日付なし
ここは一体どういう場所なのだろう。
見た限りではなんの変哲もない洞穴らしい。特に人(猫?)の手が入った形跡もない。せいぜい入口らしい穴が広げられていることと、火の回りだけきれいにしてあるくらいだろう。あとは単なる空洞だ。岩の肌が剥き出しで、足元は冷たく湿っている。
外は木々が薄く、長らく森ばかりを行き来していた私には少し衝撃的だった。洞窟の入り口から見える景色は、なだらかな丘陵が続き、はるか遠くに白い影のような山の連なりが見えた。
空は高い。鳥がなににも遮られずに飛ぶ。ちぎれた薄い雲が流れ、冬の白い太陽が見えた。空気は澄んでいて、氷を飲み込むように冷たい。
透き通っている。この言葉が妥当であるかはわからないが、私はそう思った。
自然を信奉する博士の気持ちが、少しわかる気がする。こんなもの、神様でもなければ作り出せないのではないか?
馬鹿なことを考えている。
遠目から見るときれいな景色だが、この世界はもっと泥臭い。猫たちと暮らしていて、そのことを肌で感じる。
そうだ、別に私は景色のことを書きたかったわけではない。景色以外のことを書きたいというわけでもないのだが、書かずにはいられない。気になったことがいくつかある。
まずは火だ。
ここで暮らしていてしばらく。猫たちが火に、なにか放っているところを見る。様子を見るに、燃料だろう。黒ずんだ油脂のようにも見えるが、そんなものをどこで見つけてきた? 先にも書いたが、この洞穴にはほとんど猫の手が入っていない。奥行きがあるようにも見えない。燃料なんて、見つけられるような場所はないはずだ。
そもそも、なぜ火がある? 誰がつけた? シロがずっと前に言っていた、魔法使いというものだろうか。精霊と契約したという?
なら、その精霊はどこにいる? この猫の群れの中で、それらしいものを見ていない。
それから食べ物について。
相変わらず、猫たちの食事といえばあのナメクジだ。これがどこから沸いているのかわからない。絶え間なく供給されているように思うのだが、ここはナメクジの巣なのだろうか?
一度、入口近くにあのナメクジがいるのを、遠目から見たことがあった。すぐに猫に囲まれてばらばらにされてしまった。だけどちらりと見えたあれは、私がだいぶ前に一度見た、あのナメクジとは様子が違うように思えた。
遠い記憶だから確証が持てないが、前に見た時は、緑色?だった。体は不定形のゼリーみたいであったものの、滑らかというべきか、、、ある程度幾何学的だったような記憶がある。
ここでちらりと見えたナメクジは、もっとこう、アンバランスだった。型崩れしたゼリーのような? 違うな、なんと表現すればいいのだろう。もっと、生物的であったというか。色も赤みがかっていたように思う。
私の手元にあれの破片が来た時には、猫の白い毛と手垢に塗れて、元がどうなっていたのか窺うことはできなかった。思えばよくもあれほど汚れたものを食べ続けていられるものだ。想像すると気持ち悪くなる。気持ち悪くなるよりも、早く慣れたい。
子猫に絡まれた。
私に興味を持っているのか、筆をとっているとなにかと覗かれたり、噛みつかれたりする。逆にこちらから撫でようとすると逃げられる。
大人の猫は、やや私を遠巻きにしている向きがある。子猫が寄ってくるのは、単なる子供の好奇心だろう。異種族がいるのは、当たり前だが物珍しいのだ。
やはり、意味もなく私を助けたとは思い難い。いったい私はどういう立場で、この群れの中にいるのだろう? なんのために猫たちは私を生かしているのだろう?
シロが目的なら、私が今もここにいる必要はないだろうに。
理由のわからない庇護は不安になる。
せめて何か要求でもされればいいのに、猫たちはにゃあにゃあと鳴くばかりだ。シロと二人でいたときは感じなかったが、言葉が通じないことが、これほど苦痛だとは思わなかった。
いや、苦痛なのは言葉のせいではないのか?
目的がないことが辛いのかもしれない。
次第に日付がわからなくなってきた。
今が何日目なのか、上の記述がいつ書いたものなのか。ここで暮らしているとわからなくなる。
洞穴での暮らしは単調だ。当たり前といえば当たり前なのだが、することがない。外に出ることもなく、食べて、寝て、食べての繰り返しだ。冬が明ければまた少しは変わってくるのだろうか?
早く春が来てほしい。暖かい日差しが見たい。外に出たい。
だけど春が来たとき、私はどうなっているのだろう。猫たちについていくのか? それとも離れるのか?
少なくとも私がここにいる理由はないはずだ。
することがないから、こうして考えてばかりいる。有益なことを考えればいいものを、どうにもならないことばかり。
私はこの先、どうすればいいのだろう。
シロを守る必要もなく、元の世界に戻ることもできない。現実的なのは、軍人たちの元へ庇護を求めに行くことだろうか。どの面を下げて?
一人で、言葉もない世界で生きていくほど、私は強くいられるだろうか。
話したい。
ここでの生活は、嘘みたいに安定している。
寒くて汚くて獣臭い場所だが、きっと死ぬことはないのだろう。
猫たちについていけば、この先も生きていけるのだろう。
死にたくないと思う。
だけどまた迷い始めている。以前さんざん悩んで、結局死ねなかった人間が。
私は何のためにここにいて、なぜ生きたいと思うのだろう。
人は目的もなく、生きていけるものなのだろうか?
無為なことばかり考えるのをやめたい。
もっと考えることはあるはずだ。食べるものとか、住居とか。
まともなものが食べたいとか。布団が欲しいとか。そんなものでもいい。
なにか。
早く春が来てほしい。
だけど不安でもある。
雪が溶けた。
ここは異世界だ。