また話は違う。猫たちが考えずとも、他の誰かの命令に従っているのであれば。

 少しくらいは想像するべきだった。白猫たちにだって鳥という存在がいたのだ。わからないことではなかったはずだ。

 なのに私は、きっと腑抜けていたのだ。ここでの生活は、思いがけず穏やかだったから。



 ……

 …………昨晩

 昨晩、魔法使いと名乗る猫に会った。

 魔法がどうこういうのはこの際置いておく。ここは精霊がいるような異世界だ。魔法使いがいることに異論は挟まない。とにかく昨晩魔法使いが現れて、私と対話をした。

 魔法使いは白い老猫だった。毛並は白いが、体格からまだら猫の種族だろうと想像がついた。毛が白いのは、年を取って色素が抜けたせいだろう。巨躯で毛並が荒れていて、やや濁った眼が印象的だった。洞穴には老いた猫がほとんどいなかったため、余計に印象が強い。

 彼がやってきたのは突然だった。その老猫が洞穴の入口に現れた瞬間、中にいた猫たちが一斉に平伏したことは忘れられない。耳から尾まですべて垂れ、小さな子猫まで伏している。始終穏やかだった洞穴の空気が、一斉に張り詰めたような気がした。

 これまでの牧歌的な空気が一変。白と黒が反転するようなその瞬間は、寒気すら覚えた。

 顔を上げているのは私一人だった。想像するだに間抜けだが、まったく状況を理解できていなかったのだからどうしようもない。洞穴の入口に立つそれが、ここでは見覚えのない猫だということくらいは理解していた。

 その猫はまっすぐに私の元へ来た。

 そして、自分は魔法使いであると告げたのだ。


 告げたと言っても、言葉を発したわけではない。会話の方法は精霊たちと同じだったように思う。音を介するテレパシーとでも言えばいいのか。頭に声が響くような感覚。なぜ魔法使いが精霊と同じ会話をできるのか? あれが魔法というものなのか。

 いや、今は魔法についてはいい。魔法使いのことだ。


 平伏する猫たちに取り囲まれながら、私は魔法使いと話をした。詳細に会話内容を記す時間はない。必要もないと思う。

 要するに、私は人間たちへの復讐の手段として、猫たちに助けられたのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 それにこれは、鳥の考えと同じだ。想像して然るべきだったのに。いつも私は目の前しか見えていない。また後悔している。違う、そうじゃない。魔法使いについて。

 魔法使い。魔法使いの老猫は私に知恵を求めた。どうすれば人間を駆逐できるか。人間の弱点とは何か? あるいは、あの軍人たちの弱点とは? 猫が人間と渡り合う手段はあるのか。どうすれば、人間を殺すことができるのか? その手段を知っているのか?

 魔法使いは私にそんなたぐいのことを尋ねた。

 私は「知らない」と答えた。

 今思い出しても馬鹿なことをした。魔法使いは、精霊と同じ方法で会話をしていたのだ。

 精霊には嘘をつけない。私が口から声を発した時点で、そこに込められた意味を読まれる。それは魔法使いも同じだ。気づくべきだった。どうして気を張り詰めていられなかったのだろう。私は迂闊だった。どうしようもなく迂闊だった。

 私は。


 私は軍人じゃない。しょせんはただの学生だ。戦いの手段なんて知るはずはない。

 だが、一般論としてわかってしまうこともある。

 あの軍人たちは、それほど数がいないこと。与えられた食料を見るに、それほど余裕のある生活をしていないこと。元の世界から離れ、物資の供給もない。弾も火薬もいずれは尽きる。長期戦には耐えられないだろうこと。

 対する猫は数がいる。地の利がある。基礎的な身体能力も、シロを見る限り人間たちより高いだろう。相手に武器がなければ、一対一でまともにやって、人間が勝てるとは思えない。

 そう、まともにやれば猫たちは勝てる。それも、最低限の「まとも」でいい。

 感情で動かず、無謀に暴れず。獣ではなく、軍人に対するまともな戦い方。まともな作戦とまともな指揮、まともな統率者。たった一人でもいいから、最低限の頭脳。それに従わせるだけの、猫たちへのしつけ。


 私は、答える前に考えてしまっていた。あるいは、あの魔法使いが思考を誘導したのかもしれない。

 あの時の魔法使いの目を覚えている。濁った眼の中にあるあの計り知れない色。深い知性の見えるあの目。他の猫とは隔絶した、空恐ろしい目。

「知っているんだな」と魔法使いは言った。私は黙るしかなかった。きっとなにを言ってももう同じ。一度考えてしまうと、もう止めることができない。私の頭を占めていたのは、どうすれば軍人たちと戦えるかということばかりだった。

「戦い方を教えろ。知っているんだろう? 白猫たちの仇を討ってやる。白猫の精霊がしようとしたことを、我々が継いでやる。それが、我々の精霊の望みだ」

 魔法使いが私ににじり寄り、私は思わず身を引いた。救いを求めるように洞穴中を見渡したとき、気づいた。

 猫たちが見ている。

 洞穴内の猫たちの目が、すべて私に向いていた。まだらの猫、白い猫。みんな。炎の影で薄暗い中、目だけが光っている。瞳孔の開いた猫の目が。

 ここには味方なんていない。ここは猫の世界だ。私は彼らの支配下にある。

 悟った。この瞬間に理解できた。あの魔法使いが命じれば、きっとあの猫たちは私に飛びかかり、引き裂くこともためらわない。


 私は猫たちと行くしかない。死にたくなければ。

 だけど猫たちと行くことは、人間を殺すことと同じだ。

 どうにかならないのか。どうすることもできないのか? 逃げる方法はないのか。考えてもわからない。声に出せないから、ずっと紙に書きつづっている。どうすればいい? 猫たちに味方したくない。だけど私は死にたくはない。

 まだら猫の一匹が、早く出るように私の腕を引く。少し待ってほしい。もう一つだけ。


 昨晩、洞穴の中で猫という猫に見つめられた。その中に、シロの目があることに気づいた。

 彼は私と目が合った瞬間、表情を歪めて目を逸らした。ばつの悪そうな、なんとも人間じみたしぐさだった。猫の中で、そんなことをしたのは彼だけだ。

 あの中で。まるで宗教じみた魔法使いの支配の中で、彼だけは違っていた。


 もしかしたら、違っていたのだと信じたい だけなのかもしれない。

<メモ>


 ここは異世界だ。私の知っている世界とは違う。

 次元転移装置の見つけた別次元の世界とは、いわば地球のパラレルワールドだ。どこかで分岐した地球の未来の、一つを探し出している。たとえば私が生まれた世界と、生まれなかった世界。戦争が起こった世界と、起こらなかった世界。次元論は確率と可能性の論理だ。この未来の分岐があるはず。この分岐をした場合、現在の世界とはこれだけ離れているはず。それを頼りに世界の座標を探り出す。

 私が生まれたか生まれていないか程度なら、地球にとってほんの些細な分岐にしかならないかもしれない。だけどもしも、地球の質量がほんの少し違っていたり、地軸が少し大きく傾いていたならば。あるいはもっと、なにか想像もつかないほど些細な違いがあったなら。

 私の常識なんて通用しない。魔物がいて精霊がいて、魔法使いがいる。ここは私の知らない世界だ。



 疑問に思っている私もいる。

 たとえ質量が異なっても、地軸がずれていても。もしくはまったく別の惑星系にあったとしても、物理法則は変わらないはずだ。ここは別次元ではあっても、同じ宇宙に存在している。



 ならば魔法使いとはなんだ?

 精霊とは?

 言葉を介さず対話をし、傷を癒すあの存在を、どう説明つける気だ?


 魔法。魔法……。

 魔法とはいうけれど、不思議なことは会話と傷の治療。だけ。

 それだけしかないのはなぜだ?

 それとも私がまだ知らないだけで、もっと奇妙ななにかがあるのだろうか。


 理解しがたい。

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