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四十四日目―四十五日目

四十四日目


 雲が晴れる。昨日は結局寝床に戻れず、寝袋の上で一夜を明かすことになった。

 傍の焚火はすでに消えていて、煤だけが残っている。一晩中起きて火の番をするつもりだったのに、いつのまにか寝てしまっていたらしいと知る。

 私が目覚めたとき、すでに猫は起きていた。燃え尽きた焚火を前に平伏する姿を見る。

 いぶかしんでいると、あれは火の神への非礼を詫びているのだと鳥に教えられる。火を絶やしてしまったことを懺悔していたらしい。信心深い猫だ。

 火が絶えた。ということは、猫は夜の間、目を覚まさなかったのだろう。悔いる猫には悪いが、私は少し安心した。やっとぐっすりと眠ってくれたのだ。


 声をかけるタイミングが分からず、とりあえずうなだれる猫の頭に触れた。熱はすっかり下がっているようだった。私の手に気づくと、猫は身を起こして声を上げる。「オアオウ」と聞こえた。やはり幻聴だったのだろう。

 おはよう、と私も返す。熱の原因は疲労によるものだったらしい。元気になってくれてよかった。


 それでも念のため、今日は狩りに出るのを休むよう猫を説得する。大事を取って体を休めるべきだ。また倒れてしまうかもしれない。

 私の言うことを理解したのか、していないのか。

 猫は狩りを休み、一日中私のうしろについてきた。


 たぶん理解していなかったのだろう。



 午前。

 食べられるものを探して川原に出る。

 まだ増水で逃げ損ねた魚が残っていると考えたのだ。根こそぎ捕まえれば、多少の備蓄になるかもしれない。


 日当たりのいい川原に枝を並べて乾燥させながら、私は川沿いを下って歩いた。

 水たまりを見つければ覗き込み、魚を捕まえてはボトルの中に押し込んだ。小魚ばかりだが、割と収穫は悪くなさそうだ。

 と思っていたのだが、少しすると、水たまりはあるのに魚の姿が見えなくなる。訝しみつつ周囲を見渡すと、水面を覗きこむトカゲのようなものの存在に気づいた。岩場に溶け込むような灰色の鱗と、胴体を覆うふさふさとした毛並を持っている。大きさはイタチほどだろうか。私が近づく気配に気づいたのか、すぐさま逃げようとする。

 珍しい。寝床近辺では、空飛ぶ鳥か虫の他には、ほとんど生き物を見かけることがなかったのだ。おそらくは猫のマーキング(排泄物の臭いだろうか?)によって、鼻の利く動物たちが近寄ってこないのだろう。

 つまり、このあたりはすでに猫の縄張り外なのだ。水たまりに魚がないのも納得である。縄張り内では見なかった動物たちに先を越されてしまったのだ。

 これでは、これ以上川を下ってもあまり意味はなさそうだ。川上を確かめてもみるが、たいして期待はできないだろう。


 このトカゲは、私のうしろをついてきていた猫が捕まえた。

 逃げようとする姿を見た、と思ったときには猫が飛び出していたのだ。呆気にとられているうちに猫はトカゲの首を噛み、水たまりが赤く染まっていた。

 猫が獲物をしとめる瞬間を見たのは、このときがはじめてだ。野生動物みたいに鮮やかで手馴れている。

 大人しく休ませておくのは無理なのかもしれない、と感じ始めたのは、確かここらへんだった。


 引き上げていつもの川べりに戻る。



 午後のことを書く。

 昼食後、畑の確認と穴掘りに川原を発つ。

 雨上がりの空地には水たまりがそこかしこにできて、ぬかるんでいた。ささやかに作った畑にも水が染み、種がいくらか流れてしまっているようだ。

 囲いでも作っておくべきだったか。それとも植え方が悪かったのか。雨のたびに流されていてはたまらない。ひとまず植え直しておいたが、何か考えておく必要があるだろう。


 一方、家と目して軽く掘り進めていた穴には、すっかり水が流れ込んでいた。一面水浸しで、水がはける気配もない。土中に家を作るからには、浸水も当たり前だろう。のちのち、排水のことも考えなければなるまい。


 それにしても、多少は地面に吸われてもよさそうなものを。水が溜まりっぱなしである。

 他の場所よりも水はけが悪いのだろうか? 疑問に思いつつ、硬い地面を掘ってみる。

 持っていたすきを地面に刺し、体重をかけて土を返す。と、ぼこぼこと土の表面が割れていく。割れ目にさらにすきを入れて返すと、大きめの土くれが抉り取れる。こうなれば、あとは手で土をかき出すだけだ。

 とりあえず、すきが役に立てられそうでよかった。


 土をほぐし、泥を穴の外に放り出し。足元では土と雨水が混じり、ぬかるみ始める。無心に穴を掘っていると、だんだんと墓穴を掘っているような錯覚に陥る。

 そうこうして掘っているうちに、すっかり疲れてしまったらしい。はじめは平気でもっていたすきが手に重く、まとわりつくぬかるみに足を取られるようになる。


 休憩に穴から上がると、ついてきていた猫が不思議そうに私を見ていた。「にゃーん」といつもと変わらない鳴き声を上げる。

 同じくついてきていた鳥が、「なにをしているのか、って聞いてるよ」と教えてくれる。住処を作る予定だと説明すると、猫が穴掘りを代わってくれた。

 休ませようという気持ちは、このときすでにない。猫は健康そのものだった。どちらかと言えば、むしろ私の方が体調が悪いのではないか、と思うくらいだ。代わってくれるならありがたい。


 猫にすきの扱い方を教える。彼はしばらく理解したような顔で私の説明を聞き、すきを受けとり、なおかつそれを放り出して、手で穴を掘った。

 白い毛並みを泥だらけにし、手(と言うよりは、前足と呼ぶ方がふさわしかった)で泥をかく猫をしばらく観察する。


 やはり土が硬そうだ。それに排水もかなり悪いらしい。いつまでたっても水が地面に吸い取られない。

 泥に原因があるのだろうか? 掘り出した泥を手に取ってみる。


 指で泥をこねてみた。

 やけに粒子が細かく、密になっている。かすかに粘り気も感じられた。どうやら粘土質のようだ。

 なるほど、これでは水も吸わないだろうし、地面も硬いだろう。ここらが空き地になっているのは、粘土層に木々が根を張れなかったからか。

 まあ、これは仕方ないだろう。木をいちいち抜くよりは粘土の方がよほどましだろう。

 こういうこともある。たまたま運が悪かったのだろう、きっと。



 日が傾きはじめたので、すっかり泥だらけになった猫を穴から呼び戻した。川原で軽く泥を落とし、寝床に戻って就寝。

 の前に、焚いた火の前で猫は毛並を乾かしている。念入りなその毛づくろいはまだまだ時間がかかりそうだ。泥だらけのまま寝かせるわけにはいかないと思ったのだが、水で洗う方がまずかっただろうか。

 なんとなく先に寝るのも気が引けて、猫を横目に手帳を見返す。



 やはり、雨の後のぬかるみに猫を入れたのはまずかったか。今さらと言えば今更だが、あれで病み上がりなのだ。

 それでも、猫のおかげでだいぶ助かった。男手があるとやはり違う。私とは仕事量が段違いだ。

 一方で、今後は私一人なのだと考えると憂鬱になる。硬い地面を掘り進めるのに、いったいどれほど時間がかかるだろう。冬までに間に合わなければ、それこそ墓穴になりかねない。


 それにしても、せっかくの空地だというのに水はけの悪い粘土層だとは。空き地になるからには、やはりそれなりの理由があるものか。木がわざわざあの土地を割けている時点で気づくべきだったのか。いや、さすがに私にその判断は無理だろう。運が悪かった。そう思うしかない。

 ああ、もしかしてこれ、畑の方にも影響が出てくるのではなかろうか?

 どこからか、良い土を持ってくるべきか。腐葉土ならどうせ森にいくらでもある。粘土がこんなにめんどうだとは。


 あ、いや待て。

 粘土?



 粘土って、あの粘土?





四十五日目


 快晴。やっと寝床が乾いてきた。寝床の湿った落ち葉は一新、新しいものを敷き詰める。

 猫は今日こそ狩りに出た。いってらっしゃい、と声をかける。このあたりの簡単な単語は、鳥の通訳を介さずともだんだんと通じるようになってきた。


 猫を見送り、鳥と二人になる。いつものルーチンワークで、畑と川原をまずは往復。薪と水、畑の確認。

 二十日大根は、双葉から本葉が出始めていた。二十日大根の成長は、最近の私の癒しとなりつつある。昔は植物なんて枯らしてばかりいたが、こうして気を入れて面倒を見てみると、案外可愛いものだ。

 つぶさに観察し、双葉に小さな虫食いができているのを認める。葉の裏についていた細い青虫を見つけだし、鳥の餌とする。

 この季節にも青虫がいるのか。これから蛹になるのか。あるいは青虫のまま越冬するのか。この世界の虫の生態はわからない。

 寒い季節だから安心していた。虫対策が必要かもしれない。



 さて。今日はこの後、ひたすら粘土だった。


 水やりのち、空地にて。まずは掘り返した土を手に取り、確かに粘土であると確認する。

 掘り出しただけの粘土は、一見するとただの土くれのようにも見える。しかし一掴み手に取って丸めてみると、弾性のあるかたまりになった。少し硬いパン生地のような感触だろうか。水を加えれば微調整が可能そうだ。

 掘り返した粘土を穴の横に積むと、靴のまま踏んで固める。一昨日の雨水でもともと水気が強かったせいか、そのまま足で揉むだけで粘性が出てくる。手でこねたときのように、パン生地程度の固さになるまで踏み続ける。なかなかの体力仕事だった。

 途中、足先が痛みだす。何かと思えば、先日虫に噛まれた場所だった。傷口が開いてしまったらしい。

 大した傷ではないのに、まだ治っていなかったのか。本当に傷の治りが遅い。血が固まらないのか? こんな生活をしていれば、やむなしと諦めるべきだろう。ほとんど一日一食で、ろくろくものを食べていないのだ。


 あらかた足で練った後は、不純物を混ぜ込む。

 セメントと同様に考えると、おそらくは粘土だけでは強度が出ないだろう。何を混ぜるべきかわからなかったので、そこら辺の砂やら草やらを適当に加えてみる。念のため粘土は三つほどに分け、混ぜ物(多)、混ぜ物(少)、純正の粘土とバリエーションを作っておいた。一番上手くいったものを、あとあと量産しよう。


 一通り均一になったと判断すると、今度は粘土を扱いやすい大きさに分けて成形する。とはいえもちろん規格成型などできないため、手でだいたいの形を整えるだけだ。

 乾燥に時間をかけたくないから、なるべく厚みは出さない。詰み上げることを考え、横幅は大きめに、上下の面だけは平らに。他は不ぞろいでも気にしない。それでもある程度の外形は一致するように。

 それを念頭に粘土を成形。20×10×5cm程度を目安に、ブロック状にする。


 三種合計、数にして二十あまり。猫がだいぶ掘り返してくれたので、思った以上の数が作れた。これらはすべて、日当たりのいい場所に並べておく。

 火を使わず、外気に晒して粘土の緩慢な乾燥を促す。いわゆる日干しレンガというやつだ。制作に難しい工程はなく、大昔から建材として使われてきた。と記憶している。


 陰干しの方がいいかとも考えたが、空地から移動させるのが手間だった。それにここらの風土はどうやら割と湿気があるらしく、影に干しては早期の乾燥は見込めないだろう。ならば多少荒療治でも、直射日光で乾燥させた方がいい。割れたなら割れたで、それも何か使い道があるだろう。


 このあたりで体力が尽きて休憩に入った。貧血気味なのかめまいまでしてきて、これ以上の作業ができそうにないと悟る。

 まあ、いい。粘土には、他の作業を犠牲にするだけの価値があると考える。これを上手く作ることができれば、家を建てるための大きな助けになるはずだ。



 そうだ。今日はもう一つやったことがある。

 昨日捕まえた魚が残っていたので、これをレンガと一緒に日干しにする。魚の目に糸を通し、空地に生えている若木に括り付けておいたのだ。

 天気はいいが、気温の低い日が続く。乾燥より先に腐るということはないと思う、おそらく。あまり自信はない。



 特筆することとして、最後に。

 寝床に入る前に、足の傷口を洗浄した。消毒薬を塗り、包帯を巻いておく。

 どうも、まだ血が止まらないようなのだ。今も包帯に血が滲んでいる。痛みはあまり感じないが、気になって仕方がない。

 鳥は虫に毒がないと言ったが、だんだん信用ならなくなってきている。鳥は意図的な嘘をつかないが、間違った知識を吐く可能性はあるのだ。

 あの精霊。超越者というにはあまりにも人間味がありすぎる。思い込みで物を言いそうな気配があるし、嘘はなくとも彼の発言は疑ってかかった方がいいのかもしれない。話をする限り、悪い奴ではないのだろうが……。


 まあ、傷口を見るに一度は塞がりかけたらしく、特別腫れたり壊死したりしている様子はない。

 明日にはさすがに血が止まっているだろう。今日はもう寝る。

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