八日目―十四日目
八日目
風が強く、雪がちらほら降りはじめた。積もらないことを祈る。
今日は、自前のリュックを展開してみた。軍人たちから貰ったものに比べればゴミみたいなものだ。だが、ペットボトルやソーイングセットは、使い道さえ考えれば役立ちそうだ。
ゴミと言えば、以前に作った肉の乾物を発見する。改めて目にすると、食べ物かどうかも疑わしい。しかし、むやみに捨てるほど食料に余裕があるわけでもない。
これで一日分の腹が満たせるのならば、ためらいはない。今から食べてみる。
固くて歯が立たなかった。
前にも魚で似たようなことをしなかったか? 湯でふやかしてから再度挑戦。味はしないが食べられないことはない。念のため、猫には軍人たちから渡された、きちんとした方を食べさせよう。早く元気になってほしい。
九日目
雪が強くなる。テントの中も寒さが増す。空気孔がふさがれないように、定期的に外の雪かきをしなければならない。
猫はおそらく、少しずつ元気になってきている。前よりも鳴くようになった。今日は雪が怖いのか、特によく鳴いていた。
テントがつぶれそうで、私も怖かった。泣きたい。
十日目
吹雪いている。
猫が「怖い、怖い」と繰り返す。私の腕にしがみつき、爪を立てる。おそらく本気ではないのだろうが、かなり痛い。
すぐに止む。なんとかなる。励ましても、意味を理解できないらしい。「辛い」「やだ」「無理」「助けて」「ごめんなさい」そんな言葉ばかり返ってくる。
「大丈夫」と「平気」という単語だけは、なんとか通じる。しかし、気を落ち着けるのに役立ったかといえば、そうでもないと思う。猫は終始、私にしがみついていた。
寒さと、寝こみ続ける自身の状態から、きっと不安になったのだろう。それにしても、今日は猫の口から、ずいぶんと言葉を聞いた。どこであんな単語を覚えたのだろう?
私か。
私しかいない。
私がそんな言葉ばかりを口走っていたせいだ。
夜半過ぎ、ようやく猫が眠る。雪は降り続けている。
先ほどまで、ずっと猫に鳴かれていた。普通の猫の鳴き声だ。はじめの内こそ言葉を口にしていたが、そのうちその元気もなくなったらしい。
怯える猫は、子供みたいだった。私にしがみつきながらにゃあにゃあと鳴く声は、赤ん坊の泣き声のようにも聞こえた。
結局、ついぞ猫から前向きな言葉を聞くことは無かった。
私が教えなかったせいだ。
私がほとんど、そんな言葉を口にしなかったから。
十一日目
雪は続いている。昨日よりはいくらかましになったように感じられる。
しかし、今日も外に出られず。することがないので、筆をとる。
猫も多少は正気を取り戻したらしい。私を見ると、照れくさそうに耳を垂れ、尻尾で床を打ち付ける。昨日のことが恥ずかしいようだ。
彼もずいぶんと元気になった。まれに、上体を起こすこともある。早く歩けるようになってほしい。
いや。歩けるようにならなくても、近々ここを移動しなければならないだろう。冬が明けるまで、この場所に居続けるほどの食料はない。どれほど節約して、あと何日もつだろう?
どこかへ移動するべきだ。なにか食べもののある場所へ。
それがどこだかはわからない。ただ、ここへいても飢えて凍死するだけなのは、間違いない。なんとかしなければ。
どうやら、思いつめた顔をしていたらしい。
先ほど猫が私を覗き込み、「コワイ」と言った。内心かなりショックを受ける。
今の私は、猫すら恐れるほどに怖い顔をしているのだ。そう思い、しばらく筆をおいて頬を撫でてしまった。
寒いせいか、冷たい肌が強張っていた。
十二日目
雪が弱まる。風もほとんどない。
ガスボンベを一つ使い切り、新しいものに変える。ここしばらくは猫にくっつき、服を着込んで節約していたのだが、さすがにもたなかった。
昼ごろに一度雪がやんだ。この時に外に出て、雪かきをする。
外は薄曇りで、真新しい雪が高く積もっていた。テントも埋もれそうで、見たときはひやりとした。テントの頂点近くにある空気孔が、なんとか埋まらずに覗いていた。
雪をかくうちに、雲が晴れる。日暮れ前に、枯れ木の合間に沈む太陽を見た。空が赤く、まぶしい。太陽を見たのは久しぶりに思えた。
テントに戻ることには、外は真っ暗になっていた。やや汗をかいたため、体が冷える。着替えがないのが辛い。肌着を脱ぎ、火の傍に広げて乾かしておく。ガスボンベの残量が不安だ。
火がじりじりと燃えていく。この火が消えたとき、私はどうなってしまうのだろうか?
十三日
上天気だ。空が青い。天気が良い分、空気は冷たい。頬が凍るようだ。
枯れ木に積もった雪は、滴となって垂れ落ちていた。ところどころで、どさどさと雪の落ちる音がする。体感する気温は低くとも、暖かくなっているようだ。
水で量増しをして食べる食事にも、いい加減限界がある。もっと食料を渡してくれてもよかったのにと、理不尽な怒りすら覚え始めている。
飢え死にするわけにはいかない。私が死んだら、猫も生きてはいけないのだ。
しかし、日に日に不安が強くなる。
このまま、早く春に向かってほしい。
十四日目
今日も晴天。昨日よりもずっと温かく感じる。
溶けだした雪でテントの周りが水浸しになる。一度水をはけなくてはいけないだろう。
ついでに、少し猫を外に出してやりたい。だいぶ元気になってきたことだし、そろそろ寝こんでばかりもいられない。早く歩けるようになってもらわなくては。
一日ずつ食べる量を減らしながら、一日ずつ少なくなる食料に、今はただただ焦る。
どうしてこれまで、何も考えずに消費してしまったのだろう。ガスだって食料だって、もっと節約すればよかったのだ。あるいはもっと早くに山を下り始めていれば、今ごろ雪のない場所までたどり着いたかもしれないのに。
そうは思っても、あたりに積もる雪と猫の状態から、何ができたとも思えない。できたとも思えないのに、悔やんでしかたがない。
不安を払うために顔を上げたとき、山の頂上を横切る太陽が見えた。雪に反射して、いやに眩しい。山の上は太陽があれほど近いのに、なぜ寒いのだろう。理由は知っているが、それでも不思議になる。
あの太陽が、雪を溶かしてくれればいい。今日の陽気はまるで春だ。こんな日が続いてほしい。
ああ、早く雪が溶けないかなあ。
十四日目 日暮れ前の通信
『学生! おい学生!!
まだそこにいるのか!? いるんだな!?
起きろ! 起きて今すぐにそこを出ろ!! 近くに林があったな!? そこへ行け!
そのまま西に進め! 低いところには決して行くな!
いいから行け、早く!
雪崩だ!
雪崩が来るぞ!!』