六十七日目―七十六日目
六十七日目
気が緩んだせいか、あんのじょう風邪をひいた。雪がやみ、昨日の夜から降りだした雨もやみ、やっと晴れまが見えた日だった。
寒気とねつの典けい的な風邪だった。風邪はひくたび、これまでの不調がぶりかえしてくるのがたまらない。腕がしびれ、内出血の紫斑がさらにます。鳥から聞いたことだが、これに加えてさらに、首すじに発疹までできていたらしい。やたらかゆいのはそのせいか。
猫は狩りにでた。私の看病をするべきかしばらくまよっていたようだが、できるだけすぐに戻ると言ってでていった。
私としては、寒いなか猫を外に向かわせるほうが心配だった。しかし食料がないのも事実。食べなければ、どちらにしろこの冬はもたない。でていく猫をとめることはできなかった。
食料問だいが一気にかい決するような、そんな方法はないだろうか。でて行く猫を、どうやったら引きとめられるだろう。火を絶やさないように薪をくべつつ考える。
午後になって、すこし調子が良くなる。体が動かせるようになったので、屋外へ出て作業をする。
とにかく、入口をふさぐものがなにもないのがつらかった。かといって、扉代わりになるようなものももっていない。
かなり迷って、寝袋を裂く。どうせ、もともと寝袋としてはほとんど使わなかったのだ。一枚の布として広げられるようにナイフで切り、それを入り口にあてがう。
垂木の上に積んだレンガを一度崩し、寝袋をはさみ込むと、ちょうど布を吊ったような具合になる。地面に垂れた部分は石で固定する。
すきま風はあるものの、まあまあ、それなりに入口らしくなる。
寝床を作るために乾いた枯れ草を探し、家に運びこみ、それから熱をぶり返して寝こむ。それから猫が戻るまで、目を覚まさなかった。
猫が戻ってきたのが、なんじくらいだったか。かなり長く寝こんでいたらしく、夜になった今も眠れない。目がさえてしまった。じかんを持てあまして手記をつけているが、そろそろもう書くこともない。
そうだな……博士の日記でも読んでみようか。今なら少し気持ちに余裕もある。読めるかもしれない。
六十八日目
夢を見た。昔好きだったまんがの夢だ。人間に育てられた白いライオンの子供と、彼の友人である少年のはなし。ライオンの子供はジャングルにかえり、そこで王になる。彼はいだいな王として、ジャングルを平和な楽園にしていくのだ。
すごくすごく古いまんがだ。こどものころ夢中で読んだ、昔は好きだったまんが。
どうしてこんな夢を見たのだろうと思う。猫とともにいるからかもしれない。まんがの中のライオンは、人の言葉を話すようになる。それを猫に重ねているのだろうか。
昨日から体調をくずし、私は相変わらず寝こんでいる。やっと落ち着いて冬ごもりができると思ったのに、早々にこれでは先が思いやられる。
猫は私を心配し、今日は狩りにでなかった。「ダイジョブ」とつたない言葉で私に呼びかけてくる。大丈夫、という言葉も覚えていたらしい。本当にかしこい猫だ。
しかし寝こんではいるものの、頭はさえていた。体に力が入らないだけだ。寝こみすぎて眠気もないため、今日も博士の日記を読む。
まだ正気だったころの博士の筆致をたどるほどに、発狂した彼の姿もまた鮮明になる。どうして彼は狂ってしまったのか?
日記からはその片りんすらも見られない。それがまたぶきみだった。
六十九日目
頭はさえているのだ。
どうして体が動かないのだろう。目覚めても起き上がれず、そばにあった手ちょうをひらく。
全身が気だるく、まぶたを開けるのもおっくうであるのに、筆だけはしっかりにぎれる。こんな調子では、きっと私は死ぬまで書きつづけるのだろう。
発疹は治らず。熱がある。外は上天気で、あいかわらず乾そうしている。このあたりは、冬は乾そうする地域なのか? そのわりには雨も雪もふる。山に近いからか、うつりかわりやすいのだろうか。気候がよめない。
乾そうに皮ふをやられたからか、今日は特にかゆい。首をかいていると、鳥にとめられる。かきすぎだと言われる。そうは言うけど、かゆくてたまらないのだ。
猫はあいかわらず私を心配して、狩りにでようとしない。干した肉や魚では空腹を満たせないので、水で戻すように指示を出す。それからまきの乾そうと、水の煮沸もたのむ。
冬が厳しくなり、外に出られないほど寒くなるじきがくるかもしれない。しばらくこの中で過ごさなくてはならないかもしれない。そうなるまえに、できるだけまきを集めておき、水をくんでおくように。
先々のことを言いつけると、猫は「ワカッタ」とうなずく。なにかコツでもつかんだのだろうか。猫の使える言葉がどんどんふえていく。
いずれはもっとたくさん会話ができるようになるだろうか? それはすこし楽しみに思う。きっと鳥はふきげんになるだろう。想像すると笑えてくる。
いや、先のことよりもまずは体を治さなくてはいけない。発疹から熱が出ているようなので、どうにか皮ふの調子をよくしたいのだが。
清潔な水で洗うくらいが関の山だろうか。さすがの非常用バッグにも、皮ふ病の薬は入ってはいない。解熱剤は残っていただろうか?
筆を動かすうちに、だんだん体の感覚が戻ってくる。起き上がれそうだ。
七十日目→七十三日目?
今日も夢を見た。眠りが浅いのかもしれない。
夢では出征した兄に会った。相変わらず軽口ばかりたたかれる。母は元気か、父はどうしているかと聞かれるが、答えられない。目が覚めてしばらく、両しんがどうしているか考える。私のことを心配しているだろうか。まだ生きていると伝えたい。
起き上がることができたので、家の外に出てみる。外の寒さはひときわ厳しく、痛いくらいだった。昨日までわりにあたたかかったのに、きゅうに冬が本格的になったようなきがする。
畑を見ると、しめった土の上で二十日大根が寒そうにしている。根元が赤くふくらんでいたので抜いてみると、ピンポン玉くらいの大根が出てくる。
うれしくてひとりはしゃいでいると、水くみにでていたらしい猫と鳥がもどってくる。外にいる私を二人して叱りつけてくる。なんにち寝こんだと思っているのだと言われる。
三日くらい? というと奇妙な顔をされる。昨日雨がふったことを覚えているかと聞かれるが、きおくにない。話を聞くうちに、今日は七十日目ではなく、それより数日たっていると知る。
七十四日目
大根をにて食べる。安心して食べられる。ほっこりと腹がふくれる。満たされたと思ったのははじめてのように思う。
この大根、やわらかくにれば猫でも食べられるらしい。体の栄ようになるかどうかはわからないが、腹がふくれるだけでも価値があるだろう。猫に水のわかしかたと、植物をやわらかくにる方法を教える。この先、どうしても肉がとれないこともある。そのときに、猫が飢えることのないように。
それから今日も夢を見た。近ごろはもとの世界の夢ばかりだ。みんな無事だろうか。私はまだ無事だ。伝えられたらいいのに。無線をいじっても、ノイズばかりが流れる。鳥はノイズをきらう。頭にひびくらしい。精霊本体は空気みたいなものだというが、どこで音を聞いているのだろう? 鳥の体でだろうか?
寝こんでいると一日が長い。暇なじかんは手記をつけ、博士の日記を読む。頭ばかりがさえている。
七十五日目
発疹が首から背中にかけて広がる。かゆい。かこうとすると鳥におこられる。つめが血まみれだ。痛いのに、かゆい。
猫に肉や魚の干しかたを教える。どうして干すと食べものが長持ちするかを教えるが、理解してくれたかどうかわからない。
私が動けないぶん、猫にできる限りのことを伝える。この先食べものをとってきたとき、くさらせないように。まきは外に出したままにせず、屋根の下においておくように。一日にどれくらいまきが必要か、しっておくように。
万一火が消えたときにそなえて、ライターの使い方も伝えておく。猫の手はぶきようで、うまく着火レバーをおろせない。どうやって教えればいいだろう?
七十六日目
そろそろ食料の底が見える。雪がふっていて、猫は狩りにでられない。
発疹が腕まで広がったとき、私は自分がどうなっているのかわかった。つぶつぶとした黄色い斑点が体中に浮かんでいる。毛穴から血がにじみだし、うんでいる。かゆみにたえきれずつめをたてると、つぶつぶが破れてどろりとしたうみがでる。
ようやく家ができたのに、このありさまか。おもしろくもないのに笑えてくる。
猫はけんしんてきに私の世話をする。きっと雪がやんでいても、狩りにはでなかっただろう。
頭はさえている。
これが幸か不幸かは、わからない。