五十二日目―五十四日目
五十二日目
試作したレンガが固まっていた。
薄く作ったおかげか、数日でかなりよく乾いていた。硬度も悪くない。少なくとも、多少つみ上げる程度のことはできそうだ。
ひび割れて使えそうにないものを除き、役立ちそうなレンガを確かめる。
純正粘土で作ったレンガは、もろく崩れやすい。混ぜものをした中でも、繊維質の草葉を混ぜたものは頑丈だった。混ぜものの量は、自分で考えるよりも多くて構わないらしい。
これを参考に、猫が掘り返した粘土をこねて成形していく。
日暮れごろに、狩りに出ていた猫が帰ってきた。
狩りは失敗したようだが、レンガ作りを手伝ってくれた。
寝床のたき火をわけて、暗くなり始めた空地にも火をたいた。
時こくは六時前あたりだったと思う。澄んだ空には星がいくつもかがやき、太った三日月が空に浮いていた。
とき折吹く風はやや冷たく、水で練った粘土は冷え切っていた。底冷えする空気に、木々さえも委縮しているように思えた。
狩りから戻ってきた猫は、空地で土をこねる私に面食らったようだ。にゃあにゃあといぶかしげに鳴く猫に対し、今日一日作業に付き合ってくれた鳥が、私に変わって説明してくれた。
土を固めて壁を作るのだ、みたいなことを伝えていたが、猫はあまり理解した様子はなかった。このまま、穴を掘り進めて中に暮らすとでも思っていたらしい。
そのあたりの理解力は、さすが精霊とでもいうべきだろうか。それとも、鳥と猫の習性の差だろうか。元の世界で考えても、巣作りをする鳥はよく聞くが、猫はほとんど聞いたことがない。
猫はわからないなりに傍に来て、私を真似て土をこねだした。白い毛並を泥まみれにさせながら、不器用そうに四角い扁平なレンガを作る。そのあまりの不器用さに、途中で何度も口を出してしまった。猫はその口出しを、鳥が通訳する前に復唱する。言葉を覚えようとしているらしい。彼は勤勉だ。
月が天頂に来たあたりで、寒さに耐えられず寝床に帰る。食べるものがないため先日見つけた葉っぱをかじるが、空腹で眠れず。現在は気を紛らわすため、手帳を開いている。
そうだ、月を見た。
やや太った三日月で、次第に満月に近づいているように見える。冬まで、あとひと月もないのだろう。
いや、だが私はまだ、この次元におけるひと月の長さがどれほどなのか知らない。ひと月が五十日や六十日の可能性もあるのでは? それに冬の長さもどれほどなのだろう。一年の長さは?
公転周期が知れれば、冬のおおよその長さが把握できるだろう。だが、計算の仕方が思い出せない。星の半径が必要なのだったっけ? それとも恒星からの距離? あるいは一日の正確な長さだっただろうか? それはどうやって調べるのだったか?
情けない。さっぱり思い出せない。工学に転学する前は、大学で物理を専攻してすらいたのに。
物理か。思えば懐かしい。戦争がはじまらなければ、私はまだ次元物理を学んでいたのだろう。徴兵されたくなくて情報工学に転向したのは、いつごろだったろうか。
工と法だけは戦争に役立ったからなあ。学ぶ内容は、戦前とだいぶ違ってはいたが。それでも大学に残りたいと思っていたのに、こんなことになると思うと、ゆかいでもないのに笑えてくる。
大学に入った当初の私は、思えばかの博士に憧れていたのだ。いつか会いたいと。あの人と同じ舞台に立ってみたいと。
今はもう、ずっと遠い世界の夢のように思える。
元の世界も、大学も、戦争すら。
五十三日目
上天気。やや湿度があり、雲が多い。
目が覚めたとき、すでに猫の姿はなかった。朝から狩りにでているのだ。
そうして一日中でていても、なにもとれないことがある。最近は、そんな日が増えてきたように感じられる。
虫を捕まえるべきだろうか。あのくらいしか、私で捕まえられるタンパク源が思い浮かばない。食べることに対しても、前よりは抵抗が少ない、ような気がする。
空腹を抱え、空地へ行く。
空腹紛れに草を噛みながら、今日はほとんど一日をレンガ造りについやした。昨日一日では、レンガを作りきれなかったのだ。
粘土のある分だけレンガを作ろうと思うと、かなりの量になる。昨日だけでも百くらい作った気がするが、たぶん今日作った分はもっと多い。乾燥のために置き切れなかったレンガは、仕方がないので日陰のほうに追いやられた。
昨日より数を作れたのは、成形のために道具を使ったためでもある。
比較的まっすぐで長めの枝を二本、十センチ程度の間かくをあけて並行に固定する。その枝と枝の間に粘土を詰め込み、押し固めてから枝を外す。ナイフで等間かくに切っていけば完成だ。
これだけで、手で成形するよりもずっと強く粘土を固められるし、作業スピードも倍以上だった。最初の、まっすぐで長く、それなりの太さがある枝を探すのに時間がとられたが、探すだけの価値はあったと思う。
これだけあれば、家が作れるだろうか? 空地で一度自分の作ったものを見回してみたが、正直なところ、なんとも言えなかった。
夜になり、猫が戻ってくる。相変わらず狩りの収穫はない。猫はばつが悪そうだった。
他に何もないので、猫と虫を焼いて食べる。焼くとくるりとまるまる虫は、形は虫のままであるのに、つぶして食べるよりも少しましな気がした。
五十四日目
晴れてはいたが、空の遠くに黒雲が見える。湿気があるので、明日明後日あたりには雨が降りそうだ。近頃は快晴より、やや湿った天候の方が気温が高いように感じられる。熱が逃げないからだろうか。
雨の前に薪を拾い集めておく。水を作りだめ、寝袋を屋根にした簡単な雨避けを用意する。
それから未乾燥のレンガだが、あれは避難させられる場所もないし、野ざらしにするほかないだろう。さすがに昨日今日では乾燥させることはできなかった。強い雨にならず、泥になって流されずにいてくれることを祈る。
流されるというと、最近また芽を出し始めた二十日大根。これも水に流れては困るため、乾燥したレンガで周囲を囲っておく。レンガで囲いきれない部分は、土やら石やらを積み上げてとりあえず隙間を埋めておく。
雨のそなえは、鳥と相談しながら進めた。
そのとき、なんの拍子だったか覚えていないが(おそらく、食料のそなえが欲しいといった話題から、猫以外の動物に対する慈悲うんぬんという流れだったと思うが)、鳥が少し興味深いことを言っていたので記述しておく。
鳥がなぜ、猫たちの精霊となったかについてだ。
そもそも鳥はみずからを精霊と称するが、それはあくまでも便宜上のものらしい。猫たちと出会い、崇拝される前までは、彼はもっとあいまいなものだったそうだ。
他の生き物とほとんど関わることなく、長いときをただ漂い、考え、気まぐれに傷をいやしてやる。幾度か死に、時間をかけて再びよみがえり、また考える。
「考える時間だけはいくらでもあった」と鳥は言った。「それでも自分がなにか、わからなかったけどね」、とも。彼にわかるのは、他の生き物と自分とは、明らかに違うということだけだった。
というのも、猫たち以外の生物は、鳥(当時は鳥ではなかったらしい)と対話するだけの知能がなかったからだ。
話しかけても傷をいやしてやっても、相手が鳥を気にかけることはろくになかった。他の生き物から鳥が聞き取れるのは、「死にたくない」だの「腹減った」だの、ごく純粋な欲求のみ。むしろ、それすら聞き取れない生き物の方が多いくらいだ。
だから長い間、鳥は生き物に無関心であったし、生き物も鳥に無関心だった。猫たちに会うまでは。
猫たちに会ったのは、比較的最近(鳥はどれほど生きているのだろう?)らしい。
森で疲弊しきった猫の小集団を見つけた鳥は、気まぐれに水辺へ導いてやった。それからなんとなく、風雨をしのげる洞くつを教えてやると、猫たちはおどろきとともに鳥に感謝した。猫に劣らず、鳥もおどろいたそうだ。感謝されたのはこのときがはじめてだったらしい。
その日から、鳥は猫に関心を持つようになった。鳥は猫と対話をし、自分の存在を認識するようになった。猫は鳥を受け入れ、彼を信仰の一つとした。
それが大昔の、鳥と猫のはじまりだそうだ。
猫が戻ってきたので、一度ここで筆を置く。
日が暮れて、空の雲が随分と増えたようだ。上手いこと雨をしのげるとよいが。