七日目
少し風が出てきた。空に雲がかかる。太陽は、分厚い雲を透かして、白い輪郭だけを見ることができた。
風でテントが倒されてはいけないので、外に出て張り直す。テントの外はやはり寒かった。厚手のコートを身にまとっていても凍えるほどだ。よくも私は、あんな薄着で冬を越せると思ったものだ。
テントの張り方は、相変わらずよくわかっていない。テントを引っ張る糸?紐?らしきものをバランスよく張った状態にしておけばいいのだろうか。紐の先端には杭のようなものがついていて、おそらくこれで紐を固定するのだろうと想像する。
凍りついた雪の中の杭を掘り出し、位置を調整してまた雪に埋めてきた。想像通りに固定できたかどうかは知らない。
それからは、テントに戻ってストーブで火を焚いた。指が凍傷になりそうで、火と湯が絶やせない。手袋をしていてもこの有様だ。このままでは、すぐにガスが切れてしまいそうで怖い。
そうだ。昨日からストーブ、と書いているが、これは実際には、ガスコンロといった方が意味合い的には近いと思う。円形の頑丈そうなガスボンベに、着火装置とコンロが取り付けられている。この上に小鍋を乗せ、湯を沸かすことができるのだ。火の強さも、普通のコンロと変わらない程度だ。高くなりすぎず、テントを焼かずに済む。ストーブストーブと書いたのは、コンロの裏面に「ストーブ」と商品名が書いてあるせいだった。
この「ストーブ」の火を眺めつつ、今後のことを考える。
猫が出歩けるくらいに元気になったら、とにかく山を降りよう。猫を軍人たちのいる洞窟に近寄らせたくはないし、私もあの場所の近くにいたくはない。
彼らが傍にいれば、きっと甘えが出てしまう。
猫や他の生き物たちは見捨てても、同族の私は無下にしないだろう。どんなにひどい目に遭っても、命を奪われるようなことはないだろう。生きていける。少なくとも私だけは。そんな風に、想像することがある。
こうして目の前にいる猫を、助けたいと思って出てきたのに。なにを犠牲にしても猫を助けたいと思ったことも、本心であるのに。ちらりとでもそんなことを考える自分が嫌になる。この考え方が、すごく利己的な人間らしく思えて
やめよう。静かになると余計なことに気が回っていけない。
それとも猫を外に連れ出してから、気が抜けてしまったのか?
まだ終わりではない。この冬を越すことを考えなければ。
冬はいつになれば終わるのだろうか。山の半ばであるからには、私が思う冬よりも長いのかもしれない。寒さも厳しい。テントの外には膝が沈むくらいの雪がある。これでも、枯れ木やなにやらに阻まれて、雪の薄い方なのだ。
雪がまた降りはじめたら、少し危ないかもしれない。それまでに山を降りられればいいが、下手に動くのも危ういように思う。
だいたい、山を降りるといっても、どちらに向かって行けばいいのかもわからない。山のふもとはどこだ? たとえ方向がわかったとして、まっすぐに歩いて行けるのか? どこもかしこも枯れ木の雪景色。歩いてきた足跡さえも、雪が降ればわからなくなる。
鳥がいればいいのに。彼ならきっと道を教えてくれたはずだ。
そう思っても、彼を置いてきたのは私だ。
私が身代わりにしたんだ。
頭が痛い。
同じことばかりを繰り返し考えている。
猫を助けたことを後悔しないと書いたのに、昨日からずっと頭を悩ませるこれは、後悔でなければなんと言うのだろう?
鳥を残してきたことを後悔して、軍人たちの元を離れたことを後悔して、人間と対立することを後悔して。
だがきっと、猫を見殺しにしても後悔したのだ。なにを選んでも、きっと。
きっと。私はそのうち、この世界に来たこと自体を後悔するのだろう。
見返してみれば、無駄なことばかり書いている。
悔いたところで、過去をやり直せるわけでもない。今は、ただ猫を助けることだけを考えよう。それが、きっとこの先、後悔しないための行動なのだ。
結局、いつまでたっても同じところに落ち着く。考え、悩むだけ無駄なことなのに、なぜ考えてしまうのだろうか。
ただ黙って、テントの中に座っているからいけないのだ。
動こう。無駄でないことをしよう。
<無駄でないことメモ>
荷物を展開。中の道具を一覧にして記す。
展開した後、荷物が元の鞄に入らない。どうやってつめこむか。要検討。
・ストーブ:火をつける。ガスボンベが必要
・ガスボンベ:円形の大きなボンベ。予備が一つ。一缶あたりどれだけ火が持つのか予想がつかない
・鍋:ストーブにぴったり合う。丸底で深めの鍋。こういう道具を山登りの通販で見たことがある。水を作るのに便利
・シート:断熱シートと思われる。テントの底に敷いたため、今は猫のにおいがすごい
・シャベル:折り畳みのシャベル。鉄製で頑丈そう。重い
・ピッケル:なにに使うのかと思っていたが、凍った雪を割るのに役立つ。重い
・寝袋:一つだけ入っていた。使った方がいいのだろうが、私だけ使うのも気が引ける
・尖ったなにか:??? なんだろうこれ。シューズのスパイクに見えなくもない?
・ランタン:油で燃やすタイプのランタン。本当に火を入れるランタンは初めて見た。自前の懐中電灯があるため使っていない
・食器:ナイフとフォークとスプーン。浅い皿と椀とカップが二つずつ。箸はない
・水筒:細めの水筒。ぬるい水が入っていた
・食料:荷物の大半を占める。しかしこれでも、五日しのげれば良い方だろう
※食料について詳細を記す
目についたのは、手製らしい塩漬けの肉と、乾燥した果実。湿気た味のないビスケットとチョコレートは、おそらく軍人たちが元の世界から持ってきたものだろう。あとは、粉末のインスタントコーヒーの小袋が一つ、申し訳程度に入っていた。
なるほど、彼らだってこの世界へ来てから、数か月以上は経っているのだ。持ち込んだ食料もなくなっているだろう。それからは自分たちでこの世界の物を調達し、加工していったに違いない。
塩漬けの肉は、そのまま食べては口が曲がるほどに塩辛い。果実はこれも竦むほどに酸っぱい。洞窟で出された食事は、きちんと調理されていたから食べられたのだろう。
軍人と一般人・複数と一人という違いはあれど、寄る辺なくこの世界で生きていることは変わらない。彼らがこうして食料を自足し、生活できているということは、私にもできるはずだ。