六十四日目―六十六日目
六十四日目
全身が痛む。筋肉痛らしい。久しぶりに、痛みらしい痛みを感じた。
昨日なにも食べていなかったので、猫が空腹をうったえる。ぶら下がっている乾そう中の肉を食べたいらしい。まあ、いいだろう。
手に取ってみると、肉はすっかりかたくなっていた。まだ水気の多いものもあるので、日の当たりぐあいによるのだろう。
てきとうな肉をいくつか渡す。かたいものもあったのだが、猫は平気な顔でがりがりかじる。私もひとつかじってみたが、歯が立たないのであきらめる。私の歯が弱いのか、猫の歯が強いのか。
うまい、まずいはとくには言わず、猫は物足りなさそうににゃあと鳴いて、また狩りにでて行った。
こんな量で、一冬はもたないだろう。猫が食べ物を探すほかに、私は私で自分の食べられるものを見つけなければ。
と、なん度思ったことだろう。思うばかりで、なにもすすまない。
午前の内に空地に行く。
残っていたまだレンガは使えそうになかったので、追加レンガを量産する。第三期レンガだ。乾そうを早めるために、レンガをやや薄く、長くする。
これにはそこまで時間がかからなかった。つくる量もすくなかったせいだろう。まだ日が高かったので、先の作業を見こし、鳥とともに森へ出る。
屋根材に使えそうな枝や葉を探しにいったのだ。
ついでに道ばたで見つけた適当な草を食べ、帰りぎわに嘔吐した。しばらく頭痛が痛くてたまらず、木の根元にうずくまる。
頭痛は長引いた。このときは、筆をとる気力もなかった。やっと歩けるようになって、寝床へ戻って、そこでやっと手帳をひらくことができた。今は寝床で、思い出しながら手記をつけている。
実さいのところ、痛みというよりはふわふわと、麻ひしたような感覚に近い。あれからしばらくたち、手記をひらいている今も、頭の奥に少し症状がのこっている気がする。一口ていどしか食べていないのに、ずいぶんと毒性が強かったらしい。
二度と同じものを食べるまいと、草の形を思い出しながらスケッチをする。横に症状もそえておく。こうなると、博士のスケッチににてくる。
それにしても、意外と毒草は多いものだ。思えば元の世界だって、あれほど植物にあふれていたのに、食べられる野草なんて野草時点にちょこっとのっているくらいだ。
本当は植物なんて、食べられないものの方が多いのかもしれない。これから先、野草をためすことが怖くなる。丸い草は食べられたのだし、春になればまた博士の手記から食べ物を探せるのだし、もう、無理はしなくてもいいではないか。
そう言い訳する私自身に気づく。
すっかり調子を崩し、寝床に帰って草の毒が抜けるまでぐったりとしているうちに、猫が帰ってくる。
十時ごろだっただろうか? いたちみたいな生き物を二匹ほどくわえ、ふらふらとたき火に近寄ってきた。寒くてたまらない様子で火に近づき、体を震わせていたことを覚えている。
思えば、息が白いことにも、ここではじめて気がついた。夜空に向かって息を吐くと、白い煙のような呼気がもうもうと上がる。身を切るような寒さだった。
空の月は半月よりも太く、満月にはまだ少し足りない。まもなく冬なのか、もう冬なのかがわからなくなってしまった。
猫は寒さにたえられないようすで、食事もそこそこにすぐに寝床で丸くなった。あとから私が寝床に入ると、暖を求めてすり寄ってくる。耳のうらをなでるとにゃあにゃあと鳴いたが、意識があるのかないのかわからなかった。
六十五日目
ここへきて一番の寒さだった。空は灰色で、どことなく空気が水気を帯びている。寝床近くの地面に霜が降り、夜が氷点下であったことを知る。昨日今日で、一気に冬が近づいたらしい。
温まりたくて湯をわかす。お茶の葉でもあればいいのだが、特にそういったものはないので白湯として飲む。
猫は心そこ寒そうにしていたが、日が高くなるころにはさすがに狩りにでて行った。これから寒い季節、猫を狩りに向かわせることに不安を覚える。と中で冷気に負けて、倒れているのではないだろうか。
昨日のいたちらしい生きものは、軽く解体して肉を干す。毛皮は時間がかかるため、またあとに回す。今日はまず、家の作業をすると決めていた。
午前の内に空地に出て、かまどに火を入れておく。そばに火があるだけで、安心感が違った。火が空地の寒さを、わずかにでも和らげてくれるような気がする。火を絶やさないように、またレンガをつみはじめる。
二期までのレンガをすべてつんで、十三だん。なんとなく不吉なので、昨日作ったばかりの未乾そうレンガを無理やりつんで十四だん。
合計してだいたい四百個。高さがだいたい七十センチ、おおよそ二、三メートル四方のレンガの壁ができる。
この壁の上に、昨日かき集めてきた枝を渡す。しかしもちろん、二メートル強の枝はそうそう見つかるものではなく、渡せるのはほんの数本だ。一度渡した枝の上に、さらにもう少し細い枝を渡す。細い枝の合間は、さらに枯れ草などでふさぎ、ひととおり天井の穴を埋める。
それらの枝や枯草の上に、使わずに残った粘土をすべて塗り込む。重みで壁がくずれるかとも心配したが、案外なんとかなるものらしい。天井をすき間なく、粘土でコーティングする。
思えば、穴を深くしたのは正かいだったかもしれない。天井が低いおかげで、地上からの作業が楽にできる。
天井の作業を終えたのは、五時よりも少し前だっただろうか。
区切りがついて手を止めたとき、あらためて今日の寒さに気づく。作業中は汗をかいていたが、少しすると熱が冷め、汗が余計に体の熱をうばった。歯の根がかみ合わないほど寒い。
灰色の空を見上げれば、雨のようなものがちらほらと降っていることに気づいた。ふれるとそれが、水気の多い雪であると気がつく。みぞれだ。
しんしんと、というよりはべちょべちょと、冷たい雨のような雪が降る。森の木々の上に降り、私の頭の上に降り、できたばかりの天井に降る。白くて、冷たくて、それでいてなにか、ふしぎな感慨深さがあった。
目の前に生乾きの屋根がある。半分土にうもれた、四角い箱のような家。
この冷たさから逃げられる、私と彼らの家だ。
だいたい二×三メートル。高さ七十センチのレンガの壁には、四角くくりぬかれたような入口が一つ。内部に向かう階段を下り、入り口をくぐれば、屋根の下でかまどの火にあたることができるはずだ。
「これで完成?」とここ数日、ずっと私の作業を見ていた鳥が聞いてきた。まだまだすることはあるだろうが、ひとまずはうなずく。「すごいすごい」と素直にはしゃいで、鳥は一人で入口に飛んでいく。
少しして、すぐに出てくる。
いぶされたらしい。そういえば火をつけっぱなしだった。
中に入ってみると、たしかにすごい有り様だった。
かまどでたいた火からあまり良くない色の煙がのぼり、内部をくまなく埋め尽くしている。煙が外へ逃げればいいのだが、半地下室のような形になっているせいか、煙の逃げる先がない。
それに、おそらくは薪の方も質が悪いのだろう。湿気た枝で火をたいているせいで不完全燃焼を起こしている。外でたく分にはそれほど気にならない程度の湿気も、空気の留まる場所では耐えがたい。
一度火を消し、対策を考える。
かまどは入口と正反対の壁ぎわに配置されている。かまどの背面が、ちょうどむき出しの土にふれているのだ。この背面の土を少しくりぬき、地上への通気路をつくることにする。
直に風が吹き込まないように、穴をかまどの真横に掘り、その後地上に向けて直角に掘る。外見からはわからないが、L字型のこう造になっているはずだ。この穴を基本にして、煙がそこそこましになるように穴を押し広げていく。
手にふれる土は冷たく、水を含んでいた。作業を終えるとすぐにかまどに火を入れ直す。しばらくようすを見ていたが、今度はけぶることはないようだった。
安心して暖を取っているうちに、少し寝てしまっていたらしい。鳥につつかれて目が覚める。外から、にゃあにゃあと猫の鳴き声がした。
忘れていたのだ。このときは、本当に忘れていたのだ。あわてて外に出て、不機げんそうな猫の姿をつかまえる。猫はにゃあにゃあと私の体をゆ」さぶって、それから頭を押し付けてきた。ため息のように細い声で鳴く。
「心配した、だってさ」
猫の毛並にもぐりこんだ、寒がりの鳥が言った。
六十六日目
疲れきって、猫を家に入れたあと、すぐに眠ってしまったらしい。枝の上にじかに寝たから体がいたい。
猫はめずらしく、まだ狩りにでていないようだった。どうしたのかとたずねると、「サムイ」と返事がある。いつのまに寒いという言葉を覚えていたのか。
猫の弱気はめずらしく、熱でもあるのかと思ったが、そうではないらしい。
入口から外を見ると、ちらちらとまだ雪が降り続いている。地面にはうっすらと白い層ができていて、冷たい空気が流れてくる。
ついに本当の雪だ。
今日は外へ出ることができない。猫の狩ってきたいたち?の肉を食べ、皮をなめしながら一日をすごす。
入口にとびらはなく、冷たい空気が無遠りょに部屋の中に流れ込む。それでも四方八方からさらされるよりもずっとましだった。かたい床に疲れて毛皮の上に寝そべると、すこしだけ暖かさとやわらかさが感じられる。猫が同じように私の隣で丸くなり、鳥がはたはたと飛んできてあいだにはさまる。ぬくい。
そのうち、入口を覆うなにかが必要だろうと思う。やはり火だけでは寒いので、寝床がわりに枯れ草でも持ち込まなくてはならないだろう。食べるものももちろん足りない。水も、もっとたくさんためておくべきだ。トイレはどうする? これ以上寒くなったらどうする?
考えることはいくらでもあった。だけどこのときは、すこしだけ不安を忘れてもいいようなここちだった。
私は寝返りをうって、猫と鳥に向きなおった。それから両手を広げて、二人を抱き込むようにしがみついた。猫が身じろぎして、鳥があいだにつぶされて、「ぎえっ」と鳴いた。あたたかい。みょうに泣けてくる。しばらくなみだがとまらなくて、顔をかくしていた。
火がはぜて、しんしんと染みるような雪の気配が外でして。
ごわごわとした猫の手触りとねつ。すこし体温のたかい、小さな鳥の体。身をよせあうと、またすこしあたたかい。
このときのあたたかさは、きっと忘れられない。