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日付なし

 夢を見た。

 私は冷たい雪の中に埋もれて、痺れるような痛みの中にあった。全身が張り付くように痛いのに、感覚がまるでない。雪の冷たさも寒さも感じない。ただ、息を吸うのが苦しくて、まるで氷の粒をはいているように思えた。

 猫の姿は見えない。視界に映るのは一面の白。光も影もなく、真っ白に見えた。

 その白い世界で、誰かが私の横にしゃがみこんでいた。

「なんだ、まだ生きているのか」

 楽しそうな声だったと思う。私は声の主を探して、かすむ視線をさまよわせた。

「残念。面白そうな器だと思ったのに。……なんだ、おまけによく見ると、すでに他の精霊のモノじゃないか」

 そんな声を聞きながら、私は自分のすぐ近くに、青い瞳があるのを見つけた。

 目を凝らしてよく見ると、それは真っ白な猫だった。私のよく知る猫ではない。もっと小さな子猫だ。あどけない顔つきなのに、やけに老成されたその瞳を覚えている。

「仕方がないなあ。たまには猿の体も良いと思ったのに。まあいいか。この体もかわいらしくて、なかなか気に入っていることだし」

 雪に溶け込むような白い毛並の中で、大きな瞳が私を映していた。私の視界の中で、動いているのはその瞳だけだ。

 違和感があった。

 口が動いていない。その声はまるで耳鳴りのようだ。音を介さず、頭に直接響いてくる。どこか場違いに間延びした声も、くすくすと笑うような声も、まるで自分の妄想のように思えた。その瞳は口を動かさず、さらに喋り続ける。語りかけているのか、独り言なのかは判断がつかない。

「おまけに白猫の戦士も連れているのか。ふん、私はやけに白猫に縁があるらしい。……それとも、隣の精霊の飼う猫だ。ここへ逃げ込むのもそれほどおかしなことでもないのかな?」

 それから、青い瞳は私を舐めるように見まわした。ぴくりとも動けない私を長い間眺めてから、それはゆるく目を細めた。

「なるほど、死なすよりは、生かした方が面白そうだな。ふん……いいだろう。助けてあげよう――――二匹ともね」










 私は恐ろしく運が良いのか、あるいは見えない何者かに生かされているのだろう。

 何度も死ぬような目に遭いながら、まだ生き続ける自身を見て、とみに思う。いくら軍人からの知らせで直撃を免れたとはいえ、雪崩に巻き込まれて生きていられるなんて、そうそうあり得ることではないだろう。


 目を覚ましたのは、もう一週間くらい前だったと思う。それから体を動かせるようになるまで数日。筆をとる気になるまで、また数日かかった。

 今は少し落ち着いて、ここでの暮らしにも少し慣れた。少なくとも、なにか書こうと言う気が湧き上がる程度には。



 とりあえず、今の私の状態を記す。

 私は今、山のふもと?にある洞穴の中にいる。軍人たちの住んでいた場所よりも、ずっと狭くて粗末なあなぐらだ。

 そこにはたくさんの猫がいて、誰がつけたかも知れない、たった一つの焚火があった。


 私はどうやら、彼らに助けられたらしい。岩場に寝かせられ、巨大な猫たちが体を寄せて温めてくれた中、目を覚ましたのを覚えている。

 思い返せば異常な光景であったが、この時の私はそれほど違和感を覚えなかった。ただ、隣で猫(洞穴にあふれる猫ではなく、白猫の方だ。以降は混同を避けるため、シロと記す)が同じように助けられているのを確認し、ひどく安堵していた。

 猫たちは、目覚めた私にも親切だった。理由はわからない。ただにゃあにゃあと鳴きながら、私を火の傍に置いて食事?を与えてくれた。

 食事……あれは、ゼリー状のあの感触からしておそらく……この世界に来た初頭に見た、ナメクジ状の生き物のものだったと思う。あれは冬でも生息しているのだろうか。どこから調達してきているのだろうか? いったいこれはなんなのだろうか……。

 我ながらおぞましいものを口にしているとは思うものの、気色悪さよりも生存への欲求が先立ち、今に至るまで食べ続けている。


 私の荷物も、ここの猫たちが拾ってくれていたらしい。雪崩を知らされてから、咄嗟に掴んできたものだが、あの時の私はよくやったと思う。テントや寝袋はまたしても失ってしまったが、ナイフにライターがあるだけで大きく違うはずだ。

 それから。

 それから、一番大事なことだ。


 ここには、シロの仲間の白猫たちがいる。



 こんな偶然があるものなのか?

 素直に喜んでいいものなのか?


 いや、あの軍人たちが言うことには、定期的に洞窟に襲撃をかけていたという。ならば近場に住んでいるのもそれほど違和感はないのかもしれない。雪崩に驚いて様子を見に来てみれば、仲間の猫がいたから助けたのかもしれない。想像して補ってみれば、それほど違和感のあることではないのかもしれない。

 私が考えすぎなのか。

 シロは喜んでいる。彼は食事に対する抵抗もなく、私より早くに元気を取り戻した。それからは仲間の白猫とともに火を仰ぎ、にゃあにゃあと鳴き交わし、ときおり私の元へ寄って来ては「大丈夫?」と尋ねる暮らしだ。

 私が鳥から聞いた冬の暮らしと、やけに違う。冬は食事がなく、仲間がどんどんと死んでいくのではなかっただろうか。もう少し神妙な日々を想像していたが、食事(ゼリー状の緑のアレだ)はあるし、食料不足で狩りに行く必要もない。洞穴の奥に行ったきり戻ってこない猫はいるものの、それ以外はほとんど死ぬこともない。煌々と燃える火を中心に、猫たちは冬眠するでもなく、諍い合うこともなく、安全な冬を越そうとしているように見えた。


 諍いがないのは特に不思議だった。


 ここには白猫だけではなく、まだらな茶色の猫もいる。体格は白猫たちよりやや大きく、そのぶん鈍重そうである。どこか飢えた印象のある白猫たちに対し、彼らは温和であるというか、余裕があるというか。少しばかり無警戒なところがある。

 おそらくは、まだら猫の方がこの洞穴の本来の主であるのだろう。白猫たちは彼らの影に入り、身を縮めている印象がある。そのくせ、目つきはまるではじめの頃のシロのように、攻撃的な鋭さを秘めているのだ。

 ただでさえ別種の猫同士であるのに、いかにも敵対心をむき出しにしながら、どうして争うことなく暮らしていけるのだろう。住処を追い出された白猫たちを、群れに受け入れてくれた恩人だからか。それならなぜ敵対心を抱くのか?

 いや、それならどうして私が無事でいるのだろう? 白猫たちにとってみれば、私も憎い人間の一人になるのではないか?


 筆をとってから、貯め込んでいた疑問が噴き出たようだ。

 誰かと話して解消したいが、その役を担っていた鳥はいない。シロは話すと言うにはまだまだ遠い。それに今は、仲間たちと戯れることに夢中のようだ。あまりに嬉しそうな様子に、このまま彼は言葉を忘れ、私も忘れてしまうのではないかと思えてくる……


 ずいぶん弱気になっているみたいだ。

 弱気、というよりは、気力を失っているのかもしれない。

 シロを生かして、仲間に会わせるためだけに気力を振り絞ってきたのだ。こんな簡単に終わってしまうなんて。私の役割も終わったのかもしれないと。


 この後のこと、どうしようか。

 春になって雪が溶けたら、落ち着いて、今後の暮らしのことを考えてみようか。

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