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六十日目

六十日目


 晴天。晴天が続く。ありがたい。

 昨日の夜に猫が狩ってきた、耳のない兎の毛皮が残っていたので、噛みながら日記をつける。前の二つの毛皮よりはよほど小さいものだが、それでもこれで午前中は潰れるだろう。

 体を動かすより、歯を使う方がよほど辛い。いつ歯が抜けるのかと、私の血でよごれる毛皮を見てひやひやする。あまり強くは噛めないため、口の中でもぐもぐと咀しゃくするようにして、毛皮の繊維をすりつぶす。

 毛皮なめしの作業中は、鳥がふきげんになる。口が使えないため、会話ができないからだ。話しかけられても無視するほかになく、よくつつかれる。


 つつかれながら、午後にすることを考える。

 子葉がすっかり立派になった二十日大根を、そろそろ間引きしよう。間引いた子葉は、数少ない安心して食べられる植物だ。下手に干してダメにするより、早々に食べてしまおう。

 それから、また新しく食べられる草を探してみるべきだろうか。丸い葉と二十日大根だけではとうてい心許ない。しかし、リスクを冒してまで新しく探す必要はあるだろうか。冬が明ければ、博士の手記をもとにして、安全な草を探すことができるかもしれないのに?

 ここ最近は、毒の可否を判断したあの虫もだいぶ数を減らしてきた。子葉をかじられることはほとんどない代わり、ほかの雑草にもろくに穴が開いていない。どれが食べられるか、今から判断できるだろうか?

 虫の方は、丸い葉の裏側でさなぎになっているのを見ることができた。さなぎで越冬するのだろう。あの蛹も茹でれば食べられるだろうか? 保存食になるのなら、集めておいても損はないかもしれない。


 あとは、ああ、少しレンガを組みはじめておきたい。最初に作ったレンガで、大体の感覚を掴んでおけないだろうか。どのくらいの量がいるとか、さらに粘土が必要か? とか。どうやって接着するかとか。

 接着か。目地をどうするかは、未だに悩みどころだ。やはりこれも粘土だろうか。乾燥に時間のかかるものを目地にすることに、どうにも不安を覚える。しかしほかに手段がないのもまちがいない。石灰か石こう、あるいは樹脂でもあれば。これくらいならどこの世界にもあるだろうし、それほど珍しいものでもないはずだ。

 珍しいものではないのだが、見つけようとして見つかるものではない。粘土だって本当はそうだ。珍しくはないが、いつもすぐそばにあるものでもない。粘土を見つけられたのは、私にとっては幸運だったのだろう。

 やはり粘土か。砂を多めに混ぜて、上手くすき間を埋めるようにしてレンガとレンガを接着させれば、なんとかなるだろうか。


 歯が痛い。それにしても毛皮なめしは重労働だ。もっと楽にできる方法はないものか。このままではいつ私の歯が欠けてしまうかわからない。

 要は繊維を切れればいいわけだけど、ナイフだと切れすぎるわけだし。


 石器でも作ればいいのか?

 本当に原始人みたいな暮らしだ。





 なめし終えたのは、たしか午後をかなり過ぎたころだった。現在時刻は午後十時。寝床に入って、今日のことを思い出しながら続きを書いている。

 あれから、途中で書くことに疲れて、日記の読み返しをしていた。文しょうを追っても、相変わらず頭に入ってこない。これが精神的なりゆうなのか肉体的なりゆうなのか、栄養失調によるものかねつによるものか疲労によるものか、判別できない。あるいはそれらすべてが原因なのかもしれない。

 とにかくなめしを終えたあと、私は決めたとおりに空地へ向かった。

 二十日大根の間引きはすぐに終わった。大きい子葉をいくつか残して、小さかったり虫にかじられていたりするものを抜き取る。

 虫も探しておいた。二十日大根のための駆虫でもあったし、食べるためでもあった。


 近ごろは猫の狩りも著しくない。獲物のない日の方が増えてきているように思う。冬のせいなのか、それともそれまでがうまくいきすぎだったのか。

 狩りの成功りつが高かったころは、まだ過ごしやすい秋の半ばだった。獣たちが活発な季節だ。それからだんだんと獣たちが冬眠に入り、姿をかくしたのだと思えば納得できるかもしれない。もう今は、獣たちにとって、冬眠を始めるべき寒さなのだ。


 そういうわけで、虫を食べる機会も増えてくる。狩りに成功したとしても、虫があればそれを保存に回すことができる。虫の味や感触は気色悪くはあるものの、すでになん度か口にしていて、なれはじめていた。

 さなぎもあったので、草のうらからはがしてあつめる。さなぎのくっついていた葉もつみとって、一枚は食べてみた。赤みがかった渋みのある草で、しばらくして下痢をしたが、これが草によるのかそうでないのかはわからなかった。長いこと下痢続きで治る気配もないため、この先も判断できそうにない。あの草は諦めることにした方がよさそうだ。


 レンガにとりかかったのは、西日が差すころだったはず。日が沈み始めて、あわててさなぎあつめをやめたのだ。さなぎはくっついた草ごと持ってきているので、明日食べてみようと思う。毒でないと良いが。食べられる草を増やしたいと思いつつ、気が重い。腹痛だったり脱水症状だったり、あまりいい目にあっていないからな。

 ああ、レンガの話だ。

 すでに乾いた試作レンガと、比かく的乾燥の早い一期レンガで、ぐるりとまずは外周を囲う。これで、一段にいくつレンガが必要かを数える。

 入口を空けると考えても、だいたい一段に二十から三十くらいのレンガを使う。三段で約百。数を数えて青くなる。

 数はもつだろうか。足りないなら家の底から粘土を掘り返して、またレンガを作らなければならない。だけど冬までに乾燥するだろうか? もう、ほとんど冬といっても差し支えない気候なのに? これを書いている今も心臓が痛い。不安でしめつけられる。

 ひとまずは一段目を作るため、穴の壁を削って粘土を一抱え掘り出す。それに水と砂を混ぜて伸ばしやすくしてから、レンガの間に塗り込んでいく。

 一段目が終わるころ、すでに日が落ちていた。あわてて寝床へ戻る。


 寝床にはすでに猫がいて、たき火の傍で毛づくろいをしていた。櫛を持って毛並をとかし、ダニを見つけてはつぶしている。私の姿を見ると、にゃあと鳴く。

 遅くなってごめん。おかえり、と私は声をかける。猫は私を見て小首を傾げ「タダイマ」と言った。

 このときは、ふつうに聞き流していた。



 今日は狩りに失敗したのか。虫を取っておいてよかった。そう思って食べて、猫と寝床に入って、猫が先に寝て。

 そこでようやく気がついた。


 私は「おかえり」と言ったのだ。

 猫は「ただいま」とこたえた。

 いつもの言葉の繰り返しではない。まねではない。おうむがえしではない。おかえりのあとに、ただいま、と。別の言葉で。


 この日、あのとき、私は猫とはじめて会話を交わしたのだ。

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